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僕の左目が見る世界  作者: カイト
18/19

新聞の話

 三年生になって初めてのゼミの日。


「あなたたち、新聞もとってないんですか?」


 指導教授であるひぃさまの呆れたような声が、僕とオイちゃんに突き刺さった。


「それでどうやって、世の中の情勢を知るつもり?」

「え、あの、テレビで…」

「毎日、ニュースをチェックしてますか?」

「……」


 口をつぐむ僕たちの隣で、ユタカは苦笑していた。彼女は大学入学と同時に新聞を購読しはじめたらしい。マジかよ、と思ったが、ひぃさまがなにも突っ込まないので本当なのかもしれない。


「新聞はいいですよ。何度も見直せますし、読んでいてわからない言葉は辞書で調べられる。各新聞社は学生用に割り引いた値段設定をしてくれていますよ。まぁ、購読するかしないかはあなたたち次第ですがね」


 ひぃさまは少し意地悪く笑った。


 こんなこと言われても、新聞購読など強制ではないので無視すればいいのだけれど、なぜかそうはさせてくれない迫力がひぃさまにはあった。

 結局次の日には、僕とオイちゃんは新聞購読依頼の電話をかける羽目になった。


─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…


 若者の活字離れとか新聞の購読数の減少とか、そんなことが言われて久しい。

 僕も「本を読まない若者」に分類されるのだけれど、新聞各社はそんな若者も取り込もうとあの手この手の工夫を凝らしているようで、『一ヶ月無料お試しキャンペーン』なんてものがどこの新聞社にも設けられていた。

 普段はたいして働かない知恵が、こういう時には無駄に冴える。


 各社の無料キャンペーンだけを利用したら、数ヶ月は無料で新聞購読ができるんじゃないか?


 というわけで失礼なこと極まりないが、僕は四月はA社、五月はB社、六月はC社と、無料購読キャンペーンを渡り歩くことにした。


 いざ新聞を取り始めて読んでみると、これが意外と面白い。ひぃさまが言うように、テレビではサラッと流される気になるあれこれを詳しく解説してくれることも多い。コラムや読者投稿欄もなかなか興味深い。


 ──などと思っていたのも、購読一週間が限度だった。

 B社の新聞を取る頃には、僕にとって新聞は「生ゴミを包むのに便利」なだけの存在となっていた。

 こうなるともう完全に惰性なのだけれど、なんとなくやめきれずに、六月になり僕はC社の新聞を取り始めた。

 

─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…


 六月一日。

 僕はふと目が覚めた。

 室内はまだ薄暗く、いつもの起床時間にはまるで早いことがわかる。右目を細めて見ると、壁の時計は五時半を指していた。


 なんでこんな時間に起きちゃったかなぁ。

 あくびまじりにそう思っていると、玄関でカチャリと音がした。

 なんの音だ?

 続けざまに、今度はカタリとなにかが落ちるような音。

 あぁ、郵便受けになにかが入った音だ。

 アパートの入り口のドアには郵便受けが取り付けられている。カチャリという音はその入り口が開けられた音、カタリは郵便受けになにかが落とされた音だろう。

 それがわかると、また波のように眠気が襲ってきて、僕は目を閉じた。


 部屋が朝日で照らされるいつもの時間まで二度寝を楽しんだ僕は、玄関の郵便受けに入った新聞を見て、明け方のことは夢ではなかったんだなとボンヤリ思った。

 取り出して確認すると、昨日までとは違う社名が書かれている。そうか、今日からはC社の新聞になったんだと、社名の下に描かれた黒い鳥のマスコットを見ながら、なんとなく紙面をめくった。


 それまで全国紙だったA社B社とは違い、C社は地方紙だった。そのせいか、なんとなく新聞全体に親しみのようなものが漂っている気がした。和めるような小さなコラムや、しょうもなくちょっと笑えるミニ事件簿なんかが所々に載っている。こんな小さな記事よく集めたものだと感心しながら読んでいると、遅刻しそうになった。


