サンドイッチと帝国武闘会
文字数制限に達したので、次話と繋がってます。
高級料理店。
単に高い料理屋だけなら多種あれど。格式高い高級料理店となるとそのスタイルは一種類に限られる。
フルコース。
一つのテーブルに最低一人は給仕が付き、最適なタイミングを見計らって料理が提供される。前菜からデザートに至るまで全てが計算され、食後まで含めて完成された料理の形式、それがフルコースだ。
だから格式高い。金持ちが好むスタイルと言う事もあるが、料理人が完成された料理だと自信を持って提供してくるからこそ、そこに客の質も求められて結果的に上流階級だけが訪れる。
そんな場所にあたしが不釣り合いな事は重々承知だが、それでも何度か来た事があったりする。。
アウラとかの頭脳派に比べれば頻度は極端に少ないとはいえ、依頼絡みで訪れる機会があったのだ。三日三晩アウラに教育されたおかげで、この辺りのマナーは完璧。お上品に食べるのもお手の物だ。
ただし、服装はいつも通り。周りの客にしてみればドレスコードも理解できない下民が、と言う印象だろうが、自衛の観点からこれだけは譲れない。
「仔羊とリンゴのポワレになります」
給仕が一礼して去って行くのを確認してからナイフとフォークを手に取る。
本来なら『どこ産の何々で本日早朝に採れたうんちゃらかんちゃら』と説明があるのだが、その辺りはもう断っている。
あたしが求めているのは味や満足感であって、うんちくでは無いのだ。高い金を払っていれば折角だからと聞いたかも知れないが、ここの支払いはアウラなので長ったらしい説明は御免被る。
と言う事で、ここは帝国首都の高級レストラン。貴族街の、それも王城を見渡せる立地にある、超高級レストランだ。
味は確かに一級品。食前酒、お通し、前菜、スープと順を追うごとに次の料理を新鮮に、或いは次の料理が美味くなるように工夫されている。
うん、見事。文句の一つも無い。
だから、それが不満ってのは、あたしが庶民って事なんだろう。
高い料理、完成された味。美味しい、美味しいんだけどなぁ……。
「メーラル山水とライムの氷菓になります。……お客様、何かご不満でもありましたか?」
「まさか。こんな完成された料理に不満なんて無いわよ」
並の高級店なら単品を美味しくしているだけだが、ここはちゃんと次の料理を見越した一品が出てくる。
今出された氷菓もそうだ。軟水にライムが僅かに香るシャーベットに、果肉を潰さないように混ぜられた柑橘類が食感を楽しませてくれる。単品としてもそれなりな出来なのに、これが口直しなのだから大したものだ。
「……ここの料理は帝国一だと自負しております」
「ん?」
求めても無いのに声をかけてくるという給仕らしからぬ行動に、あたしはスプーンを咥えたまま顔を向ける。
大して気にしてなかったが、改めてみれば中々の美形男性だ。薄く青みのかかった髪が糸目にかかり、ミステリアスな雰囲気がある。
「ですから、ご不満があれば教えていただきたい」
何故あたしは、そんな給仕に威圧されてるんだろうか?
別に不満って言っても個人的な事だし、不満は無いとも告げたんだけど。
若干戸惑いつつ、救いを求めて周囲を見回すと、丁度アウラが来た所だった。
入り口でこちらに気付き、眉間を押さえて首を振った後、ツカツカと足早に歩み寄ってくる。
「ちょっと料理長。貴方、何をしているんですか?」
「おや、これはアウラ様。お久しぶりです」
「えぇそうね。それで、何故料理長がここに?」
「本日は給仕を担当しておりますので」
微笑んで応える給仕に、アウラは苛立ちを堪えるようにこめかみを叩くと、あたしの対面に腰掛けた。
「もういいから、私には今日のデザートとドリンクを」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げると、給仕は別の給仕を呼ぶとメニューを伝えて取りに行かせる。
お前が行かないんかいっ! と思いきや、あたしの手元を見て次の料理を取りに行く給仕。仕事はちゃんとやるらしい。
「ごめん。予約がすんなり取れた時点でおかしいと思うべきだったわ」
「友達?」
「友達では無いけど、もうかなり長い付き合いね」
頬杖をつき、ため息を漏らすアウラ。
ちなみに今日の彼女は、登城してきたのか帝国軍の制服でなかなかオシャレ。黒地に金の刺繍、タイピンにネクタイと、文系軍人らしさが滲み出ている。
「アミューズ・ディセル。この高級レストラン『ペリエル』の創設者で有り、オーナー兼料理長を務める凄腕。そんな彼の最も凄い点を上げるとすれば、その経歴でしょうね」
「孤児からの成り上がり、とか?」
「もっと凄いわよ? 何せ、私達でもこの店の創設以前の経歴が辿れないんだから」
「ご歓談中失礼致します」
トレイを持って現れたディセルは、アウラの前にコーヒーとケーキを、あたしの前にローストビーフが乗ったお皿を提供し、トレイに空の器を乗せてゆく。
そんな彼に、アウラは半眼で口を開く。
「それで、結局幾つなの? 年齢ぐらいはいい加減教えてくれても良いと思うの」
「秘密ですよ」
口元に人差し指を当て、微笑むディセル。
そんな彼の仕草に、あたしは昔会った一人の男性を思い出した。
「あぁ、魔族か」
漏らした言葉に、ピタリと動きを止めるディセル。そんな彼に驚いたのか、あたしの呟きにか、アウラはぽかんとあたしを見つめてくる。
別にゴブリンみたいな人類の敵でもあるまいし、魔族でもどーでもいいと思うんだけど。
「うん、美味しい」
ローストビーフを一切れ食べて、あたしは一言。
火加減が絶妙で、噛みきれる感じが溜まらない。血を混ぜたソースも肉の味を引き立て、上品な素材を食べていると実感できる。
料理人の技術とセンスが光る料理だ。庶民としては意見もあるが、グルメとしては満足できる一品と言えるだろう。
そんな事を思いつつ食べていると、ディセルは呼び寄せた給仕にトレイを渡し、椅子へと腰を下ろした。
「何故、私が魔族だと?」
「そんな事より、仕事は良いの?」
「私にとってはそんな事ではありませんので」
微笑みすら無くして、細い目でじっと見てくるディセル。
何がそんなに気に障ったのやら。
「ねぇカイナ。私も魔族なんて噂でしか聞いた事無いんだけど」
「あたしだって一度しか会った事無いわよ。……そいつも魔族って事隠したがってたし、のらりくらりとした態度が、ね」
「……それだけで?」
訝しげに訊いてくるディセルに、肩をすくめて返す。
「勝手に白状したようなもんでしょ? あたしだって確証があって呟いたわけじゃないし」
「そう言われると……私もまだまだですね」
「まぁ、アウラ達で素性が掴めないって時点で、希少な種族の可能性が高いんだけどね」
「そうなの?」
何故か訊いてくるアウラに、思わずため息を漏らす。
彼女たちの諜報能力は十分に一流の部類だ。それでも過去を洗い出せないとなれば、まず一般人では無い。
「作為的に隠されてる感じでも無かったんでしょ? なら、人間と接点を持たないか、隠蔽を得意としている種族の可能性が高くなる。龍神様みたいにね」
「なるほど」
心当たりがつい最近な為か、素直に頷くアウラ。そんな彼女に、ディセルは意外そうに口を開いた。
「竜人種に会ったのですが。人里に出てくる者もいるとは聞きますが、帝国では見かけませんね」
「絶対数が少ないからね。あんた達みたいに外見誤魔化したりしないから、見かけたらすぐ分かるけど」
「手厳しいですね」
「実際、なんで外見変えるわけ? この辺りなら種族差別も激しくはないでしょ?」
人種の坩堝と呼ばれる帝国なだけあって、店内も給仕、客にかかわらず人間以外も多い。と言っても人間以外は殆どが獣人だが。。
「絶対数の多い種族の方が、紛れやすいですから」
「だから、紛れる意味があんの?」
「……魔族に関しての噂、ご存じないんですか?」
「うん、知らん」
当然と頷いてアウラに顔を向けると、彼女は呆れたように首を振って口を開いた。
「簡単に言えば、エルフを上回る魔力に、トロールに比肩する腕力。長寿であり、空を飛ぶ事も出来る万能種族。それが魔族と言われているわ」
「事実ではありませんが、そう認識されていると言う事が問題なのです」
「人魚の血、ね」
「そういう事です」
人魚の血とは、諺だ。
真偽の程も確かでは無い物に群がる事をさし、単純にバカが集まってくると言う意味で使われる事が多い。
「あの、私としては魔族に関して詳しく知りたいんだけど」
「お断りします。……話す気があるなら、今日まで黙ってはいませんよ」
「むぅ、確かに」
「それでお二方にご相談なのですが、このことに関しては秘密、と言う事で」
本人としては本気なのだろうが、微笑んで口元に人差し指を当てるから胡散臭い。
「あたしとしてはどうでも良いわよ。関係ないし」
「んふふ。私はどうしようかなぁ~。今まで散々はぐらかされて来たし」
「今回の代金は無料で」
「出身がどこか教えてくれない?」
「……お望みの日時に予約を取れるようにしますので」
「仕方ないわね。それで手を打つわ」
そう言いつつも、アウラは嬉しそうだ。
「それで、なんでカイナに絡んでたのよ。こんな簡単に予約を取らせてくれたし」
「予約に関しては、直前にキャンセルが出たからですよ。単純に、アウラ様のタイミングが良かっただけです」
そう言うと、ディセルは給仕を呼んでフルコースの続きを頼んでくれる。
無料にしても仕事は仕事、と言う事なんだろう。あたしとしては一安心である。
「それでカイナ様に話しかけていた理由ですが、アウラ様のご友人とお聞きしていたからですね」
「どー言う事よそれ」
「アウラ様のご友人がまともな筈ありませんから」
半眼のアウラに、微笑むディセル。
食事中のあたしに配慮出来ないんだろうか? 美味しいサラダもこれじゃ台無しだ。
「……冗談はさておき、食事の感想をお聞きしたかったのですよ。どうもご満足いただけていないようでしたので」
「そうなの? カイナ」
「満足してるって言ったんだけどね」
苦笑しつつそう答え、サラダを食べ終える。
「よねぇ。カイナ達は、栄養があれば味なんて気にしないって感じなわけだし」
「失礼な。味に拘ると生きていけなかったから、やむなく何でも食べてたってだけ」
「ふふっ。まぁ、かもね。でも、そうじゃなかったとしてもここの料理に不満なんてないでしょ? 料理長はこれだけど、間違いなく美味しいし」
何故か誇らしげに胸を張るアウラ。
「何せ、陛下直々に引き抜きをかけたぐらいだもの」
もう完全に帝国の人間だなぁ、何て思っていると、言い終わったアウラは途端に表情を変え、申し訳なさそうに背筋を丸めた。
「その……明日もフルコース、食べたくない?」
「いらない」
「勿論タダよ?」
「絶対に、いらない」
断固たる決意で断る。
悪い予感しかしない。確実に面倒事だ。
「でも……」
「アウラ。迷惑はかけない。そういう話だったよね?」
少しきつめにそう言うと、アウラはばつが悪そうに顔を顰めた。
「それは、そうなんだけど……陛下には、私の友人としか紹介してないのよ? 何をしたとか、そういう話しは一切しなかったのに……その、連れてこいって」
「アウラ。貴女は、良い友人だった。本当に」
「ほら、フロマージュ来たから席立とうとしないでっ。ね? ね?」
「そりゃあ食べるもんは食べるけど」
「私が悪いわけじゃないのよ? 提出した資料にだって、貴女がどういう風に手伝ったかなんて書いてないし」
しどろもどろなアウラの弁明の横で、ディセルは口元を抑えて肩を震わせていたりする。
何がおかしい。
あたしの半眼に気付いたのか、ディセルは一つ息を吐くと顔を上げた。
「すいません。陛下も私と同じ感想だったのが面白くて」
「アウラの友人ってだけでこれって……どーなのよアウラ」
「私に言われても。普通に不本意だけど」
「カイナ様。陛下のお誘いを断るのも不敬ですし、素直にお伺い致しましょう。私もお供致しますので」
「「なんで?」」
関係ない奴の同行発言に、思わず疑問が被る。
にもかかわらず、ディセルは意味ありげにニコニコ顔を深めた。
「会話が膨らむ事間違い無しですよ。お約束します」
非常に胡散臭いし、別にいらない。
だがこの男がオーナーを務めるここの料理は、確かに最後まで一流で、非常に美味しかった。
△▼△▼△▼
翌日。
昼までは宿にいるように言われ、渋々待っていると、やってきたのは馬車だった。
あたしが非常に後悔したのは言うまでも無いだろう。
逃げれば良かった。
貴族御用達と分かる馬車から出てきたのは、ディセル。元凶のアウラは城で合流との事。
気が重い。そもそも会って何を話せというのか。
「そんな緊張しなくても大丈夫ですよ」
「そう見える?」
「えぇ。何というか、憂鬱そうでしたので」
「うん、その通り。もう、面倒くさくて行く意味すら分からなくて……はぁ。そもそも、お偉いさん階級に良いイメージが無いのよね」
「アウラ様も叙爵予定なのですが」
そー言われてみれば、確かに貴族っぽい名前を持ってた。
とはいえ、それはそれだ。
「アウラは昔からの友人だしね。問題は、貴族だからって何かと難癖付けてきた場合よ」
一度自分の服装を見下ろす。
いつも通りの黒ずくめ。まぁ、何かと言われるのは確定だろう。
お呼ばれ用の服が無いってのもあるが、殺し屋を引退したとはいえ常在戦場の意識は失えない。常に戦いやすい装備を纏っておくのは、生き残る為の必須事項なのだから。
「……あぁ、でもそっか。ドレスコードで登城できないとかになればいいのか」
「そうはなりませんよ。私がいますので」
「ならあたしは歩いてくから」
「いえいえ。折角ですから」
ニコニコ笑顔で、あたしのジャケットを掴むディセル。
純粋な親切なのか、あたしが嫌がるのを楽しんでいるのか判断に困る所だが、この後困りそうなのはこいつの方なので、あたしは懸念している事をハッキリと言葉にしておく事にする。
「もし舐めた貴族がいたら、あたしは、そいつを、殺しちゃうかもしんないけど」
「それはまた、大きく出ましたね」
「そぉ?」
「そうですよ。私がいるんですから」
そう言われてみれば、確かにこいつは魔族。素のスペックは人間を遙かに凌駕しているんだろう。立ち振る舞いからも、戦闘経験がある事ぐらいはわかる。
ならまぁ、安心なんだろう。多分。
「じゃあ、反射的に動いちゃったら止めて」
「はい。全力で止めさせていただきます」
そんな事を話していると、馬車は貴族街越え、王城へと辿り着いた。
エントランス前に馬車が乗り付けられ、ディセルにエスコートされて馬車を降りる。
早々に衛兵とかの視線が痛い。ディセルが上級貴族もかくやという高そうな服を纏っているのも比較対象として悪すぎる。
まぁ、気にはしないけども。
あ、貴族の奥様聞こえるように悪口言うのはあんま宜しくないですよ。あんまりうざいとアタクシ手が出てしまいますの。おほほほほ。
「あ、カイナ。すぐに案内するから落ち着いてね?」
「気にしていません事よ」
「うん、分かった。ちゃんと話は通してあるから、もう少し我慢して」
ギレてないですけど?
