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僕の左目が見る世界  作者: カイト
13/19

坂道の話

 僕が通う大学は高台にある。


 昔は小高い丘だか小さい山だかだったのを、戦後に大学を建設する際切り開いたのだそうだ。学校を囲うようにある雑木林は、その名残だという。


 高台にあるため、通学には毎日長く急な坂道を上らないといけない。

 寝坊した学生がこの坂に阻まれ、上る途中で授業に出るのを諦めてしまうことが多かったため、昔から「断念坂」と呼ばれていた。

 もっとも三十年ほど前に、大学と同じ高台に学生アパートが雨後の筍のように建設されると、大半の学生は通学が楽なそちらに住むようになった。

 断念坂を上り下りする者は減り、坂の頂上にあった守衛所も閉鎖され、今では人気のめっきり減ったこの坂を、「残念坂」と呼ぶ者もいた。


 ところでこの坂には、あまり広くは知られていないもう一つのあだ名があった。


「子泣き婆の坂」


 一部では、そう呼ばれることもあるのだという。


─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…


「え、キタくん、子泣き婆の坂通って来てるん?」


 ある日授業の合間の雑談で、そんな話題になった。


「なにそれ? ていうか、子泣き婆ってなに?」


 僕が尋ねると、クラスメイトはどこか得意げに「そういう妖怪だよ」と答えた。


「聞いたことねぇなぁ、パクリじゃねぇの?」

「いやいやオイちゃん、マジだって!」


 隣にいるオイちゃんも知らなかったようで、首を傾げた。一緒にいた他の二名も、同様の顔をする。

 クラスメイトは意外そうな顔で、「ホントに知らんの?」としつこく全員にに確認した後、教えてくれた。


「あの坂には、子泣き婆っていう妖怪が出るらしい。しかも男の前にだけ。坂の上につぶれた守衛所があるじゃん? あそこを男が夜一人で通ると、女が話しかけてくるんだって」


 それは、どこにでもいそうな女なのだという。

 女は、「ちょっとこれを持っててくれませんか?」と、白い包みを差し出す。それを引き受けて女がなにをするのかと思えば、その場で立ったまま泣き出すのだという。それも、赤ん坊のような声と泣き方で。

 怖くなって逃げ出そうとしても、受け取った包みが動けないほど重くなっている。次第にその包みからも赤ん坊の泣き声が聞こえてきて、大抵はその辺りで気絶してしまうのだそうだ。目覚めた時にはもう朝になっており、周りには当然女の姿はない。