 その日から、毎日C社の新聞が我が家に届くようになったのだけれど、それと同時に不思議なことが僕の身に起きるようになった。

 初日と同じように、なぜか新聞が届く時間に目が覚めてしまうのだ。

 時間は決まって朝の五時半。なんの前触れもなくふと目が覚めて、しばらくすると玄関の郵便受けがカチャリと開く音がする。間髪を入れず、カタリと新聞が落とされる音。そしてその後は、何事もなかったかのような静寂の中で二度寝する、というのがパターンだった。


 結局二度寝するなら目覚めなければいいのに、僕の気持ちとは裏腹に毎朝目が覚める。特に支障はないといえばないのだけれど、新聞投函の音を聞かされるためだけに起こされているような気がして、僕は少しイライラしていた。

 かといって、投函の音で目が覚めるわけではないので、クレームもつけられない。そもそも、先にとっていたA社B社の時はそんなことまったくなかったのに、今回に限ってのこの現象は不思議だった。


 そして僕は、ある時気がついてしまった。

 毎朝聞こえる「カチャリ、カタン」という音以外に、なんの音も聞こえないことに。


 僕の住む築数十年のアパートは、どんなに足音をひそめて歩いても、鉄筋製の階段がカンカンとアパート中に音を響かせる。それが誰かはわからなくても、朝帰りをしたのも彼女もしくは彼氏を連れ込んだのもバレバレなほどだ。

 それなのに、新聞配達員の足音はいつも聞こえなかった。聞こえるのは新聞を投函する時の「カチャリ、カタン」という音だけ。僕の部屋に到達するためには必ず通らなければならない、あの階段の音はまったくしないのだった。


 そのことに気づいてから、僕は例の音に対して苛立ちよりも好奇心が勝ってきた。不思議と恐怖は感じなかった。それは、毎朝届く新聞は確実に現実にあるもので、ならば怪異の類がそれを配達するはずはない、という思い込みからだったと思う。


 配達員は、どうやってあの階段を音もなく上がって僕の部屋に辿り着いているのだろうか。

 一体どんな人なんだろう。


 六月の半ばを過ぎたある日、わざわざ五時にアラームをセットして、僕はそれを確かめることにした。

 五時二十五分。緊張からか眠気も吹き飛んでいる僕は、玄関ドアの覗き穴にそっと右目を添えて待っていた。

 五時半。誰も来ない。足音もしない。

 だというのに、


 カチャリ、カタン


 郵便受けがいつもの音を立て、新聞は確かな存在感を持って部屋に届けられた。

 僕は詰めていた息をゆっくり吐き出す。恐る恐る前髪を上げて、左目で新聞を見た。

 しかし怪異を見ることができる左目で見ても、いつもと変わらぬ新聞がそこにあるだけだった。


─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…


「ねぇ、オイちゃん。今どこの新聞取ってる!?」


 その日学校でオイちゃんに会うやいなや、僕はそう尋ねた。

 僕の勢いに若干引き気味になりながらも、オイちゃんは「C社のだけど」と答えた。ちなみに彼も、僕と同じ小狡い手を使ってタダで新聞購読をしている。


「それがなに?」

「あそこの新聞配達員ってさ、なんか変じゃない?」


 オイちゃんは、僕の言いたいことがすぐにわかったようで、少し迷った顔をした。


「ここら辺を担当してる配達員は、えらく仕事が早いんだってさ。早くて正確で、おまけに静か。密かに人気があるってよ」

「それだけ?」

「あとはまぁ、噂だけどさ。C社の社長はカラスを大量に飼ってて、ネタ集めも配達も半分はカラスがしてるらしい。だから会社の規模は小さいくせに、ネタは正確で配達も遅れがないんだと。まぁ、噂だよ、ウワサ。あんまり本気にすんなよ」


