第26話_即興キムチ―さくら、白衣を脱ぐ
釜山滞在三日目、朝。
海沿いの簡易キッチンで、チーム〈風味織〉は韓国の食材を使った練習試作に取り組んでいた。
「白菜、ニラ、大根……塩がわりにアミの塩辛は?」
健斗の指示のもと、里実が刻み、祐輝が混ぜ、丈が配分を整える。
だが、どこか味に“芯”が足りない。
「ちがう、なんかこう……味が立たねぇ」
健斗が唇を噛む。
釜山ブロックでは即席キムチを前菜にして“地域の香り”をプレゼンするルールがある。
オスカーが英語交じりに言った。
「It’s too calculated. Everything’s precise, but not alive.」
リリアンが訳す。
「計算は完璧だけど、命がないって」
そのとき、さくらが静かに白衣を脱いだ。
代わりにパーカー姿で、一歩前に出る。
「……じゃあ、私にやらせて。感覚だけで」
驚く一同。
さくらは普段、調理には直接関わらず、サポートや後方管理に徹していた。
「昔、おばあちゃんと毎年漬けてたの。“味見の顔色”で塩を足すの」
彼女は言いながら、大根の厚みを変え、手で塩をまぶし、刻みニラに唐辛子を合わせて“笑った目”のような色味に仕上げていく。
何も測らず、何も書かず、ただ手と目と鼻と舌で進める。
さくらはまるで、目の前の白菜と語り合っているようだった。
切り口を見て、硬さを手で感じ、重みを確かめながら唐辛子粉の量を決めていく。
「……これ、ほんとにレシピないのかよ」と祐輝が呟いた。
「ない。でも、顔色でわかるんだよね。味見した時に、ちょっと眉が下がったら、辛味が足りないってことでしょ?」
そう言いながら、さくらは自分の舌よりもチームの表情を見て塩梅を調整した。
丈が一口つまんで、口元にゆるく笑みを浮かべると、彼女はうなずいた。
「うん、今のが正解」
「味って、人の中にあるんだな……」
里実のつぶやきに、健斗が腕を組む。
「俺は、全部測って確実に作るのが正しいと思ってた。でも……こんなキムチもあるのか」
リリアンがつぶやく。
「“あなたの顔を見て味を決める”って、日本語でも韓国語でも訳しきれないけど、伝わる」
そして即興キムチは、釜山ブロックの提出料理として採用された。
審査会場で、さくらは白衣ではなく私服で試食の補助に立ち会った。
それは料理人としてではなく、“気持ちの翻訳者”としての姿だった。
審査員の一人が手を止める。
「このキムチ、変な言い方だけど、“目を合わせてくる”味だ」
そう語った彼の顔を見て、さくらは静かに微笑んだ。
その微笑みが、即興で漬けられた味に、最後の“心の発酵”を加えていた。




