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【2】



「昔のあたしはね、自分の生きている世界が〝普通〟だと思ってたんだ。学校と家を往復するだけの狭い世界で生きていたあたしにとって、その小さな居場所が全てで、自分の知らない世界がたくさんあることに気付いていなかった。自分の母親が普通じゃないってことも、他人に指摘されるまで分からなかったんだよ」

「それはいつ頃のことですか?」

「就職してから。世の中にはあたしの知らない常識がゴロゴロ転がってる。あたしの知らない選択肢がたくさんある。たくさんの自由がある。そして、あたしがずっと信じて疑わなかったこと――『子供はみな親の言いなりで生きるものだ』という概念が、ただのマインドコントロールだったんだと気付かされた。もっと早く気付いていたら、あたしの人生は全然違ったかもしれない。いろいろ後悔してるから、律には早めに教えてあげようと思ったのかな。姉からの優しさ……なんて言ったらおこがましいかもしれないけどさ」

「でも……律は辛い思いをしています。柚さんにとっては優しさだったかもしれないけど、結果として間違った優しさだったのかもしれません」

「間違い……ね」

 窓の外に向いていた柚さんの視線が私に戻る。彼女の眼は私を真っ直ぐ捉えており、その冷たさに気圧されてしまった。耐え切れず目線をテーブルに移す。


「じゃあ美波ちゃんはどうすればよかったと思うの? 美波ちゃんにとっての正解は何?」

「それは……私にはまだ分からないですけど」

「あたしにだって何が正しいのかなんて分からないよ。でもさ、そもそも人生に〝正しい答え〟なんてあると思う?」

「正しい答え……」

「数学の問題じゃあるまいし、人生に正解なんてないと思うんだよね。上手くいけば『あの選択は正しかった』、躓けば『あそこで選択を間違えた』ってなる――それって結局、ただの結果論じゃん? それでも正解を求めてしまうのは、単に安心したいだけなんじゃないかな。〝自分は間違ってない〟って思いたいだけ」

「柚さんの言いたいことも分かる気がする……けど。でも答えを求めて安心するのっていけないことじゃないと思います。それで自分がホッとできるなら、毎日苦しいまま過ごすよりいいと思いませんか?」

 自分なりに考えて投げかけると、柚さんは「どうだろうね?」と小首を傾げた。先ほどまでの冷たい表情は消え、柔らかく笑んでいる。


「ただひとつだけ言えるのは、毒親に支配される苦しみは、当事者でなければ理解できないってこと。美波ちゃんはきっと良いご両親に育てられたんでしょ。羨ましいな」

「私の親は……たぶん普通の親です」

「その普通(・・)ってのが、あたしや律には分かんないの。美波ちゃん『子供は親の指示に従って生きるものだ』とか『親と子は対等じゃない』とか言われたことある?」

「……ないです」

「あたしはね、母親と喧嘩したこともほとんどないんだ。ちょっとでも母の意に反することをすれば『その態度は何? 一番偉いのは誰か言ってみな』って憎悪に満ちた眼で睨まれる。あたしは怖くなって『お母さんです』って答える。それでおしまい。子供の頃からずっとこの繰り返しだから、喧嘩することすらままならないってワケ。元カレにこの話をしたら『もはや支配じゃん』って言われた。どこの親もそういうもんだと思ってたけど違うんだよね?」

「……私はそんなふうに言われたことないです」

「だよね。三女の潤くらいかな、ぎゃーぎゃー喚いて何とか抵抗しようとするのは。それでも結局負けちゃう場面が多いけど。母親には『潤だけワガママ女に育っちゃった』なんて言われてる」

 潤さんがどんな人なのか想像できないが、律や柚さんとは少しタイプが違うのかもしれない。律の場合は、もう少しワガママになるくらいがちょうどいい気もする。


「そんな親だから自分の意見を言うのが怖くて、あたしは進学先も部活も就職先も、母親に提示された道を選ぶばかりだった。あとになって文句を言ったことも何度かあるんだけど、母は『最終的に決めたのは柚でしょう? 親のせいにするな』って……確かにそうかもしれないよ? でも頭ごなしに否定されてネチネチ嫌味を言われ続けて、それでも自分の意志を貫き通せる子供がどのくらいいると思う?」

 返す言葉に困った。

 私には答えられない。

 お母さんと喧嘩することはあるが、私がやりたい部活や行きたい学校などを全否定されたことはないからだ。柚さんの苦しみに同調したところで、安っぽいセリフにしかならない気がした。



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