表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/12

11.うすく、ゆっくり変わるもの

◆1


 二十三回忌の朝、千里は線香の香りが染みついた広間に立ち尽くしていた。

 彼女にとってこの家は、かつて「母のいない世界」の象徴だった。

 よく知らない親戚。よく知らない空気。

 そして──千里を、幼い妹ごと引き取るべきかどうかを話し合い、最終的には「無理だ」と結論を出した人々。


 その要のように座っているのが、美浜笙子(しょうこ)だ。

 母の従姉にあたる大伯母。

 いつも端正な身なりなのに、どこか表情が硬い。

 千里とは「血縁でいえば近いが、生活は遠い」関係そのものだった。


 千里は席に入る前の一瞬、笙子と目が合った。

 しかし、笙子は軽くうなずいただけで、すぐに視線を落とした。


 ──相変わらず、距離がある。


 その感覚は、千里にはむしろ安心だった。

 近づきすぎれば、何かが壊れる気がしたから。





◆2


 読経が終わり、親族が順番に線香をあげる。

 千里は笙子の斜め後ろに並んでいた。

 彼女の背中は小さくなっていたが、どこか張りつめた線が残っている。


「……あの」


 千里は自分でも驚くほど小さな声で呼びかけた。

 笙子がゆっくり振り返る。


「久しぶりです」


「ええ、……大きくなったわね」


 その言葉は、この二十三年間で何度も聞いたはずなのに、今日は少し違って聞こえた。

 感慨よりも、間を埋めるために選んだ言葉のように見えたのだ。


 千里は、返事の代わりに軽く頭を下げた。


 それで会話は終わった。

 その程度で十分だった。





◆3


 会食の場。

 笙子はほぼ誰とも話さず、箸を静かに進めていた。

 千里は遠巻きにそれを見ていた。


(ずっとこういう人だったんだっけ?)


 幼い頃の記憶は曖昧だ。

 ただ、葬儀の日、誰よりも冷静に動いていた大人。それが笙子だった。


 千里は思い切って席を立ち、美彌子の向かいに座った。

 笙子は驚いたように眉を動かしたが、追い払うような仕草はしなかった。


「……あの家、まだありますか」


 唐突な千里の質問にも、笙子は少しだけ考えてから答えた。


「ええ。手を入れながら、なんとか」


「そうですか」


 二人はそれ以上話さなかった。

 まるで、不要な言葉を互いに避けているようだった。


 だがその沈黙は、以前のような“切断された距離”とは少し違った。

 その場に並んで座ることを、どちらも拒まなかった。


 それだけが、今日の収穫だった。





◆4


 会が散り、笙子は帰り支度を始めていた。

 千里は玄関で靴を履きながら、ふと声をかけた。


「今日来てよかったです」


 笙子の手が止まる。


「あなたが来てくれて、私も……助かりました」


 その言い回しは少し不自然だった。

 感謝とも言えず、後悔とも違う。

 けれど、千里にはわかった。


(あ、昔のことを“整理しよう”としてるんだ)


 でもそれは、“謝罪”や“説明”の形にはならない。

 二十三年という時間の中で、言葉に変えられない部分だけが残っているのだ。


 笙子は千里の前で深くは笑わなかった。

 ただ、それまで一度も見せなかった柔らかさが、目尻にかすかに滲んだ。


「……また、いらっしゃい」


 それが義務か情かは読み取れない。

 千里も無理に読み取ろうとしなかった。


「はい。……そのうち」


 互いに過剰に期待しない。

 だけど、完全に切らない。


 薄いまま、少しだけ形を変える。

 そんな関係で十分だと思えた。





◆5(終)


 外に出ると風が冷たかった。

 千里はマフラーを巻き直しながら、ふと後ろを振り向く。


 笙子が玄関の奥で、こちらを見ているのが見えた。

 手は振らなくても、呼び止めなくても、それでよかった。


 千里は小さく会釈し、そのまま歩き出した。


 二人の距離は、縮まってはいない。

 けれど、切れ目だけが丸くなったようだった。


 それは奇跡でも解決でもない。

 ただの“うすい変化”。


 でも、関係というものは、案外それくらいで十分なのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