何故か早足で進み出すアウラに続いて、階段を上ってゆく。
今まで見た中でも、格段に衛兵の数が多い。要所要所に二人一組で立っており、誰一人としてだらけている様子が無い。練度は兎も角、規律はしっかりしているようだ。
広大な領土を持つ帝国の凄さが、この辺りからも窺い知れる。大したものだ。
他の扉よりも二回りは大きい扉の前でアウラは足を止めると、両脇に立つ衛兵に声をかけた。
それに頷いた衛兵は、こちらに歩み寄ってくる。
「武器の所持を確認させて貰う」
「ちょっとっ! その辺りの確認は不要って陛下から許可が出てるはずだけどっ!?」
「規則だ」
「貴方達ねぇ……」
「いいわよアウラ」
素直にジャケットを脱ぎ、衛兵へと渡す。
脱いだときにギョッとされたが、下にはちゃんと長袖のシャツを着ている。腰にも大ぶりのナイフを着けているので、鞘ごと外してそれも渡す。
更に、裾をめくり上げて両足のふくらはぎに括り付けてあるナイフも鞘ごと外して渡す。これで全身はたかれても武器らしい武器は出てこないはずだ。
「あ、ジャケットの武器とかは下手に触らないで。液体が入ってるのもあるから、帰りはそのまま返して」
「あ、あぁ……」
「凄いな。どうなってんだこの服」
二人とも興味津々と言った様子だが、城内の衛兵は規律正しいようなので下手な事はしないだろう。
「では、少しお待ちを」
ジャケットを受け取った衛兵が、両開きの扉脇にある一人用の扉を開いて中へと入ってゆく。
「カイナ、ごめん」
「別に良いわよ」
基本使う武器は取られたが、腰の魔法袋はそのままだ。予備の武器とかも入れてあるので、正直あんま関係ない。
「陛下は<三奪>の時からの付き合いだからその辺りの事は了承して招いてくれたんだけど……ホント、ごめん」
「だから良いってば。没収されたら怒るけど、ちゃんと返してくれるんでしょ?」
「そこは私の命にかけて」
<三奪>の武闘派連中の大半にとって、武器とは命だった。その辺りを理解していればこその返しだ。
あたしにとっては武器は道具でしかないのでアレだが、ジャケットも含め一式揃えるとなると時間もお金もかなりかかるので、返してくれるにこしたことはない、程度の認識だ。
「確認が取れました。どうぞ」
衛兵二人でそれぞれに扉に手をかけ、両開きに開く。
「なんちゃら様おな~り~とか言わないんだ」
「断ったのよ」
「ふ~ん。まぁ確かに、あたしが拝謁願った訳じゃないしね」
「……無礼者で我が儘とは言ってあるけど、お願いだから陛下に暴力はやめてね?」
「あんたあたしを何だと思ってんだ」
赤絨毯の上を歩きながら、隣を歩くアウラを睨む。
相手が無礼なら無礼で返すだけで、あたしは常識人だ。我が儘と言われるほど理不尽な事をした覚えも無いってのに。
「兎に角、私の真似をして黙ってくれてればいいから。お願い」
「……はいはい」
左右に居並ぶのは、重装備の騎士が十人ずつ。そして、赤絨毯の先には王座に腰掛ける中年男性。
広大な領地を持つ帝国の王としてみれば、意外なほど若い。白髪を短く刈り上げ、厚ぼったい瞼から覗く青い瞳は中々に鋭い。浅黒い肌に隆々とした筋肉は、凄腕の傭兵を思わせる。
そんな彼から放たれる存在感は、まさしく王。頬杖を付き口元をゆがめる様が、不貞不貞しくてよく似合う。
その左手側には、右目に眼帯をした小柄な老人。右手側にはフルプレートを纏い兜は着けていない青年。
白馬がよく似合いそうな美形青年の横には、豚肉を加工していそうな軽鎧のオッサンが長大な槍を持って立ち、更にその横には巨大な盾を持った顎髭潤沢男性。
パッと見た感じ、強さで言うなら、顎髭、王、美形といった順だろう。吟遊詩人が謳うように率先して前線に立ってきたなら、王が強いというのも不思議では無い。
そこまで観察した所でアウラが足を止めて膝をついた。あたしもそれに倣って跪く。
「陛下。アウラ・ルイ・リベンス、お呼びにより参じました」
「うむ」
「そして、彼女が私の友人であるカイナです。姓はありません」
「うむ、よく連れてきてくれた。面を上げよ」
「はっ」
アウラが頭を上げたっぽいので、あたしもそれに倣う。
王だけは楽しそうだが、他は大体しかめっ面だ。上着すら着てない黒ずくめが謁見していれば、そりゃあそうなる。
「さて、では、まずは謝罪をさせて貰おう」
「陛下っ!」
「黙れローダ。貴様が騒ぎ立てるからこのような状況になったのではないか。俺はただ、かの有名な<三奪>に関する話を聞きたかっただけだぞ?」
「なればこそです。アウラ殿でさえ頭脳派を謳うような集団ですぞ?」
「だからこそ興味深いのではないか」
「陛下、御自重下され。そのアウラ殿が武闘派と説明する者。どれほどの化け物か分かったものではありませぬ」
「かっはっはっ! ローダも言うのもではないか。当人を前にして化け物などと」
酷く楽しげに笑った王は、ニヤニヤとした表寿のままあたしを見てくる。
「で、実際の所どうなのだ?」
黙ってろと言われたので、あたしは肩を竦めるだけにしておく。
どうもなにも、問題はアウラの説明の方だ。あたしを化け物に仕立て上げて何が楽しいのやら。
「陛下、発言の許可を」
「うむ、許す」
「ありがとうございます。昨日説明した通り、彼女カイナは、実力だけでしたら<三奪>でも幹部に匹敵するほど。万が一を考えればこのような状況を避けるべきではありましたが、宰相閣下の懸念も当然かと」
「アウラ殿。それはどういう意味か?」
「宰相閣下、そのままの意味です。万が一カイナの逆鱗に触れた場合、この場には帝国の要となるディユース陛下、ローダ宰相閣下、アルフォンス総長閣下と帝国の要が揃っております。陛下のみならず、内外の要であるお二方まで失う事になれば」
「不敬であるぞっ!」
顔を真っ赤にして怒鳴る宰相。その横では、王が腹を抱えて笑ってたりする。
楽しそうで何よりだけど、さすがのあたしも少し凹む。
アウラの事、友達だと思ってたんだけどなぁ……。怒ったから王様殺す程お馬鹿だと思われてるなんて。
「陛下、笑い事ではございませんぞっ!? この者は帝国そのものを侮辱したのですっ!」
「ま、まぁ落ち着け。……いや、笑った。久方ぶりだ。ローダよ、むしろ褒美を取らせるべきだと思うが?」
「陛下っ!」
「かっはっはっ! いや冗談だ。しかし……アウラよ、それほどか?」
真顔に戻って問いかける王。
あー、口を挟みたい。
当然だけど、あたしにそこまでの実力は無い。強い部類ではあると自負しているけども、アルフォンス総長と呼ばれた彼が相手なら、相当時間がかかるはずだ。下手をしたら巻けもあり得る。
更に部下も二十人並んでて、王に宰相となれば確実に仕留めきれない。
つまり、アウラが言うような化け物ではないのだ。あたしは。
「ご存じの通り、<三奪>の依頼達成率は九割超えです。組織が滅んだとはいえ、それに携わっていた者の技術が落ちたわけでは無い、と言う点をご理解いただければ」
「だが滅んだ。それが全てでは無いか?」
「けどこうして警戒している。それが全てでは?」
微笑みつつも睨み合うアウラと宰相。
「それでカイナとやら。実際の所どうなのだ?」
王は試すように言ってくるが、あたしとしては相変わらず肩を竦めるだけだ。
ちょっとムッとしたようだったが、あたしから口を開くつもりは無いので、ポケッと王様達の方を眺めとく事にする。
相手からすればバカっぽいだろうが、得られる情報は案外多い。
まず王の隣にヒッソリと立つ美形。耳の形と線の細さで分かるように、彼は森人。腰に騎士剣を佩いてはいるが、鎧の薄さと体格を見るに恐らく飾り。実際使うとしても一回りは細い剣で、魔術を主にと言ったスタイルだろう。
その隣に立つ槍オッサンは問題外。アウラが言っていた竜騎兵のお偉いさんだろうが、それ故に地上で戦える筋肉の付き方をしていない。ワイバーンに乗っていれば強いかも知れないが、と言った程度か。
で、大盾持ちの髭オジ。この場にいる最強はまず間違いなく彼だろう。立ち姿にブレが無く、僅かな動きでさえ軸がしっかりしている。身長は高いがずんぐりとした体躯に髭の豊富さを見るに、恐らく鉱人とのハーフと言った所か。
宰相と槍オッサンは人間。分からないのは王様だ。
人間っぽいが、多分純潔では無い。何かしら亜人の血が混じっているんだろう。まぁそれは単なる勘だけど。
「アウラ、ローダ、いい加減にせよ」
そう言えば、いつの間にかディセルがいない。
思い返してみれば、ここに入る前から姿を見かけなかった気がする。『自分がいるから陛下は大丈夫』みたいな事言ってたくせに、何を考えてるんだか。
「……カイナ。ねぇカイナってばっ」
「ん?」
「陛下の御前で注意力散漫になれるって……ホント凄いわね、貴女」
アウラの半眼に、笑顔で一つ頷いて見せる。
凄いから、ちゃんと約束を守って喋らないのだ。もっと褒めてくれてもいいんだけど。
「何でどや顔なのよ。もう喋って良いから、陛下の質問にお答えして」