 オイちゃんは誤魔化すように右手をヒラヒラ振りながら言った。


 カラスか。僕は心中考える。

 カラスが新聞を配達するという時点でおかしな話だけれど、それなら階段を上り下りする音がしないのは頷ける。

 しかしそれにしても、今朝はカラスの姿すら見えなかった。あれはどういうことなんだろう。

 なんだか無性に気になって、臆病者の僕には珍しく、明日も早朝ドアに張り込むことを決めた。


─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…


「やぎさん郵便」という童謡がある。黒やぎと白やぎが互いに届いた手紙を読む前に食べてしまい、「さっきの手紙のご用事なあに?」と言い合う間抜けで可愛い歌だ。

 僕はなんとなく、「カラスの配達員」と聞いてそんなメルヘンなものを想像してしまったのだろう。


 そんな自分の浅はかさを、僕は激しく後悔することになる。


─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…


 次の日。僕は前日と同じ時間に起き、同じように玄関に張り付いた。

 違うのは、覗き穴に押し付けているのが、今日は左目だということだ。


 アパートの廊下に蠢く怪異たちを無視するように耐えていると、やがて廊下の塀の向こう側でなにかが動いた。

 黒く細長いなにかが、塀を乗り越えてスルスルと僕の部屋に近づいてくる。


 それは腕だった。ロープのようにしなやかで、蛇のように確かな意思を持って動く黒い手。もちろんそれだけでも異常だが、その手のひらには、まぶたのない大きな目玉が付いていた。

 ドア越しに、僕と手の目は確かに目が合った。


 てっきりカラスかそれに似たなにかが来ると思っていた僕は、予想外の展開に硬直してしまった。息もできない。背中を汗が伝う感覚だけが、嫌にはっきりとしていた。

 目玉は、僕を睨むようにギョロリと動く。


「見てんじゃねぇよ」


 ドスの効いた声でそう言われ、僕は意識が遠のいていった。


 遠くで、いつもの「カチャリ、カタン」という音が聞こえた気がした。


─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…


 ドンドン、ドンドン


 ドアを叩く音がする。このアパート、いまどき呼び鈴がないんだよなぁ。


 ぼんやりそう思った後、僕はハッとした。

 ガバリと起き上がると、そこは玄関だった。時計を見るともう昼前だ。かなり気を失っていたことになる。というか、寝ていたという方が正しいのかもしれない。

 相変わらずドアが叩かれている。僕は「はぁい!」と反射的に返事をしてしまった。


「すみません、C新聞社の者ですぅ」


 どこか間抜けに響く男性の声に、僕の喉の奥がヒッと悲鳴をあげる。


「今後の購読の件で、ちょっとお話を伺いたくて。少しだけお時間よろしいですか〜?」


 間延びした声がドアの向こうで響いている。居留守を使いたくてももう遅い。僕は恐る恐る、覗き穴に目を当てた。

 右目に映るのは、どこにでもいそうな小太りの中年男性だった。ワイシャツの袖をまくり、暑そうに額を拭っている。


「ちょっとだけなんで、お願いしますよ〜」


 右目で見えるということは、少なくとも男性は生きた人間らしい。普通かどうかは分からないが、左目で見る勇気はなかった。

 僕は、意味があるのかどうかわからないドアチェーンがしっかりかかっているのを確認して、そっとドアを開けた。

 男性は仰々しい僕の態度に苦笑しながら、「いや、すみませんねぇ」とドアの隙間から覗く顔をつるりと撫でた。


「…なんでしょうか」

「いやね、大したことじゃないんですよ。今おにいさん、うちの無料購読とってくれてるでしょう? それで半月経ったから、今後継続の意思はあるのかな〜って、確認をね」

「はぁ」

「あ、もちろん一ヶ月は無料ですよ、そういうキャンペーンですからね。ただね、今の学生さんは賢くていらっしゃるから、各社の無料キャンペーンだけ渡り歩いて、タダで新聞読むような方もいてねぇ。学校の先生にでも読むよう言われてるんでしょうけど。あ、もちろん、おにいさんのこと言ってんじゃないですよぅ? まぁ、それが悪いとは言えないところなんですが、こっちとしても、継続購読に繋げなきゃいけないわけでしてねぇ」

「……」


 わざとなのかは分からないけれど、男性は柔らかい口調で僕の胸を抉っていった。


「それでね〜、『今なら購読料もう半月分無料!』キャンペーンってのをやってるんですよぅ。今から一週間以内に継続購読決めて連絡くれたら、適用されるんですけどね。ちなみに、今月一杯読んでからのご連絡でも、一週間は無料になりますよ〜」


