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1-15 じゃじゃ馬辺境伯夫人の幸せな日々

 第四王女ながら母の暮らす領地で自由奔放に生きてきたイレーネ。

 馬好きが高じて軍馬を育成する厩舎に入り浸るイレーネの先行きを心配した両親は、デビュタントと共に隣国アルタスの辺境伯と婚約させることにする。


 もちろん彼女は大反対! 淑女教育を抜け出し向かった厩舎で出会ったのは、偶然にも軍馬を見にきたアルタスの辺境伯ラインハルトだった。


 王女の身分を隠して平民として接するイレーネに、ラインハルトもアルタスの騎士として誘う。


「調教の為にアルタスに来ないか? ここの馬が慣れるまででいいんだ」


 慣れ親しんだ馬の為、まだ見ぬ婚約者の様子を見る為、イレーネは大きくうなずく。


「祖父と母に頼んでみる。でもダメだっていわれたら、こっそりついていくね!」


 見習い調教師として隣国にいくじゃじゃ馬イレーネの手綱を面白そうに握るラインハルトの恋物語、始まります!




 そおっと緑の垣根の下から首を出したイレーネは、右に左に視線をめぐらす。

 春の温かな日差しの下、見渡した側道に人の気配はない。

 それを確認すると翠色の大きな瞳はきらきらと輝き、口元はにんまりと笑みを浮かべた。


「よし、今日はだいじょうぶ!」


 肩でそろえたふわふわの金髪をなびかせながらイレーネは垣根を飛び出した。

 サスペンダーつきのズボンは走りやすい。側道をこえて林の中のひみつの獣道を抜けると、細長い厩舎が見える。


 イレーネは柵の下をくぐり馬房を覗くと、馬たちは飼い葉を食べていた。


「こんにちは、ルース、今日もハンサムね。ルイーザはたくさん走ったの?」


 刺激しないよう小さな声で話しかけると、ルースはふんっと鼻にかけたような息を吐き、ルイーザは柵の近くに寄ってきた。


 ここは軍馬を調教する厩舎で、イレーネの数少ないほっとできる遊び場だ。午前の調教が終わった所なのだろう、馬房の中で馬たちもくつろいでいる。


「ルイーザ、ブラッシングしていい? ちょっとだけだから」


 イレーネは声をかけながらブラシを取ろうと振り向いた所で、ぎくりと身体をこわばらせた。


「また来ちゃったんですか、イレーネ様」

「ネイト」


 腰に手を当て、首を傾けている青年はここの調教見習いをしているネイト。屋敷を抜け出してくるイレーネを見逃してくれたり密告したりする、敵とも味方とも言えない人だ。


「デビュタントが近いとお聞きしましたよ? こんな所に来ている時間はないのでは?」

「作法は一通り覚えてるしダンスのレッスンもしたもの。だいじょうぶだもん」

「でた、イレーネさまの『だもん』。こりゃ今日は連絡しなきゃだなぁ」

「なんで?! やることやってきたもん、みんなのブラッシングするの!」


 ネイトは馬用の水を換えながら肩をすくめた。こうなったらてこでも動かないイレーネなのである。


「連絡は一時間後にしてあげますから、気が済んだら戻るんですよ? こちらも今日はお客さんがいらっしゃるのであまりお相手ができないですし」

「お客さん?」

「ええ、隣国の方だそうで」


 隣国、と聞いた瞬間、イレーネの顔がひくっと引きつった。


「アルタス? それともリード?」

「アルタスの方です」


 イレーネは、まずいという顔をした。


 イレーネが暮らしているノルダン国ラース領は温暖な気候と広い草原で覆われている良馬の産地で、中でも領主直轄のこの厩舎は駿馬に調教できると国内外でも有名だ。


 まれにこうして隣国の人が見にくる事はあるが、イレーネにとって、北のアルタスからの訪問者と相対するのはあまり、いや、かなりよろしくない。身バレしたら間違いなく、屋敷どころか部屋からも出られなくなる未来が見える。


 帰ろうか迷うが、どちらにしろこの機会を逃したらしばらく馬たちと触れ合えない生活になる。そう思うとイレーネの決断は早かった。さっとブラシを持ちながらルイーザの馬房に入る。


「ネイト、私は今からファームの下働きね。よろしく」

「はぁ、いいですけど」

「あとお客さんをなるべくここに寄らないようにしてほしいのだけど」

「それは無理ですね」

「どうして?」

「ルースとルイーザを見に来ますので」


 イレーネが息を呑むと同時に馬房の外の気配が変わった。声を抑えながら何人かが馬舎に入ってくる。

 イレーネは馬の身体に隠れるようにしながらブラッシングを始めた。


「ここにいるのはまだ一歳馬で育成中です。軍馬として仕立てるには後一年ほどかかりますが」

「ああ、わかっている。若馬の状態でどれほどなのか見たかったんだ」

「さようで」


 筆頭調教師のジダンが緊張した声を解いた。育成前の新馬を無理に連れて行く人ではなさそうで、イレーネもほっとする。


 この子たちの良き主人になりそうな人はどんな人なんだろう。落ち着いた声色だから、同年代じゃなさそうだけど。


 イレーネは丁寧にブラシをかけながらも父から言い渡された事を思い出していた。


 イレーネがデビュタントに合わせて北の大国アルタスから婚約者が来訪する旨を聞いたのは半年前。


「婚約?! デビュタントと共にですか?!」

「おかしくはないだろう、成人するんだ、すぐに婚約者がついても問題ない」

「わたし、全然そんなつもりないのにっ」


 イレーネがノルダン国第四王女として初めて王宮に登城したのは十一の時だ。母サーネは父ジョセフの手付きとなったが、訳あって側妃の位を返上して故郷ラースへ戻った所、懐妊の印があり出産。


