ノイズキャンセリング
深夜、川村はワイヤレスイヤホンをつけたまま、友人の岸田とオンライン通話をしていた。近況を話すだけの、いつもの通話だった。
イヤホンのノイズキャンセリング機能は優秀で、周囲の生活音をほとんど拾わない。岸田の声だけが、はっきりと耳の奥に届いていた。
通話の途中、岸田の声に、わずかな違和感があった。
「今の、もう一回言って」
川村が聞き返すと、岸田は不思議そうな声で答えた。
「え、何も言ってないよ」
たしかに、岸田は黙っていたはずだった。それでも川村の耳には、岸田の声に似た、低い呟きが確かに聞こえていた。何を言っているのかまでは、聞き取れなかった。
その日はそのまま通話を終えた。気にしないようにした。
数日後、川村はふと思い立って、通話アプリの設定を開いた。ノイズキャンセリングの詳細設定の中に、見慣れない項目があった。
〈除去された音声を確認する〉
そんな機能があることに、川村は初めて気づいた。タップすると、直近の通話で自動的に除去された音声データが、時系列で一覧になっていた。ノイズと判定され、川村の耳に届く前に取り除かれていた音、ということらしい。
一覧の中に、あの日の通話の時刻が表示されていた。
再生した。
岸田の声が聞こえた。ただし、川村が実際に耳にしたものとは、別の声だった。同じ声質、同じ話し方をしているのに、話している内容が違う。岸田は通話中、川村に聞かせていた言葉の裏側で、ずっと別のことを呟いていた。
〈うしろにいる うしろにいる うしろにいる〉
同じ言葉が、何度も繰り返されていた。ノイズと判定され、川村の耳には届かなかった声。
川村はすぐに岸田へ連絡を取り、あの通話の裏で何か呟いていなかったか尋ねた。岸田は覚えがないと答えた。それどころか、岸田自身のアプリにも、同じ機能があった。岸田も自分の通話履歴を確認した。
結果を送ってきたメッセージには、こう書かれていた。
〈おれの方にも、除去された音声、残ってた〉
〈お前の声で、ずっと同じこと言ってる〉
川村は返信できなかった。自分が発していないはずの声が、岸田の端末には確かに記録されていた。何を言っていたのか、岸田は文字にして送ってこなかった。ただ、こう続いていた。
〈聞かない方がいいと思う〉
それ以来、川村は通話の時、ノイズキャンセリングをオフにしている。周囲の生活音が煩わしく耳に入るようになったが、何も除去されない方が、まだましだった。
数日前、念のため設定画面を開いて、川村は気づいた。
〈除去された音声を確認する〉
その項目には、まだ数字がついていた。オフにしたはずの日から、今日までのデータが並んでいる。
機能を切ったのは、川村だ。それでも何かは、切られる前と変わらず、川村の耳に届く前の音を、律儀に取り除き続けている。




