身分の違いすぎるご令嬢と婚約させられ日々罵倒をされて嫌われていたはずが、実はめちゃくちゃ好かれていた話
僕の婚約者は王国内でも有力な公爵家のご令嬢である。
名高い名門貴族の中でも、一際注目されている、文武両道、才色兼備のご令嬢。
本来なら、同格の名門貴族か、王族から縁談が来ても異論は出ないだろうというくらいの完璧っぷりで。
……間違っても、僕のような田舎の子爵家に縁談の話が来ていいはずがなかった。
どうして僕の所へ婚約の話が来たのか、それは数年経った今でもよくわかっていない。
……ただ幼い頃に、突然公爵家のほうから理由も不明のまま縁談を持ちかけてきたのだという。
そんなものは怪しさしかないし、何か裏があるに違いないとしか思えない。
けれど当時の両親は、これで公爵家との関係を強めることができると大喜びで、すぐに承諾してしまった。
そして、お前のおかげでうちは救われたなどと、親に感謝されてしまっては、断りたいと言い出せるはずもなかったのだ。
「ごきげんよう。これからよろしくお願いしますわ」
幼い頃、初めて顔を合わせた時に言われた婚約者であるはずのご令嬢からの一言は、想像以上に淡白なもので、目すら合わせてくれなかったのを覚えている。
本当にこの人と結婚しなければいけないのかというのが信じられなくて、騙されているのじゃないかとさえ思った。
――けれども。
婚約というのは、本当だった。
振り返れば、婚約者になりたての頃、彼女はまるで会話をしてくれなかった。
格式ばった挨拶のために、僕だって望んでするわけでもないのに、手袋越しに手の甲に口付けをしようとすると、無言でぴしゃりと手を跳ね除けられ、顔を背けられた。
それから、半年か一年か経つと、お茶会で顔を合わせるたびに最低限の礼儀として挨拶は交わしていただけるようになった。
ただ、おまけに罵倒を頂戴するようになったのが、問題だった。
「ふん……また貴方と顔を合わせなければならないなんて、憂鬱ですわ」
避けられるようなことはなくなったが、そういうふうなことを言われると、少しだけ傷ついたりはした。
そもそも何が一番嫌かといえば、なまじ彼女がとびきりの美人で、優秀なご令嬢だということだ。
すらりとした体躯には、どんな飾り付けのドレスも彼女のために作られたかのようにぴったり似合う。
燃えるように赤く輝く縦ロールをゆさゆさ揺らしながら歩く姿や、所作のひとつひとつが美しい。
その凛とした顔に見つめられると、たとえ嫌われているだろうとわかっていても、ドキリとしてしまうのが、厄介だった。
しかも、更に厄介なことというのは、年齢を重ねていく事に、彼女が年々と綺麗な女性になっていくことだった。
本当に、僕を罵倒してくることの一点を除けば、非の打ち所のない女性で。
成就せぬ恋だとわかっていても、密かに心の隅で慕う気持ちがあった。
さて、そんな彼女と比べて、かくいう僕はといえば。
いつまでも根暗で、引っ込み思案なままだ。
特筆するべきところがあるとするなら、数年前に一度思い立って剣術の練習をしようと思ったことがあるくらいだろうか。
それもある日、たまたま彼女の訪問してきていた場で稽古をしていて、少しでも良いところを見せられればと張り切ったのも束の間、何も無いところで派手に転けて怪我をして「はあ……鈍臭い人」と、目の前で大きくため息を吐かれてからはやめてしまった。
あの時は一生立ち直れないんじゃないかと思ったものである。
まあ……とにかく。
彼女も僕なんかが結婚相手だなんて、やっぱり数年経った今でも不本意なままに違いなくて。
婚約したばかりの時とは違い、多少なりとも会話は成立するとはいえど「ふん、私と結婚できることをせめて感謝してくださるかしら?私が居なければ、今頃貴方はどうなっていたかわかりませんわよ!」なんて頻繁に言ってきていた。