 いかがですか〜? と男性はチラシを差し出した。突然のことで僕は言葉に詰まる。


「まぁねぇ、今すぐ決めろと言われても難しいですよねぇ。だから、一週間以内にご連絡いただけたらオッケーですよ。お待ちしてます〜」


 男性はにこやかにそう言った。これで終わりかと内心僕はホッとしたのだけれど、


「それとね、皆さんにお訊きしてるんですど〜」


 違った。


「我が社の新聞に、なにかご意見ありませんか〜? 新聞の内容以外でも、配達のことでもいいですよ」

「え?」


 配達、という言葉に心臓が高鳴る。そんな僕の心境を知ってか知らずか、男性は呑気な口調のまま続けた。


「いやね、時々足音がうるさいとか配るのが遅いとか、お叱りを受ける事があるんですぅ。そんなことないですかぁ?」

「な、ないです! とんでもないです!」


 僕は両手と首を音がするほど左右に振った。大げさすぎる僕の態度に、男性は驚くこともなく「それは良かった」と頷いた。


「では、継続購読の連絡お待ちしてます。これからもC新聞社をどうぞよろしくお願いしますね〜」


 男性は深々と頭を下げると、踵を返した。僕は、やっと終わったと深く息を吐く。チェーンで繋がったままのドアを閉めようとした時だった。


「そうそう、おにいさん」


 あと数センチで閉まるというところで、ドアのわずかな隙間に勢いよく指が捻じ込まれた。


 僕はとっさにドアを押さえる。閉めようとする僕と開けようとする外からの力は拮抗し、ドアは十センチほど開いた状態で止まった。

 その隙間から、先ほどの男性の顔が三分の一ほど覗いている。口元は穏やかそうに微笑んでいたが、目は笑ってはいなかった。


「な、なに…!?」

「大変申し訳ないんですけどね、うちの配達員を、待ち伏せしたりしないでいただきたいんですよぅ。仕事はできるやつなんですがね、ほら、対人恐怖症っていうの? あれなもんでね。他人と接するのが苦手みたいでねぇ。次、見られたらもう配達できない〜、なんて泣きつかれたもんですから」


 ドアを掴む手は緩めず、口元の笑みはそのままに、冷たい目つきで僕を見据えて、男性は台本を読むように淀みなく喋った。

 混乱しながらもとにかくこれ以上ドアを開けられたくなくて、力を込めてドアを掴む僕の腕はプルプルと震えていた。


「お約束、していただけますぅ?」

「は、はい…!」


 腹から絞り出すようにそう答えた瞬間、ドアを掴んでいた男性の力がフッと消えた。均衡を失い、僕はドアノブを握った姿勢のまま後ろに倒れこむ。バタンと大きな音を立ててドアが閉まった。


「それじゃ、よろしくお願いしますね〜」


 その言葉を最後に、あとは静寂が訪れた。

 僕はしばらく、腰が抜けたようにその場に尻餅をついていた。


 階段を降りるけたたましい足音は、まったく聞こえなかった。


─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…


 六月が終わり七月になって、僕はあのC新聞をとり続けている。無料キャンペーンはとっくに過ぎ、すっかり定期購読者だ。

 あんな恐ろしい目にあったのだけれど、だからこそ、断れなかったというのもある。


 しかし、せっかく料金を払っているのだからと真面目に読み込んでみると、C新聞はかなり初心者に優しくわかりやすく、興味を引く書き方をされていた。得体の知れない新聞社ではあるが、おかげで僕は少しだけ社会情勢を理解できるようになった気がする。

 だから、あの時来た男性がちゃんとした人間だったのか、あの配達員は何者なのか、そもそもC新聞社は魔物の巣窟なのではないか? など、わからないことだらけなのだけれど、僕はもう気にしないことにした。


 今でも、時々五時半に起こされる。そんな時は、「見られたくないなら起こすなよ」と悪態をつきつつ、僕は枕を頭に被る。


 カチャン、カタリ。


 何の変哲も無いその音が、間違っても聞こえないように。


 新聞の話は、これにておしまい。


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