第4話:桜花スクールの仲間たち
「おはよう、今日は元気になった?」
「うん、ちょっと休めたからね。」
「この学校に来てから、ずっと頑張っていたからね。」
「そう……だね。」
私の中のママが、ちゃんとしなさいって言っていた。
目の前には、ママはいないのに……。
「今日の授業、また一緒に回ろうか。」
「うん、いいの?」
「数学だけ、ちょっと私の苦手なところに付き合ってもらうけど……。
うん、あとは大丈夫そうだね。」
「最初は理科研究室で、生物ね。それから……」
加奈ちゃんはタブレットに今日のスケジュールを入力していった。
「これね、先に入れておくと、次はどこって教えてくれるんだよ。」
少しは慣れて来たけど、やっぱりこの学校のシステムは便利だな。
「あ、それじゃぁ、音楽室に行きたいな。」
「陽菜ちゃんは、音楽好きなの?」
「うん、まぁ……ちょっとね。」
ホントはすごく好きだけど、ちょっと恥ずかしいかな。
「うーん、今日の音楽の時間は……。
あらら、かぶってるよ、数学と。」
「それじゃ、私はまた今度にしようかな。」
「大丈夫だよ。
この時間の音楽なら、絶対にアイツがいるはずだから。」
「アイツって?」
「蓮だよ、蓮。
アイツなら、この先生の音楽の授業は絶対にいるから。」
「あ、でも。私まだ、そんなに仲良くないし……。」
「いいんじゃない、それでも。
どうせいつも、一人だし。」
「え? そうなの?」
「それにほら、陽菜ちゃんには頼もしいナイトがいるでしょう?」
加奈ちゃんはトートバッグのくまちゃんを抱き上げて、
「姫、拙者がお守りいたします。」
ぷっ、やだぁ。
でもおかげで少し、怖くなくなったかな。
理科研究室では、生物のことを習った。
脊椎動物……。魚類、両生類……哺乳類。
加奈ちゃんは、そういう話が好きみたい。
大人になったら、獣医さんになりたいそうだ。
「海から陸に上がるためには、えら呼吸から肺呼吸に変わっていくことが必要だったんだね。
環境に合わせて、自分のできることを変えていく。
気の遠くなるような進化の果てに、魚から地上で暮らす動物に進化したんだよ。」
最初に陸に上がった魚は、どんな思いだったんだろう?
きっと死んじゃったよね。
それでも外の世界を夢見ていたのかな?
子どもたちの挑戦がずっと続いて、そのために姿を変えていったんだ……。
くまちゃんが言ってたな。
外の世界には、知らないことがたくさんあって、見つけるのも楽しいって。
加奈ちゃんと一緒にお昼を食べた。
この学校では、給食はない。
大きな食堂があって、そこでご飯を注文するの。
「ほら、学校に来れない子もいるからね。食べた分だけでいいんだよ。」
おかわり自由、300円?
「ずいぶん安いんだね。」
「その代わり、メニューは1つだけでしょ?
今日の給食って。
タブレットから注文して、食べられないおかずがあれば、
『いらない』ボタンを押すんだよ。」
そうすると、違うおかずが出てくるって。
「お弁当持ってくる子もいるし、売店でおむすびだけっていう子もいるよ。」
「自由なの?」
「ちゃんと片付ければ、どこで食べても自由なんだよ。
アイツはいつも、音楽室だけどね。」
ああ、蓮君のことね。
「だれとも話さないし、いつも一人でいるんだよ。
音楽室の主なんじゃないかってね。」
ここでも独りぼっち……なのかな。
「ここってさ、基本的に『関わらない』でしょう?
ほら、もともとそういうのが苦手な子が来るから。」
「え、でも加奈ちゃんとは、お話していたよね。」
「ああ、あれは幼馴染だから。
アイツって、あんまり空気読めないんだよ。
一緒に音楽やってた子がいたんだけどね。
上手くいかないんだよ。
なんて言うか、演奏はうまいんだけどね。
誰かと一緒は、大変みたいなんだよ。」
一緒にやれば、楽しいのにな。
「ほら、アイツ遠慮なく『へたくそ』って言っちゃうから。
自分が作る音楽に、ついてこれない人に合わせるのが嫌だって。」
「だから一人……なの?」
「だって今じゃ、歌を歌ってくれるじゃない?
AIだって、それから……。」
「ボカロかな?」
「そう、それ。
人に頼まなくてもすんじゃうから、ボッチでも作曲できるんだよ。
でも……アイツはいつまでも……ボッチなんだよ。」
そう言う加奈ちゃんの顔が、ちょっと悲しそうに見えた。
何とかしてあげたくても、どうしようもないことに、ちょっとあきらめている感じだった。
「それじゃ、私は数学を選択したから、ここでお別れね。」
「うん、行ってくるね。」
「姫様、どうかご無事で。」
「もう、それ何キャラよ……。」
加奈ちゃんはやさしいから、こうして緊張をほぐしてくれるんだな。
音楽室に入ると、一番後ろの席に蓮君がいた。
「こんにちは、蓮君。
ここ、座ってもいい?」
「……ああ、いいよ。」
蓮君がずっとこの席を使っているから、他の子は誰も、隣の席には座らなかったみたいだね。
「もう、だいじょうぶなのか?」
あれ? 何で知っているの?
私が昨日、休んだこと。
「ああ、加奈に聞いてな。
アイツ、久しぶりにできた友達だから……。
桜井さんがいないって、すごく心配していたんだよ。」
「そうなんだね。」
音楽の授業が始まった。
「さて、今日はモーツアルトのピアノソナタを紹介するよ。
かの有名な少年は、あっという間に曲を書いてしまうほど、その時の気持ちを音にする天才だったんだよ。」
そうね、天才っているんだよね。
「このk545はね、『初心者のための小さなソナタ』として有名なんだけれども、まったく初心者向けじゃないんだ。
でもね、ピアノを習う人は、いつかはこの曲に挑むことになるんだよ。」
「ふふっ、それは天才にしかわからない、未知の領域だからさ。」
あれ? 蓮君って、こんなキャラなの?
先生がCDをかけた。
軽快なピアノの音が、教室に広がった。
本当に自由な曲。
まるで猫みたい。
「それじゃ、タブレットに感想を入れておいてくれ。
なになに……?
『まるで猫みたい』か。
そうだな。まるでつかみどころのないこの曲に、初心者は翻弄されるんだよな。
先生もそうだったよ。」
そっかぁ。
先生だって、いっぱい練習したんだろうな。
「それじゃ、この猫を捕まえる、勇者はいるかな?」
蓮君が黙って手を挙げた。
大きなグランドピアノの席について、お祈りするように手を合わせてから、そおっとピアノに触れだした。
さっきのモーツアルトの曲が、繊細な響きを奏でた。
そして音がだんだん大きくなって、それから……
ジャンプして着地したみたいだった。
音楽と手の動き……ちゃんと一つになっていた。
まるで蓮君が猫になって、遊んでいるみたいだった。
おんなじ曲なのに、演奏する人が違うと、こんなに変わるのね。
「いるんだよな……天才って。羨ましいよ。」
こんな声が教室からぼそっと聞こえた。
違うもん、きっとこれは努力を重ねた成果だよ。
ちゃんと頑張っているのにな。
人にはわからないんだよね。
私はくまちゃんを、ぎゅってしながら、蓮君のピアノを聞いていた。