第1話:鳴かない朝
目が覚めた。
……いつもと変わらない朝。
「陽菜、早くしなさい、学校、遅れるわよ。」
朝、ママの声で起こされる。
私は学校から遠のいていた。
前の学校では、いろいろあって、
何かしゃべることも、人前に出ることも怖くなった。
学校にちゃんと通えなくなった。
部屋から出ることさえ、怖くなった。
ママは、いつも私がしようとすることを、先に言う。
だから、いうことを聞かなければならない。
そんなことが、ずっと続いている。
「ほら、ちゃんと返事ぐらいしなさい。
いつまで『だんまり』を続けているの?」
テーブルの上の朝ご飯は、もう冷めていた。
ママはもう、仕事に行く支度をしていた。
冷めたベーコンと目玉焼き、サラダ。
トースト一枚とぬるくなった牛乳。
もう何年も同じだ。
私は出来が悪い子だから、誰からも見向きもされない。
箱から放り出された、『ひなどり』なんだ。
今日から新しい学校に通うことになった。
「桜花スクール」
自由に過ごせるフリースクール。
そこは、パパの知り合いの紹介だった。
ママは猛反対したけど、そのままうちにいるよりはマシだって言ってた。
「そんなの、ただの逃げ場所でしょ。」
そう言われたけど、もう逃げる場所すらない私には、そこだって命綱なんだよ。
新しい学校は、行けない日は、無理して行かなくてもいい。
タブレットでも授業を受けられるから、「出席」したことになる。
でも、せっかくの新しい学校だ。
私はちょっと、頑張ることにした。
制服もないから、服装も自由。
でもね、それっぽいのを着てくればいいって。
いきなり自由って言われても、何を着ていけばいいんだろう?
「ほら、早くしなさい。」
「まだ間に合うんだけどな……。」
私は思わず小声でそう言っていた。
ママに聞こえてしまうと、何倍にもなって、帰ってくるから。
パパは一足先に、仕事に出かける。
そうして、いつも、お酒を飲んで遅く帰ってくる。
最後にちゃんと話をしたのはいつだろう。
子供だから、親の生活に合わせて、暮らさなければならない。
だから私はちゃんと学校に行って、ママが仕事に間に合うように、家を出ないといけない。
「行ってきます。」
……返事がなかった。
「ピンッ」
私の携帯に、入金があった。
3000円。
しばらくお昼はこれで食べろってことね。
学校は駅前のビルの中にあった。
教室というよりは、街の集会場みたいだった。
いろんな服装の人が、バラバラに座っていて、思い思いに過ごしていた。
でも、話をしているのは数人、それも静かに過ごしていた。
隅の方で、こっそり座っている子もいた。
わかるよ、それ……ちょっと、怖いもん。
この学校は、逃げ場所じゃない。
私が、『ここで生きる』って決めた場所。
だったら、ちょっとだけ声を出してみてもいいのかもしれない。
「……おはよう。」
声をかけても教室からは返事がなかった。
「あ、あなたは今日が初めてだね。
ここでは『元気に挨拶しなさい』なんてことは言わないんだよ。
ほら、それだけで怖がる子もいるからね。」
「え? そうなの?」
「あ、びっくりした? そういう子、多いからね~、ここ。
うちの担任も慣れたもんよ。
私は加奈だよ。」
「私、陽菜。よろしくね。」
精一杯の笑顔でそう言ったけど、加奈ちゃんにはそれがわかったみたい。
「まぁ、ゆっくりでいいよ。
ところで、出席登録はした?」
「え?まだだけど。」
「え、まだ出席『ピッ』ってしてない?
生徒手帳をね、ここにかざすとピッって鳴って、
今日は出席したことになるよ。」
もう私には訳が分からない。
でも、ここはそういうところなんだって思わないといけない。
始業の鐘が鳴った。
先生が教室に入ってきた。
「皆さんおはようございます。
えっと、桜井さんは、来ているよね。
紹介しよう、今日からここに通うことになった、桜井陽菜さんです。
今までの子と同じように、優しく見守っていて欲しい。」
なに? それ?
意外だった。
転校生の初日って、みんなの前で挨拶するかと思ったから、ちょっとほっとした。
「早速、加奈さんが一緒に居てくれるわけだな。
よろしく頼むよ。」
「はーい、頼まれました。」
加奈ちゃんが、元気に返事をしていた。
それから先生は、教室を見回して、後ろの方を見て、声をかけた。
「相変わらず、まばらだな。
おーい、タブレットでライブ授業を見ている諸君。
今から始めるぞ。」
教室の後方に、天井から吊り下げられたカメラがあった。
先生はそのカメラに向かって話をしていた。
先生は淡々と話をして、授業を進めていた。
「あ、質問がある人は、タブレットから私のページに書き込んでおくように。」
誰も発言しないし、誰も指さない。
本当に静かな授業だった。
誰にも話しかけられないし、話す必要もない。
けれども、ちゃんと先生とは、タブレットからつながっていた。
正直ほっとしているけど、それじゃ転校してきた意味がない。
だって隣に、私のことを心配そうに見ている加奈ちゃんがいるから。
心臓がドキドキしている。
返事が無かったら、どうしよう。
今話して大丈夫かな、変なこと言わないかな?
私は、勇気を出して、声をかけた。
「ねぇ……加奈ちゃん。」
「なぁに?」
「次は、どうするの?」
それだけだった。
でも、話しかけられた。
「さて、お次は……数学ね。
基礎の内容だけど、大丈夫そう?」
「うん」
「それじゃ、一緒に行こうか、陽菜ちゃん。」
加奈ちゃんには、わかるのかな?
私が人と話すことを、怖がっていることを……。
私のことを気にかけてくれているのが、うれしかった。
ちょっと、ほっとした。
私たちは数学教室の、空いているところに座った。
どうやらここでは、学びたい教室に、自分で通うルールみたいだ。
「学校との付き合い方を、自分で決めていいんだよ。」
そんなことって、考えたことなかったな。
「どうしたの?」
「ううん、何でもないよ。」
私が少し、不安そうな顔をしたのかな。
加奈ちゃんが私の顔をのぞき込んだ。
怖い……。
知らない人も、知らないところも。
「大丈夫だよ、みんな、おっかなびっくりだから。」
え? みんな? そうなの?
なんだぁ、みんな私と一緒なんだ。
それなら、ちょっと頑張ってみようかな。
明日は加奈ちゃんに、自分から「おはよう」って言おう。
私は不器用で、飛び方もわからないひなどりだけど……。
でもここなら、上手くやっていけそうな気がした。