1-24 治癒魔術事始
【治癒魔術事始(ちゆまじゅつことはじめ】
偉大な治癒術師として知られる家系に生まれたカーデルは、その治癒魔術が不完全である事から周囲から陰口を叩かれる日々を送っていた。魔術の技術は高く傷跡一つ残さない精度なのであるが、魔術の威力が低すぎるの。体内の患部まで魔術が届かず、風邪一つ治せないのである。
だが、ある日他の治癒術師がいない診療所に、酷く内臓を損傷した患者が運び込まれた時、カーデルはその命を救うため新たな治療法を編み出したのであった。
治癒術師という職業がある。
治癒魔術は古来より神に仕える神官たちが行使する神聖魔術の一つであった。それを「治癒魔術の祖」と称えられる偉大なる治癒術師のカーデル一世が神聖魔術から分離させる事に成功したのが百年程前だ。
これは画期的な事であった。神聖魔術は神を強く信仰する事でしか行使できない。そのため魔術に素質がある者であっても、信仰が強まらない者は如何ともしがたい。このため、貧しい民衆まで癒しの手は中々及ばなかったのである。
だがカーデル一世は魔術の原理を解き明かし、信仰心の薄い者も治癒魔術を修得できるような理論を編み出したのであった。
これによって、治癒術師は爆発的に増えた。各地から志ある者はこぞってカーデル一世に教えを乞いに駆けつけ、カーデル一世もまた惜しみなく、国や種族を差別せず分け隔てなく教授したのであった。
カーデル一世の子孫もまた優秀であった。
カーデル二世は、詳細な診断によって病原を突き止める事で、治癒魔術の効果を飛躍的に促進する事を解明した。
カーデル三世は、薬草学を併用する事で、治癒魔術単独では治療できない病気や怪我を治せる事を見出した。
現代において治癒魔術の権威と自他共に認めるカーデル四世は、解剖により臓器、血管、神経、筋肉等の仕組みを理解する事が、治癒魔術の手助けになる事を発見したのだ。人体には魔力が流れている。これは悪しき魔術から身を守るのに役立っているのだが、実は治癒魔術も無意識のうちに防いでしまうのだ。だが。人体の仕組みを理解する事でピンポイントで治癒魔術を送り込む技術が開発された。これで魔術の出力が大きくない未熟な治癒術師でも活躍できるようになったのだ。
そしてカーデル四世には一人息子がいた。彼は幼少時から優れた学習能力を示し神童と呼ばれ、長じれば一族の名に恥じない偉大な業績を上げるだろうと期待されていた。
だが、成人する頃には完全にその評価は覆っていた。
「今日は暇だな」
カーデルは医学書を読みながら呟いた。カーデルがいるのは、デルネ村の診療所の一室だ。春の日差しが差し込み、勤務中でなければ昼寝でもしたいところである。
診療所は治癒術師を養成するボーネル王立治癒魔術大学が、地域の医療のために治癒術師を派遣して運営している。治癒術師は民衆のためにその人生を捧げよというカーデル一世の理念に基づくものである。ここには大学で一通りの治癒魔術を修得した若者が、現場を知るために送られてくるのである。
普段は大学に併設されている診療所で働いていたのだが、今週は診療所に派遣されていた先輩の治癒術師が法事だというので代行をしていたのであった。カーデルの一族としてはぞんざいな扱いだ。
カーデルは幼少の頃から優れた学才を見せ、魔力量も生まれつき並外れており治癒術師としての成功は間違いないと目算されていた。
だが大学に進み、治癒魔術の実技の段階に入ってからその評価が一変した。治癒魔術の威力があまりにも弱すぎて、碌に怪我や病気を治す事が出来なかったのだ。
魔術や医学の理論は完璧であり、治癒魔術の技術も確かであった。普通の治癒術師なら一生残ってしまうだろう酷く荒れた傷跡も、跡形も無く癒してしまう事が出来る。だが、少しでも思い傷や病気では話が別だ。治癒魔術の出力が弱すぎて患者の魔力抵抗に阻まれ、体内の病原体を消し去ったり臓器を治す事は出来なかった。切り傷も、一人前の治癒術師ならものの数秒で治してしまえるのにカーデルは何分間もかかってしまうのである。風邪ですら治す事は出来ない。
本来この様な有様では大学を卒業する事は許されない。だが、一応学力は抜群であるし、治癒魔術の技術精度自体は優れている。だから卒業は許されて大学の診療所で修業を積んでいたのであった。
傷跡を残さない治療が出来るため、ご婦人がたには大変好評である。顔など目立つ場所に傷跡が残る場合、結婚や就職に差し障りがあるため人々のためにはなっている。だが、生命に直結する治療ではないため、口さがない同僚は「美容術師」などと陰口をたたいているのはカーデルの耳にも入っている。また、大学を卒業できたのは親の七光りだともだ。そして本来なら大学を卒業と同時にカーデル五世の名乗りを許されるはずなのに今だそうでないのは、一族の後継者として認められていないからなのだと。
本当の事なので何とか状況を打破したいと色んな修業をしているのだが、それは今のところ身を結んでいない。少し心が挫けかけていた頃、デルネ村に臨時勤務としてやって来ていたのである。
