ある吸血鬼の思惑
ある吸血鬼は死ぬことのない生活に飽いていた。親という存在がいたかどうかすら忘れ、自分の名前も、いつからこうして暮らしているのかも思い出せないほど長い時を生きている。
今では古代文明と呼ばれる数千年も前から生きているのだ。もちろん悪魔の中には同じくらい長生きな者もいるが、眠っていることのほうが多く、数百年に一度目覚める厄災として数ヶ月前に勇者とされる人間に討伐された。
それでも死ねることが羨ましかった。生きることに飽いても、不死ゆえに死ねない。
吸血鬼は血を媒介にして寿命をいただくことで生きている。限界まで血を絶ってみようと試した結果、生存本能から理性を無くし、近くの人間の集落を襲ったことがある。
普段人間を襲うのは、獣のようにすぐ逃げることがなく逃げ足も遅く捕まえやすいこと、夜中にこっそり忍び込めば騒ぎを起こすことなく血を飲みやすいこと、野生動物よりは寿命が長く多くの命を奪いやすいことがあげられる。
理性を無くしても、自然といつもこっそり血をいただいている慣れ親しんだ集落へ向かったのだろう。理性を取り戻したときには壊滅させてしまい、手の施しようがなかった。最後まで命を吸い取られた遺体があちこちに転がっていた。人間は土葬する文化があるのは知っていたが、面倒なので集落ごと燃やしておいた。
ちまちま人間の血を飲むのも面倒だが、寿命の長い悪魔の血は飲む気にならない。人間に人間の肉を食べろと言っても大多数は拒絶反応を示すだろう。それと同じだ。
生きるのに飽いた。たまに血を飲むだけの生活。怠惰に生きているだけだ。ただ死んでいないだけともいえる。
同じ吸血鬼と最後に会ったのも、何千年か前のような気がする。個人主義であり血を分け与えれば同族となれるが好んで仲間を増やすつもりもない。人間のように種の存続への意識はなく、性行為の欲求もない。
血を飲み眠るだけの生活に飽いた吸血鬼は、変化を求めた。声を出せば返事が返ってくる環境にしたかった。愛玩動物では数年しか生きられない。吸血鬼と同じく永遠に生きて、ただそばにいてくれる存在を欲するようになった。
数千年生きた結果、1人で生きていくのは寂しいことだと理解した。
街で見繕った死体を腐乱処理して給仕にしてみたが、死体では魂がなく命令しなければ何も出来ない傀儡となった。返事をしろと命令しなければ返事も出来ないものに用はない。
下級悪魔を雇うことは可能だが、本当に給仕してほしいわけではない。ただ他愛もない話ができる相手がほしいのだ。
手間だが捨てられた子でも拾ってしばらく育てようか。その子が望めば同族にすればいい。もっとも、望むように育てるつもりだ。
そう考えるようになった頃、召喚の魔法陣が表れた。
魔法陣から読み取れるのは、人間2人を破滅に追い込む、国を滅ぼしたいという強い復讐心。対価は魂。渡りに船とはこのことだ。さっさと願いを叶えたら給仕にしようと目論み、召喚に応じた。教養のありそうな女は見目も悪くなく、憎悪に囚われた意志の強い眼差しが特に美しい。
光の反射具合によっては紫がかった長い黒髪に、紫の瞳、品のいい服装から貴族か裕福な育ちであることがわかる。国を滅ぼすという強い願いを叶えられる吸血鬼を召喚できるぐらいだ。頭も良く魔力の扱いにも長けている。
願いを叶えるまでに死なれては困るので、契約にかこつけて同族にした。ここまでは良かった。魂に異変が起きるまでは。
一つの体に魂が2つあるような違和感だ。こんなことは初めてだが、これでは国を滅ぼしたところで契約は達成できない。契約は契約者の願いが叶ったと認めた時に初めて達成したとみなされる。片方の魂は得られても、国を滅ぼすことを望んでいないもう片方の魂は得られない。
契約達成したあとで魂に縛りを加え、飽きるまでずっとそばにいさせようと目論んでいたのに。召喚した女、マリアには契約達成後は低級霊を入れるつもりだったと嘘をついて隠している。
マリアは目を覚ましたあと、国を滅ぼしてやるという憎悪に満ちた美しい瞳からは憑き物が落ちたように透きとおった瞳となっていた。もうマリアが滅びを望んでいないことは見てとれる。
願いを叶えなくても誰かと一緒に暮らせるならそれでもいいかと、甲斐甲斐しく身の回りの世話をやいた。吸血鬼に食事なんて必要ないが、元人間は欲しいだろうと血も食べやすく加工した。
吸血鬼とはどういう生き物かを教え、新たに使えるようになった魔法について教え、1週間も経つ頃には自ら家のことをしたいと言い出した。籠の鳥のように飼い殺すよりは、自らここを過ごしやすくして暮らしていく理由を見つけてくれればと思い掃除と庭の管理を任せた。
闇魔法で土の肥料を作るのは予想外だったが、見ていて飽きなかった。ある日マリアが綺麗になった庭園で座り込んでいた。最初は休憩しているのかと思ったが、休憩にしてはずいぶん長い。様子を見に行くとずいぶん泣いたのかまぶたを真っ赤に腫らしていた。
ホームシックだとマリアは言った。二度と会えない家族が恋しいのだと。
本当は会おうと思えば会えるのだ。吸血鬼は人間に紛れ込んで狩りをする。そのため人間と異なるのは牙と肌の色くらいだが、さらに怪しまれないよう人間に擬態する魔法は呼吸するように扱える。マリアも練習すればすぐに出来るようになるだろう。
今の姿のままでは親しい身内には吸血鬼になったことを隠し通せないため会うことは出来ないが、人間の頃の姿に変身すればマリアとして家に顔を出すことは簡単だ。
だがしかし、いまそれを教えたらマリアは帰りたいと言うのではないだろうか。そしてそのまま帰ってこないのではないか。
手放したくなかった。だから、言わなかった。
落ち着いた様子のマリアに、僕を家族だと思えばいいと、あたかも彼女を慰めるかのように自らの願望を吐露した。たった一人の同族である僕だけを頼り、依存すればいいのだと、胸にどす黒い欲望が渦巻いていた。
そして、予想外の返事が返ってくる。
「家族ということは、私は妻ですね」
妻、人間にとって生涯を共にする伴侶のことだ。この地獄のような不死の世界では考えたこともなかった。それに妻とは、人間の婚姻とは、互いに想いあって結ぶことも多いと聞く。
お互いに想い合いながら永遠に暮らせたら、それはどれほど幸せなことか。そうなれたら、どれほどいいか。
自分の中にこんな感情があったことに動揺し、赤面する。
吸血鬼は気づいた。自分がマリアを愛し、マリアに愛してもらえれば契約の達成とは関係なく共に暮らせるのだと。お互いに相手を想い合いながら、他愛もない会話のある生活が出来るのだと。
吸血鬼はマリアと愛しあう関係になろうという決意を心に秘めた。