三幕――中編
二日目の宴会は昨日と違い、昼間働いていた杜氏さん達も加わりまさに宴会状態であたしは仲良くなったフミカの「どんだけ酒がすきか」の熱弁に時々こくこくとうなずいた。
生憎とあたしにはフミカ程に「酒」に対しての熱意は無い。醗酵微生物への愛をあつく語ったところで理解されるとも思われないし。いや、もしかしたらこのメンバーは無理でも東京支社研究班のメンバーであれば醗酵微生物の話題は鉄板ではないだろうか。
自説であるところの人間はそもそも地球という一生命体における微生物的存在であってという話題でもおいてけぼりを食らったりせずに酒の肴として同士を得られるかもしれい。
フミカの酒談義を耳にいれつつそんなことに新しい希望を見出してみるあたしだった。
宴会も時間が進むにつれ、何故か人が増え始めた。
理由は簡単で、社員の家族が混じり始めたのだ。元々地元の人が多い為に呼び寄せるのは簡単なのだろう。新入社員の家族も呼ばれ、いたる所で「駆けつけ三杯」と盛り上がっている。
「宴会は人が多いほうがいいよー」という、なんというアットホームというか――すさまじい魂を見た。
「秋ちゃん」
フミカの酒に対する情熱が、やがてはじめて飲んだ年齢へと移行し、それはおおっぴらに言ったらまずいだろう――いやだがもともと酒の造り酒屋ならば仕方がないことなのか、などと思っているところで、宴会場の入り口の辺りから部長の桶口さんがひらひらと手を振った。
「こっちこっち」
無理やりフミカに酒を飲まされそうになっていたあたしは嬉々として席を立ち、何か仕事でもあるのかと宴会場の外に出ると桶口さんがにっこりと笑った。
「お兄さん来てるよ」
その言葉にげんなりとしてしまった。いや、確かに皆家族連れだし、何の違和感もないのだが、無理やり来たのか兄貴よ。
そんなに酒に目が眩んだか?
ほら、と示された方へと視線を向け、あたしは溜息をついた。
「兄貴、来れないって言ったじゃん」
呆れた口調を投げかけたまま、
「新幹線がまだあったからね」
穏やかに微笑んだ影浦さんの上着を、会社の庶務課のおばさんが乱暴に引き剥がして親しげにその背中を叩く様子を唖然と見つめた。
「あ、あ、兄貴……?」
兄貴はどこ?
「すみません、突然お邪魔して」
「いいのよー、他にも家族連ればっかりだから。気兼ねなく混じっちゃってよ。お酒はほら、腐る程あるからさ」
がはがはと豪快に笑うおばさんは影浦さんの上着をハンガーに掛けた。
「どうして、ここ……え、なに? 何で?」
「春樹に電話したら、君の入った会社を教えてもらえてね。愚痴っていたよ、忙しくてタダ酒飲めないって」
「え、で、あの影浦さん?」
どうしてこう神出鬼没なことを仕出かすのだろう。
あたしは一気に酒気が抜けてしまったように白黒して相手を無遠慮に指差し、信じられないと首を緩く振ったが、背後からの声に慌てて背筋を伸ばした。
「秋ちゃん、おにーさん見えた?」
陽気な声で言いながら通路の出入り口に掛かる暖簾を押しのけてフミカが顔を出すと、影浦さんはやんわりと会釈を返した。
「こんばんは。はじめまして」
「はじめましてー、昼間はどうもぉ」
へらへらと手を振ったフミカは、どんっとあたしの背中を肘で小突いた。
「すっごい素敵なお兄様ねっ。紹介してよっ」
慌てるあたしだったが、影浦さんは眼鏡の奥の瞳を細めた。
「スミマセン。兄ではないんです」
「うわっ、そうきたかーっ。もぉっ、秋ちゃんってば彼氏さんなんかいないようなこと言ってたのにっ。まぁイイワ。ナイショにしてあげる」
私は話の判るオネエサンですよ、というようにフミカはにやにやとあたしを見ると、声を潜めた。
「一応、他の人にはお兄さんって紹介するからね?」
「すみません」
「いーわよっ」
ばしりと今度は強い力で腰の辺りを叩かれ、ついでフミカは影浦さんのほうに歩み、その二の腕をむんずと掴んだ。
「まーずーは、駆けつけ三杯いってみよーっ!」
困った表情の影浦さんは、あたしの脇を進む時に小さな声で「ごめんね」と囁いた。
***
その後の盛大な飲み会が終わったのは、午前零時をたっぷりと過ぎた時刻。
汚れた皿などを台所に片付け、寝入ってしまった女性を起こして部屋へと移動させ、同じく寝入ってしまった男性人には毛布を掛けて回ったところで、手伝いのおばさんが「そろそろ部屋に戻っていいわよ」と声をあげた。
こちらが片付けをしている間軽く手伝っていた影浦さんは、ほんの少し酒の影響を思わせる血色の良さそうな顔色をしているが、それいがいは普段とたいしてかわっていない。
酒の席ではろくに会話はなかった。それに何より、何を話してよいのかもいまいち判らなかったのだ。
後半、酒のピッチは上がったように思うのに、生憎と全然飲んだ気がしない。
影浦さんはその場にいた人たちと混じって普通に飲んでいたし、兄という紹介の為におかしなことも言えない。
「じゃあ、私はそろそろお暇させてもらいます」
ふいの言葉に、けれどテーブルの上を拭いていたフミカが身を起こし、ぺしりと持っていた布巾をテーブルに投げた。
「じゃあ秋ちゃんももうあがっちゃっていいよ?」
「はい」
「布団は布団部屋にあるから、適当に秋ちゃんの部屋に運び込んで使ってくださいねー」
その言葉に、あたしは固まった。
確かに兄と他の人たちは思っているが、フミカはそうでないことを理解している筈だというのに。それとも、酒のせいで忘れてしまったのか?
