第6話:プロポーズと、ふたりだけのルール。
週が明けた月曜日。
社内の空気は、少しだけざわついていた。
——原因は、明らかだった。
誰かが噂している。
「灥さんと香坂さんって、ちょっと仲良くない?」
「この前のライブ行ったって言ってたし」
「もしかして、社外でも会ってる……?」
そんな声が聞こえるたび、私は自分の心臓が縮むのを感じた。
(バレたらどうしよう……)
でも、何より怖いのは――**「距離を取られること」**だった。
耕助さんと、もっと一緒にいたい。
もっと、知りたい。
この気持ちは、もう止められなかった。
⸻
午後、社内に一本のメールが届いた。
——「プロジェクト契約、正式に再締結が完了しました」
この知らせに、部内全員がホッとした。
特に私は、心から解放された気持ちになった。
(よかった……これで、ひとつ乗り越えた)
上司からの呼び出しを受け、私は会長室へと向かう。
「香坂くん。よくやった。今回の契約、君がいなければ破談だった」
会長は笑ってそう言ってくれた。そして――
「特別賞与を出すことにしたよ。80万円ほど」
「……えっ」
目を見開く私に、会長は言った。
「君がそれだけの価値を生んだということだ。自信を持っていい」
(……報われたんだ。私の努力が)
感謝と安堵の気持ちで胸がいっぱいになった。
⸻
その夜。
私は耕助さんからのメッセージで呼び出された。
【今夜、会社の裏手にあるテラスで待ってる。ちょっと、話がある】
オフィスの裏手にある、小さな中庭のようなテラス。
夜の風が涼しくて、灯りはほとんどない。
私はドキドキしながらその場所へ向かった。
⸻
耕助さんは、ライトポールの下に立っていた。
白いシャツの袖をまくり、月明かりの下で誰よりも美しく見えた。
「来てくれてありがとう。……ここ、社内の人間、ほとんど知らないんだ」
「どうしたんですか、こんなところで……?」
「君に話したいことがあるんだ」
彼の表情が、少しだけ真剣になった。
「……俺、芸能活動を始めて、長い間“誰かを好きになる”ことを避けてきた。
自分を推してくれる人の夢を壊したくなかったから」
私は黙って、ただ聞いていた。
「でも、会社で君を見たとき、本気で思った。——“この人だ”って」
「え……?」
「香坂さん。俺、君のことが好きだ。
最初に声をかけたときから……いや、多分、それ以前から。
LIVEで来てくれてた時も、目を奪われてた。だから、言うよ」
そう言って、彼はポケットから何かを取り出した。
小さな箱。それを、私の前で開いた。
中には、きらめく指輪。
「……俺と、結婚してほしい」
「……っ……!」
私は何も言えなかった。
こんなに急に、こんなにまっすぐに、想いを告げられるなんて思ってなかった。
「まだ籍は入れなくてもいい。俺はグループの活動があるし、君の仕事もある。
でも、これだけは伝えたかった。——君のこと、本気で愛してる」
「でも……でも……芸能人と会社員なんて、そんなの、うまくいくわけ……!」
私の言葉を遮るように、彼は一歩近づいた。
「君が不安に思うこと、全部わかる。でも俺は、そのすべてを乗り越えるつもりでここにいる」
彼の手が、私の手に重なった。
その指先が、私の指にそっと指輪を滑り込ませる。
「仕事中は、いつもどおりに過ごそう。
誰にもバレないように。……でも、家では、ふたりでちゃんと愛し合おう」
私は、涙があふれそうになるのを堪えながら、頷いた。
「……わかりました。私も、耕助さんが……好きです」
「ありがとう」
彼は、そっと私を抱きしめた。
—
その夜、私は彼の家を訪れた。
互いの家を交互に行き来する“ふたりだけのルール”が、今、始まった。
ソファに並んで座って、映画を見て、何度もキスをした。
画面の中の恋よりも、
ずっと甘くて、現実で、愛おしいキスだった。
⸻
■香坂眞衣の心の声・夜のメモ:
「好きになってはいけないって、ずっと思ってた。
でも今は、もう、そう思わない。
——この人と、生きていきたいって、心から思ってるから」