「大変です! ヘンゾの奴がオーガに襲われて、何とか撃退したんですけど殴られて大怪我を!」
診療所に大慌ての村人達が駆け込んできたのは、もうそろそろ診療所を閉めようかと思っていた頃だった。
カーデルの顔色が変わる。オーガは人間の倍はあろうかという巨人である。知性はあまり高くなく性格は極めて獰猛だ。家畜か人間でも食らいに来たのだろう。そして村人や家畜を守るためにヘンゾは戦ったのだ。彼は村の自警団に所属している若者で、正義感や責任感が強く若者達のリーダー的存在であった。騎士でも手こずるオーガを撃退したのであるから、たかが村の自警団とは思えない戦果である。だが。死んでしまってはおしまいだ。
「早くここに通してくれ! そこの君は湯を沸かしておいてくれ!」
「はい!」
カーデルは素早く村人達に指示を出した。だが、その心中は逆巻く荒海の様に揺れていた。オーガはとてつもない怪力だと聞いている。その怪我は並大抵のものではあるまい。果たして今の自分で助けられるだろうか。
「先生、お願いします!」
「これは……」
診療所に運び込まれたヘンゾを見て、カーデルは思わず息をのんだ。難しい状況である事が一目で分かったのだ。
先ず、殴りつけられたらしい腹部は、服が襤褸切れになって素肌が覗いている。そこは青黒く変色しており酷い打撲である事が一目で分かった。これは何とかなる。出力の弱いカーデルの治癒魔術であっても肌に直接触れて魔力を粘り強く送り込んでいけば、時間さえかければ回復できる。
腕にも大きな切り傷があるが、これも傷口に直接触れて魔術をかければ次第に塞がっていくだろう。カーデルは保有する魔力自体は人並み外れているのだ。普通の治癒術師ならこれだけの重傷を治す場合途中で魔力が枯渇する可能性があるが、カーデルにその心配はない。
だが、口からの吐血、これはいけない。内臓が傷ついているためだろう。恐らく腹を殴られた時に臓器が損傷したのだ。胃袋などの消化器系がやられている。
臓器が収まっている体内は、魔力抵抗が極めて強い。カーデルの魔力が届く事は無いだろう。大学を卒業した治癒術師なら、問題なく治癒魔術で効果を上げる事ができる。例え魔力量から完全に癒す事が出来なくとも小康状態にまで回復させる事は出来る。そして一休みして魔力を回復させてから、段階的に治療すれば完治出来るだろう。
だが、カーデルには無理な話なのだ。
(どうする。今から大学に人を呼びに行くか? いや、間に合う訳が無い)
カーデルは悩んだ。ヘンゾは最早浅い息しかしておらず、意識は無い様だ。暴れられない事は治療には良いのだが、このままではすぐに息絶えるだろう。心配そうな村人がカーデルの方を祈るようにして見ている。
(ダメもとで治癒魔術をかけ続けるか? でも、臓器の損傷部分まで魔術が届くわけが無い。直接触れられるところなら、魔力抵抗を受けずに治療を出来るのに……ん?)
どの様に治療すべきか無言で悩むカーデルの脳裏に、ある一つの考えが浮かぶ。それは、今まで誰もやった事の無い治療法である。
「君、ナイフを持っているか? 貸してくれ、小さくて切れる奴が良い」
「は、はあ? 持っていますが……」
「ありがとう、これから血が沢山出るから、布でふき取ってくれ、中が良く見える様にな」
「どういう……何を!?」
ナイフを受け取ったカーデルは、一気にヘンゾの腹部を切り裂いた。そこから血が大量に噴出してくる。この惨劇を見ていた村人の何人かが卒倒する。
「早くふき取ってくれ、損傷した内臓の場所が見えない」
「よく分かりませんが、ええい、信じますよ!」
村人の助けでヘンゾの体内に溜まっていた血が拭き取られ、中身が見えて来た。カーデルがやろうとしている事、それは体を切り裂いて直接損傷した臓器に治癒魔術を駆ける事であった。体内に納まっている時は魔力抵抗により弱い魔術は阻まれてしまうのだが、外に出してしまえば話は別である。
「やはり、胃袋が破裂していたか。だが、直接見えていれば問題ない。絶対に直してやる」
強い打撃による胃袋の破裂は、複雑な損傷である。だが、カーデルの治癒魔術は威力は弱くとも精度は世界でも有数だ。数分もするうちに健康な状態に修復される。
「後は傷口を治してしまえば……」
内臓の治療を終えたカーデルは、ナイフで切り裂いた腹部を治癒魔術で閉じていく。一般的な治癒術死なら一瞬で塞ぐであろうが、カーデルの威力では薄皮を一枚一枚重ねていくようなものだ。だが、着実に塞がっていく。
「これで、完了だな。意識が戻ったら。栄養のある物を食べさせてやってくれ。傷は全部治したけど血が足りないはずだからな」
一時間ほどして、カーデルは全ての治療を完了させた。傷跡もなくすっかり元通りになり、村人達も驚きの表情を隠せない。
だが、一番驚いているのはカーデル自身であった。まさか、この様な手段があるとはつい先ほどまで予想もしていなかったのである。
これが、後世「新世代医学の祖」と称えられるカーデル五世の初の手術であった。





