【2】
「――辻本さん!」
雑踏と雨音の中でもはっきり聞こえた声。
思わず落としそうになってしまった傘の柄をしっかり握り直し、恐る恐る振り返った。学ラン姿の律くんが息を整えている。走ってきたのだろう。
彼女は何も言わない。
見つめ合ったままの沈黙が気まずい。
鼻の奥がつんと痛み、苦しくて涙が出そうになった。
最後に会った日からずっと、私の中で燻っていた感情――それは「ごめんなさい」という一言になって零れた。その一言が吐き出された途端、自然と続きが浮かんでくる。
「私、律くんに酷いこと言っちゃった。怒鳴ったりしてごめんなさい。勝手に帰っちゃったことも」
律くんはどこかほっとしたように眉を下げた。
私自身、胸に痞えていたものが少しだけ取れた気がする。
「僕の方こそごめん。いきなりあんなこと言われてショックだったよね」
「それは……確かにそうなんだけど、でも……。あれからずっと律くんのことが頭から離れなくて。自分でも自分の気持ちがよく分からないんだけど……でも、このまま縁が切れちゃうのは嫌だなって、何となくそんな気がしてて」
「……うん」
「だから……女の子同士、友達として……これから改めて仲良くできたらいいのかなとか……そんな気持ちがあるような感じもしてて。……ごめん、なんか上手く言えない」
「辻本さん、僕に片想いしてくれてたんだろ? そんな相手と友達を続けるなんて……本当に平気? 無理しなくていいんだよ?」
「無理してると言うか、かなり戸惑いはあるけど……でも律くんと一生さよならするのは寂しいっていう気持ちの方が強いかもしれなくて……。って言うか、律くんって呼ぶのももうやめた方がいいかな? 律ちゃん?」
「友達には〝律〟って呼ばれてるから、そう呼んで。僕も〝美波〟でいい?」
「……ってことは、これからも友達でいてくれるの?」
「むしろ僕の方が『このまま友達でいてほしい』ってお願いしたい」
今度は安堵の涙が出そうになった。
良かった。
律くんに――律に嫌われたわけじゃなかった。
声を掛けられたときは重苦しかった空気が、急激に和らいだのを感じる。律は照れくさそうに笑っていた。二次元の世界から飛び出した王子様のように綺麗で中性的な顔だと思っていたが、男装女子と言われれば確かにそう見える。
学ランを着ているから、律が女性かもしれないなんて一度たりとも思わなかった。青蘭高校が男女問わず制服を選択できるシステムだと知っていたのに。人の性は様々なのだと理解はしていても、勝手な先入観があった。
「美波に会えたら訊こうと思ってたんだけど。もう《柴クエ》やめちゃった? 最近ログインしてないよね」
「それはその……ちょっと気乗りしなかっただけでアンストしたわけじゃないから。また一緒にクエスト回ってもらえると嬉しい」
「じゃあ今日の夜にでも早速行こう。経験値二倍イベントやってるから」
「うん。じゃあ夕飯食べてからチャットするね」
「分かった。それと……急で申し訳ないけど、明日か明後日の予定空いてる? 暇だったら一緒に出掛けない?」
「……え?」
「この前の会話、僕のせいで中途半端に終わっちゃってたけど……。アニメショップで《柴クエ》グッズ見ようよ。あとはファミレスでご飯食べるとか、どうかな」
もちろん、と返した。
約束は明日、土曜日。
手を振って律と別れると、軽い足取りで学校へ向かった。
ずっと心の中に存在していた黒い塊はもうない。
私はきっと、彼女に謝りたかったのだ。