 サーネはジョセフとのやり取りの中で、可能ならばラース領でイレーネを育てたいと願った。

 ジョセフとしても正妃や第二側妃との間にニ男三女をもうけており、政治的に利用するにも遠い娘なので、デビュタントまでラース領預かりとする事を了承したのだった。


 以来、イレーネはラース領領主の孫娘としてのびのびと育った。あんまり自由すぎて淑女教育が滞ってしまっているのが両親の目下の悩みだ。


「そもそも私は王女はおろか淑女としての気品や教養を兼ね備えていませんっ、そんな娘と婚約する人なんかいますか!」

「お前っ、自分で言っていて悲しくないのか!」

「これっぽっちもっ! だってこれがわたしですもの」


 ふんすと細い腕を組み小ぶりな鼻をつんと立てた娘に、とうとうジョセフのこめかみに青筋が走った。


「このじゃじゃ馬めっ! だが婚約は破棄しないっ。これはアルタス国との同盟に不可欠な条約条件、王命である!」

「っ!」


 イレーネは顔を真っ赤にした。翠色の瞳を目一杯開きながら、皺がよるほどドレスを握りしめる。


「王命でもなんでも! わたしはわたしらしく在ります! それを受け入れてくれる人じゃないと、お嫁にはいきませんっ! そのようにお伝えくださいませ!」

「待てっ、イレーネっ!」

「まちません! 御前、失礼しますっ」


 申し訳程度に裾を掴んで膝を曲げると恐ろしい勢いで執務室を出ていったのだった。


 あれからラース領に戻ったイレーネに、父は何も言ってこない。とにかく会ってから、などと悠長な事を思っているのかもしれないけれど。


 会うもなにも、わたしだって相手の方がどんな人なのかわからないのに。


 アルタス国ルクスガルド辺境伯ラインハルト・フォン・バルトウィン。アルタス国国王の三男であり御年二十六。辺境伯を務める傍ら第六騎士団団長であり、二年前にノルダン国が攻められた際にはノルダン・アルタス・リードと三国共闘をして武勲を立てた騎士でもある。


 手元に届いた簡素な釣書からはその程度の情報しかなかった。


 バレないように、アルタスから来たお客さまにバルトウィン卿の人となりを聞いてみようかな。


 視察にきているアルタスの方々は隣のルースの馬房に入っていた。見たことのない人の気配に気性の荒いルースは鼻息を荒くして抗議している。


「ドゥ、ルース。落ち着くんだ」

「いや、我々が出よう。機嫌を損ねたようだ」


 ルースを抑えようとするジダンに対して、アルタスの騎士は馬に無理をさせないよう声をかけている。イレーネはうなずいた。


 馬好きな人に悪い人はいない。


「騎士さま、ルースは鼻息が荒い子ですけど、仲良くなればよく走る馬ですよ」


 ルイーザの馬房からひょいっと頭だけだしてイレーネは会釈する。


 ジダンの頭ひとつ分大きな騎士達の中でも、とりわけ身体が一回り大きい人がこちらに顔を向けた。切長の水色の瞳がこちらをじっと見る。短く刈り込まれた銀髪が差し込まれた日に当たって、鈍く光っていた。


「イレ!」


 目を見開いたジダンにイレーネは視線で「こちらに合わせて」と懇願すると、ジダンは開いた口を即座につぐんでぐっと眉をひそめた。イレーネも口元だけでニコッと笑う。


「ほう、この国は女性でも厩舎で働くことができるのか」

「……この子は馬好きの近所の娘さんで、時々手伝いにきてくれるのです」

「それは素晴らしい心がけだな。さすが良馬を産むラース領だ」

「おじさん、ルイーザは大人しいから触らしてくれるよ、こっちにきて?」

「お、おじ」

「イ、イレ! 失礼だぞ!」

「いや、お嬢ちゃんからすれば私のような年の者でもおじさんだろうな」

「おじさんこそ失礼ね、わたしはもうすぐ十六! 立派なとは言わないけど大人よっ!」


 本当に? と無言でジダンに確認するアルタスの騎士に、ジダンは申し訳なさそうに首をゆっくりと縦に振った。


「イレ、と言ったか。失礼した。では、レディ・イレと呼ぼうか」

「レディぃ?! あの、イレで結構です。わたしもごめんなさい、嫌なこと言われるとすぐ頭にきちゃうの」


 謝りながらもぷくっと頬を膨らませて腰に手を当てているイレーネの姿に、ジダンは目を伏せ、ネイトは額に手を当てて俯く。


「ははっ! わかるよ、私は息を潜めてしまうな」

「え? 怒るのではなくて?」

「うん、どちらかというと静かになるかな?」

「へー、珍しい怒り方ね」

「ああ、だからあまり怒らないようにしている」

「そうなの?」


 わたしはついつい怒っちゃうなぁ、なんてつぶやいているイレーネの目の前に、大きな手が差し出された。


「もしよければ、この馬たちの事を教えてくれないか? 何が好きで、何が気に入らないとかでいいんだが」

「もちろん!」


 ぱぁっと目も口も開いて笑ったイレーネを見て眩しそうに目を細めた騎士は、掌にのった華奢な手をひじに回して厩舎を出て行く。


 その立ち振る舞いは完全に上位貴族に対するエスコートであり、バレたな、とジダンはネイトに目配せをするのであった。

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