第11話_北の食卓、毛蟹とトウモロコシ
2025年9月25日、北海道・札幌市中央卸売市場。
朝6時前、海から吹き込む冷たい風が、各地から集まった料理人たちの頬を撫でていた。
〈風味織〉の面々は、ついに北の大地に降り立った。
「うわ、寒っ!……まだ9月なのに、東京と10℃以上違うんじゃないか?」
祐輝が両腕を擦りながら叫ぶ。息が白い。
「北海道ブロック大会は明後日。テーマは“地場の恵みを、食卓に”よ。市場の視察、今日が勝負よ」
里実が手袋をはめながら言った。
健斗は真っ直ぐに市場へと目を向ける。
ここにしかない素材、ここでしか出せない味。それを皿にするために、彼の目は鋭く研ぎ澄まされていた。
まず目に入ったのは――毛蟹。
札幌近郊・余市で水揚げされたばかりのそれは、まだわずかに動いている。赤茶色の甲羅、濃密な旨味を抱えた身と味噌。
「これ……蒸して終わりにしたくねえな」
健斗の視線が鋭くなる。
「俺、トウモロコシ見つけた! これ、甘みがとんでもない!」
裕美が歓喜の声を上げた。手に持つのは“恵味ゴールド”という品種のとうもろこし。糖度は18度近く、まさに果実並みだ。
「蟹とトウモロコシ……甘みと旨味の衝突?共演?どっちも強い素材だし、バランス間違えたら喧嘩するわよ」
里実が指摘すると、丈が手を上げる。
「そこに“和”を入れられれば、まとめられるかもしれない。“味噌”はどうだ?蟹味噌と、白味噌」
「香りの中間にくる“緩衝材”……面白いわね」
「とうもろこしをペースト状にして、蟹味噌とあわせて“包む”。で、焼くか蒸すかして、“味を層にする”。
あとは見た目に一工夫入れれば、強い皿になる」
健斗が一気に案を組み立てていく。
「ただ……それだけ味の主張が強いと、最後に残る“余韻”が大事になる。
香りを締めるハーブ、または焦がし要素を一滴。何を選ぶかで、審査員の記憶に残るか決まるな」
「選ぶべき香りと、選ぶべき“焦げ”……か」
オスカーがつぶやき、リリアンがにこりと笑った。
「“料理の余韻”って、詩の最後の一行と同じ。
それまでどんなに派手でも、“最後の音”で印象が決まるわ」
その夜、〈風味織〉の面々は宿泊先の小さな料理民宿「ゆきつばき荘」に戻った。
宿の女将が、炊き立ての北海道米と鮭のちゃんちゃん焼きを振る舞ってくれたが、健斗は手元のスケッチ帳に熱中していた。
「“毛蟹の包み焼きトウモロコシ味噌餡”……いや、ネーミングが長すぎるな……」
ブツブツとつぶやきながら、材料と手順、温度変化までを書き込んでいく。
さくらがそっと湯呑を差し出した。
「……手、止めたら? ご飯、冷めちゃうよ」
「いや、今がいちばん輪郭が出てきたとこなんだ」
健斗は目を離さず言う。
「素材が喧嘩しない構造を組みたい。“味の対話”を成立させるには、まず“言語”を揃えなきゃならない。
蟹とトウモロコシの言語を“味噌”に統一して、それを“包む”ことで混ざらないようにする。あとは温度と順番だ」
「ふふ……やっぱり執念すごいなあ。
でも、私は思うんだよ。“最後に口に残るもの”が、その料理の“気持ち”なんじゃないかな」
さくらは、窓の向こうに見える満月を見つめながら言った。
「この素材の組み合わせ、きっとどのチームも目をつけてる。でも、“誰の記憶に残すか”は、心の差だと思うよ」
「……ああ」
健斗は一度ペンを置いた。
「最後のひと匙で、“また食べたい”って思わせられたら勝ちだ。味だけじゃなく、時間を共有した気持ちごと、届けられたら……」
翌日、チームは朝から仕込みに入った。
とうもろこしはすり流して甘みを凝縮し、蟹は身を丁寧に取り出し、味噌とともに合わせる。
それらを白味噌ベースのペーストでなめらかに繋ぎ、食材を“和えずに層にする”ことで、段階的な味の立ち上がりを目指した。
「香りのしめに“焦がし青じそ油”、やってみるか」
丈が提案したのは、北海道産の大葉を低温の油でじっくりと香りを出し、最後に軽く焦がして香ばしさを加える手法だった。
「香りが広がったあとに、じわっと“焦げの記憶”が戻ってくる……
これ、絶対記憶に残るよ」
裕美が唸るように言った。
仕上げ直前、オスカーが静かに言った。
「焦げは“失敗の象徴”にもなるけど、丁寧に扱えば“感情”になる。
焦げた恋も、焦げた手紙も、人の心に残るものでしょう?」
健斗は微笑んだ。
「……なら、俺たちの焦げも、“旨味”にしてやる」