「質問?」
首を傾げるあたしに、アウラはマジかこいつと目を瞠る。
「どれだけ強いのかって、尋ねられたでしょ」
「何、答えていいの?」
「いいっていってるでしょ」
アウラの許可を得て、あたしはやっと立ち上がって伸びをする。
周りの兵達が警戒したのか、ガチャリと鎧のこすれる音が響いたが、あたしは気にせず肩を回す。
「ちょ、ちょっとカイナっ」
「アウラだって分かってんでしょ? 実力見せてくれって言ってんだから、素直に見せてやればいいだけじゃない」
「それはそうかもだけど……」
「そもそもさぁ、客人として招いたって話なんじゃないの? 一人だけ椅子に座って他の奴らと揃って見下ろしてるって、おかしくない? こいつらが言う蛮族の方がまだ客の扱い方分かってるって」
「カイナっ」
「無礼なっ!」
アウラの叱咤を掻き消す声量で、宰相が怒鳴る。
そのまま血管が切れて死にそうなぐらい顔が真っ赤だ。そんなお爺ちゃんに、あたしは口元を歪めて言葉を返す。
「無礼? 礼を逸してるのはそっちじゃないの? まさか、これが帝国流のもてなしかた? 蛮族ねぇホント」
「き、き、きさ、貴様ぁ」
「図星刺されて顔真っ赤よ? そんなんじゃあたしの実力見せる前にぽっくり逝っちゃったりして。あっ! あたしの超能力ってことにしとく?」
念を送るように、ほらほら~と指をわさわささせてみせると、宰相はおもむろに眼帯へと手をかけた。
「小娘がっ!」
サッとアウラが横へと飛んだのが視界端に映った。
ホント、危機察知能力だけは高いんだから。
そう内心で苦笑する間もなく、両足ががっしりと固定された。
視線を落としてみれば、脹脛までが灰色に染まり、その領域が膝へと浸食しつつある。
「こ、こ、後悔するが良いっ!」
「まだ顔真っ赤だけど、その魔眼の代償?」
「へ、減らず口をぉっ!」
ぷるぷると小刻みに震える宰相が少し視線を上げると、今度は胸元から灰色の領域が広がり出す。
魔眼。数万人に一人の割合で発症するとされる、珍しい病気であり、能力である。
先天的に発現する為、これだけ強力な魔眼なら幼子の時点で殺される。それでも生きのびて今の地位にあるのだから、良い環境に恵まれたのだろう。
そんな事を思いつつ、あたしは少し膝を曲げ伸ばししてみせる。
それだけでぽろぽろと落ちてゆく灰色の塊。今まさに石化してゆく胸元の灰色は揺らぐ事すら無いが、足の方は皮バンに付着した石が簡単に剥がれ落ちてゆく。
「いいの? 動けちゃうけど」
「ぐぅぅ」
「ほ~ら頑張れ頑張れ」
屈伸よりも遙かに浅い角度で膝を曲げてるだけで、石は落ちる。宰相の視線が再び足に戻った事で膝辺りまで灰色が上り、剥がれる石の量も大分減るが、それでもちょっと動いているだけで全身が石化するにはそれなりな時間を必要とするだろう。
これは別に宰相の能力が低いのでは無く、あたしの魔力制御の影響だ。
剣に魔力を流す事で、強度と鋭さを上げる。それと同じで、着ている物に魔力を流している。それは要するに、常に魔力の膜で覆われていると言う事。
魔眼とは、視線によって魔力を流し、対象に干渉する能力。
現状は、対象に干渉する手前で效果が発動してしまっているわけだ。
本来なら服が石化し、皮膚、筋肉と石化は進行してゆくのだろうが、そう言った理由であたしの服は表面が汚れるだけで石化まではしていない。
なのに頑張るお爺ちゃん。
這いつくばり、汗を滴り流しながらも両目を真っ赤にしてあたしを睨んでくる姿は、ちょっと哀れみすら覚える。
「もう、しゃーない。じゃあ動きを止めてあげるから、ちゃんと頑張ってね?」
「ふ、ふぅぅぅぅぅぅっ」
頑張ってるのは一目瞭然なので、あたしは瞼を閉じて呼吸を止める。
当然服も含め全身には魔力を流したままだ。素の魔力だけでも筋肉までは石化しないだろうが、服は石化確定、下手すればハゲまであり得る。こんな爺のプライドを折る為に、そこまでのリスクを負うつもりは無い。
そんな事を思いつつ動きを止めていると、石化が頭頂部に至ったのが分かった。
「は、はははははっ! 小娘が舐めおってからにっ! げほっ、ぐふっ」
大喜びの後むせる老人の声が鼓膜を打つ。
意識して耳の穴を保護したわけでは無く、単に宰相の手抜きだ。それなりに場数は踏んでるだろうに、情けない。
首を振り、両肩を回し、目元を払う。パラパラと落ちる灰色の粉は、石と言うより灰色の塗料が固まったモノと表現すべき薄さだ。
レインコートに付着した水を払い落とすように、サッサと。その様子を呆然と眺めていた宰相は、突然白目を剥くとぶっ倒れた。
「……えぇ~」
何もしてないんですけど。
思わず気を抜いた瞬間、殺気が膨れ上がった。
反転して右拳を振り抜く。
轟音と共に拳は繰り出された大盾にぶち当たり、衝撃が赤い絨毯を千切り飛ばした。
思わず笑みを浮かべてしまったのは、仕方の無い事だ。
どれぐらいぶりかの、まともな、敵。
声を上げる事すら無い、正しい不意打ち。あたしの一撃に揺らぐ事すら無い武具に、使用者の強度。
これでテンションを上げるなと言う方が無理だ。
突き出される剣を半身を逸らして躱す。引き戻される剣に合わせて、下げた足を前へ。踏み込みと共に放つ一撃は、再び大盾にぶち当たり衝撃を辺りにまき散らした。
その意味を髭オジも理解してくれたのだろう。
剣を鞘へと戻し、ドッシリと盾を構えてくれる。こうやって意思の疎通が出来ると、なんか嬉しくなるのは武闘派故なんだろう。
だが、その笑顔が失われるのも早かった。
「おおおおおぉぉぉぉぉっ!」
咆吼と共に駆け寄ってきて、繰り出されるスピア。
大した速度でも無く、狙いが鋭いわけでも無いそのスピアをあたしは片手で掴んで、王へと半眼を向けた。
「おい、舐めてんのか?」
「卑怯とは言うまいなっ!?」
自分にかけられた言葉とでも思ったのか、意気揚々と槍オジがそう吠える。
スピアがピクリともしない事に気付かないんだろうか? ……いや、チラチラ髭オジに視線を向けてる辺り、気付いてこれってことなんだろう。
度し難い。
「卑怯上等。無い知恵絞り、確固たる決意を持って行われる卑怯には価値がある。……ただね」
「おおおおっ!?」
脇にスピアを挟んで、オッサンごと持ち上げる。
「あんたのそれは、ガキの悪戯に過ぎないのよ」
軽く放り投げると、オッサンは謁見の間の壁にぶち当たり、落ちた。
それでもスピアを手放さず、どうにか起き上がった辺りはマシな部類なんだろうけど、興醒めも甚だしい。
「ねぇ、どーなの? あたしを苛立たせる為にこういう教育してきたってんなら、さすが帝王って褒めてやるけど」
「黙って聞いていれば、陛下に対しての無礼、死んで償えっ!」
「無礼はテメェだろうがっ!」
あたしが放つ怒気に、森人青年は剣に手をかけただけで動きを止めた。
全くもって不愉快だ。どれだけ戦闘経験の薄い者を侍らかしているんだろうか。
「王が実力を見せてくれって言ったんだ。あたしと髭オジが良い勝負してる所に介入していいのは、この場ならあんたの魔術ぐらいなもんでしょ。……大して能力も無い奴の割り込み許して、今更やる気出すって? どんだけ舐め腐ってんだお前」
楽しくなってきた所を邪魔されて、苛立ちと共に美形青年を睨みやる。
髭オジ辺りは理解しているだろうが、最初の宰相との言い合いも、かかってこさせる為だけの話術だ。
実力を見せてくれと言われたから、その為の行動をしただけ。
その程度の事すら理解せず、髭オジの行動に合わせる事すら出来ない。もう一人に関しては実力差すら理解せず、不意打ちにもならない攻撃をしてきて得意げに。
髭オジがまともだっただけに、尚更ムカつく。
「ねぇ、どーなの。こんなアホ共で実力を見せろって? あ?」
あたしの言葉に、王は頭を掻き毟ると、大きく息を吐いて席を立った。
「すまなかった」
「陛下っ!?」
「まさかここまで未熟だとは思わなかったのだ。本当にすまない」
「何故、何故ですか陛下っ!」
「黙れっ!」
王は美形青年を一喝すると、これ見よがしにため息を吐いて見せた。
「ナリード。何故手を出さなかった」
「わ、私は近衛です。王をお守りする事が役目なれば」
「アルフォンスでさえ手こずる相手に、貴様が役目を果たせると言うか」
「そ、それは……」
「そういう事だ。アルフォンスが即座に制圧できない以上、貴様はその援護を行うべきだった。……ダニエル」
「は、はい陛下」
ふらふらと覚束ない足取りで王の近くまで来て、跪く槍オジ。
「実力を発揮出来ぬ場で、何故挑んだ」
「帝国を侮辱した者に、罰を、と」
「ナリードにも言ったが……実力差すら分からぬのか? 貴様等は」
「……っ」
「地上での戦いに、貴様の出る幕は無い。代わりに帝国の主力を預け任せているのだ。理解せよ」
「はっ」
一人一人指導してゆく王様。
それ自体は悪い事じゃないんだけど、あたしが少し不機嫌って事を理解してるんだろうか?
