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7.あれから/“少しだけ胸が軽くなった”気配/息がしやすく/責任を引き受けてきた“痛み”/変わりつつ


 会議室でのあの摩擦から一週間。

 部署の空気は、ほんの少しだけ変わっていた。


 柳瀬課長が朝礼で、珍しくメモを手にして話し始める。


「先方対応の件だけど……判断基準を三つに整理した。

 まずは、担当者が迷わないようにしたかったんだ」


 田上も、岡野も、三宅も驚いた顔で課長を見る。


 そして、静かに千里を見る。


 千里は淡々と頷くだけだが、

 その一瞬の呼吸に“少しだけ胸が軽くなった”気配があった。


 資料の整備も、各担当間の連携も、

 ぎこちないながら動き始めている。


 昼休み、三宅が声をかけてくれた。


「美浜さん、この前の……助かりました」


「いえ、私は事実をお伝えしただけです」


 千里の言葉はいつもの調子だが、

 声の端には“拒絶ではない柔らかさ”が少しだけあった。


 岸本も、以前のように過剰に頼るのではなく、


「これ、自分でもやってみたんですけど、見てもらえますか?」


 と“自分で考えた”上で相談してくるようになった。


(少しずつ、みんな息がしやすくなってる……)

 千里の独白は小さく、胸の奥でだけ響く。





 夜。

 千里が帰宅すると、スマホに毅からメッセージが入っていた。


> 『今、通話できる? 愚痴じゃないけど、人の声が欲しくて』




 毅とは数年前、共通の知人の紹介で行った異業種研修で知り合った。

 互いに“深入りしない距離”で会話できる、不思議な関係。


 通話がつながった瞬間、毅の声はかすかに疲れていた。


「……抜かれたよ、仲間を。会社の中で。

 俺が推して育ててたやつ。違う部署に“持っていかれた”。

 しかも理由が『そっちの方が向いてるから』ってさ」


 毅は笑った。

 だがその笑いは、どこか乾いている。


「俺の見る目がなかったのか、

 会社に力がないのか……

 それとも、そいつが俺の元を離れたかったのか。

 どれも、痛いよな」


 千里は沈黙した。

 ただ、その沈黙が逃げではないと毅は知っている。


「……そういうこと、よくありますよ」


 千里の声はいつものテンポ。

 しかし、ほんのわずかに息が深い。


「どれが理由でも苦しいのは同じですし。

 でも、“痛い”と感じられるのは、

 あなたが責任を引き受けてきた証拠です」


 毅は少し笑った。


「千里ってさ……優しくはないのに、救われるんだよな」


「優しくしようと思って言ってるわけじゃありませんよ」


「それがいいんだよ」


 電話の向こうで、どこか安心した息が落ちる。


 千里はその音に気づくが、言葉にはしない。





 通話を終えたあと、

 千里はソファに座り、ふと気づく。


(……私、毅さんの声が少し柔らかくなったの、わかった)


 以前なら、相手の感情の揺れに触れること自体、

 避けていたはずなのに。


(私も……誰かの弱さを、怖がらなくなってきてる?)


 職場での変化。

 毅との会話。

 自分が逃げなくなった事実。


 それらが、千里の胸の奥で まだ名づけられない“余裕の芽”のように芽吹き始める。


 翌日の会社。

 職場の空気が以前より穏やかだと感じたとき、

 千里は気付かれない程度の呼吸で、小さく息を整えた。


(こういう変化なら、悪くないかもしれない)


 千里の表情は変わらない。

 だが歩くときの足取りは、昨日より少し軽い。

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