いや……もちろん、僕が結婚相手でいいというのなら感謝などいくらでもしよう。
正直、この結婚に僕が前向きではないのかと言われれば、そうでもない。
結婚できるなら、する。
けれど、そうではない。
僕が懸念しているのは別のことだ。
いつも彼女は僕に悪態をついてくる。
嫌な顔も平気で取るし、そっぽだって向く。
パッと見ただけでも明らかに不満そのもので。
こんな状態でする結婚がとても良いものとは思えなかった。
きっと彼女は僕のことなど好いていないし、第一、僕と彼女は全く釣り合ってなどいない。
それなのに何故か――婚約破棄はされない。
それが一番の謎。
僕のことが嫌いだろうに、婚約者のままでいる。
この頃は、彼女と会うたびにそのことについて、考えることが多くて。
彼女の方が、立場も権力もある。
世間体を気にせずにあっさり捨てしまってもいいくらいなのに、そうしないのが不思議だった。
そして――ちょうどその日も、そんなことを考えていた。
その日は、彼女と一緒に初めて舞踏会に出席する機会。
婚約自体は子供の頃から結んでいるといえど、儀礼的には初めての婚約のお披露目の場でもあった。
色々な貴族の令嬢や令息が溢れる豪奢な会場を見ていると、自分がこの場にいるには全く見合っていないように思えて、ドキドキしてしまう。
僕だけが恥をかくのはいいけれど、この場では僕が恥をかくことは彼女にも恥をかかせることになってしまうから、気を配りすぎて歩くだけでガチガチだった。
隣には、緑の宝石があしらわれた煌びやかなドレスに身を包んでいる彼女が並んで歩いていて。
僕のぎこちない歩き方を、苛立ったように眺めてきたかと思えば「もっと堂々としなさいよ!貴方は私の婚約者ですのよ?全く、惨めな人なんですから!」と咎められてしまったりして落ち込む。
更には「貴方は鈍臭い人ですからね!一緒に踊ったら、何度足を踏まれるかわかったものではないですわ!」なんて言われてしまって、ちゃんと舞踏会を乗り切れるか、彼女に恥をかかせてしまわないかとますます不安になってきた。
……しかも、湧き上がる不安がそれ以外にもう一つ。
ここは、様々な貴族が集まっている、公的な場所。
ずっと、どうして僕は婚約破棄をされないのかと考えていたけれど。
……もし、今がその時だったのなら、と考えてしまう。
僕の他に、優秀な令息などたくさんいるこの会場で、大っぴらに婚約破棄をすれば、自分はたった今フリーになったと周りにアピールすることができる。
そうして、僕なんかよりずっと格好よくて優秀な令息と改めて婚約を結ぼうとしているとしたら。
考えすぎかもしれないけれど、頭の中はそんな不安でいっぱいで。
――ちょうど、そんな時だった。
彼女が僕の情けない態度を咎めたり叱ったりしているこの場へ、不意に、それに便乗しようとしてか何人かの令嬢が集まってきた。
顔には薄ら笑いを浮かべて、扇子で口元を隠しながら、くすくす笑い声が聞こえてくる。
とうとう目の前まで来た令嬢たちは口々に「○○様、こちらが婚約者様ですか?噂で聞いた通り全然釣り合っていないですわね」とか「わざわざ片田舎の子爵と結婚だなんて……。貧乏貴族の相手はさぞ疲れるでしょう?今からでも婚約を破棄してしまってもいいのでは?」なんて悪口を言ってきた。
どうして、こんな公の場所でそんなことを言うのかと一瞬困惑したけれども、すぐに目的を理解する。
きっと、彼女と仲良くなって取り入りたいがために、話しかけてきたのだろうなというのは容易に想像がついた。
彼女が僕を嫌っているらしいという話は、既にそれなりに周囲に届いているものだから、一緒になって悪口を言った方が、取り入りやすいと思ったに違いない。