「もーいい。勝手にやってろ」
もう帰ろうと踵を返したあたしを引き留めたのは、「その前に御食事でもいかがですか?」という温厚な声だった。
「お……ディセル殿。何故ここに」
「あんたどこから出てきてんのよ」
何故か非常に驚いた様子の王様は無視して。ディセルに半眼を向ける。
彼が出てきたのは王座横の扉から。給仕服でも無ければ登城したときの服でも無く、料理人の服装。
見たまんまなら料理をしていたんだろうけど……何考えてんだろうかこいつは。
「隣が来賓用の食堂になっていますので、どうぞ」
「いや、なんで我が物顔なのよ」
「昨日とは違い、満足いただける料理にしたつもりです」
ニッコリと微笑まれ、あたしはディセルの促しに応じる事にする。
吝かでない。食事に罪は無いのだから。
「食堂って、普通謁見の間に隣接するもんなの?」
「我らが王はお忙しいので、時間短縮の為に急造されたのですよ。五年ほど前になりますか」
「詳しいのね」
「帝国一の料理人というのは、伊達では無いと言う事です」
なかなか言いおる。
その言葉に期待しつつ隣の部屋に入ると、既に料理が並べられていた。
「おぉ……」
思わず感嘆の声が漏れる。
謁見の間に比べれば四分の一にも満たないような細長い一室だが、等間隔でぶら下がる三つのシャンゼリアが淡く部屋を照らしている。魔術の明かりであるその柔らかな光は、絢爛豪華な装飾品に暖かな陰影をもたらし、上等さに上品さを纏わせている。
ここまで来賓用の一室として完済された部屋を見るのは初めてだが、あたしが声を漏らしたのは当然テーブルに並べれれた料理に対してた。
細長い部屋に合った、細長いテーブル。王様とかはそんなテーブルの端と端で食事して執事を使って会話するイメージだったが、並べられた料理は中心部に四人分。二人ずつ向き合う形だ。
その料理が、全て並んでいる。サラダにステーキ、白魚のムニエルに緑色のスープ。更にテーブル真ん中には飴細工で彩られた大きなケーキが置かれ、その彩りだけで唾液が出てくる。
すぐにでも食い散らかしたい欲求を抑え、あたしはディセルへと顔を向けた。
笑顔では無く、訝しげな顔で。
「いいの?」
「昨日ご満足いただけなかったようですので」
「……それでも、プライドとかあるんじゃないの?」
「料理人が誇るべきは技術であり、食べる人が満足するかどうか。それ以外は些事ですよ」
ディセルの言葉に、あたしは素直に感心する。
胡散臭い微笑みではあるが、言っている事はプロのそれだ。
料理人に限らず、一定以上の技術を伴う職人は自己流にプライドを持ちやすい。それ自体は悪い事では無いが、大体はそれで停滞してしまうのだ。
自分本位。客には与えてやる立場。あたしはそういう職人も嫌いじゃ無いけど、大体そこから見違えるほどに成長する事が無い。変化を嫌い、要求すら文句と勘違いするようになった時点で良くも悪くも変われなくなるので当然ではある。
その点ディセルはすでに超が付く一流。気高いほどのプライドがあって当然だと言うのに、この柔軟性。凄くもあるし、異常でもある。
「魔族の寿命って長いの?」
「人に比べれば遙かに。ですので、だからではありますね」
ディセルは自嘲気味に言うが、ンな事は無い。
「森人なんて寿命が長くて誇り高い事で有名だし、それを思えば誇っていい事じゃない? 技術は寿命によるものでも、変えてゆけるのはその人の在り方だろうし」
そんな普通の意見に、何故かディセルは細い目を僅かに開くと、微笑んだ。
「ありがとうございます」
「……いつもそういう顔にしなさいよ。日頃の顔、胡散臭いわよ?」
「ははっ。それは手厳しい」
そういうディセルはもう日頃の胡散臭い顔。
まぁいいけど、と呟いてあたしはテーブルに視線を戻す。
「それで、どこ座っていいの・」
「カイナ様とアウラ様はあちらへ。こちら側は私と陛下が座ります」
「あんたも食べるの?」
「昨日は食事を邪魔してしまいましたからね。本日は互いに食事をしながら話せれば、と」
「まーいいけど。で、食べてていい?」
「今暫くお待ち下さい」
苦笑交じりに言われてブー垂れつつも、言われた席に腰を下ろして待つ。
立ち上がる湯気が食欲をそそる。肉に魚とありがちな臭いに混じる果物の香り。そんな中でも一際強く感じるのはカボチャの香りだ。
緑色のスープからだ。空豆などの香り混じって、カボチャの甘い匂いが引き立っている。
そんな様々な美味しい臭いを内包した湯気。刻一刻とその色が薄くなってゆくのを眺めていると、少し悲しい気持ちになる。
「あいつら殺しちゃえば食べてもいい?」
「何おっかないこと普通に言ってるんですか……」
「さすがに、こんなに美味しそうなのお預けはキツい」
「そう言っていただけるのは料理人冥利に尽きるんですけども」
苦笑で済む話しじゃないんだけども。
ぐーっとお腹が鳴る。極めて当然の事なので恥ずかしくも無い。むしろ「お腹鳴ってるんですけど?」とディセルを見るものの、返ってきたのは首を横に振るというクソみたいなジェスチャーだ。
むぅ、耐えがたい。
対面に座るディセルを見る目が睨むものへと変わった所で、ようやく王様が現れた。
「待たせた。食べてくれて良いぞ」
その言葉を耳にするや否や、あたしは即座にスプーンを手にスープを掬う。
熱々では無くなっているものの、だからこそ抵抗なく口に出来る。鼻から抜ける香りは豆の方が強いが、味わいはカボチャのそれ。ハーブ類の香りと僅かな苦みがカボチャの甘みを引き立て、喉を通った後の口内に爽やかさを残す。
非常に食べやすい。そして、豆の香りが次は野菜を食べようと思わせる。
「……相当待たせてしまったようだな」
「陛下、お気になさらず。カイナは昔からこんなもんなので」
「そうか。……アウラも座れ。久方ぶりに伯父上の料理を堪能する事としよう」
「伯父上、ですか?」
「陛下。そこはまだ説明していないのですが」
「そうか。まぁ構うまい」
ディセルの隣に座る王様。アウラはあたしの横だ。
しかし、美味い。昨日のは食材の味を活かした料理だったが、今日のはソースの味に気を使った料理といった感じだ。素材の味を引き立ててはいるが、ソース自体の味を感じさせる料理が多い。今食べているサラダなんて特にそれが顕著で、ドレッシングが美味しい。パンに付けても美味しく食べれそうだ。
「公の場では勿論伯父上と呼ぶ事は無いが、既に魔族であるという事は聞いているらしいのでな。伯父上と俺が血縁関係である事は国家機密だが、伯父上が魔族である事は俺と伯父上のみの秘密だ、……昨日までの話しではあるが」
「ちなみに、伯父上とは呼ばせていますが、血縁的には曾祖父ですね。ですからディルほ殆ど人間ですよ」
「俺が物心つく頃には既に料理人の道を歩み始めていてな。先代が幾度となく声をかけても首を盾に振らなかったおかげで、よく下町の料理屋に行ったものだ」
「ディルが強引過ぎるんですよ。おかげで今となっては貴族相手の料理ばかりで……正直、腕の衰えを感じます」
「これだけの物を作って何を言うか」
楽しそうに笑う王を一瞥だけして、あたしは食を進める。
ステーキを厚めに切ってガブリ。昨日と違うオニオンソースが肉に絡まってこれまた美味い。上物の肉と一噛みで分かる柔らかさに、肉の血と汁の味。
昨日と違って、少し火が通り過ぎている感じがしないでもない。本来なら気付きもしない違いだが、昨日あんな完璧な料理を食べていると、その僅かな違いにも気付けてしまう。 まぁ、美味しいけども。とんでもなく美味しいけども。
「いえ、今回は半分ほどですね。弟子との共作ですよ」
「あぁ通りで」
それなら納得だ。
「ちゃんと監督したつもりなのですが……分かりましたか」
「何だ? 肉なら違うのか?」
顔を顰めるディセルに、あたしの真似をしてステーキにナイフを入れる王。
それに続いてディセルもステーキにナイフを入れ、その断面を見て僅かに頷いた。一流の料理人故に、それだけで分かったのだろう。
「さすがですね、カイナ様」
「いや、伯父上。これになんの問題があるというのだ?」
「焼きすぎ、ですね。私が持ち込んだ肉と言う事もあり、火加減を間違えてしまったのでしょう。……もう少し肉の質を落とすべきでしたか」
「十分に美味いと思うが……」
そう、十分に美味い。ただ完璧では無いと言うだけだ。
もっちゃもっちゃとステーキを噛みつつ、ステーキのソースを付けたパンを一口。完璧では無いが、こういうスタイルならこんな食べ方も許される。
それがいいのだ。フルコースという形式の時点で、こういった食べ方はあんま好まれない。昨日のフルコースに至っては、一品一品が完璧すぎて自由がなさ過ぎた。
好きなタイミングで、好きなのを食べる。あたしに合ってるのは、やっぱこういう食べ方だ。
それでも一品一品が豪華過ぎはするが。
「よく分かるわね」
「昨日食べたんだから、違う肉って言ってもそりゃ分かるわよ」
アウラにそう返して、白身魚のソテーを一口。透明なスープを一口飲んで、薄切りされた鳥肉のローストを一枚パクリ。
色んな味があって、非常に楽しい。もう一個のサラダは粉チーズがかかっていて、一個目以上にドレッシングの味が強い。他の料理に負けない特徴があって、個人的には好きだ。
「サラダ両方とこの透明なスープはディセルじゃない。ローストされた鳥肉のソースも、多分違うかな」
「どうなんだ? 伯父上」
王と同時に顔を向けると、ディセルはぽかんと口を開いていた。
見られている事に気付いたのか、軽く苦笑していつもの微笑みを浮かべる。
「そんなにハッキリ分かるとは思いませんでしたけど……どの辺りが?」
「サラダは単純、全部包丁でカットしてあるでしょ? 昨日はちぎってあったし。スープはちょこっと雑味がね。ステーキと同じで、昨日食べてなければわかりもしない違いだけど。ソースの方も同じで、果物の甘みが強く感じる」
比較すればこその意見であって、全部美味しいけども。
「お見事です。……ええ、本当に。私の監督もまだまだ未熟ですね」
「でもこういった形式の方があたしは好きよ?」
「カイナ様、それは慰めになってませんよ」
そう言われても、本心だから仕方ない。
アウラも王様も先程まで以上に味わって食べ始めたが、まぁ分かんないだろう。昨日食べたばかりのあたしだから分かる程度の違いだ。
でもってその程度の違いなら、決め手になるのは好みだ。なので、優劣を付けるとしたら今日の方が上。お世辞でも慰めでも無く、純粋に今日みたいな形式の方があたしにはあっている。
「伯父上の料理はそれなりに食べているが……分からんな」
「そう言えばカイナ、毒味勝負とかやってたわよね。なんでそんな事してて、味覚が鋭いままなのよ」
「やらなかった? あれ、抗体作りと味覚強化の訓練。舌先で判別できないと、死にかねないしね」
<三奪>の必須教育の一つだと思っていたけど、違ったんだろうか。
暗殺者が最も好み、最もつまらない殺し方、それが毒だ。殺し合う事を良しとする武闘派にとって毒は脅威であり忌むべき物でも在る。
それ故に、抗体作りは必須。仮に抗体を得たとしても摂取すれば体調を崩すし、普通に死ぬ事もある。だからこそ、抗体作りを兼ねてまずは味覚、そして嗅覚の強化を優先して行ったものだ。
「そうだ。俺はその辺りの事を聞きたかったのだ」
「あぁ、<三奪>の事を聞きたいとか何とか」
「うむ。俺や先代、先々代の武勇を聞く事は多いが、それ以外を聞く機会が少なくてな。そんな俺でさえ耳にした事がある<三奪>だ。是非面白い話を聞かせて貰いたい」
「そー言われても」
