第93話 鷹司姉妹の対話
鷹司環は、妹の詩乃との約束の時間を静かに待っていた。
私が一族の『調整役』として育てられたように、詩乃はダンジョンと関わるように育てられた。
義務教育の途中からダンジョンに潜らされる生活――安全対策は十分に取られていたとはいえ、戦いと死が日常にある環境で育ったのだから、詩乃の価値観は普通の人間とは大きく異なってしまった。
姉として見ても、そして一人の人間として見ても、詩乃を形容するなら『冷静で現実的』。
二十五歳という年齢にしては、あまりにも達観している。私は時折、その落ち着きに年齢を忘れてしまうほどだ。
だが、それも当然だろう。
ダンジョンは危険に満ち、即応性と実利がすべての世界。そんな環境に長く身を置いてきたのだから、詩乃がそうなるのも必然。
財閥の力で優秀な補佐が常に付き添っていたことも、詩乃に『人間関係は役に立つかどうかで測るもの』という癖を植え付けたように思う。
私には少し寂しく映るが、詩乃にとってはそれが生き残るための基準だったのだろう。
普通の中学生が部活や恋愛を楽しむ時期に、詩乃は命懸けの戦闘を経験していた。
そのせいで精神的に早熟になり、同時に孤独を背負った。
私は姉として、その孤独を埋めてやれたのか――今でも自信がない。
それでも、詩乃は『自分は選ばれた存在』という誇りを持っている。
それは、逃げられない宿命を誤魔化すために生まれた誇りかもしれない。
けれど、私はその誇りを否定する気にはなれない。
彼女が歩んできた過酷な道を思えば、誇りくらい持っていて当然だと思うからだ。
――壁に掛けられた時計の針に目をやる。
約束の時刻はまだ過ぎていないが、そろそろだろうと感じた頃合い。
ちょうど応接室のドアがノックされ、静かに開いた。
「お待たせいたしました。お姉様。」
扉が開き、詩乃が姿を現す。
その声音は冷静だが、珍しくどこか楽しそうな雰囲気を含んでいるように思えた。
「いいえ、丁度来たところよ。約束の時刻もまだです。気にしないで。」
私は手で席を示し、詩乃が腰を下ろす。ようやく対話の場が整った。
「とにもかくにも、お疲れ様。試験の1級ダンジョンでイレギュラーが起きて、後始末が大変だと聞いているわ。」
「ふふ、そうですね。本当に大変です……ただ、面白いことになりそうですよ」
詩乃はくすくすと笑う。
試験の1級ダンジョン『天哭の塔』――初めて入った人間の偽物が現れ、生きるか死ぬかしか許されない場所。
そこで自身が入っている時にイレギュラーが起きたというのに、それを笑えるとは……我が妹ながら、ぞっとする。
「今回はお父様の手――と見せかけた別人の仕掛けがあった可能性があるわ。」
「そうでしたか……あぁ、お姉様。対抗手段として石動様を手配いただき、ありがとうございました。おかげで私一人の判断ではなく、安心して中村様を試験できました。」
「そう、良かったわ。」
詩乃は楽しげな雰囲気を崩さない。
御爺様に見極めるよう命令された中村大輔を、随分と気に入っているように見える。
「中村大輔についてはどう?」
「絶対に身内に取り込むべきです。」
即答。
その迷いのなさに、私は思わず息を呑んだ。
普段使わない「絶対」という強い言葉を口にしたことにも驚く。
「……それほどなの?」
私の問いに、詩乃は一瞬だけ目を伏せ、すぐに真っ直ぐこちらを見返してきた。
「はい。中村様は、ただ強いだけでも、便利な道具を出せるだけでもありません。もっと大きな力を持っています――それこそ想像を超える力です。」
その言葉に、私は胸の奥がざわめいた。
詩乃が人を評するとき、冷静に利害や役立ちを基準にすることが多い。だが今は違う。
彼女の声には確かな熱があった。
「……あなたがそこまで言うのは珍しいわね。」
「ええ。私自身、驚いています。ですが、あの方を外に置けば必ず誰かが奪いに来ます。他家ならまだしも、他国に渡れば我々の未来は大きく揺らぐでしょう。」
詩乃は淡々と告げるが、その瞳は強い決意を宿していた。
私は思わず息を整え、背筋を伸ばす。
「御爺様が『未来を映す鏡』と仰った意味……あなたは、希望の方に重きを置いているのね。」
「はい。破滅の可能性もあります。ですが、私は彼を信じたい。信じる価値があると感じています。」
その言葉を聞きながら、私は心の中で思う。
――冷静で現実的な妹が、ここまで強く推す相手。
中村大輔という存在は、やはりただの異質ではない。
「というわけで、婚約を申し込みました。」
「ちょっと待って!」
思わず声が鋭くなる。
私の耳を疑った。今、妹は何と言った? 婚約を……申し込んだ?
「詩乃、それは……御爺様の命令を受けて『見極めよ』と言われたはずでしょう。
どうして、いきなり婚約の話になるの。」
詩乃は、まるで悪戯を仕掛けた子供のように、くすりと笑った。
「見極めた結果です。中村様は、我々の未来に必要な方。ならば、最も確実に繋ぎ止める方法を選ぶべきでしょう? 御爺様にもそうお伝えください。」
私は額に手を当て、深く息を吐く。
冷静で現実的な妹が、ここまで大胆な手を打つとは――。
「……あなたは本当に、時々私の予想を超えてくるわね。」
詩乃は真剣な眼差しでこちらを見返す。
「お姉様。私は遊びで言っているのではありません。中村様を『身内』にすることが、鷹司の未来を守る最善だと信じています。」
その言葉に、私は返す言葉を失った。
婚約――それは一族にとっても重大な決断。
だが、詩乃の瞳に宿る確信を前に、軽々しく否定することもできない。
私はただ、妹の強い意志を受け止めるしかなかった。




