第10話_里実の逆転ロールキャベツ
2025年9月18日、新潟県妙高高原・山間の古民家ロッジ。
〈風味織〉は二泊三日の合宿に入っていた。目的は秋食材を使った「即興料理バトル」。
翌月に控えた北海道大会の前哨戦として、各メンバーが“判断力”と“応用力”を高めるための自主トレだった。
だが――午後3時。空が急変した。
「台風が北上してるって、今朝ニュースで見たけど……まさか、直撃するとは」
里実がロッジの窓にかかる雨足を見ながら呟いた。
空は鉛色。風が木々を揺らし、屋根の雨樋を叩く音が強くなってきている。
「……え、これ外、無理じゃね?買い出しどころか、避難レベルじゃん」
祐輝がソファに崩れ落ちた。
案の定、地元スーパーからは「配送中止」の連絡。予定していた“秋の地元野菜鍋対決”は白紙に。
健斗が手元の食材リストを見つめる。
「あるのは……冷蔵庫のキャベツ半玉、合い挽き肉400g、冷凍ブロッコリー、ケチャップ……あと乾燥パスタ少々」
裕美がメモ帳を開いた。
「缶詰のトマトは一つ、牛乳は切れてて、バターは残り20g……卵は、1個」
「こんなんで料理できんの?」
祐輝の声に、さくらがぽつりと言った。
「……たぶん、里実ちゃんならできる」
「え?」
全員の視線が里実に集中する。
彼女は窓の外を一瞥したあと、冷蔵庫に歩み寄る。
「キャベツの芯を抜いて、さっと塩湯で柔らかくすれば、巻き物は作れる。
ミンチは少ないけど、潰した冷凍ブロッコリーを混ぜて量増しに。
卵でつなげば、型崩れも防げるし、火の通りも早くなる。
ソースはトマト缶とケチャップ、あとバターで即席で立てれば……いける」
「ロールキャベツか……!」
「問題は、鍋がひとつしかないこと。加熱を一回で済ませる必要がある」
「じゃあ、オーブン使う?」
「ダメ。停電リスクあるから、火を選んだ方が安全」
健斗が腕を組んだ。
「……一人でやるか?」
「ううん。やるなら、チームでやる」
その言葉とともに、里実は割烹着をつかんで頭に被った。
「“今あるもので、最善を尽くす”。これ、私の得意分野だから」
ロッジのキッチンでは、ランタンと非常灯の明かりが揺れていた。風の唸り声が窓の外で鳴る中、〈風味織〉は黙々と調理に取りかかっていた。
「キャベツ、芯から熱湯に入れるね。葉が剥がれた順から冷水で締める。
ミンチはブロッコリーを電子レンジで解凍しながら潰して……祐輝くん、パン粉代わりに乾燥パスタを粉砕して」
「お、おう! 了解、粉々にしてやる!」
里実の指示は的確だった。決して声を荒げない。けれど一つ一つに、“今ここにある状況を読む目”が宿っている。
「鍋底にキャベツの外葉を敷いて焦げ防止。その上にロールを並べて、ソースは鍋の中で混ぜながら流し入れる。
火加減は中火→弱火で15分、蓋はそのまま蒸気逃さず。停電前に仕上げる」
丈が時計を見て言った。
「あと20分以内に仕上がれば、ちょうど安全圏だな」
「オッケー! 火は俺が見てる!」
裕美はキッチンタイマーと温度計を手にソースの濃度を確認する。オスカーは香りの立ち方を観察しながら、ふと里実に尋ねた。
「ねえ、君。どうしてそんなに冷静なんだい? 台風、停電、材料不足。普通なら焦るよ」
里実は一度も手を止めず、静かに答えた。
「“普通じゃない”状況でしか出せない味がある。それを知ってるから。
私はいつも、“その時の最善”を出したくて料理してる。完璧じゃなくていい。
でも、“無理せず最高”を出すことには、執念あるよ」
その言葉に、健斗が手を止めて彼女を見た。
自分とは違う形の“執念”。環境を読む力と、状況を織り込む知恵。その在り方に、素直に敬意が芽生えた。
そして調理開始から40分。
ちょうど照明がフッと落ち、ロッジが停電した。
「……間に合った」
蓋を開けた瞬間、立ちのぼる湯気。トマトソースとキャベツ、ミンチとブロッコリーの香りがふわりと混ざる。
明かりがないぶん、香りと湯気が際立っていた。
「……食べよ」
さくらの声をきっかけに、全員がスプーンを手に取る。
優しく火が通ったキャベツ。肉の旨味に、ほんのり青さを残したブロッコリー。
甘さと酸味が絶妙なバランスで交差するトマトソース。
「うま……何これ、全部“あるものでやった感”ない!」
「なんか、雨の音がBGMになってる気がする……」
「今しか食べられない味だな、これ」
誰もがそう言って笑った。
その笑いが、嵐の夜の静寂をそっと包んだ。