今更ながら、パンも美味い。柔らかいのは当然として、ほんの僅かに甘く口当たりが軽い。
悪く言えば物足りない。だが、これらの料理に合わせたパンとしては最上だ。パン自体が味を主張しないおかげで、何にでも合う。いくらでも食べられる。ソースにつけて良し、バターを付けて良しと、パクパク食べられる。
いいなぁこのパン。何個か常備しておきたい。
そんな事を思いつつもぐもぐし、王様が求める話を探す。
武勇伝からグロ、お笑いと幅広くあるが、何を話したんだか。
「って言うか、アウラからそれなりに聞いてるんじゃないの?」
「最初の頃は色々と聞かせて貰ったのだが、互いに忙しくてな」
「貴女と違って、忙しいのよ。私も、陛下も」
ステーキを切る手を止めて、ため息を吐くアウラ。
なら仕事辞めれば良いのに、と言う言葉は飲み込んでおく。
なんだかんだ言っても、今の仕事に馴染んでいるのだろう。ここがアウラの居場所というなら、下手な事は言うまい。
「あ、それで陛下」
「こういう場ではディルと呼ぶ事を許しているだろう」
「昨日報告しましたとおり、今はもう、<三奪>として仕事を受けているわけではありませんので」
ニッコリと笑顔を見せるアウラに、王は顔を顰めた。
「……で、なんだ。仕事の話ならお断りだぞ」
「仕事と言えば仕事ですが、三日後の武闘会に関してです」
「完全に仕事の話では無いか」
「私も一仕事終えましたし、カイナを招待してみてはと思ったのですが。仕事の話になるのなら仕方ありませんね」
「待て。……それは良いな」
アウラの言葉に、王はあたしに向かってニヤリと笑みを見せた。
「カイナ殿、どうだ? 出場してみないか?」
「断る」
「そうつれないことを言うな。勝ち負けとは別に褒美を出すぞ?」
「いらない」
「……お前、ブレないな。仮にも俺は王なんだが」
「別に興味ないし」
武闘派として疼きはするが、見世物になるのは趣味じゃない。
「陛下。カイナは頑固なので、嫌だと言ったらもう無理です。……でも、席を用意したら見には来てくれるでしょ?」
「そりゃあ、まぁ」
武闘会と言えば、この大陸でも数少ない公営の娯楽だ。帝国ほどの領土があっても闘技場は帝都に一カ所のみ。他の国にしても同じ事で、一定以上の勢力を有する国家が一つ有しているだけだ。
乱立しない理由は幾つかあるが、『出場者が集まらない』というのが最も分かりやすい理由の一つだろう。
一定以上の人口が無ければ、見世物になるだけの実力者が集まらない。奴隷を参加させるような試合では賭け事にならず、人も集まりにくい。何より、奴隷も財産なのだ。出場させるリスクに見合う対価があるならまだしも、労働力として酷使した方が普通は利益を見込める。
そんな理由で、闘技場をまともに運営できる国家自体が稀。そんな国家の中でも帝国の闘技場が有名で、そこに出場する事で日銭を稼ぐ闘技者が職業として成り立っているほどだ。
そう言った者達にとって年に一度の大イベント。それが武闘会。有料だというのに、既に来年分の席までもが全て埋まり、高額で転売されているほど。
それほどのイベントだ。勿論興味はある。
「なら、そー言う事で。陛下もそれで宜しいですね?」
「まぁ、いいだろう」
「不満そうですね? 私は陛下の為を思いカイナを招くのですが」
「どういうことだ?」
口調こそ王らしく重いものの、応じるアウラの表情は笑顔そのもの、まるで弄られる弟とそんな弟が大好きな姉みたいな雰囲気だ。
「カイナは殺し屋です。それも、並大抵の相手ならば真正面から容易くいなせるほどの。……そんな彼女の視点から武闘会を見れば、陛下とは異なる視点も知る事が出来る。そうは思いませんか?」
「それは良いなっ!」
「……ですが陛下がご不満のようでしたら、カイナの席は一般客席と言う事で」
「良いなと言っただろうっ!? なんでお前はそう……あぁいや、本当に頼りになる。うむ」
「ありがとうございます」
仲良いなーと思いつつも、上手い事仕事を押しつけられて、あたしはげんなりとする。
救いがあるとすれば、美味しい物を食べている途中という点か。ため息を漏らそうにも、これだけ美味しい料理だと感嘆の吐息に変わってしまう。
「じゃあ当日は頼むわね、カイナ」
「はいはい。それでディセル、これはどうやって食べるの?」
一通り食べ終わったあたしの目は、テーブル中央のそれに釘付けだ。
飴細工で覆われた、焦げ茶色のケーキっぽい物。ディセルの事だから、食べ物である以上不味い筈がない。
「食べるのが早いですね、カイナ様。……では、陛下とアウラ様には失礼ですが、こちらの仕上げに入らせていただきます、出来ればすぐに食べていただきたいので、水かシャーベットで口直しをどうぞ」
そう言って、ディセルは真っ黒な大皿の縁にに触れた。
焦げ茶のケーキの周りを彩るように、術陣が広がってゆく。その経路上には、飴細工。術陣が一際強く輝くと、飴細工に緑の炎が伝い、焦げ茶色の大地に金色の雨を降らした。
「飴が固まる前に、一切れどうぞ」
「んっ」
言われるまでも無くケーキサーバーを突っ込み、一切れ引き抜く。
中から流れ出てくるのは茶色い液体。見た目からは想像できないほど甘い匂いが辺りに広がる。
小皿に移し、ちょいと無作法ながらも手で掴んで一口。
甘い。美味しい。茶色い液体は蜂蜜のように粘度があり、コーヒーのような豆を煎った風味が溜まらない。それを包む生地もサクッとしていて、とても食べやすい。
そこに混じる、飴の甘さ。これがまた、悪くない。
「チョコレート、と言うらしいです。来訪者が残したレシピに書いてあったもので、カカオと言う豆を潰して砂糖を混ぜる、と言う単純な行程なのですが……そのカカオが見つからなくて。どうにか見つけましたが、この味を出すまでも試行錯誤でした」
「これは、美味いな。伯父上、量産は可能なのか?」
「当面は無理ですね。見つからなかった理由でもあるのですが、食用に向いた豆では無く、栽培されていないのですよ。こちらにはコーヒーの文化がありますので、商人がもしかしたらと持ってきた豆の中にたまたまあったと言うだけで」
「栽培の指示は?」
「知り合いに頼みましたが、何分数が少ないので。南から来た商人にはカカオを言い値で買うと言っておきましたので、来年にはまた一定量入荷するでしょうが」
「……惜しいな」
「大量生産されるようになっても、砂糖が高価ですので流通するようになるのはまだまだ先かと」
砂糖をふんだんに使っているなら、まぁあと十年は市場に出回らないだろう。
儲かるのに何故砂糖が量産されないか。理由は単純、腹に溜まる物ではないからだ。
小競り合いなどが無くなり平和になればそう言ったお金になる作物を育てる者も増えるかも知れないが……数年程度じゃ、まぁ無理だ。
惜しい。本当に、これは惜しい。
もう食べれないなら沢山食べとこう。
「……貴女、良くそんな食べれるわね」
「? 美味しい物はいくらでも入るでしょ?」
「入んないわよ。それでも無くてもこれ……美味しいけど、重くない?」
「アウラの言うとおりだな。非常に美味いが、胸焼けするな」
「オッケーオッケー。責任持ってあたしが全部貰うから安心して」
「明日食べるから半分よ」
「俺も欲しいんだが」
キッとあたしとアウラに睨まれ、視線を逸らす王。
「アウラはここの人間でしょ? 食べる機会があるんだからここはあたしに譲りなさいよ」
「次いつ食べられるか分かんないから、半分」
暫くアウラとにらみ合い、諦めてため息を漏らす。
勝ちを確信したアウラは、笑顔で二切れ小皿に移し、魔術でガチガチに冷やし始める。
勿論あたしはこの場で食べきる。魔法袋に入れて小出しにするのも手だが、やっぱり出来たては食べちゃいたい。
と言う事で、美味しくペロリ。これを食べれたと言うだけで、ここに来た甲斐があったというものだ。
「それじゃあ<三奪>の話だけど……アウラは何が聞きたい?」
「陛下がお求めなの。お分かり?」
「そ~ね。だから、あんたが知らない話の方がいいでしょ?」
あたしの言葉にアウラは驚いた顔をした後、微笑んだ。
「そうね、ありがと。それじゃあ、さっきの蛇関連の話とかどう?」
「毒系だと地味な話が多いけど……結果的に派手になった三年前の話とか」
そう言って、あたしは食後のコーヒーを飲みながら話を始めた。
蛇と組んで遂行した仕事の中でも派手な結末の話を選んだので、王にも好評。思ってたよりも遙かに楽しく会食を終える事が出来たのだった。
△▼△▼△▼
武闘会の日はすぐにやってきた。
あれから四日。たったの四日だ。
その間にした事を簡単に言えば、帝都サイコー、だろう。
屋台、店舗共に、食べ物屋が非常に多い。祭りっぽく数多の屋台が出ていた事もあり当たり外れも大きかったが、それもまた一興という奴だ。一日三食にあれやこれやと買い食いしたものの、珍しい食べ物はまだまだあった。
とはいえ、帝国発祥の料理は少ない。メインとなるフルコースは帝国一の料理人であるディセルから提供して貰えたので、もうこの国にいる理由は無かったりする。
少し歩くだけで各地の料理を食べられるってのは、素晴らしいメリットではあるんだけども。
「ここからはVIP専用。帝国用の部屋にはもう他国の人達はいないだろうけど、騎士団長と近衛兵長、宰相はいる筈だから、謁見の時みたいにはしゃがないように」
「あいあい。で、びっぷって何?」
「来訪者が言い出した言葉みたいね。偉い人って意味みたいだけど」
「ふ~ん。チョコレートや円もそうだけど、来訪者って何か変な言葉残すのね。……人間なの?」
「そう言われてみれば、亜人って話は聞いた事無いわね。『やま』とか『ぶりしゅ』とか、色んな人種みたいだけど」
階段を上った先には衛兵が二人。アウラがカードを見せるとその二人は頷き、扉に魔力を流した。
術陣が浮かび上がり、扉が左右にスライドする。その先は、まさに別の世界だった。
廊下には絨毯が惹かれ、壁には絵画。闘技場と言うより、城の廊下だ。
等間隔で衛兵が立ち、その誰もが一度はあたしを凝視してくる。やっぱりこういう場に黒ずくめというのは珍しいんだろう。
「VIPルームは東西南北に一ヶ所ずつ。それぞれの部屋から隣の部屋まではこの通路で繋がっているから、非常時にはすぐに連絡が付くようになってるの。今日はそれぞれの通路に四人、扉前に二人付いてるから、何か起こるって事はまず無いわ」
「今日来てるのは四ヶ国だけ?」
「まさか。大陸各地から王族とか貴族が来てるけど、帝国として席を取るのは大国の公爵以上か、王族のみ。VIPルームの四ヶ国は、帝国が招いた賓客。それに相応しい大国の代表よ」
「……はぁ」
「西はルイウィスト連国、南はアルティオーレ共和国。東は海洋国家ジセルね」
「ジセルなんて国あった?」
「大陸の東部海岸線沿いを領土にしてる経済大国よ。カワラ海上帝国の方が有名ではあるけど、あっちは島国で殆ど鎖国状態ね」
「あぁ、カワラ。そう、カワラ料理」
カワラは島国で独自の文化を築いている為、名前だけは有名だ。東方と言えばカワラとイメージするほどに。
どんな料理か非常に興味深い。大陸東部では麺や米が主食になると聞いているので、今からもう期待してたりする。
「そう言えば神国は?」
「アーマリエ、ね。……殴り合いの祭典に、宗教屋呼ぶと思う?」
「あー、それもそうか」
納得と頷くと、アウラは肩を竦めて再び衛兵にカードを見せた。
先程と同じように、扉が開く。
「ようやく来たか」
「お待たせ致しました、陛下」
「良い。二人とも、こちらに来て座れ」
