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ハワード殿下の疑問シリーズ

王子「ハーレムって現実でやったらどうなるんだ?」婚約者令嬢「うまくいけば強力な組織、あるいは危ないカルト教団ですわ」

掲載日:2026/06/22

 王都の王立貴族学院の昼下がり。


 中庭にある東屋は、蔦が絡まり、ある種の風流な雰囲気を生み出している。遠くからは剣術場の掛け声がかすかに聞こえる。


 このブラックバニア王国の第四王子ハワード・ヴァレンティアは、そこで婚約者のミランダ・ハインド子爵令嬢と向かい合っていた。


 机の上には紅茶。焼き菓子。そして、穏やかな茶の時間に似つかわしくない疑問が、王子の口から放たれた。


「なあ、ミランダ」


「はい、殿下」


「ハーレムって現実でやったらどうなるんだ?」


 ミランダの手が、紅茶のカップを持ったまま止まった。


「……殿下」


「なんだ」


「本日はまた、妙に危険な疑問をお持ちですわね」


「いや、単純な疑問だ。物語ではよくあるだろう。身分の高い男や英雄が複数の女性から愛されて、皆で仲良く暮らす話だ」


「ありますわね」


「現実でやったらどうなる?」


「なんでまた急に……?」


「いやぁ……弟の一人が妙にモテてな。複数の女性と親密な関係にあるらしい。実際、あいつの周りには常に複数の女がいる」


 ミランダは静かにカップを置いた。


「それに俺自身、妾腹だしな」


「そうでしたわね……」


 ハワードは声を潜める。


「息子から見ても父上は女癖が悪いが、あれはあれで秘訣があるのかと思ってな」


「では、今回も私が解説してあげますわ! ……まず、取り立てて地位も財もない男性が複数の女性と関係を持てば、寝室から内戦が始まりますわ」


「いきなり内戦コース!」


「夢を見るのは自由ですが、本気で運用するとなれば別です」


 ミランダは扇を開き、口元を隠した。


「殿下。ハーレムを恋愛だけの問題だと思っているなら、その時点で危険です。普通の一般男性なら資金面や女性同士の嫉妬で間違いなく持て余しますし、仮に高位者でも複数の女性を抱え込めば、最初に問題になるのは愛ではありません。序列、相続、財産、実家、派閥、子供です」


「初手から政務だな」


「高位者の恋愛なんて、だいたい政務ですわ」


 ハワードは腕を組んだ。


「だが、全員を平等に愛せばよいのではないか?」


「不可能です」


「即答」


「はい。人は一日二十四時間しか持っておりません。誰と朝食を取るか。誰を夜会でエスコートするか。誰の相談を最初に聞くか。誰の部屋を夜に訪ねるか。誰への贈り物が高価か。本人が平等のつもりでも、周囲は必ず順位を読み取ります」


「周囲が勝手に序列化するのか」


「貴族社会とは、そういうものです。席順、視線、呼び名、手紙の順番。些細なことが政治的な意味を持ちます」


「怖いな、貴族社会」


「怖いですわよ。だから皆内心かったるいなー、と思いつつ、勉強するのです」


 ミランダは皮肉っぽい笑みを浮かべる。


「さらに、女性本人だけでは済みません。貴族令嬢だったら実家の面子というものがあります。娘が何番目に扱われているかは、その家の面子に直結します。自家の娘が冷遇されていると見れば、その家は不満を持つでしょう。逆に寵愛されすぎれば、他家が警戒します」


「本人たちが納得していても?」


「実家が納得しません」


「つまり恋人同士の話では終わらない」


「終わりません。家同士の冷戦になります」


「夜に誰の部屋を訪ねるかが外交問題になるわけか」


「なります」


「なるのか……」


 物語で見るハーレムは、もっと華やかで甘いものに思えた。だが、ミランダの説明を聞いていると、それは花園ではなく貴族の派閥図に近い。


「では、子供が生まれたら?」


「地獄の本番ですわ」


「地獄……そんなに」


「誰の子が嫡子か。どの子にどの爵位を与えるか。母親の実家はどこまで発言権を持つか。乳母や教育係は誰を選ぶか。兄弟本人たちが仲良くても、外戚と家臣が勝手に派閥を作ります」


