第23話_裕美、トリュフに宿る“香りの記憶”
2025年11月27日、イタリア・アルバの郊外。
山間の森を歩く裕美の足取りは、慎重だった。
この日、彼女が挑むのは“白トリュフ探し”――秋の一ヶ月間だけ解禁される、香りの王とも呼ばれる食材を手に入れることが目的だった。
「きみ、目が真剣すぎるよ。もっとリラックスして、風を感じな」
そう声をかけたのは、地元のトリュフ猟師、ルカ。
彼の横を歩くのは、猟犬のレア。小柄なビーグルだが、目と鼻は侮れない。
裕美は懐中ノートを取り出し、そっとペンを走らせる。
「湿度68%、気温12℃、前日が小雨……これ、香りが地表近くに溜まりやすい条件です」
「データでトリュフを探すのかい?……変わってるな、君は」
森の中は静かだった。
落ち葉の絨毯を踏みながら、レアは時折立ち止まり、鼻を鳴らす。
やがて一ヶ所でぴたりと止まり、地面を掘り始めた。
ルカがスコップで丁寧に土をどけると、白く小さなトリュフが姿を見せた。
「……いた」
その瞬間、裕美の胸の奥に、ふとある香りが甦る。
幼い頃、祖父の庭で嗅いだ、濡れた土と木の皮のにおい。
料理学校に入って初めて触れた黒トリュフオイルの香り。
「……香りって、記憶の鍵になるんだ」
ノートに、新しい項目が加わった。
《香りは、技術より早く人の心に届く》
翌朝、裕美はルカの紹介で、小さな地元レストランの厨房を間借りすることになった。
メニューは一つ、「トリュフ香る和風リゾット」。
白米と昆布出汁、そこに白ワインの酸味と、さっと焼いた舞茸を加え、最後に薄くスライスした白トリュフを乗せる。
コンロの前で火加減を見ながら、裕美は頭の中で何度も手順を反芻した。
「分量は合ってる。火力も、蒸らしも、塩味も控えめ。でも……これで本当に“記憶に残る香り”になる?」
不安と共に皿を仕上げたそのとき、偶然レストランに訪れていた老夫婦が声をかけてきた。
「君、この香り……昔、私たちがピエモンテで初めて食べた料理を思い出すよ」
老紳士はうっすら涙を浮かべながら、続けた。
「味だけじゃない、これは“時間を食べた”みたいな一皿だ」
裕美は、一瞬戸惑い、次の瞬間には静かにうなずいた。
「……よかった。香りって、思い出を呼び起こすんですね」
彼女はノートにもうひとつ書き加える。
《記憶に残る香りには、余白がある。押しつけない、でも離れない》
その夜、風味織のグループチャットに一枚の写真が届いた。
トリュフとリゾットと、満面の笑みの老夫婦。
そして裕美が添えた短いコメント。
「今日、“思い出”を料理しました」