靴で歩くのが勿体ないほどにふかふかな絨毯に、大理石のテーブル。闘技場に向かう一面がガラス張りで、闘技場全体を一望できる最高の場所だ。
とは言え。かなり離れているので選手の動きを精細に把握する事は出来そうに無いが。
テーブル端の椅子に腰を下ろす。
長方形のテーブルで、会場を見下ろすのにあたしだけが横を向く形だ。アウラ、王、宰相は並ぶように座り、あたしの正面になる一席は空いている。
ちなみに、当然だが他にも人はいる。部屋の奥、会場が見えないだろう場所に三人の衛兵。更に左右の扉には二人ずつ。王の斜め後ろには近衛のエルフ青年が立ち、ガラス張りの両端には高位の魔術師を思わせる高そうなローブを纏った女性が二人立っている。
「それでカイナ殿。誰が優勝すると思う?」
「パッと見ただけで分かるはずないじゃ無い」
そんな返しに宰相がムッとした顔を見せたものの、口を僅かに開いただけで言葉にはしなかった。この前のが相当効いているんだろう。
「昨日は観戦しなかったのか?」
「人が多すぎて近付きもしなかったわよ」
「はっはっはっ。この三日間は帝都の人口が三倍にはなるからな」
「三日? 明日もなんかあるの?」
「明日が決勝だ。出場者によるパレードも明日行われる」
「ふ~ん」
「陛下、後は私が説明致しますよ」
「そうか? ならばアウラ、任せた」
「はい」
王の言葉に頷いて、アウラはあたしに顔を向けた。
「何も分かってないと思うから最初から説明するけど、あの場にいるのは昨日の予選を越えてきた十二名と、ウチを含めた四ヶ国からの推薦四名の、計十六名。今回予選参加者は六百三十四名。あの場に立てるってだけで、十分な名誉なの」
「ふ~ん」
「全く興味が無いのは分かったわ。……兎に角、だから帝国としては彼らを讃える為にパレードを行うの。午前が決勝に表彰、午後がパレードって流れね」
「どーでもいいけど、今何やってんの?」
「選手の紹介と組み合わせの発表ね。一通り終わったら、一時間後に第一試合が開始されるの」
「開始まで遅くない? 第一試合でしょ?」
「賭けの倍率決めて、券を買う時間も必要でしょ? 一試合目と九試合目の前だけ一時間空くのよ。基本は十五分、仕合の進み次第で後半四試合は休憩が三十分に伸びるってとこかしらね」
「なーるほど」
「ちなみにだけど、推薦四人は基本的に低倍率。調べた所、過去十年推薦された選手しか優勝してないから、仕方ないんだろうけど」
「予選無しってメリットも大きいだろうしねぇ」
「一応、組み合わせは完全に運。一回戦から推薦された選手同士が戦う事もあるんだけど……今回は綺麗にばらけたわね」
完全防音なおかげで外の声は欠片も入ってこないが、視界が二人ずつに分けて並べているので、その様子を眺めているだけで大体分かる。
帝国の騎士団長髭オジは一回戦。相手はひょろりと長い亜人男性。横幅なら髭オジの半分もないように見えるが、身長が他選手と比べても一際高い。遠目にも分かるディセルのような糸目で、両腕には白い体毛、頬には緑色の鱗と雑多な混血具合が見て取れる。
「一戦目と、三四五戦目が推薦枠の選手ね。……誰が強そう?」
「間近に見れば分かるかもだけど、この距離じゃあさすがにね」
そう答えると、立っている女性がガラスに手を触れ魔力を流した。
ガラスを縁取るように魔術陣が浮かび上がり、景色が拡大される。
おぉ。と内心で驚くものの、違う。そういう事じゃない。
「立ち姿だけで分かる事も多いけど、強さってのは相対して分かる事が多いのよ」
ガラス脇の女性にそう告げるが、一人ずつ拡大して見せてくれるので最後までちゃんと観察する。
「……ん~、二六七戦目の選手はダメかな。闘技としてみるなら、二戦目は面白いかもだけど」
「何故そう思う?」
「六戦目と七戦目の四人は、盾と剣で普通に戦うタイプ。それ自体が弱いとは言わないけど、普通に戦って勝ち上がったせいで疲労が抜けきってない。だから両足にかかる負荷が均等になってない」
「見て分かるものか?」
「肩や背筋、頭の位置とか、まぁ全体を見ればね」
「ちなみに二戦目の二人は?」
「あの二人も普通の装備だけど、多分魔術が得意なタイプね。あたしみたいに身体能力強化が得意なだけかもしれないけど、それにしても筋肉の付き方が甘い。攻撃系の魔術が得意って方が納得できるし、それなら見てて派手だろうしね」
「……見ただけでそこまで分かるものか」
「あたしが思うよりレベルが低いなら、そりゃあ別の結果になる。その辺りは勘違いしないように」
「あぁ分かっている」
苦笑する王の横で、宰相の顔が真っ赤に染まって血管が浮き出ている。
大丈夫なんだろうか? この前みたいに何もしてないのにぶっ倒れそうでちょっと心配ではある。
視線で王にそのことを伝えると、王は頷いて宰相の肩を叩いた。
「ローダ、力を抜け」
「ですが、ですが陛下っ」
「お前の忠誠、献身には感謝している。だが、彼女は客であり、臣民でもない。気にいらんのは分かるが、彼女は対等な友だ」
「友っ!? 下民ですぞこの者はっ!」
「その下民相手に何も出来ず、自滅したのは貴様だろうが」
宰相は怒声と共に立ち上がったものの、王の言葉にサーッと顔を青ざめさせると、ドサリと椅子に崩れ落ちた。
「我らは帝国だ。力こそが正義だ。及ばぬのならば、せめて認めろ。分かったな? ローダ」
「……はい」
慰めるように怒られて、萎れるお爺ちゃん。そうなるのを待っていたかのように、ディセルがサービスワゴンを押して入室してきた。
「失礼します。……おや、何かありましたか?」
「いや、何でもない。何用だ?」
「軽食をお持ち致しました」
大きな四角い皿がテーブルに置かれる。その蓋が外されれば、ずらっと並んでいるのはサンドイッチだった。
ティーカップが置かれ、紅茶が注がれてゆく。
「今回は全て宮廷料理人にお任せしました。ローレヌ州の茶葉と共にお召し上がり下さい」
「ん。じゃあいただき」
早速手に取ると何故か呆れたような視線が集まるが、あたしは気にせず一口食べる。
最もありふれた、野菜にハムのサンドイッチ。一般的なサンドイッチと違う点は数え切れないほどあるが、最大の違いはやっぱりハム。冒険者用なら塩辛い干し肉が普通で、店舗で提供されるなら燻製肉なのだが、これは生ハム。バター香りと生ハムのほどよい塩分が野菜を美味しく食べさせてくれる。
二つ目のゆで卵を潰したサンドイッチを食べながら、対面に腰を下ろしたディセルへと視線を向ける。
その意味に、ディセルはすぐに気付いたのだろう。一つ手に取り、一口食べただけで頷き、小皿へと食べかけをおいて入り口へと視線を向けた。
そこにはディセルに続いて入ってきた男性。ちゃんとコックの衣装に身を包み、老練のプロと言った雰囲気を纏っている。
「宮廷料理長。試食の段階でもお聞きしましたが、これがサンドイッチとしての完成形だと」
「はい、ディセル様。軽食として食べやすい食材を挟み、どのような組み合わせであっても素材の味が損なわれないよう工夫しております。全てのサンドイッチに使う事になるバター、パンに関しても素材から最高級のモノを用いて作っておりますので、ご不満を抱かれるとしても個人の好みの範囲になるかと」
「と言う事ですが、皆様は如何でしょうか?」
ディセルの投げかけに、普通に食べていた三人の手が止まる。
一流を前に評価しろと言われれば、まぁ困るだろう。けど、おかげであたしは気楽に好きなサンドイッチを手にできる。
クリームのようなモノに黒い粒が入っているサンドイッチが気になっていたのだ。
「……俺は、美味いと思うが」
「私も、これ以上のサンドイッチと言われても想像がつきません」
あ、このサンドイッチ……すっごい不思議だ。
チーズのクリームだろう。それに塩辛い粒。更にバターの風味が重なって、デザートっぽくもある。
なんか爺さんが睨み付けてくるが、同じ物はあんたの前にもある。王の物を取ったの何だといちゃもん付けるつもりなら、それを王に献上してやれと言いたい。
「……儂も、最高のサンドイッチかと」
「と言う事ですが、カイナ様は如何ですか?」
「分かってるなら訊かないでよ。……高けりゃ良いってもんじゃ無いでしょ? こんなもんはさ」
手軽に食べる料理に、最上やら至高なんてのは存在し得ない。どんなに金をかけて作ったとしても、それがディセルの作るフルコースに勝るなんて事は確実に無いのだから。
うん、そー言う事だから睨まないでいただきたい。
愉快げな顔を見せるのは、王様とディセルだけだ。
「ん~……そこの近衛エルフちゃんも食べてみたら? 軍人経験あるなら分かると思うけど」
「ナリードだ」
「良い。ナリード、食べろ」
「陛下……。では、失礼します」
サンドイッチを一口食べるナリード。表情は変わらないが、あっという間に一切れ食べ終え、一つ息を吐いた。
「……確かに、美味しいです。美味しいですが……不本意ながら、彼女の言う事も事実かと」
「ほぅ。何が問題だ?」
「この場に出される料理としては最適だと思いますが、パンが軽すぎるかと」
ナリードの言葉に、ディセルが笑顔で拍手を送った。
「その通り。料理としては陛下に提供するに足る出来ですのでこうして持ってきましたが、サンドイッチとして見れば良くて及第点です」
食べかけを一口食べて、料理長に顔を向けるディセル。
「パンが上質であるが故に軽すぎる。その結果、具の味が前面に出すぎている。……私はサンドイッチを作ると聞いたのですが、パンに合う物を作りたかったのですか? それならば合わせる丸パンも必要ですが」
「申し訳ありませんっ!」
「ボッシュ。貴方の腕は信頼していますが、驕らない事です。その料理には、その料理である意味があるのです。その辺りを間違えないように」
「はいっ! すぐに作り直して参りますっ!」
「いえ、その必要はありません。料理としては合格点だからこそ、陛下にお出ししたのです。……それより、追加をお願いします」
むしゃむしゃ食べるあたしを見て、ディセルはニッコリ。
「この分ではまず足りませんので。もう一皿……いえ、二皿お願いします」
「はいっ! すぐにっ!」
兵隊のようにビシッと背筋を伸ばしてそう言うと、小走りで退室してゆく料理長。
宮廷料理長って言えば、普通どこの国でも国一番の料理人を示す肩書きなんだけど……まぁいっか。
おかわり自由ならあたしも気楽に食べられる。パンが軽いおかげで、三皿ぐらいなら一人で食べ切れそうだ。
「ナリード。良く分かったな」
「はっ。サンドイッチと呼べる程の物ではありませんが、行軍中は似たような物を食べていましたので」
「軍のサンドイッチ、か」
「腹を満たす事が優先ですので、陛下が興味を持つほどでは」
実際、軍の料理なんて基本そんな物だ。堅いパンをどうにか食べる為に、スープがあるならそれに浸けて、無いなら薄く切って干し肉挟んでサッサと食べる。
あれはあれで疲れてるときは美味しいのだが、顎が疲れる。冗談でも王に出すような物では無い。
「カイナも、よく分かるわね」
「色々食べてるからねぇ。そう言えば、グレンダ王国で食べた角煮なんかも面白くて」
そう言って始まったあたしが食べた物談義は王にも好評で、第一試合までの時間を潰すにはあまりある程に会話が弾んだのだった。
△▼△▼△▼
本日の仕合、終了。
髭オジが部屋にいるという時点で、結果は言うまでも無いと言う奴である。
準決勝所か一回戦敗退。
相手が強かったと言うより、髭オジが手を抜いたと言うべきだろう。確かに相性は悪く、トリッキーな動きで攻め立てる蛇男に対して、髭オジの剣では決め手に欠けた。
