1-04 転移、のち檻の中
ひょんなことから異世界転移した渡会幸也。
プレーリードッグに似た巨大な生き物に囲まれていたと思えば、ホラー映画にでも出てきそうな化け物が飼育員だと言う。
出口を求め水路を行く幸也だったが、この世界で外に出たとて生き延びられる自信はない。
檻からの脱出を狙う生き物たちを味方につけ、行動を共にする方が生存確率が高いと考えた幸也は、すぐさま行動に移った。
高度に発達した化け物の施設を調べるうちに判明する異世界転移の理由。
一筋縄ではいかない囚われの生き物たち、襲い来る化け物、改造された生き物の成れの果て。
果たして幸也は元の世界へ戻れるのか…!
立ちくらみ、だったと思う。
仕事からの帰り道、自販機でコーヒーを買おうとした。電子決済できないタイプのものだったから、たしか小銭を入れっぱなしにしていたな、とポケットに手を突っ込んだ。お目当ての小銭を探りあてたものの、上手く取り出せず、百円玉がチャリンと地面に転がってしまった。溜息を吐きながらそれを拾って、立ち上がって……ぐらりと地面が揺れるような感覚に陥ったんだ。
「え?」
夜だったはずなのに、眩しかった。
突然の明るさに思わず目を閉じた俺を、なにかたくさんの大きなものが取り囲んでいる。取り囲んでいるなんてもんじゃない。さながら満員電車のごとく、ぎゅうぎゅうと押されている。
それでも不快感より多幸感が優ってしまうのは、それらがすべてもふもふだからに他ならなかった。しかし、だからといって訳の分からない状態であることには変わりない。
「なんだぁ?!」
何とか腕を引っ張り出して光源を遮りつつ目を開けると、飛び込んできたのはやはりもふもふ。毛むくじゃらのなにかだった。
草の匂いと、獣臭さ、そしてもふもふ。プレーリードックに似た巨大な生き物が、俺を尻でおしくらまんじゅうしている。
このままでは窒息してしまいそうだと、もふもふをかき分けて隙間を探す。幸運なことに、歩き出して割とすぐにもふもふまんじゅうからは抜け出すことができた。
「もふもふ、しておらんな……」
「は?」
尻と尻の間から抜け出した俺の前に、一際大きなもふもふが立っていた。やはりプレーリードックに似ているが、開いた口からは鋭い牙が覗いている。
今、しゃべったか?
「え、しゃべ……ってる?」
「しゃべるぞ。必要な時はな」
背後でもふもふしている彼らも?と指を差せば、巨大なもふもふはこくりと頷いた。
「お前、何者だ? ここは檻、だのにお前は突如として現れた」
「いや……えっと……俺も何が何だか……。俺は、人間だ。渡会幸也」
「ニンゲン……ワタライ……私はプレーモーグのジルだ。ここの群れの長をしている」
「プレーモーグ……? なぁ、ここはどこなんだ? 映画の撮影とかじゃないよな……あなたたちみたいな生き物なんて知らない!」
「ここは……む、いかん」
突然、ジルの手が俺を掴み、自分の腹の下にぐいと押し込んだ。何事かと混乱して暴れると、落ち着かせるようにぽんぽんと背中を叩かれた。
「すまんが、静かにしていてくれ。殺されたくなければな」
聞こえてくる物騒な単語に耳を疑う。ガチャガチャという金属音が聞こえ、どうやら檻の中になにかが入ってきたらしいことが分かった。檻、ということは、飼い主だろうか。しかし殺されるというのはどういうことか。
《新シク産マレタ個体ハイルカ?》
《見タトコロ……イナイナ》
《フム……アノ母体ハ……マダ産マレンカ》
《アト二日ハカカリソウダ》
《ヨシ、戻ルゾ》
《餌ハ入レタカ?》
《マダ餌ノ日デハナイ》
《ソウカ》
耳が割れそうな気味の悪い声。超音波にも似た音が響き、俺はジルの手と腹の隙間から様子を窺った。
(…………?!)
そこには、巨大な人型のなにかがいた。
かろうじて人型ではあるものの、どこからどう見ても人間ではない。幾つもの小さな目玉が頭部を覆い尽くし、それらが不規則に周囲を観察している。鼻がある高さには一周ぐるりと細い触手のようなものが生えていて、その無造作に蠢く触手のせいで口があるかどうかは分からなかった。
宇宙人じみたやけに長い腕に脚、ヘドロがこびりついたような身体。手と足には五本の指が生えていたが、それも指とは言えない異様な長さをしており、先端には吸盤のようなものが付いていた。
(なんだ、なんなんだここは……!)