「でも、話はこれで終わりじゃないんだ」


 クラスメイトはなぜかそこでニヤリと笑い、声をひそめた。自然と僕らも顔を寄せ合う。


「子泣き婆に会った奴には、印が付けられるらしい。赤ん坊の手形みたいな、気持ち悪いやつ。でさ、それ、どこに付いてると思う?」


 ニヤリ。もう一度彼は笑い、自分の下腹部、というかもう、ガッツリ股間を指で示した。


「…そこ?」

「らしいよ」

「なんで?」

「さぁ、なんでかは知らんけど。それを付けられたら、一生子供が作れん体になるらしい」

「あ、オレ、それなら知ってる」


 僕が呆れたため息を吐き出す寸前、一緒にいた別のクラスメイトが口を挟んだ。


「サークルの先輩がさ、去年変な女に会って、その後アソコに気持ち悪りぃ痣みたいなのができたって言ってたな。子泣き婆とかは、聞かなかったけど」

「マジ!?」


 子泣き婆について語っていたクラスメイトが食いついた。


「それで、どうなったん?」

「どうもこうも、先輩その後すぐ学校辞めちゃったからなぁ。オレその話、半分にしか聞いてなかったんだけど、今の聞いたらマジだったのかな?」

「なんで辞めたん? 子泣き婆の祟りかな?」

「いや、関係ないと思うぞ。先輩、彼女に子供ができたらしくて、学校辞めて働くんだってよ」

「えー、じゃあ、手形つけられたら子供できなくなるって、ガセなんかな?」

「じゃね? でも、ちょっと意外だったんだよなぁ。先輩、そんなの面倒がって堕ろさせるタイプかと思ってたからさ」


 隣にいたオイちゃんが眉をひそめたのがわかった。確かに、聞いていて気持ちのいい話ではない。

 ところがそれに追い打ちをかけるように、今まで黙っていたもう一人が喋りだした。


「あの坂は、そういういわくがあるんだよ。もうだいぶ前だけどここの学生が、妊娠したけど誰にも言えずにアパートで子供を産んで、それを守衛所の隣の桜の木の下に埋めた、って事件があったんだと。それに、あの坂に植わってる木のどれかで、やっぱり妊娠を誰にも相談できずに首を吊った女がいるらしい。守衛所が閉鎖されたのだって、そんな女たちの呪いで守衛がおかしくなったからだって噂で…」

「おい」


 突然響いたその声に、僕も坂のいわくを語っていたクラスメイトも他の二名も、そして声を出したオイちゃん自身でさえ、驚いたような顔をしていた。

 オイちゃんは取り繕うように少し早口で、


「もう、そのくらいにしとけよ。ユーレイの話したら、ユーレイが寄ってくるんだぞ」


 そう言って、無意味に手をヒラヒラさせた。

 なんとなく白けた雰囲気になり、教授がやってきたのもあって、話はそこでお開きになった。


─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…


 午前の授業が終わり、僕とオイちゃんは学食へ向かった。学生でごった返す食堂で、なんとか二人分の席を確保する。


 昼休みの学食は、向かいに座るオイちゃんの声も聞き取りづらいほどの雑音で満ちていた。

 僕が何度も「え?」と聞き返すものだから、オイちゃんは口をへの字に曲げ、「もうここでは話さねぇ」と僕の耳元でそれだけ怒鳴った。


 だからこれは、オイちゃんの独り言、あるいは僕の空耳なのだろう。


「あの坂に、殺された赤ん坊と、自殺した女と、生まれることすらできなかった赤ん坊がいたとして、そいつらが一番恨みに思ってることって、なんだろうな。赤ん坊たちからしたら、自分を殺した母親は、鬼みたいな存在かもな。

 ──でも、女一人で子供はできねぇからなぁ。

 子供たちは女に捨てられて、女は男に捨てられて… やられた側からしたら、相手の都合なんて関係ねぇからな。

 子泣き婆なんて、いるのかいねぇのか知らねぇけど、やり返したいもんだろうな、やっぱり」

「…もっと、前向きな気持ちだと思うけどな。僕は」


 オイちゃんが弾けるように顔を上げたが、僕は知らんぷりをした。

 僕が呟いたのはただの独り言だし、何よりこの雑踏の中では、僕の声など聞こえるはずがないから。

 だからオイちゃんが、「だといいな」と小さく笑った理由なんて、僕は知らない。


─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…─…


 黄昏時の帰り道。

 僕は一人で断念坂を下る。

 左目を覆う長い前髪をかき上げると、それまでは見えなかった風景が広がった。


 巨大なコウモリが空を飛び、道の中央では首まで女が埋まって周囲を見回し、坂道を黒いカニのような生き物が大群で横断する。


 僕は、守衛所の隣の桜の木に目をやった。

 木には、ゆっくりと揺れる荒縄がぶら下がっている。


 縄の下には三つの人影がある。

 若い女性と、二人の赤ん坊。今日もいつものように桜の木に寄りかかり、寄り添いあって座っている。

 それは、天使の姿を欠いた岩窟の聖母の絵を思わせる光景だった。


 僕の視線に気がついたのか、女性がこちらを見て小さく微笑んだ。


 女性と二人の赤ん坊の関係がどのようなものなのか、なぜ不吉に揺れる荒縄の下にいるのか、僕には理由はわからない。

 昼間聞いた、いくつかの話の真偽もわからない。

 ただ一つ、昼間の話を聞いて思ったことがあった。

 子泣き婆に会った男が付けられるという印。あれは呪いの手形などではなく、男に父親の自覚を促す赤ん坊のタッチではないだろうか。


 バイバイをするように僕に手を伸ばす赤ん坊たちに僕は小さく手を振り返し、ゆっくりと断念坂を下っていった。


 坂道の話は、これにておしまい。

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