……そんなふうに思いつつ、僕は言い返さずに黙り込んだ。
もちろん、聞いていて良い気分ではない。
ご令嬢たちがわーきゃーと騒ぎ立てているのも辛かったし『そうなのです。彼の相手をしていると本当に苦痛で――』なんて、きっと彼女も言い出して、話が盛り上がるだろうなというのも容易に予想ができて、心が痛んだ。
けれど、それが正しい。
彼女の面子を潰さないためにも、ここは言い返さないで我慢した方がきっといいのだ。
と、思っていたのだけれど。
「――貴方たち、私の婚約者に対して無礼じゃありませんの?」
彼女は僕の予想に反して、急にとんでもなく冷たい声になると、集まってきた令嬢たちに言い放った。
突然のことで、彼女の周辺の空気だけ、一気に凍りついたような感覚だった。
令嬢たちは予想外の返答に動揺して「え……い、いや、でも……さっきは○○様だって彼が惨めだと……わ、私たちは同意見だと言いたかっただけで……!」なんて言い訳をし始める。
が、実際僕も、その通りだと思った。
この令嬢たちは彼女に何か意見した訳でもなく、ただ同調しただけだ。
それなのに、なんで彼女はこんなにも怒っているのだろう?と困惑していた。
すると彼女は続けて令嬢たちをぎろりと強烈な目つきで睨みながら「彼に悪口を言っていいのは私だけなのですッ!!!私は彼を愛しているからこそ言ってもよいのですわ!それを貴女たちは釣り合っていないだの貧乏貴族だの、無礼じゃないですの?私は彼を愛していますし、望んで婚約を結んだのです!人の婚約者を口汚く貶めて、私に取り入ろうとするような性格なのですから、当然貴女たちには婚約者も居ないでしょうに、自分のことを棚にあげないでくださるかしらッ!!!」などと、早口で淡々と怒声を響かせた。
言われた側の令嬢たちはその気迫に慄いて「も、申し訳ございませんでしたぁっ……!」と情けない声を上げるとそそくさと人混みの中へと逃げていく。
そんな光景が、今、目の前で起きたこととは信じられなくて、数秒のあいだフリーズしてしまう。
いつも僕に悪態をついてくる時の彼女とはまるで違うその態度に、僕は混乱してしまって、その上彼女に好かれていたというにわかには信じ難い情報まで出てきて、なにがなんだかわけがわからなかった。
それでも、確かに彼女は言った。
彼女自身の口で『彼を愛している』と。
……いや、しかしそんなわけは。
僕が何も言えずにいるというのに、彼女は少ししてスンと怒りの形相をいつもの顔に戻したかと思うと「……さてと、それじゃあそろそろ踊る準備を始めましょう?足を引っ張ったら許さないですわよ!」と、いつもみたいな棘のある口調で言ってくる。
棘の、ある口調。
……だとしても、あの令嬢たちに向けたものとは違いすぎる。
僕に向けて、あんな底冷えた声を出したことはない。
あんな、殺気まで感じるほどの睨みを向けられたことなどない。
どうして――
困惑して何も返事ができずにいると、苛立った様子の彼女に手を取られ「あの!さっきから呼びかけているのですけれど、聞いていらっしゃるのかしら!全く、貴方もいずれは私の婿として公爵家の一員となるというのに、いつになったらその自覚が出てくるのかしら!」と、顔をずいっと近づけて叱ってくる。
その声も目つきも、先程の令嬢たちにぶつけていた時とはまるで違っていて、息を呑む。
好かれていないんじゃないかと思っていたのは、杞憂も杞憂で。
むしろ他の令嬢との態度の差からとんでもなく好かれていたことが発覚する話
(この数年後、正式に婚姻を結ぶが、その際に、この婚約が取り付けられた理由というのが、幼い頃に一度だけ連れられた社交会でたまたま会った時の彼女からの一目惚れで、長年謎だった理由不明の縁談が、実は単なる彼女のわがままだったということも発覚する)




