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第5話:名前を知らない君の詩

 

 音楽室は、静まり返った。

 でもその後に、拍手と歓声が沸き起こった。


 教室も誰もが彼の演奏に聞き入っていた。


 演奏を終えた蓮君が、教室にいるみんなにお辞儀をして、席に戻ってきた。


「さて、今日の授業はこれでおしまい。

 蓮君、いいものを聞かせてもらったよ、ありがとう。」


 教室がざわざわとして、みんな外に出て行った。

 蓮君は、そのまま教室に残っていた。


「蓮君すごいね。」


「ありがと、でもこれは僕には普通のこと……なんだよ。」


「そうなの?

 でもすごく上手だった。」


「そうか?

 楽譜通りに弾くことなんて、みんなできるだろ?」


 いや、それ絶対無理だから。


「ずいぶん頑張って練習したんだね。」


「僕には音が見えるんだよ!

 音符の上に、色が見える。

 こんな曲だって、楽譜が言うんだ。

 誰も信じちゃ……いないんだけどな。」


「すごいな……それ、才能じゃない。」


「意味ないよ、こんなの。

 僕にしかわからない世界は、誰にもわからない。」


 蓮君が、ちょっと悲しい顔をしていた。


「加奈が言ってたろ?

 アイツはボッチだって。」


「うん……でもね。」


 私がそう言いかけると、蓮君は黙って下を向いてしまった。


「親父がな、

『音楽ができても、飯は食えん。』などと抜かしやがる。

 加奈だって、いつもかわいそうな僕を見ているんだよ、きっと……。

 優しいのとは……ちょっと違う。」


「加奈ちゃんは、幼馴染って言ってたよ。」


「そう、幼馴染。

 昔の僕を知ってる、たった一人の証言者。」


 そうなんだね。

 男の子からそんなこと言われたら、キュンキュンしちゃうのに……。

 加奈ちゃんと蓮君の話は、そうなれなかった。


 ずっと苦しかったんだよね。

 加奈ちゃんも同じように、見ていてつらかったんだろうな……。


「ねぇ蓮君、歌を作っているんだって?」


「ああ、そうだよ。」


「何か聞かせてよ。」


 私は蓮君の「認められない」悔しさを知っている。

 だから、蓮君の曲を聞いて、認めてあげたいって思った。


「そうだな……お気に入りの曲とかで……いいか?」


 蓮君は大きなキーボードを操作して、曲を流し始めた。


♪ さあ まちのそとへ でかけよう

  ママには ないしょで きみとふたりなら

  どこまでも たのしいはずね ~


 あれ? この曲って、蓮君も好きなのかな?


「『ふたりでおでかけ』って言う曲なんだけど、もとは『外に出たい』って歌詞だったんだよ。

 それなら、曲にのせて、連れて行ってあげようって。

 ちょっとしたいたずら、かな?」


 私は急に、恥ずかしくなった。


「これを描いたのは、絶対小さい女の子だと思った。

 だって、『匿名』って字がわからなくて……。

『とく名』だったから、なんだかおかしくて……。」


 あれ? なんでだろう?

 ぽろぽろと涙が出て来た……。


「おいおい、何で泣くんだよ……。

 僕、なんか変なこと言ったかな?」


「こらぁ、蓮。また友達を泣かせて!」


 加奈ちゃんが私を迎えに来てくれた。


「ちげぇよ、加奈。急に桜井さんが、泣き出して……。

 俺も困っていたんだ。」


「陽菜ちゃん、だいじょうぶ?」


「うん……。」


 それしか言えなかった。

 自分でも訳が分からない……。


「ねぇ、ちょっと蓮、陽菜ちゃんのこと、いじめたの?」


「いや……天才的な僕の音楽に、彼女の感受性が涙したんだ……。」


「またそうやって、ごまかすんだから。」


 加奈ちゃんはそう言ってあきれていた。


「あ、国語の白井先生が、『動画だけでも見てくれ』ってさ。

 ちゃんと言ったからね。」


「わかったよ。」


「行こう、陽菜ちゃん。」


「うん……。」


 黙ってきちゃったの、蓮君に悪かったかな?



「文学研究室……?」


「そう、ここの先生たちは、それぞれ研究室と、その隣の教室を持っているの。」


「国語教室じゃないの?」


「それだと、『カッコよくないから』って、先生が自分で名前を変えたの。

『言葉って、刺さってなんぼ』が信条らしいよ。」


「へんなの。」


 教室の壁には、短歌や和歌が筆文字で貼られていた。その一枚に目が止まる。


 花の色は うつりにけりな いたずらに 我が身世にふる ながめせし間に


「平安の才女、小野小町の代表歌だねえ……いいよねぇ、小町ちゃん♡」


 白井先生は、目を細めてうっとりしていた。


「桜の花が色あせるように、時とともに私も衰えていく……なんて、切ないけど、それをちゃんと『見せる』のがすごい。

『儚さ』と『美しさ』の両立って、ほんと日本語らしいと思わない?」


 先生の言葉に、思わずうなずいてしまった。


「でね、この和歌、現代ならこう解釈されがち——」


 先生はくるりとホワイトボードに書く。


「『もう私なんか……』って言って、男の『そんなことないよ』を引き出す、『自虐ネタ戦略』だね。

 アイドルの定番営業トーク。

 時代を越えて、やること変わってない!」


 そこ笑うところ?

 でも、どこか納得できちゃうんだよね。


「短歌ってそういう『自分をどう見せるか』の芸術でもあるんだ。

 五・七・五・七・七の枠の中で、どんな言葉を並べるか。

 最近の短歌はもっと自由でね。句またがり、記号、鍵カッコなど、なんでもアリになってきてるよ。」


 へえ、そんなに自由でいいんだ。


「たとえば、こういうの。」


 先生が読み上げた一首に、教室が静まりかえる。


「『しあわせにする』ってちゃんと言ったよね 隣に立つのは僕じゃなかった」


 ……。


「先生、それ絶対、自分の体験談ですよね?」


 加奈ちゃんの突っ込みに、教室が笑いに包まれた。


「バレたか。まあ、人生ネタだらけってことで!」


 なんだかよく分からないけど、言葉ってすごい。

 ほんのひと言で、心がチクッとする。

 そんな言葉たちが『詩』なのかもしれない。


「それじゃ、次回は『魂の一首』をタブレットから提出してね。」


 やってみようかな……。

 私の心を言葉にのせて、誰かの魂を揺さぶる。

 それってすごいことだと思う。


 胸の奥にまだ言葉にならない何かが、ゆっくり目覚め始めている気がした。



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