第136話 もう一人の温度
「お~……」
天哭の塔の中。
偽物の中村が、胸の奥から漏れるような声を落とした。
思考の中には残っていた記憶。
それらがしっかりとピントが合っていくように、どんどん整ってゆく。
心の輪郭、纏う空気、影の落ち方。
見失っていた自分らしさ。
ひとつ、またひとつと自分自身の個性が、ゆっくりと元あった位置に戻ってゆく。
手を二、三度握り直し、存在を確かめた。
「うん…………うん。やれそうだ。」
無からスマホを生成し、軽く操作する。
すると隣にお姉さんセリフィアが、ふわりと姿を現していた。
「……ふむ。」
「……うん。」
2人は同じように、しばし思考に沈む。
「これは……成功では?」
「だな。無事に分離できたっぽいな。」
「ずっと一緒ではありましたけれど……お久しぶりです、マスター。」
「あぁ、久しぶり。セリフィア。」
微笑みあう二人。
セリフィアが頬に手を当て、口を開く。
「……フィードバックに習って、私も『正妻』として振舞うべきでしょうか?」
「ははっ! それはそれでアリだけど、俺たちは俺たちだからなぁ。」
「そうですね。言ってみれば……もう熟年夫婦みたいなものですからね。」
「だな。でも……こうしてまた触れることができるのは、新婚みたいだ。」
中村が静かに抱き寄せると、セリフィアも自然に身を預けた。
「他の子も大丈夫そうですか?」
「……あぁ、大丈夫だ。いやいや、本物様様だな。」
「ふふ、『本物』なんて概念を超えたあなたが言ってもイヤミですよ。」
会話している彼の隣に、ルミナ、カグヤ、カリーナ、ミレイユが次々と姿を現す。
現れた彼女たちは一様に、まるで自分の『在り方』を確かめるように、手を動かし、視線を巡らせ、呼吸を整えていた。
「うん。大丈夫そうだ。分身じゃなくて、ちゃんと分離できてる。混じりっ気無し。」
セリフィアが手のひらを上に向けると、そこに一冊の本が現れる。
「あぁ、なるほど……私は本を武器にするキャラクターでしたね。」
「なっつ。慣れるまでは一旦それ使っとく?」
「そうですね。しばらくは、その方が良いでしょう。」
そう言ってから、セリフィアはふと考え込み、何かを閃いたように小さく頷いた。
次の瞬間、彼女の姿が変化し始める。
お姉さんセリフィアの姿から、つい先ほどまで会っていた、制服に白衣を纏った『現在のセリフィア』へ。
「なるほどな、どうせならって?」
「はい。いっそ今の姿に合わせた方が、より早く馴染むと思いまして。」
「うん、いいと思う。」
その変化を見たルミナやカグヤたちも、本物が召喚した時の姿へと変わっていく。
全員の様子を見渡し、中村は大きく頷いた。
そして、手を一度打ち鳴らす。
「さて、色々と試したいことはある。だが、まずは整理整頓しよう。
今、一番大事なことは『本物の俺の平穏を守る』ことだと思うんだが……異議は?」
全員を見回すと、皆、それぞれが同意を示している。
「おっけ。それじゃあセリフィアはアークオラクルが対応しなさそう、もしくは時間かかりそうな排除対象のピックアップと指示出しを頼む。」
中村の手に、静かに打ち刀が現れる。
「本物が知らなくて良いようなことは……慣れた俺たちが終わらせてやろう。」
★ ☆ ★ ☆彡
執務室の床に、砕けたグラスが散らばっていた。
ショウン=マサグは荒い呼吸のまま机を叩き続ける。
「ふざけるな! 誰が許可した! 誰が私の国を攻撃している!?」
怒鳴り声は、洗脳された側近たちを震え上がらせた。
「し、将軍様……! わ、我々には……理解が……!」
側近の声は震え、言葉の端がひきつっている。
「役立たずがっ! ええい! さっさと軍を動かさんか!」
机を蹴り飛ばす。
「指揮権限が……拒否されると……」
ショウン=マサグの顔が歪む。
「拒否……だと? 私の命令だぞ!? 何を言っているか分かっているのか!」
ショウン=マサグが端末を投げつけると、側近たちは一斉に肩を跳ねさせた。
「そんなはずがあるか!! 私はこの国の将軍だぞ!!
私の命令が通らないなど! そんなことがあるはずがない!」
ショウン=マサグは近くの側近の襟首を掴み、殴りつける。
「っ! ……将軍様……どうかお怒りを……」
殴られた側近が慈悲を乞う。
だが、拳は止まらない。
「将軍様……どうか……どうか!」
側近たちは『現実』を理解できない。
理解してはいけない。
将軍様は絶対だから。
だから、ただ怯えることしかできなかった。
祈るように頭を下げる側近たち。
「まぁ、クソの役にも立たねぇ、いらない人間もいるんだよなぁ。」
将軍様以外の声が響く。
執務室の――
あろうことか『将軍様の椅子』に、スーツ姿の男が腰かけていた。
「誰だきさ――」
「黙れ」
「プゲェ!」
ショウン=マサグが殴られ、
執務室の空気が凍りついた。
側近たちは、誰一人として声を出せない。
殴られた将軍様よりも、その光景を『見てしまったこと』に震えていた。
将軍様は、殴られる存在ではない。
怒りを向ける側であって、向けられる側ではない。
その前提が、音もなく崩れた。
ショウン=マサグは一歩、後ろへよろめいたまま固まっている。
その動きは、あまりにも普通の人間で、側近たちの理解が追いつかない。
「あいつがアークオラクルに命令した内容だと、クソの排除を簡単に選択しないんだよなぁ。」
ショウン=マサグが、何が起きたのかを理解できないような顔で呆けている。
「……い、今……何を……?」
震える声。
だが、それは怒りではなく、純粋な困惑だけ。
自分が殴られるはずがない。
殴られる理由がない。
殴られる世界ではない。
そう信じている顔だった。
その顔に、さほどの興味も無さそうに――男は告げる
「どうも。ダンジョンのモンスターです。
モンスターがゴミ掃除に来ましたよ。」
そう言って、微笑んだ。