とはいえ、決め手に欠けたのは相手も同じ。長期戦になれば守り手の方が有利にもかかわらず、髭オジは早々に降参した。
大番狂わせ。にもかかわらず、髭オジが『後進に道を譲る』みたいな事を大声で告げると、会場は沸いた。戻ってきた髭オジを王もねぎらっていた所を見れば、別段勝ち負けはどうでもいい大会なんだろう。
かなり大規模な武闘会だから、国家の威信にかけてなんちゃらかんちゃらだと思っていたんだけど。
「団長に勝った相手、ちゃんと決勝まで進んだわね」
「あれ、どこの国の奴?」
「大会出場時の登録では帝国になってるけど、北方小国のどれか。テリ、マルン、ロメル辺りまでは絞ったけど」
さすがはアウラ。退室するとしても短時間だったのに、ちゃんと仕事してる。
「身元隠すって、その三国と敵対してんの?」
「いいえと言うべきかはいと言うべきか、悩む所ね。……帝国の認識としては敵対していない、と言うのが正解かしら」
「相手としては敵対してるつもり、ってこと?」
「帝国って武力で領土を広げてきたでしょ? 連合組んだりして敵対してきた相手は資料に残ってるけど、そうじゃない零細国家なんて記録に残んないのよ。でもって北方に関してはあえて進軍しようとした形跡すら無いから……過去に何かあったかどうか分かんないのよ」
「そう言われてみれば、帝国の人間になってから一年も経ってないのよね、アウラは」
「すんごい濃密な日々を送ってるわよね、ほんと」
げんなりと肩を落とすアウラだが、どことなく楽しそうに見えるのは付き合いが長いからだろう。
「騎士団長に限って無いとは思うけど……領地がその三国と接してる」
「何かしらの取引があった可能性もある、か」
「まず無いと思うんだけどね。この前の件もあるから、そういう事するなら統括の方だろうし」
「そー言えば、ネズミに下った奴らって結局個人で買収されてたわけ?」
「分かんない」
「は?」
「拷問かける前に殺されてね。仮にも飛竜隊の者だから陸路で輸送したんだけど、その途中で。それで手詰まりよ。監視してたから、統括が絡んでないって事だけはハッキリしたけど」
「もしくは槍オジも、かもね」
「怖い事言わないでよ」
そうは言うが、アウラとしてもその可能性は把握しているだろう。
最悪ってのは普通に起こる。おしどり夫婦で知られていながらも、夫の暗殺を頼む妻。隣国の王妃が欲しいからと、同盟中の王の暗殺を頼む王。そういうのが普通にある世界なのだ。最悪を想定しておくに越した事は無い。
「では陛下、参りましょうか」
「そうだな」
他のVIPルームにいた来賓達が去ったのを確認して、王が席を立つ。
会場の客ももうまばらだ。そうなるまでわざわざ待たないといけない王という立場も、それなりに面倒いものだ。
「ではアルフォンス殿、先を頼むぞ」
「承知」
頷いた髭オジが先頭。それに続いてあたしとアウラ、宰相と王、最後尾がナリードという順で部屋を出る。
ディセルは料理人の指導と片付けがあるらしく、一足先に部屋を出ていたりする。
「……護衛こんな少なくていいわけ?」
「武闘会の習慣らしいから仕方ないわね」
「習慣?」
「開催国の王は、治安の良さを証明する為に護衛少なめで会場を出るの。……まぁ、先代が一人で馬車まで向かったのがその始まりみたいだけど」
「メンツの問題か」
「そういう事ね。事前に人払いしたり、経路の安全確認はしてるけど」
「だからあたしを誘ったってわけか」
「その見返りは十分受け取ってるでしょ?」
アウラが悪戯っぽく笑う。
確かに武闘会を最高の場所から見れるのだ。王への解説はちょいとめんどいけど、何も起きないならお得な仕事と言えるだろう。
衛兵が並ぶVIP通路を出て一般用の通路に出ると、多くの人が並んでいた。
王様を近くで一目見ようと待っていたのだろう。暗黙の了解なのか事前に指導があったのか、ちゃんと道は開いている。
「……私服の護衛は入れてないの?」
「それがバレると中傷の対象になるから、あんまね。昔、ルイウィスト連国はその辺り上手くやってたんだけど、バレちゃって一気に評価が下がって……国が傾きかけるほど名声が下がったのよ。どの国もそれを嫌って、ね」
「人の噂って怖いわね」
たかがその程度でと思わないでも無いが、そんなもんと言えばそれまでだ。
民衆ってのは叩けると思えば一気に叩く。恐らく当時は他に話題も無く、一般人にとって絶好のネタだったのだろう。
階段を降り、一階へ。来賓用の出入り口は一般、貴族用とは別なので、そこまで来れば他に人はいない。見栄の為か衛兵すらおらず、開かれた扉の先に馬車が見えるのみだ。
ガランとした広いホール。天井を支える太い柱が二本。
その内の一本から顔が覗いた。
見上げるほどに高い位置から、蛇のような顔が。
ちょっとしたホラーだ。
髭オジが剣に手をかける。
そして、
「ぎぃっ!」
あたしは強い衝撃を受けて吹き飛んでいた。
髭オジの攻撃に、ちゃんと反応した。それでもかなりの距離を打ち飛ばされ、背中から落ちた反動で一回転して、辛うじて着地する。
ジャケットを着ていなければ、袖に暗器などの道具を仕込んでいなければ、咄嗟に翳した左腕だけで無く、重ねた右腕まで持っていかれていただろう。
不意を突かれたとは言え、完璧な対応はしたはずだ。にもかかわらず、このあたしが、ここまでやられた。
「対応する、か。やはり危険だな」
「はっ。そこの蛇男相手に手加減してたどころか、初日のアレでさえ十分な手加減してたってわけ。……舐めてくれる」
髭オジの言葉を鼻で笑い、その事実を反芻する。
謁見の間であれだけやって、それでも尚手加減で済む相手と認識されていたわけだ。
これを愉快と言わずして何か愉快にあたるというのか。
全く、世界は広い。
「アルフォンス殿っ!?」
「アルフォンスっ! 貴様、どういうつもりだっ!」
「見ての通りです陛下」
切っ先を王へと向けるアルフォンス。その横顔に、あたしは右手で投げナイフを放った。
僅かに盾を動かしただけで、容易く弾かれる。
「寝ていろ、小娘」
「それ以上舐めなさんな。愉快な気分が台無しになる」
ジャケットのファスナーを下ろし、そこに左手を入れて立ち上がる。
「アウラ、蛇男の相手は任せた」
「……任せて良いのね?」
「あったりまえでしょ。これは、あたしの獲物だ」
「分かったわ。……ローダ、ナリード、動くな。それ以上陛下に近付けば敵と見なします」
「何を言うっ!」
「ローダ、従え。ナリードも、俺の忠臣足るならばアウラの言葉に従え」
「……分かりました」
「陛下……。よろしいのですな?」
「うむ」
あちらは話が付いたようだ。
蛇男に関しては、アルフォンス同様実力を隠していたとしても、仕合を見た限りアウラなら問題なく勝てるだろう。
「セド。出来るな?」
「当たり前ダよ」
ゆらりとアウラの前に歩み出る蛇男。
アルフォンスはこちらへと歩み寄ってくる。邪魔をさせない為だろうが、こちらとしても好都合。
「さて、それじゃあ始めようかアルフォンス。楽しませてよね?」
「ふん。楽しむ余裕も無いと思うがな」
大盾を構え、じりじりと距離を詰めてくる存在感の、なんと大きい事か。
まるで城壁が迫ってくるかのような威容。放たれる圧に、全身が震え、唾液が溢れてくる。
極上の、敵、
美味しい料理を食べるときのように奥歯を噛み締めて、あたしは堪えきれない笑みを零しつつ足を踏み出した。
踏み込み、捻り、回し、放つ。
【鎧抜き】
拳打により発生する衝撃に回転を加える事により、より深くまで衝撃を伝える技だ。
だが、アルフォンスはそれを流した。
受ける直前、盾の角度をずらし、腕では無く地面に流れるように調節したのだ。
結果、大盾を突き立てた大地が大きく凹む。その現象を意にも介さず繰り出される剣を半身を逸らして躱し、更に踏み込んで一撃。
ドンッ! と音を立ててひしゃげるのは、盾を打ち立てた地面。大理石の床は既に砕け、盾の切っ先が埋まっているのは茶色の大地だ。
全く、嫌になるほど冷静な髭オジだ。
盾の位置が変われば衝撃を流す角度も変わるというのに、平然と流しきってみせる。
救いがあるとすれば、剣の腕前はそこそこ止まりという点ぐらいか。それでさえ偽装である可能性は捨てきれないが。
「ったく。あたしはこんなに楽しいってのに……その仏頂面どうにかなんないの?」
「貴様なら分かるだろう。やるだけ無駄だ」
「……はぁ。なら、ちょっとはやる気出して貰おっかな」
振り下ろされる剣を横に跳んで躱し、蹴りを放つ。
当然のようにその蹴りも盾に阻まれるが、アルフォンスの戸惑いが手に取るように分かった。
にんまりと笑みを浮かべ、右拳、左足と盾へと打撃を叩き込む。
「ぐっ」
苦悶の声と共に、アルフォンスが初めて後退する。
「まだまだぁっ!」
空いた距離を即座に詰め、殴る、蹴る。
そのたびに血液が舞い上がる。勿論それはあたしの血だ。
拳が、脛が裂けて血が溢れる。大盾の半分ほどを赤く染め上げ、尚乱打を続けようと拳を突き立てた瞬間、身体が浮いた。
「おおおおおぉぉぉぉっ!」
咆吼と共に、アルフォンスが大盾を振り上げた。
攻撃と言うより、ハエを振り払うような雑な行動だ。空中で一回転して着地すると、大盾に隠れて見えなかった全貌が目に入った。
「……はっ。盾を殴られてただけでずいぶんとボロボロになったもんね? お爺ちゃん」
「小娘がぁ」
盾を支えている左腕の装甲は砕けて剥がれ落ち、血が滴っている。盾は無傷だというのに、情けない事だ。
「ゆーじゅーふだんだからそーなんのよ。たっかい大盾におんぶに抱っこで、恥ずかしくないの?」
「……ふっ、はっはっはっ! 孫ほどのクソガキに言われるとはな。あぁ、仕方あるまい。見せてやるとしよう」
アルフォンスは剣を鞘へと収めると、盾を右手に持ち替えた。
「<城塞>と呼ばれ団長に至った技術、その身に刻むがいい」
「御託はいらない。行動で示せよ腰抜けが」
「そうさせて貰うっ」
言うなりアルフォンスの足下が爆ぜた。
次の瞬間、目の前には大盾があった。
「ちっ」
咄嗟に足の裏で受ける。
馬車で跳ねられたかのような衝撃に膝が悲鳴を上げるが、辛うじて上空へ退避。そして見下ろしてみれば、あたしを見上げて笑みを浮かべるアルフォンス。
やられたっ。
思い通りに動いてしまった事が非常に腹立たしい。
後は着地を狩るだけ、と言うアルフォンスの考えが透けて見える。
落下地点へと駆け寄ってくるアルフォンスを眺めながら、渋々懐に手を入れる。
出来れば拳で済ませたかったのだが、仕方ない。加えて言うなら、左腕を懐に入れているので、右手まで懐に入れたくなかったと言うのもある。
なんか、非常にダサい気分になるので嫌だったんだけど。
「終わりだっ!」
横薙ぎに震われる大盾。それに合わせて、あたしはアルフォンスの右目めがけて全力でナイフを投擲した。
想定していたのだろう。ナイフは他愛なく左腕で弾かれる。
だが、それはこちらも同じ事。視界が腕で阻まれたその瞬間に腰を上げ、払われる大盾に左肩から落ちる。
とんでもない激痛と衝撃。意識するまでも無く身体は木の葉のようにクルクル回り、背中から地面に落ちた。
肺から息が漏れる。それだけでは止まれずに、更に三回転横に転がった所で右手を地面に叩きつけ、慌てて身体を起こす。
「いっ!?」
目の前に突き出されていた大盾を、仰向きに倒れて躱す。
その首元に、アルフォンスの足が乗った。
「終わりだ、小娘」
「……しゃーないわね。片腕で正面から、なんて楽しみ方しちゃったあたしが悪い」
懐に突っ込んだ左腕を踏まないのは、アルフォンスの優しさなんだろうか?
