異常な男
薄暗い部屋の中で照明がチラつく
『どのくらいこの状態だったんだ?』
ボードを片手に凛と立った女医が応える
『丸一日はお眠りでしたよ 時々苦しそうにもしておられましたが、大丈夫でした?』
『まぁ、気分は良くない
気持ちのいいものではなかったからな』
世界中から軽蔑の目を向けられているような思い込みで脳が一杯だった
『被験者の記憶は遺族の意向で寄与されました
気持ちを少しでも理解し供養に役立てて欲しいとか』
『そうか、まぁ壮絶だったよ かなり飲まれそうだった』
女医は笑って答える
『そのまま被験者の禍根に引き摺られて植物化した例も沢山あります
貴方は強い意志を持っています
だから戻ってこれた』
後頭部にへばりつくヘッドギアが変な機械音を鳴らして外れる
『もう10分したら迎えのチームが来ますので
ゆっくり休むなりして下さい』
女医は颯爽と部屋から出ていった
彼と自分の意識が統合されていた状態から徐々に主導権を取り戻せていることを実感できる
体に筋力も戻ってきた
ビッタリへばりつくようだったイスから立ち上がりバスケットに放り込まれた服を手に取り着替える
イスから伸びたケーブルが繋がる部屋の中心部に配置されたコンピュータから出る大きな排気音で気分が落ち着かない
施設そのものは静寂な分コンピュータから奏でられる音が空気としてまとわりつく
風の音も無いのでちょっとした音も目立つ
向こうから小さな音が規則的なテンポで近づいてくる
足音だ
音が久しい感覚になり
一歩一歩近づいてくるのを心待ちにしてしまう
『おーい 終わったんならアクションよこせ
女が歩いてったが、この部屋から出て行ったしお前の担当じゃないのか?
おい 起きてんだろ おい』
男が部屋に軋むような規模のノックをかける
印象的な声で誰かを思い出した
この仕事を頼んだ人物だ
『終わったよ
もう出るから待ってくれ』
『ちゃんと戻ってこれたのはお前が久しぶりだ
見込んだ通りだ
とりあえず急げ』
『チームが来るとかなんとか言われたけどアンタについていっていいのか?』
『何言ってんだ
それじゃ意味ないだろ
コンピュータのusbメモリあるだろ
それ抜いて早く出るんだ』
『分かったよ』
無機質なコンピュータに挿入されたメモリを抜き出す
『松田くん、まだ現世に付き合ってもらうことになりそうだ
俺だってやりたくないが運の巡り合わせってやつだ
ちょっと連れてくぞ』
『おいまだか
ブツブツ言ってないで早くしてくれ
奴ら来ちまうだろうが』
『今行く ……開かないぞこのドア』
『鍵探せ
マジで早くしろ
メモリがないと意味ないんだぞ』
『実を言うとアンタが怪しいんだ
簡単に渡していいものか
この施設から出てお互い真っ当な状態で行おう』
『しょうがねぇな…
なら後でいい
隠し持ってここから出た後寄越せ
忘れてねぇよな』
気が落ち着かない
記憶の中ではあるがあんなことがあってなおバタバタさせられるのが苦痛だ
ガチャリ
暗がりから女医が潜り込むように入ってくる
『どなたですかあの方は
知り合いですか?
知り合いなら契約する時などに教えていただきたかったです
色々手続きがややこしいデリケートな事柄なので』
『いや、全く知らない人です
別の希望者じゃないの?
それより、チームってのにお世話にならなくても俺は 出ていけるよ』
『なら良かった
彼の記憶はどうでしたか?
まだ残ってたりします?』
『無いよ、もういいかな、いい経験になったよ
悪趣味なんて言って悪かったね』
『私はあくまで医師として皆様の反応をデータとして集計して社会への還元材料にしてるだけです
よりよい社会のために』
記憶がおぼろげだ
なんでこんなことをやってるのかが分からない
『この後どうしますか?』
『それ、俺に聞くのかい?
この施設でこんな事してるのはアンタだろう
手取り足取り教えてくれよ』
この女医、そういえば何もしてない
最初から
チームはなぜこない
コイツが俺にヘンテコな手術をしたから今こんな状況に
唯一した事があるならこの状況を作ってるって事だ
『被験者の方は病気だったんです
統合失調症
思い込みが激しいんです
彼は学校でいじめられている訳でも悲しい人生を送っている訳でも無い
勝手に自分で世界を作りその中で死んだだけ』
『突然何を、その彼の記憶を俺は見たんでしょう』
女医は佇む
ひたすらにドアから入ってきた位置から動かない
『記憶とは?見るとは? イスとは?どうやってそんなことが可能なんでしょう』
何を言ってるんだろう
俺は何をしているそもそもどこからが俺なんだ
松田純とは誰だ
俺と彼の違いはどこだ
俺は何をやっているんだ
何のために松田純の記憶を見たんだ
『だから早くメモリを渡せって言ったんだ!』
男が叫ぶ
メモリ
とは
『貴方は貴方 松田純でもなければ仕事人でもない
受け入れはなければ永遠に変わらない
続く』
なんだそれは
松田純から俺はどうやって変化した
喧嘩で負けて嫌で嫌で変わりたかった
水面に出れないならと
どうせなら
もっと面白く
今回も
面白くできなかった
終われなかった
メモリを渡せば
ケリがついていた
ニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュルニュル
さぁ次は何になろう
田辺か松田か俺か
それとも別の誰かの頭の中に