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名前を呼んで

 私が妻ですねと冗談を言ったその日から、吸血鬼の様子が変わった。笑顔を見せるようになった。笑顔といっても微笑む程度だが、今まではお世辞にも愛想がいいとは言えなかった。


 他愛もない会話をすることも増え、街へ買い物へ行く日も決まった。そして、せっかく2人で街に行くなら屋敷の家具も新調しようという話になり、マリアの部屋のベッドやカーペットもマリアの好みに合わせて買い替えるつもりだ。


 買い物では庭木はもちろん、庭園のテーブルセットや新しい寝具、カーペットなどかなりの量を買うことになるので、廃墟になりつつあった古い別荘を買ってやってきた貴族の夫婦という設定にするそうだ。屋敷のものを新調しに来たと思われれば、いきなり大量に購入しても不自然ではない。


「買い物のあいだ、夫婦らしくマリーと呼ばせてもらってもいいだろうか」

「もちろんです。私はなんとお呼びすればよろしいでしょうか」

「長い時間を生きた僕には、思い出せる名前はない。マリーにつけて欲しい」

「……難しいですね」


 何かいい案はないだろうかと、彼の姿をじっと見つめる。彼はこころなしか嬉しそうな表情である。切れ長の目に特徴的な牙、吸血鬼はコウモリに例えられるが、彼は狩りをする狼のようだ。


「ウォルフはどうでしょうか」


 狼、ウルフをもじった安直な名前だ。


「いい名だ。家名の希望は?」

「もとのは使えませんから、なんでも構いません」

「では今後、家名はスカーレットとしよう」

「わかりました」


 買い物の日はいつもより早起きして、街まではウォルフの転移で連れて行ってもらい移動時間を短縮した。

 

 町外れの人の気配がしないところへ転移し、大通りへと進んでいく。


「この街って」


 あたりを見回して呟いた。ここは父の領土と貿易のために友好関係を結んだ海の向こうにある帝国の領土だ。そして2作目ではここが最初の拠点となる。


 2作目のストーリーでは、1作目の数年後が舞台となる。1作目の舞台であるジルバニア国に原因不明の疫病が蔓延し、このままでは国が滅んでしまうと新たな主人公が治療法を探しに海を渡って新たな大陸へ旅立つのだ。そこで浄化の光魔法が得意で聖女と呼ばれるヒロインとともに冒険する。


 冒険の中で実は疫病は領土拡大を目論む帝国が起こしていたもので、侵略のため帝王が悪魔と契約して戦争を起こす前にジルバニアを弱らせようと疫病を流行らせていたとわかり、戦争を仕掛けられる前に帝王を討つのである。


 帝王は人間の形態、魂をかけて悪魔の力を借りた形態、悪魔によって化け物となった形態の3段階あり中々歯応えのあるバトルだった。最終形態のみ回復魔法が弱点だとわかってからはヒロインの回復魔法で楽勝になる。


「来たことがあるのか?」

「父の仕事で来たことがあります。貿易のことでこことは仲良くさせていただいてましたから」


 それらしい理由を取り繕う。ウォルフも納得したようだ。それにしても、最初の拠点の森の奥に裏ボスがいるとは。これがゲームの物語の強制力というものかと、マリアもしみじみ思う。


 ゲームの開始までは数年ある。それまでしっかり戦えるように備えておこう。


 それはさておき、まずは今日の目的だ。夕焼けが海に反射して、オレンジ色に染まる美しい街並みのなか、急いで買い物を済ませなければ。


 最初に貴族御用達の店が並ぶエリアへ向かい、家具屋に入る。ふかふかのベッドは気に入っているが、経年劣化による独特な臭いがある。買い替えていいというなら遠慮なく変えるつもりだ。


 店主にベッドとカーペットの新調と、ガーデン用のテーブルセットを見たいと伝えると、最初に案内されたのはかなり大きなベッドが置かれた区画だ。


「お二人でしたら、こちらのサイズがよろしいかと」


 クイーン以上はありそうなベッドである。夫婦設定で買いに来たのだから、店主が2人で眠るための大きなベッドを勧めるのも当然だ。ここで1人用のを見せて欲しいとは言い出しにくく、口淀んでいるとウォルフが気を使って店主に言った。


