第2話_即席チーム〈風味織〉誕生
七月初旬。東京・上野恩賜公園、噴水広場の一角。
その日、公園では月に一度のフードマーケット「FOOD TRIP UENO」が開催されていた。気温三十二度。真夏の太陽が照りつける中、色とりどりの屋台テントが軒を連ね、地元の飲食店や学生団体、個人シェフたちが、腕によりをかけた一皿を競っていた。
広場の中央には、白と黒のストライプ模様の簡易テント。その下で「おかめ食堂 特設屋台」と書かれた小さな木看板が立てられている。
そのテントで、ひときわ熱気を帯びた鍋を振っているのが、健斗だった。
「もう一人前、スパイシーチキンカレーお願いします!」
「はい、すぐ出ます!」
彼は首に巻いたタオルで額の汗を拭いながら、大きな寸胴鍋の前でしゃもじを回す。
その日の献立は、祖母のレシピをベースに自ら改良を重ねた「焦がしバターのスパイシーチキンカレー」。特徴は、炒め玉ねぎとヨーグルトでまろやかさを出しつつ、最後にバターを焦がして風味を立たせた仕上げ。派手さはないが、ひと口目で深い旨味が広がる一皿だ。
「熱っ……!あっつぅうう!!」
突然、隣の屋台から妙に通る声が飛んできた。
「ちょ、ゆで卵落としたって!誰かタオルー!」
振り向くと、ランニング姿でタオル片手に跳ね回っている男がいた。額にはタオル、エプロンの前に貼り紙「屋台名:ユウキのソウル焼きそば」。
「焼きそば焦がすなよ、ユウキ!」
「焦がしてねえって!ちょっと油が多かっただけ!」
健斗は思わず、鍋をかき混ぜながらその男を観察した。
豪快で目立ちたがり。しかも、何かと言い訳を口にする――だが表情は憎めない楽天家そのもの。
隣では、落ち着いた口調で接客をする女子が目に入る。メニューは「山菜と豆の冷製スープ」。ナチュラルな装いで、客と目を合わせ、丁寧に説明していた。
「こちらは、ゆず果汁を最後に加えてます。香りが飛びやすいので、提供直前に入れるようにしてます」
健斗は心の中でうなった。冷静な観察眼と、その場の判断力。あの女は、只者じゃない。
「おいおい、里実。真面目にやるのもいいけど、笑顔、笑顔!」
「丈はうるさい」
にべもない返答と同時に、もう一人の人物が登場した。
和柄のシャツにゆったりとしたパンツ。年配かと思いきや、顔立ちは若い。穏やかな空気をまとい、店番ではなく、会場全体を見渡している様子。
「調和ってのはね、味だけじゃないんだよ。会場の雰囲気、客の流れ、それに……この暑さ。すべて加味してこその料理」
その男――丈は、ステージイベントのスピーカーのボリュームや、他店舗の匂いの流れにまで注意を払っていた。健斗は思わず、目を細めた。
(……使える)
この一言が、健斗の中で明確に響いた。
味だけでなく、空間全体を読める者。状況判断に長けた者。そして、ムードメーカー。
ふと、また別の方向から、何やら記録をつけている女子が目に入った。ミント色のノートにペンを走らせ、カウンターの裏でゴミ箱や手洗い場所を写真に撮っている。
「あそこ、動線が不便……コンロから手洗い場まで二歩以上あるし、ティッシュが濡れてるのは減点……」
小声ながら、鋭い。厨房内の衛生管理と動線確認、それをデータとしてまとめているその様子。
健斗は思わず、彼女にも声をかけた。
「君、厨房経験ある?」
「えっ……ありますけど。どうしてわかったんですか?」
「キッチンで最初に見る場所がそこだったから」
裕美は目を瞬かせた。
その瞬間、彼の中ではもう答えは出ていた。
(この四人を集める。全員違う方向を見てる。でも、だからこそ、混ざるとうまい)
太陽が西に傾きかけた頃、健斗はテントの下で四人を呼び止めた。
「ねえ、ちょっと話していいか?」
「ん、なに?カレー屋さんのスカウト?」
「まあ、そんなとこ」
ユウキが笑う。
里実は警戒の目を向け、丈は肩をすくめ、裕美は資料をしまいかけた。
「“世界料理王決定戦”に、出たい。勝ちに行く。だから、チームを組んでくれ」
健斗の言葉に、一瞬、四人は沈黙した。
「……いきなりすぎるでしょ」
里実が口火を切った。冷静な声だが、完全に拒絶はしていない。
「全国大会とか、そういう感じですか?」
裕美がノートの端に〈大会参加?〉とメモを書きながら尋ねる。
「正確には“世界料理王決定戦”。まずは東京予選。八月十日、浅草ホールで開催される。そのあとアジア、ヨーロッパと続いて、決勝はパリ。料理のジャンル不問、チーム制でエントリー可。予選突破にはテーマに沿った一皿で審査員を唸らせる必要がある」
「……あの有名なやつか!」
丈がゆっくりと口を開いた。穏やかな声だが、内側に熱を感じさせる。
「でも、それって……プロの世界だろ?」
「そうだ」
健斗の答えは迷いがなかった。
「でも、味だけじゃ勝てない。場の空気、客の記憶、調和、衛生……全部が合わさって、“人の心に残る料理”になる。お前らは、それができる」
「持ち上げても、何にも出ませんよ」
里実が肩をすくめる。
「私は、その日まで他の予定も詰まってるし、安請け合いはできない」
「予選まであと一ヶ月ちょい。日曜だけの集まりでも構わない。要は、“一皿に全てを詰め込めるか”ってことなんだ。各自が得意な方向で、支え合う。それだけでいい」
「ふーん。じゃ、俺は何担当?」
ユウキが手を挙げた。
「俺、正直スパイスの量とか適当だけど、ノリはあるよ。あと、声がデカい。そこ活かして」
「調整係。“味の荒さ”を意識させずに混ぜ込むバランスを、楽天的にこなしてくれ」
「なんだよその説明!でもいいね、楽しそう」
丈が口角を上げた。
「俺は“空気読み担当”ってとこか。料理の中に“場の調和”を仕込む方法、考えてみる」
裕美は少しだけうつむいていたが、やがて顔を上げる。
「私……“改善オタク”ってよく言われるんです。調理中の無駄とか、導線とか、衛生管理とか、ついチェックしちゃう」
「それがいい。“空気に飲まれない設計者”になってくれ。厨房が安全なら、料理にも集中できる」
残るは里実だった。全員の視線が自然と彼女へ向く。
「……私の強みは、“流れを見ること”。冷たい料理なら、香りの抜け方、室温、空気の湿度。温かい料理なら、湯気の立ち上がり方や客の顔色まで、気になってしまう」
「状況適応。料理の“温度”と“流れ”を読む司令塔。チームに必須だ」
しばしの沈黙。蝉の声がうるさく響き、屋台の片付けが始まる中、里実が小さく息をついた。
「……いいでしょう。日曜だけって条件で」
「やったー!チーム発足だ!」
ユウキがタオルを振り回して跳ねる。その横で丈が苦笑し、裕美は「チーム名どうするんです?」と控えめに尋ねた。
「“風味織”。味の風、香りの布、織り成す一皿――って意味を込めて」
「厨二病かと思ったけど、いい名前」
里実の毒にも似た一言に、健斗はわずかに笑った。
こうして、即席チーム〈風味織〉が誕生した。舞台は、浅草。その先に待つのは、アジア、ヨーロッパ、そして世界。
誰のためでもない、“心に残る一皿”を作るために。