「兄弟が仲良くても駄目なのか」


「駄目です。継承権には本人の感情より、周囲の利害が集まります」


「……なるほど。愛が増えるというより、管理すべきものが増えるわけだな。ああ見えて父上も苦労してるのだな」


「その通りですわ」


 ミランダはにこりと微笑んだ。


「ですから、現実にハーレムをやるなら、まず制度設計が必要です。正妻と側室の序列。子供の継承権。財産分与。住居。警護。実家との契約。儀礼上の席次。外戚の発言権。そこまで決めて、ようやく最低限の土台です」


「愛の話はどこへ行った?」


「愛を守るためには制度が必要なのですよ」


「名言のようで、かなり重い」


「現実とは重いものですわ」


 ハワードはしばらく考え込んだ。


「では、ハーレムは必ず失敗するのか?」


「必ずとは申しません」


「お、希望があるのか」


「はい。ただし、うまくいく形は殿下が想像している甘いものとは少し違います」


「どう違う?」


 ミランダは、扇の向こうで少し目を細めた。


「うまくいっているハーレムは、外部観測上、強力な組織か、危ないカルト教団と区別がつきません」


 ハワードは一拍遅れてまばたきをした。


「……急に夢が無くなったな」


「夢を運用した結果が組織です。陛下の後宮みたいなのは前者です」


「母上もその組織の一員、と」


「甘い言葉で複数人を集めるだけなら夢物語です。ですが、それが長続きするなら、必ず仕組みがあります。序列、役割、報酬、儀式、共同目的、内部ルール、外敵認識」


「待て。恋愛の話をしていたはずだ」


「ええ。恋愛が人数を増やして安定すると、社会制度の話になります」


「嫌な現実だなあ。血と汗と涙の結晶ってわけか。父上の後宮は」


「もっと嫌なことを申し上げますと、外部から見てなぜ女性同士で争わないのかと不思議に思われる時点で、そこには何らかの統制がありますわ」


「統制」


「愛、忠誠、信仰、利害、恐怖、恩義、共通の敵。呼び名は色々ありますが、構造は近いです」


 ミランダは指を折る。


「そして、後宮の構造が更に純化し、中心人物への強烈な信頼と忠誠。それに従うもの同士の役割分担。外敵への結束。内部だけで通じる規範。中心人物の言葉が全ての事象に対する判断基準になる場合もあります。……これ……要するにカルトですわ」


「……つまり、うまくいっているように見えるほど危ない?」


「少なくとも、恋愛的にまともな状態ではありません」


「自然なハーレムは?」


「自然に爆発します」


「火薬扱いか」


「ええ。ですから爆発していないなら、誰かが火薬庫を管理しているのです」


 ハワードは額に手を当てた。


「その管理者が有能なら組織になる」


「はい」


「管理者が神格化されればカルトになる」


「はい」


「両方なら?」


「非常に強く、非常に危ない組織になります」


「最悪の組み合わせでは?」


「見方によります。内部の人間にとっては、そこが救いになる場合もありますから。それを外部の人間がとやかくいうのは……それはそれで彼女達の選択を尊重していません」


「……」


 ミランダの声はいつものように涼やかだった。けれど、ハワードの母もまた後宮に連なる女性の一人である。彼女は言葉を選び、ハワードは少し黙った。その沈黙には、妾腹として王家の端に立つ者だけが知る重さがあった。


「ただ、内部では愛と信頼と結束でも、外部から見れば危険です。中心人物を批判した者に全員が敵対する。個人の幸福と共同体の存続が混ざる。中心人物のためなら、自分の利益を後回しにする。……これを果たしてまともな恋愛と言えるのか」


