1-08 ロッティンガプル
娼婦のガレキは仕事帰りの深夜、ゴミ捨て場で倒れていた男を拾った。アパートの部屋で意識を取り戻した男はクロウと名乗った。ジャーナリストを自称するクロウはある組織を調査していたところ襲撃されたという。
ガレキはクロウに組織の違法行為に関して公表する依頼をされる。拒否をしたガレキの部屋からクロウが出直すことを決めた瞬間、二人は銃撃を受けた。命からがら建物から脱出するものの襲撃者に橋の上に追い詰められてしまう。撃たれる。と死を覚悟したガレキはクロウに抱えられて川に飛び込んでいた。
再び意識を取り戻したガレキは、自分の身体の約半分が失われ機械になっていることを知った。
映画の中では悪の組織の黒幕って政治家だったり大企業の社長だったりするけど現実は違った。この国にはそんな悪の組織なんか無くて、いるのはシステムを腐敗させる官僚だけだった。えっ? おかしい? 公務員に賄賂を取られたことなんて無い? それはそう。だってこの国の公務員の九十九%、もしかしたらそれ以上は真面目で善良だから。それに、賄賂を取る公務員がいたとして、その公務員が国を腐らせているわけではない。それは単にその公務員が腐っているってだけの話。国のシステムを腐敗させると言うのは、もっと立法的でシステム的な話なの……。
娼婦のガレキは仕事帰りの夜明け前の路地でゴミ箱に捨てられている男を見つけた。日が昇る頃にはゴミ収集車が機械的に中にあるものを自動的に回収していく。このまま見捨てることはゴミとして廃棄されることを知っていたガレキは男に声をかける。
「おーい、死んでるかい?」
男からの反応はない。上弦の月はとっくに沈んでいる。壊れかけの街灯がチカチカと弱々しい光で地表を照らすが、男の生死は不明だ。どうせ死んでいるに違いない。厄介事に巻き込まれるのはゴメンだ。そんな言葉が脳裏に浮かぶが、ガレキは男に近づく。遠くの救急車のサイレンが聞こえて反射的に心臓を抑える。だが、こんな場所に救急車が来るはずもないと思い直して男の顔に耳を近づける。
「呼吸が聞こえない。残念、やっぱり死んでる」
そう言いながらガレキは手の甲で首筋に触れてみる。冷たくはない。人間の温かみがある。もしかして、生きているかもしれないと思った瞬間に、男がうめき声を上げた。
「あちゃー、生きていたか」
ガレキは監視カメラが設置されている信号機を見てみると、破壊されていた。全てが男を助ける運命の方向に動いていると感じたガレキはゴミ箱から男を引きずり出す。両手をもって引きずるが予想以上に重い。少し生ゴミの臭いを感じたが、我慢して男をおんぶする。
ガレキはすぐ近くのアパートの自分の部屋に入り床に男を寝かせる。電気をつけてみると、男が怪我をしているのがはっきりとした。だが、既に血は止まっている。このまま放っておいても死にはしない。そう考えてユニットバスの洗面台で化粧を落としていると、ガタンと音がした。
「おはよう」
ガレキがタオルで顔を拭きながら男の前に出ると、男は上半身だけを起こしていた。
「君が助けてくれたのか?」
「多分ね」
「ここは?」
「ラブカのアパートの私たちの部屋だけど」
「ラブカ? もしかして、青少年保護施設の?」
「施設の事を知っているの?」
ガレキが首を傾げながら訊くと、男は強く頷いた。
「ラブカは一般社団法人を名乗り青少年の育成・保護を謳ってはいるが、実際には保護した少年少女を使った売春や麻薬など違法行為が行われているって黒い噂がある組織だ」
「そうなの?」
「ああ。俺はその噂の真偽を調べていたところを襲われたんだ。背後から鉄パイプか何かで突然、ね。なんとか逃げ出して、ゴミ捨て場に隠れたところで意識が飛んでしまって……」
「朝まで起きなかったらRDF発電炉で電気エネルギーになれてたね」
ガレキがクスクスと笑うと、男も少しだけ頬を緩めた。
「俺はクロウ。ネット配信者だ。助けてくれたことのお礼を言わせてもらう。ありがとう。その、御礼ついでにお願いしたいことがあるのだが聞いてくれないか?」
「なにそれ。命を助けてもらったのにまだなにか要求する気?」
ガレキが言うとクロウはちょっとバツが悪そうに頭をポリポリと掻く。
「俺は噂の信憑性は半々と思っていたが、襲撃されたことで確信した。この施設では法律で禁じられている仕事をさせられているって。それに麻薬も。そこで、俺の配信に出てその違法行為を世間に明らかにして欲しいんだ」
「なんで?」
ガレキの答えにクロウは戸惑う。
「だっておかしいだろ。君らは搾取されているんだ」
「確かに働いて稼いだお金は施設に払ってるけど」
「非合法だが、本来ならすぐにでもこんな場所から独立できるほどのお金を稼いでいるはずなのに?」
「どうなんだろ。実際に自分で稼いだってお金を見たこと無いからなぁ。わかんないや。それより、ここを出ていく方の不安のほうが大きいかな」
ガレキが首を傾げながら答えると、クロウは思いっきり嘆息する。