動揺するあたしにかわり、影浦さんは苦笑した。
「駅前のホテルをとりますから」
「いーっていーて! 気にしないで泊まってってよ」
やれやれ世話のやけるとでも言うようにフミカはずかずかとこちらに歩いて来ると、影浦さんの二の腕をがしりと掴み、ついであたしの手も引いて、足元に倒れている数名の男性人を「はいはいごめんねー」と豪快にまたぎながら歩き、さっさと渡り廊下でつながった寮の方へと引き立てた。
「はいっ、この部屋が秋ちゃんの部屋ですーっ」
がんっと扉を乱暴にあけ、押し込むように影浦さんを中に入れ、入り口脇のスイッチを入れて電気をつけた。古びた蛍光灯が一旦明滅して少し薄暗いような灯りをともす。
「じゃ、おやすみ!」
にまにましつつお巡りさんを真似るように敬礼し、がんっと音をさせて乱暴に扉を閉めた。気まずい気持ちでぎゅっと左手の指先を右手で握りこんだあたしが口を開こうとした途端、扉がもう一度開いた。
「ちなみに壁が薄いの、ごーめーんーねーっ」
潜ませた声で言われ、また扉が閉まる。
呆気にとられた影浦さんが、彼にしては珍しく「ぷっ」と小さな音をさせて噴出した。
「いや、面白い人だね?」
「……お恥ずかしい限りです」
何故かあたしが謝ってしまった。
二人して四畳半の、テレビと折りたたみ式のテーブル。重ねて畳んだ布団が一組しか無い部屋で突っ立っているあたし達は随分と滑稽なことだったろう。どんどんとやけに体温があがり、耳が熱を持つのを感じた頃に、影浦さんが苦笑を落とした。
「やっぱり行くよ」
「いえ、いいです――もう遅いし、泊まっていって、下さい」
あたしは自分の声が消え入りそうになるのを感じながら、身を翻して「布団取って来ますからっ」と口にした途端、
「布団だよーん」
と、またしても扉を勢いよく弾き開け、器用に自分の肩口で扉を大きく押し広げるフミカの姿に激しく脱力した。
あたしはがくりと肩を落とし、自分の膝に手を掛けるという中腰状態でフミカが部屋の入り口にどさりと布団一式を置いてくれるのを見た。
「……ありがとうございます」
「鍵は掛けないと駄目だってばさー。じゃ、今度こそおやすみなさーい」
フミカはひらひらと影浦さんへと手を振り、ぱたりと扉を閉ざした。
「――本当に面白い人だね?」
クっと喉の奥を鳴らして笑う影浦さんに、あたしはへたりとその場に座り、突っ立ったままの相手を見上げた。
いつもと同じ、スーツ姿。
上着は今も宴会会場の隣の部屋の鉄パイプに引っかかっていることだろう。ネクタイはあまりしているのを見たことが無い。今も一番上のシャツのボタンははずされ、緩んでいる。
「どうして、来たんですか?」
尋ねたくて、尋ねられなかったこと。あたしがゆっくりと問いかけると影浦さんは肩をすくめ、「座っていい?」と聞いてくる。
「座布団も無いですけど」
「布団敷く?」
「……はい」
心拍があがる。
思わず視線をそらして、這うようにして狭い部屋の奥に置かれている自分が使った布団へと移動し、それをもくもくと敷いた。
影浦さんもその隣に自分用にと持ってきてもらえた布団を用意していく。その姿は客観的にみたら激しくおかしなものだろうけれど、生憎とあたしはそれどころではないくらい動揺していた。
――女が男に対して泊まっていって、なんていうのは、それはつまり、あれよね?
今更、そんなつもりが無いとか言っても駄目よね?
そんな考えが激しく脳内を駆け巡っていて、影浦さんの小さな苦笑など耳に届かなかった。