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5.お礼/フィードバック→改善へ/“責任の所在”と“判断基準”が明記/以前よりずっと“開かれた線”/必要な範囲でしたら

 千里が出社すると、職場は妙に静かだった。

 会議のことを誰も口にしない。ただ、何かが“触れた”空気だけが残っている。


 三宅リーダーは書類を抱えながら千里に近寄る。


「美浜さん……昨日、ありがとうね。あの、言いにくいことを言ってくれて」


 千里は軽く頭を下げる。


「いえ、業務上必要だと思っただけですから」


 それ以上は深く踏み込まない。

 だが三宅の目には、昨日までとは違う“信頼の線”が浮かんでいた。





 その日の午後、柳瀬が千里に声をかけた。


「美浜さん、少し時間いいかな」


 会議室に呼ばれると、柳瀬は資料をめくりながら苦笑した。


「昨日は……ちょっと、耳が痛かったよ」


 千里は沈黙を選ぶ。


 柳瀬は続ける。


「僕ね、本当は……決めるのが怖いんだよ。

 誰かを傷つけるかもしれないと思うと、つい、曖昧にしちゃう」


 彼の弱さは露骨だったが、初めて“嘘のない言葉”だった。


「だから……美浜さんの意見、助かったよ。

 現場が困っているって、やっと実感した」


 千里は淡々と返す。


「必要であれば、資料の扱い方や線引きの整理は、私のほうでも補助できます」


 柳瀬は少し息を飲んだ。すぐ後に、小さくコクリと頷いた。

“責任転嫁”とは違う、対等な提案だと気づいたからだ。


「……ありがとう。ほんと、助かる」


 ぎこちなく頭を下げる姿は、昨日までの“テンプレの優しさ”とはまったく違っていた。





 ある日の昼、休憩スペースで岡野が千里の隣に座る。


「……あの時、美浜さんが静かに言ってくれたの、僕、救われました」


 千里はコーヒーを口にしながら答える。


「私の発言は業務上のことだけですよ。

 あなたの言葉も、必要だったと思います」


 岡野は少し照れくさそうに笑った。


「僕、これから言い方だけ気をつけて、でも意見はちゃんと言おうと思うんです。

 自分の感情じゃなくて、仕事として」


 その変化は幼さを脱ぎ始めるような、静かな覚悟だった。


 千里は心の中だけで、小さく息をついた。


(若いのに……ちゃんと考えてる)


 表には出さないが、淡い肯定がそこにはあった。





 2週間後─


 柳瀬課長は、ついに動いた。


「今回の案件の対応範囲、ここに線を引こうと思う」


 会議でそう宣言し、資料の一部には“責任の所在”と“判断基準”が明記されていた。


 部下たちは驚いて目を見開く。


 田上が言う。


「柳瀬さん、明確にしてくれたのは助かります。これなら安心して動けます」


 三宅も頷く。


「これなら、無駄な迷いが減りますね」


 千里は議事録を書きながら、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。


(やっと、始まった……)


 課長は千里の視線に気づいたのか、小さく会釈した。

 その顔は弱さを隠さず、しかし逃げてもいない。





 この頃から、職場で千里を見る目は変わっていく。


「冷たく見えて、実は誠実な人」

「言葉の裏を読める人」

「自分を守りつつ、人も守る線を引ける人」


 そんな空気が自然に流れ始めた。


 岸本も以前より丁寧になり、

「これ、自分のほうでやってみます」と言う回数が増えた。


 岡野は千里に相談する際、

「負担じゃなければなんですが」と前置きをするようになった。


 三宅は、業務の線引きを一緒に作ろうと声をかけてくれるようになった。


 誰も千里に甘えなくなった。

 同時に、誰も千里を“近寄りがたい壁”としても扱わなくなった。





 ある朝、柳瀬課長が小さな言葉をこぼした。


「美浜さん……うちのチーム、多分、前よりちょっと良くなってるよね」


 千里は少しだけ考え、静かに返した。


「そうですね。皆さんが、それぞれの役割を意識され始めた気がします」


 課長は照れたように笑う。


「あなたの言葉が、いい火種になったよ」


 千里は首を振った。


「私の言葉だけでは何も変わりません。

 皆さんが“変わろう”としたから、変わったんだと思います」


 その言葉は淡々として、冷たくない。

“距離を保ちながら、敬意を示す”千里らしい柔らかさがあった。


 課長は短く頷く。


「これからも……頼りにしていいかな」


 千里の返事は、ゆっくりとしたテンポだった。


「必要な範囲でしたら。

 私は、私の線の中でお手伝いします」


 その線は境界でありながら、

 以前よりずっと“開かれた線”になっていた。





 ──静かに、確実に、職場が変わっていく


 千里は誰かと強く戦ったわけではない。声を荒げたわけでもない。


 ただ、

 曖昧さに飲まれず

 弱さを否定せず

 責任の線を守り

 それを淡々と示した


 その結果、

 職場には少しだけ“余裕のスペース”が生まれた。


 課長も、同僚も、そして千里自身も。


 静かに。

 だが確実に。

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