ジルが四メートルほどだとしたら、人型の生き物は五十メートルはあるのではないかと思えるほどで。俺は身体が震え出すのを止めることができなかった。
「行ったか……。あれは飼育員だ、ここは動物園なのだ。柔らかな体毛を持つ生き物を集めた動物園」
「どうぶつ……えん……」
「そうだ、我らは見せ物にされている。最低限、死なない程度の世話をされてな」
餌の日ではないと言っていたが、餌場らしきところは空っぽだった。糞尿の掃除はほとんどされていないと言ってよく、確かに劣悪な環境に置かれているらしい。
それでも毛並みがいいのは、正気を保つために複数のプレーモーグがお互いを毛繕いし合っているからなのだと。
「時折、体毛を持たない個体や、薄い個体が産まれることがある。そうすると、ヤツらはその個体を取り上げるのだ。生きて戻ってきた試しはない。だからお前も、見つかればどうなるか分からん」
「そんな……」
「幸い、お前は小さいからな。換気口か用水路から出られるはずだ」
そう言われ、室内を見回す。高い壁とガラスに囲まれた部屋の天井は高く、換気口にはどう頑張っても届きそうになかった。
「換気口は無理だ、高すぎる」
「なら、水場のところにある用水路から行くといい」
「……ありがとう」
チョロチョロと水の流れてくる壁に開いた穴。給水口と呼んでいいのかも分からないくらいに粗末なそこに、手を掛けてよじ登る。さほど綺麗でもない水が靴やズボンに染み込んでいくのを感じながら、先へ進んだ。
どんどん身体が冷えていくのを感じる。いくつか給水口らしき穴を見つけてその向こう側を窺ってみたが、どこもガラスに封じられた檻であり、その中にいる動物たちはほとんどが俺に気付いてもすぐに目を逸らして寝てしまう。
歯を食いしばって歩き続けていると、超音波に似た声が聞こえてくるのに気付いた。反射的に足を止める。このまま進んで平気なのか?
しかし、分かれ道はなかった。出口も。ならば進むしかない。
やつらに気付かれないようにすればいいだけだ。大丈夫。
俺は水音を立てないように慎重に歩を進めた。
可能な限り息を殺し、バレない内にさっさと通り過ぎてしまおう。
そう思ったのに中の様子を窺ってしまったのは、無数の悲鳴のような鳴き声が響き渡ったからだった。
見える範囲は広くないが、タイル張りの床は血まみれだった。汚れたチューブや注射器のようなものが散らばっている。
《効果ハアッタカ?》
《コッチハ無イヨウダナ》
《昨日、体毛ノ生エタ個体ハドウナッテイル》
《今モ同ジ薬剤ヲ投与シテ様子ヲ見テイル》
ピギィィィィァァァァァァァ……
《素体ノ無駄使イハスルナ》
《薬剤ノ投与記録ヲシ忘レタ奴ガイル》
《全体ニ通達シテオケ》
《肉ハ喰エル、内臓ダケ処理シテオカナイト》
風切り音が聞こえたと思うと、床にべちゃべちゃと内臓が撒き散らされた。俺の足元から流れる少しの水が、大量の血液に押し戻されて赤に染まる。
むわりと鼻を掠める生臭さに吐き気がして、俺は用水路を這うように進んだ。歯と歯がガチガチと音を立てそうになるのを必死で堪え、彼らに音が聞こえないだろうというところまで逃げる。
「う、おぇぇぇ……っ」
気分が悪かった。信じたくなかった。けれど聞こえた悲鳴は本物だったし、血の、鉄の匂いも本物だった。俺も、見つかれば何かの実験に使われるに違いない。
そして、死ぬ。
怖い。怖い。どうして俺はこんなところに。
水の流れる用水路を進んでも、その先に何があるかも分からない。普通に考えれば、あの化け物みたいなやつらが人間のような顔をして至る所で生活し、動物たちを捕らえては食糧にしたり飼い慣らしたりするのだろう。そんな世界に俺一人が放り出されたところで、果たして生きていけるのか。
同じような境遇の生き物なんている訳がない。俺はただの三十路のサラリーマンで、サバイバル経験だって全くない。
無理だ。一日と経たずに死ぬ未来しか想像できない。
自然と歩みが遅くなる。どこに向かえばいいのかも分からず、目の前が真っ暗になっていく。
「…………限界だ、俺は一人でもやる」
「無茶だ、すぐに殺されるに決まってる」
「あいつらの中でも小柄な個体がいるだろう、そいつが一人で来た時を狙えば」
耳に飛び込んできた会話に、思考が浮上していった。
声を頼りに進むと、少ししてライオンに似た大型動物の檻を見付けた。首輪を嵌められ、壁に鎖で繋がれた一頭は鋭い牙を剥き出しにして唸り声を上げる。その個体を宥めるように会話をしている個体も、ふわふわとした体毛の下に逞しい筋肉の感じられるしっかりとした二足歩行をしていた。
「いつも二人一組で来る、無理だって」
「二人いてもいい、俺がヤツらを無力化するところを見たら、お前らだってやる気にならないか?」
「それは……そうかもしれないが……しかし、そもそもお前は鎖に……」
もしかしたら。
光明が差し込んだような気がした。
彼らだけでは無理かもしれない。しかし、俺が手伝えば?
彼らだけでなく、他の動物たちも同時に事を起こせたら?
ここに捕われている動物たちがみな外に出ることができたなら。そのうち、俺を一緒に連れて行ってもいいと言ってくれる動物がいたなら、俺の生存確率は今よりもはるかに高まるのではないか。
俺はライオンに似た彼らの檻に足を踏み入れた。
そして、叫ぶ。
「そ、その話、詳しく聞かせてくれ!」
四つの大きな瞳が、俺を見下ろした。