プロローグ
中央大陸北部。「記録を大切にする国」と呼ばれているメアリ公国の首都メアリの最重要機関であるメアリ国立図書館。増築に増築を重ね、空に、地下に、または異空間を利用してまで拡大を続けているその建物は別名を「メアリ国立ダンジョン」という。
そんな図書館の地下区画。
禁書指定されている魔導書が整然と並ぶ秘密の区画にある一室。
壁に掛けられた複数のランタンがぼんやりと空間に光をもたらしている中、その儀式は行われていた。
部屋の中央に描かれているのは五芒星を中心とし、複数の記号、古代文字で構成された魔法陣。それを取り囲むような形で黒いローブを着た男が十人ほどで古代の言語を使い魔法を詠唱する。
「……本当に成功するのでしょうか?」
その様子を少し離れた場所から心配そうな表情を浮かべて見張るのは一人の少女。
肩の少し下あたりまで伸びる金色の髪の毛に白い肌、森林を思わせるような緑色の瞳を持つ彼女は精一杯背伸びをして儀式の様子を眺めている。
「……来るぞ!」
そんな中、リーダー格の男が声を上げる。
その瞬間、魔法陣の中央から光が天井に向けて上がり、すぐに目が開けられないほどの光が発せられる。
それから数分。
光が収まり、少女と男たちが目を開けると魔法陣の中央に一人の黒髪の少女が座り込んでいた。
「成功だ! 成功したんだ!」
その姿を見て、男たちは歓声を上げ、心配そうな表情を浮かべていた少女はほっとしたような表情を浮かべ、少女に向けて歩み寄り始めた。
*
訳が分からない。
私は確かに自室のベッドで眠りについていたはずだ。
夏休み最終日、最後の最後までため込んでいた課題を片付け、明日の始業式に向けて準備をしてベッドに入ったのである。
しかし、現状はどうであろうか。
現在地は薄暗くて、じめじめとした部屋の中。地面には魔法陣的な何か。それを囲むのは明らかに怪しい黒いローブを着た大柄の男たち。
寝ている間に誘拐でもされたのだろうか? いや、それにしては様子がおかしいような気がする。
状況が全く読み込めず、ただただ私の頭は混乱していく。
そんな最中、周りを囲んでいた男たちの後ろから金髪色白の美少女が男たちの背後から歩み寄ってくる。
彼女の行動に気づいた男たちは慌てて道を開け、少女は魔法陣に足を踏み入れて私の目の前までやって来て、小さく笑みを浮かべる。
「ようこそいらっしゃいました。勇者様」
美しく透き通ったような声で告げられた言葉は私をさらに混乱させるのに十分すぎるようなものだった。
*
「……起きてください。アカリ。起きてください」
透き通るような声と体を軽く揺さぶられるような感覚とともに私、月浦灯里は目を覚ます。
「あぁミーちゃん。おはよう。おはようだけど……あと、五分寝かせて」
「ミーちゃんではありません。ミーナです。ミーナ・メアリです。いい加減覚えてください。あと、起きて仕事してください」
重いまぶたを押し上げ、ゆっくりと顔を上げるとミーちゃん……いや、ミーナは不満げな表情を浮かべてこちらを見ている。ついでに言えば、人間のそれよりも明らかにエルフ特有の長い耳の先がぴくぴくと動いているような気がする。
どうやら、机の上に山積みにされた資料とにらめっこをしている間に机に突っ伏して眠ってしまったらしい。
私はゆっくりと体を起こしてから、しっかりと手を伸ばして大きく伸びをする。
「……それで? ミーちゃんは何か用事があってきたの?」
「……あなたの様子を見に来ただけです。あとミーちゃんはやめてください」
「そう」
メアリ国立図書館の二階部分にある一室。入口の扉に「館長室」という札がかかっているその部屋は私のために用意された区画だ。
部屋の中には大きめの執務机と座り心地の良い革張りの椅子、最大四人で利用できる応接セット。私の背後を含めた壁は二つの扉部分を除けばすべて本棚となっている。もっとも、本棚がたくさんあるだけであるだけで本は片手で数えられるほどしか置いてないのだが……
「ミーちゃんと出会ったときの夢を見ていたわ」
「だから、ミーちゃんは……」
「ミーちゃんでいいでしょ?」
「あぁもうわかりましたよ。それで? どうしたんですか?」
ミーちゃんが折れたところで私は執務机の左の方に積まれている書類の一番上に置いてある紙に手を伸ばす。
「ただそれだけよ」
「そうですか。それでは私は仕事に戻りますね。くれぐれも居眠りだけはしないように」
「はいはい」
ミーちゃんは生真面目だなぁ。なんてのんきなことを考えながら、私は書類にひたすらサインをする仕事を再開する。
左側から書類を取り、内容すら見ないで自分の名前を署名欄に書いて右側に置く。
ただその繰り返しだ。
この世界において、勇者として召喚されながら、「実力不足、勇者の資格はなし」とばっさり切り捨てられた私の唯一の仕事である。
一応、肩書としては「国立図書館長」と言うものがついているのだが、権限と言えるようなものは一切なく、形式的には部下にあたる職員たちが精査した書類にひたすらサインを書くというのが私に与えられた仕事だ。
「はぁ……手が痛くなってきた……」
私の口から思わず漏れたその言葉は、がらんどうの部屋の中にむなしく反響していった。