「僕が仕事で先に休んでもらうこともあるから、1人で休む用のものを見せてもらえるだろうか。2人用のはもうあるんだ」

「左様でございましたか。失礼いたしました。こちらへどうぞ」


 案内された場所に置かれたベッドは1人用にしてもまだ大きいように思えるが、貴族サイズだと考えればこんなものだろうか。


「別荘でご使用されるということで、将来のことを考えますと奥様とお子様が一緒におくつろぎなさるときも充分なサイズのものがよろしいかと」


 これ以上小さいものは望めなさそうだった。


「それもそうだな。マリー、このあたりで気に入ったものはあるかい?」

「こちらの淡い色味のものが好ましいですね」


 マリアが選んだのは薄茶色のシーツがかけられた木のベッドだった。真っ白なシーツがかけられた豪華なベッドが並ぶ中、オーガニックのような色合いのシーツと木目の美しい木のベッドは目を引いた。なにより落ち着くのだ。


「さすが奥様、お目が高い。こちらはエルフの里から取り寄せたものです。自然と共存する彼ららしく、あえて白くせずに自然な風合いを残したものでして、木のベッドも塗装することなく木目の美しさを活かしております。切断面は滑らかでーー」


 このあともしばらく続いた店主の熱い商品説明は割愛する。店主はマリアの好みを把握すると、カーペットは濃いブラウンや淡いグレーの落ち着いた色味のものを提案し、ベッドに合わせてエルフの里から仕入れた自室用の化粧台もどうかと勧められる。


「いいんじゃないか?」


 ウォルフは何の興味もなさそうに言う。


「私は化粧台より、浴槽のほうが欲しいです」


 お化粧をして出かけることはほぼないのだから、家で過ごすことを充実させたい。個人宅で入浴する文化は根づいていないが、貴族や裕福な商家では家に浴室を持つ家もある。


「入浴するのがお好きでしたら、猫足のバスタブや花の装飾が施されたものなどいくつかございます」

「浴槽を買ってもいいが、いっそのこと余ってる部屋を浴室にリフォームしてもいいぞ」

「広い浴室は管理に持て余しそうなので、浴槽のほうが使い勝手がいいかと」 

「そうか、マリーが言うなら」


 見せてもらった浴槽はどれも素敵だった。金の猫足のバスタブ、スズランのような花のランプがついた乳白色の浴槽、石造りの温泉のような浴槽、レンガ造りの浴槽があり、花のランプのものと悩み石造りのものに決めた。


「やはり奥様は目利きでらっしゃいますね。こちらはドワーフの特別な鉱石を使用した浴槽でして、お湯に硬質が溶け込み入浴するだけでそれはそれはすべすべのお肌になるとされる浴槽でございます。また、作成したドワーフいわくーー」


 またしても店主の言葉は割愛する。

 庭園用のテーブルセットは好みのものが見つからなかったため、購入したものを配送してもらう手続きをして店をあとにすることにした。商品のメンテナンスについて店主の長い説明もあり、外は日が落ちてもう真っ暗だ。庭木を取り扱う店はもう閉店してしまっている。


 庭木はまた今度見に来ようと、街灯もまばらな暗い路地を並んで歩く。人目につかない場所で転移をするため、わざと誰もいない薄気味悪い道を奥へと進んでいく。


「今日の目的が果たせなかったですね」

「店主の話が長すぎる」


 ウォルフはうんざりしたように眉をしかめた。


「それだけお店の商品に情熱があるのでしょう。あのお肌がすべすべになるお風呂に入れる日が楽しみです」

「その風呂は、僕が入りたいと言えば入っていいのか?」


 ウォルフもお風呂に興味があったとは思っておらず、驚いた。ウォルフは様子をうかがうようにじっとマリアを見つめた。


「もちろんです。あなたが買ってくださったのですから」


 ウォルフも入るなら、選ぶときに意見を聞けばよかったと少し悔やむ。それに置く場所も自室だとお互い気を使うだろう。 


「では、お風呂を置くのは空き部屋にしましょうか。入っているときはドアにタオルでもかけておけばわかりますから。そうすればあなたも好きなときに入れるでしょう?」


 そう提案すると、ウォルフはポツリと呟いた。


「……名前」

「え?」


 声が小さくて聞き取れず、ウォルフを見上げて聞き返した。


「マリーがつけてくれた名前で呼んでほしい」


 見上げたウォルフは悲しそうな、傷ついたような表情で言う。


「あ、えっと」


 男性を名前で呼ぶことに気恥ずかしさを感じて口ごもる。そんなマリアをウォルフは懇願するかのようにじっと見つめた。


「……ウォルフ」


 顔が熱くなる。みるみる顔が赤くなっていくのがわかる。顔を隠したくて俯いた。ウォルフは破顔し、声を弾ませる。


「これからも、僕のことは名前で呼んでもらいたい」

「善処します」


 慣れるまで時間がかかりそうだ。

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