第8話:アイドルか、家庭か――揺れる想い。
「……グループ、続けるかもしれない。けど、それでも、君と生きていきたいと思ってる」
耕助さんは、私の隣で小さく呟いた。
それは、私が何気なく「最近、またFlare★Starのメディア露出増えてるね」と言った夜のことだった。
彼はお風呂上がり、バスタオルを首にかけて、ソファの上に座っていた。
私はその横にいて、ドライヤーを握ったまま動けなかった。
(ずっと避けてきた“現実”に、彼がようやく向き合おうとしてる)
—
それから数日後。
「グループと話す」と言った彼は、休日の昼前に家を出て行った。
「君は何も心配しないで。話してくるだけだから」と言って。
けれど私は、正直、落ち着かなかった。
(……私の存在が、彼の“夢”を変えてしまうのかもしれない)
ずっと彼を推してきたファンの一人として、そして今は彼の恋人として、
そのことの重さがのしかかってきた。
—
その日の夜。
耕助さんが帰ってきたのは、20時を過ぎてからだった。
スーツを着ていた彼は、玄関で小さくため息をついた。
「……疲れた」
「どうだった?」
私はすぐに尋ねた。
彼はリビングに座り、数秒の沈黙のあと、語り出した。
—
「リーダーとマネージャー、そして事務所の幹部と話した。
俺が結婚を考えてることも、子どもがほしいって気持ちも、正直に伝えた」
「……うん」
「反応は……色々だったよ。
メンバーの中には、“家庭を持つのもアリ”って言ってくれたやつもいたけど、
大半は『じゃあ、活動はどうする?』って空気だった」
彼の目が少し寂しそうに伏せられた。
「リーダーが言ったんだ。
“もし家庭を選ぶなら、それに専念したほうがいい。中途半端な気持ちでグループに残られるのは困る”って」
「……それって、辞めろってこと?」
「いや、リーダーは……俺が活動に本気で向き合えるなら、続けてもいいって言ってくれた。
ただ、“覚悟”を持って決めてほしいって」
——“覚悟”。
その言葉が、重く響いた。
—
「俺さ、ずっと“Flare★StarのKOSUKE”でいられる自信があった。
だけど今は、“君と家族になりたい”って気持ちが、ステージに立ってる自分に勝っちゃってるんだよな」
「……そっか」
「だから、もう少し考える時間がほしい。
でも、君のことは……絶対に失いたくない。
その気持ちだけは、ずっと変わらない」
彼はそう言って、私の手を強く握った。
—
その夜。
ふたりでキッチンに立って、静かにカレーを温め直した。
「もし辞めたら、ファンは……悲しむかな」
「うん。きっと、泣くと思う。私も、少しだけ泣くかも」
「……でも?」
「それ以上に、耕助さんが“幸せそう”なら、私はちゃんと笑える」
そう言った私に、彼は不意にキスをした。
「ありがとう。……本当に、ありがとう」
—
その翌日。
会社では社内プロジェクトの大詰めを迎えていた。
私も耕助さんも、業務では何事もない顔で働いていた。
でも、周囲の視線はますます強くなっていた。
「最近、灥さんと香坂さんって、息ぴったりだよねー」
「灥さん、実は彼女いるって噂、ホント?」
(やっぱり……もう限界なのかもしれない)
仕事も順調、だけど私たちの“秘密”は、崩れ始めていた。
—
夜。
ふたりで交互に入ったお風呂のあと、ベッドの中で彼が言った。
「君が妊娠したら……きっと、決断する」
「……え?」
「もしそうなったら、俺はFlare★Starを卒業する。
君と家族を守る。それが、俺の“ステージ”になるから」
私は涙をこらえながら、彼の胸に顔をうずめた。
(彼の“夢”を終わらせることが、私のせいにならないように)
そう思っていたけど、違った。
(彼は、“夢”を次の形にしてくれる)
—
■香坂眞衣の心の声・夜のメモ:
「夢を捨てるんじゃない。
彼は、自分の“次のステージ”を選ぼうとしてる」
「私は、そのステージの隣に立てるように、
息を合わせて生きていきたい」