「今の仕事、嫌じゃないのか? ここから出て自由になりたいとか思わないのか? って、いや、もしかして仕事、好きなのか?」
「仕事って売春のこと?」
「いや、あ、うん」
クロウがよくわからない返事をするとガレキは笑う。
「この世界に仕事が好きな人っているの? みんな、生活をするためにあんまり嬉しくない仕事でも我慢してやってるものじゃないの?」
「俺は好きでこの仕事をやってる」
「ふーん、仕事が好きだなんて珍しい人だね」
「ああ、そうだ。君だってここから出れば好きな仕事ができる」
「そうかもね」
ガレキは前髪から垂れてきた雫を袖で拭った。
「君たちは籠の中の鳥だ。自由もなく最低限の餌を与えられるだけで、消費させられている。そんな生活に耐え続けていく必要はない」
「籠の中なら鷹に襲われる心配は無いけどね。三食出てくるし」
クロウは腕を組む。口をギュッと噤んで少し何かを考えてたかと思いきや、腕を伸ばしてくる。
「ちょ、ちょっと何する気? いきなり発情でもした?」
左手首を掴まれたガレキは非難の声を出す。
「済まないが、左腕を見せてくれないか?」
「なんで?」
「いいから」
「その手を離してくれないと服が脱げないんだけど?」
「済まない」
クロウに手を放されたガレキはブラウスを脱ぐ。
「いや、袖を捲ってくれるだけで良かったんだけど」
「どうせ、右腕も見せろって言うと思ってね」
ガレキの両腕は美しいラインをしていた。スラリと細く、だからと言って痩せているだけとは違う無駄のない筋肉でできている。自傷行為や注射の跡などもなく、至って健康的な腕だ。
「ありがとう。良かった。ここで麻薬が使われているって噂は単なる噂で嘘だったんだな」
クロウが、ふぅ。と溜息をつくと、ガレキはクスクス笑いながらブラウスに袖を通す。ボタンは留めないままだ。
「何だよ。確かに俺は君と知り合ったばかりだが、君の健康の心配をするのがおかしいのか?」
「違うって。私、アレルギーがあって麻薬が駄目なんだよ。小さい頃、大きな手術をしてね。それ以降、アレルギーになっちゃったっぽいの」
「それじゃあ……」
「私以外は使ってるよ。そこで寝ているユリィも」
ガレキの視線の先には二段ベッドがあり、下のベッドの布団は膨らんでいる。
「ここ、二人部屋なのか?」
「以前は四人で住んでいたけど、今は二人」
クロウは声を小さくするが、ガレキはちっとも気にしていない。
「電気をつけたり話したりして起こさないか?」
「この時間はいつもこう。ラリって寝てるからそう簡単に起きたりしないよ」
ガレキの返答にクロウは目を細めて睨みつけてくる。
「どうしてそんなに冷静で他人事なんだ。麻薬が人にどんな悪影響を与えるか知らないのか? それとも、自分がやっていないから関係ないと思っているのか?」
「あのさ、あんたこそ何を見てきたって言うの? わかったように説教をしてくるけど、ここで長生きすることがどれほど辛いことか知ってるの? 麻薬でハッピーになって満足して死ねることの何が問題だって言うのさ!」
ガレキが睨みつけると、クロウも目を逸らさずに睨み返してくる。数分間、お互いに言葉を交えずに険しい顔のまま。このまま朝になるまで続くかと思いきや、先に折れたのはクロウだった。
「名前、聞いていいか?」
「ガレキ」
ガレキはぶっきらぼうに答える。
「本名か?」
「さぁ。それ以外の名前は無いし、本名かどうかを証明するものもないね」
「名字は」
「知らない」
「そうか……」
「自分で聞いて泣きそうな顔になるなよ」
ガレキが吐き捨ててもクロウは返答をしない。唇をギュッと結んで目を閉じるとズボンから財布を取り出す。
「金なんか要らない」
「勘違いするな!」
クロウの強い口調に、ガレキはビクッと反応をする。
「済まない。俺はここを調べるのと同時にこの少年を探している。見たことはないか?」
財布から取り出された紙を開くと、可愛らしい男子が印刷されていた。
「見たことあるような無いような。でも……」
「十五年前の写真だ」
「そんな昔の写真を見せられても。それにここには男はいないよ」
「そうか。変なこと聞いて悪かったな」
クロウが立ち上がろうとすると、ガレキは手を伸ばして動きを止めさせる。
「朝までは休んでいきなよ。酷い状態っだったし。体が大丈夫ならシャワーでも使っていいから。あ、ベッドは駄目だけどね。ソファーならいいよ」
「ガレキ、どうして、見知らぬ俺なんかにそんなに親切にしてくれるんだ。今だって、俺が君に襲いかかるかもしれないのに」
「死にぞこないに襲われるほどヤワじゃないって。ま、それほど元気があるなら、死なれるよりいいけどね」
ガレキが微笑むとクロウも笑顔を見せる。二人が理由もわからずに笑っていると、ベッドの方から物音がした。
「騒がしいわね」
女性が寝巻き姿で立ち上がっていた。目を擦りながら、何かを話そうと口を開いた瞬間、乾いたガラスが割れる音が響く。と同時に、女性は血を吹き出しながら二人の方へ倒れ込んできた。