「はたから見る限りは、弟のそれは蜂の巣めいた集団に見える」


「蜂の巣……」


「弟を中心に、複数の女性が据わった目で囲んでいる。まるで女王蜂を中心に結束した巣だ……弟だが 」


「怖いですわよ」


 ミランダは一瞬だけ言葉を探し、王家の内側へ踏み込みすぎたことを自覚したように目を伏せた。


「殿下は……普通に一人を大事になさるのが最も安全です」


「俺がハーレムを作るのは無理か?」


「無理です」


「即答か」


「殿下はお菓子を二種類並べるだけで、どちらを先に食べるか悩む方です。女性が複数いれば、その優先順位が毎日火種になります」


「それは慎重に考えているだけだ」


「その慎重さは美徳です。ですが、複数人の寂しさ、不安、誇り、嫉妬、将来設計、実家への説明を同時に抱え込むには向きません」


「言い返せない」


「言い返さない方が賢明です」


 ハワードは小さく息を吐いた。


「では、俺が将来、複数の女性に手を出そうとしたら? 浮気じゃなくて純粋に側室を持とうとした場合」


「まず私が正室として、相手の人格を精査します。この国では高位の人間が複数の女性を囲うのは珍しくありませんが、それでも性悪女と同じ殿方を共有するのは私が面白くはありません」


「まずそこか」


「次に、相手家の派閥、財産、継承権、王家財政、警備体制、寝室の動線まで確認いたします」


「寝室の動線まで?」


「暗殺対策です」


「そこまで?」


「ハーレムは嫉妬だけでなく、毒杯と短剣も呼びます」


「恐ろしい話だ……では、君一人でいい」


 ミランダの扇が、ぴたりと止まった。


「では?」


 声が少し冷えた。ハワードは即座に姿勢を正す。


「違う。訂正する」


「どうぞ」


「君がいい」


 東屋に短い沈黙が落ちた。


 ミランダは扇で口元を隠していたが、その耳がほんの少し赤い。


「……よろしい」


「許されたか」


「今のところは」


「今のところ」


「王族の発言は、将来の信用を担保にしておりますので」


「手厳しいな」


「王子の婚約者ですから」


 ハワードは苦笑した。


 けれど、その苦笑には安堵が混じっていた。先ほどまでハーレムについて考えていたはずなのに、今は目の前の一人の機嫌を損ねないことの方が、よほど重大な政務に思える。


「ミランダ」


「はい」


「俺は強烈なカリスマなど持たない方がよさそうだな」


「そうですわね。殿下と弟君は違う人間です。妙な信仰を集めるより、地道に信頼を積み上げるべきです」


「君からの信頼も?」


「当然です」


「では、どうすればいい」


 ミランダは扇を閉じた。


「まず、軽々しくハーレムなどと口にしないこと」


「はい」


「次に、女性の実家を軽く見ないこと」


「はい」


「そして、浮気防止の基礎訓練として、千メートル先の標的を撃ち抜けるようになることです」


「なぜ浮気防止が狙撃訓練になるんだ?」


「視線を遠くへ向ける訓練です。他の女性へ向ける余裕をなくします」


「絶対に違うだろう」


「では殿下。放課後は射撃場へ参りましょう」


「本当にやるのか」


「当然です」


「ハーレムの話から、なぜ射撃場へ行くことになる」


「婚約者の信用と、自身の心身を守るためですわ。貴族同士の内紛、地方の反乱、革命を望む民の声。この国は、見た目ほど安定しておりませんから。強いにこしたことはありません」


 ミランダはそうさらりと言って、優雅に紅茶を飲み干した。その姿を見て、ハワードは思う。


 自分は弟と違い、ハーレムを築くのは無理だろう。


 なぜなら、婚約者が一人いるだけで、人生は十分に忙しく、十分に危険で、そして十分に面白いからである。

読了、お疲れさまでした。これにて、本作は完結です。


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