そんな事を思いつつ、あたしは引き抜かれる剣を眺めて苦笑交じりに微笑んだ。
【アウラ・ルイ・リベンス】
予想外の裏切り。吹っ飛んだカイナが身体を起こし、喋り出すまで身動きできなかったと言う事実。
それに気付いた瞬間、アウラの意識は一瞬真っ白に染まった。
すぐに動けない自身の未熟さ、こんなにも身近な裏切り者を見抜けない愚かさ。
それら諸々が、アウラの意識を、視界を、白く染めるほどの怒りで 満たした。
「ローダ、ナリード、動くな。それ以上陛下に近付けば敵と見なします」
宰相が何か言っているが、気にはしない。
アウラにそんな余裕は既に無かった。告げた言葉も、指示では無く忠告。それが守られないのなら、ただ、忠告通り殺すまで。
<三奪>時代に意識を戻したアウラは、歩み寄ってくる長身男性を冷静に眺める。
「すまなイね、お嬢サん。死ンで、貰ウよ」
「どちらの手引きですか?」
「そコの、お爺ちゃンさ」
「組織について聞いているのです。そもそも、貴方が団長に頼んだ側でしょうに」
「はっはっハっ。ボクも雇われただケさ」
「ふむ。……どうやら見た目同様、オツムの出来もよろしくは無いようですね」
そう呟いたアウラの頬の、一筋の赤い線が浮かぶ。
だが、戸惑いを顔に出したのは長い腕を突き出した蛇男の方だった。
即座に腕を引き、ボロボロと崩れてゆく人差し指の爪を眺める。
「無詠唱……では無イね。刻印術士カい」
「意外ですね。その単語が出てくるほど賢いとは思えませんでしたが」
刻印術士。
物に術式を刻む事で、魔力を流すだけで魔術を発動できるようにする刻印術。術式が刻まれた物は魔導具と呼ばれ、それが肉体に刻まれた者は刻印術士と呼ばれる。
そうなるメリットは単純。無詠唱での魔術行使に加え、その際に術陣を展開せずに済む事による魔力の削減。無論、無詠唱で済むのは刻まれた魔術に限るとはいえ、即時発動可能な魔術というのは戦闘における大きなアドバンテージだ。
にもかかわらずマイナーな理由は一つ。
非常に高額なのだ。
魔導具ですら一定以上の額で取引される為、刻印士自体は一定数存在するものの、人体に刻印できる技術者となれば極少数。その希少さ故に、基本的には並の貴族では支払う事すら出来ない金額になる。
故に、刻印術士という存在自体もまた希少。
「……信じがたいけど、貴方もそう、と言う事ですか」
「そうダよ。だから……さよナら」
蛇男の周囲に浮かび上がった五つの火球。一斉に放たれたそれらは途中で軌道を変え、二つをアウラに、残り一つずつが後方の三人へと向かってゆく。
「はぁ。……≪黎明の蒼壁≫」
タンと右足で床を踏みつけて呟けば、後方三人の前にガラスのように透明な薄青の氷壁が迫り上がる。
氷壁に直撃した火球は小さな爆発を起こしたものの、それだけ。氷壁の表面を僅かに白く濁らせただけだ。
そしてアウラに迫っていた火球は、何をされるでもなく消えていた。
「なかナか、やるようダねぇっ!」
右手を挙げ、五個の火球を放つ。左手を挙げ、更に五個の火球。
今度は、それら全てがアウラに向かう。
だが、結果は同じだった。
着弾するまでも無く火球はアウラに近付くほどにサイズを小さく変え、手が届く一まで近付いた時には溶けて消えていた。
アウラに届いたのは、僅かな温風だけだ。
「……で?」
「手強イねっ!」
蛇男が両手を挙げる。そうして作り上げた十の火球を、今度は地面に叩きつけた。
爆音が響き、煙が視界を覆う。
跳んでくる瓦礫にアウラは顔を顰めつつ、髪を解く。
それが決着の合図だった。
「……ハ?」
右腕を伸ばした状態で、蛇男が目を見開く。
アウラのすぐ右手側から粉塵の中繰り出した、超高温を纏い赤熱した右腕。蛇男にとって必殺の一撃。
その腕が、届かなかった。すぐ目の前に、アウラがいるというのに。
混乱し、動きを止めた蛇男。
それを冷たく見下ろすアウラは、一つ息を吐いて腕を伸ばした。
「言っておきますが、私は刻印術を使っていませんよ?」
火球が届かなかったのは、単に漏れ出した冷気よりもその火力が弱かったと言うだけ。
後方に展開した氷壁は、詠唱を短縮した魔術。
そして赤熱した腕を切り落としたのは、髪を纏めていた鉱糸だ。
それら全てを丁寧に教えてやる必要も無いので、アウラは端的にそうとだけ告げると蛇男の額に人差し指を触れた。
それだけで蛇男は白目を剥き、崩れ落ちる。念の為その脇に腰をかがめ、アウラは切り落とした腕の部分に触れ、そこを凍らせる事で止血した。
「洗いざらい吐いてから死んで貰わないと困りますから」
これは帝国暗部の失態だ。
だからこそ、未だに冷気が溢れ出る。それは魔術では無く、単にアウラの性質だ。
カイナはまだ交戦中。破城槌で城門を打っ叩くような轟音が響いているが、アウラは意図的に意識を逸らす。
手を出す事は許されない。
カイナは左腕が潰され、相手はあの≪城塞≫。普通に考えれば負ける。
「アウラ殿っ! あの小娘が」
「黙れ」
思わず呟き、アウラは声を上げた宰相を振り返って微笑んだ。
「貴方達に分かる事が、私に分からないとでも?」
そして、彼らに分からずアウラにだけ分かる事がある。
今回は、<三奪>の頭領が殺された時とは違うという事だ。
カイナは、アウラの誘いに乗ってここに来た。であるならば、最終的にカイナは仕事として役を果たす。
それが分かっているから、手は出さない。アウラはアウラの仕事をするまでだ。
「壱号」
「はっ」
呟きに応え、目の前に黒ずくめが現れる。
跪くその首を切り落としてやりたい衝動を堪え、アウラは口を開く。
「全員集めなさい」
「はっ」
黒ずくめが胸元から取り出した笛を吹く。
鼓膜に突き刺さるような甲高い音だ。長く、短く、長く。緊急招集を意味するその音に、続々と黒づくめが集まり、壱号の後ろに並んで控えてゆく。
五分ほど待って集まったのは十人。顔が覆われている為判別が付きにくいが、ほぼ全員が暗部でも上の者だ。
「アウラ様。即応出来る者は全員です」
「そう。それで、ここの露払い担当は?」
「……自分です」
「そう。それで、これはどういうことですか?」
壱号を顎で横へとどかし、名乗り出た黒ずくめの前に立つ。
「私は、露払いを命じた筈ですが」
「……仕合後、来訪されたアルフォンス様に、命じられました」
「そう」
アウラは軽く右手を振り下ろす。
鋼糸が煌めき、答えた黒ずくめの右腕を肩から切り落とした。
「ぎゃあああああぁぁぁっ!」
「だれが叫ぶ事を許可しました?」
蹴り倒し、声を潰すように喉元へと足を置く。
「アウラ様っ」
非難の声を上げた黒ずくめの首を切り飛ばし、居並ぶ者を睥睨する。
「発言を許可した覚えもありません。……その程度の事も分からないのですか? 貴方達は」
足蹴にされた黒ずくめは、ゆっくりと凍ってゆく。
怒りで自然と漏れ出る冷気の影響もあるが、切り落とした腕からの出血を止める目的もある。
「壱号。貴方達の頭は誰?」
「……アウラ様です」
「その認識は共有されているはずですよね?」
「勿論です」
「ならば、このクズは純粋な内通者と見て問題ありませんね?」
「はっ」
「こいつは三番、そこの混血は四番に」
「はっ」
「現時刻をもって遂行中の任務を全て破棄。総力を持ってここであった事の隠蔽を。一時間後には、そこの混血と団長の背後関係を洗い上げ報告」
「拝命致します」
「もしその程度すらままならないのでしたら、貴方達は帝国にとって不要。皆殺しにし、私が一から暗部を作り直します」
黒ずくめ達が顔を上げ、アウラを見つめる。
真意を探ろうというのだろうが、勿論アウラは本気だ。動じる必要は無く、むしろそんな彼らを見下ろす。
「仕事すら出来ずに暗部を名乗るのならば、それは国の害です。殺し尽くして当然でしょう。理解できたのならさっさと行きなさい」
「はっ」
壱号が姿を消し、それに続いて黒ずくめ達が消えてゆく。
残ったのは二人。彼らは混血と内通者を担いで、姿を消した。
「……アウラ」
「陛下。時間を取らせ申し訳ありません」
「良い。それよりカイナ殿の手助けを」
「不要ですよ、陛下」
喉元を踏まれ、今にも殺されそうなカイナ。
その姿を見ても尚、アウラは平然とそう言い切った。
アウラが誘い、カイナが受けた。つまりこれは、プライベートではないのだ。
ならばこそ、今にも死にそうなカイナを見みつめるアウラに、不安は欠片も存在しなかった。
【カイナ】
ただ剣を突き下ろすだけ。
非常に簡単なトドメの刺し方ではあるが、だからこそ技術が問われる。
アルフォンスのそれは、良くも悪くも凡庸だった。
逆手で持ち、振り上げ、下ろす。
そんな普通の一撃だからこそ、あたしの右手はその刀身を掴む事に成功した。
騎士剣と言っても、他の剣と同じで基本は叩き切る性能。おかげで小指と薬指が千切れただけで、切っ先は喉に触れる前に止まった。
「小娘……」
「悪いわね。本来なら死ぬまで楽しむんだけど、残念ながら仕事みたいなもんなのよね、今日は」
どうにか左手を開いて、突き立てたナイフから手を離す。それだけで限界を迎えて左腕が地面に落ち、激痛が脳天まで突き抜けた。
それでもあたしは笑みを見せる。
戦いの終わりに相応しい、円満の笑みを。
剣を引っ張ると、何の抵抗もなくアルフォンスが俯きにぶっ倒れた。
「対大型魔獣用の筋弛緩薬よ。そのまま死ぬかも知れないけど……その時は自分の貧弱さを悔やむ事ね」
どうにかこうにか立ち上がり、小指と薬指を拾う。
「お疲れ様、カイナ」
「やっぱ片腕じゃダメね。折角の良い相手だったんだから、正面からもっと楽しみたかったのに」
「指貸して」
「ん、お願い」
鋼糸を武器とするだけあって、アウラの縫合技術は一流だ。安心して任せる事にする。
「そーとー痛いからね?」
「はいはい。ちゃっちゃとやっちゃって」
お酒で洗われ、薬指から縫われる。とんでもない激痛だが、左腕も相当痛いので差し引きゼロって感じだ。もう寝たい。
「左腕、どーする?」
「適当に治癒術かけて貰って、後は魔力制御で治す」
「……はぁ。陛下、術士を派遣してもよろしいですか?」
「いや、客室を用意しよう。司教にも治癒を行うよう指示しておく。ご苦労であったな、カイナ殿」
「陛下、それは」
「そりゃーマズいから無しで。適当な治癒術士送ってくれるだけで十分だから」
このタイミングで部外者を泊めれば、そりゃあ勘ぐられる。
でもって、その結果更に面倒な事になるのはゴメンだ。王城に泊まるなんて、後々まで尾を引く罰ゲームになりそうなので、アウラの発言を邪魔してでもハッキリと断っておく事にする。
「うむ、分かった。それでアルフォンスは……殺したのか?」
「一般人なら死ぬけど、ちゃんとした戦士ならそう死なない。そんな感じの毒だから、まぁ大丈夫じゃ無い? 一応、これが中和剤ね」
歩み寄ってきた王に小瓶を渡す。
これで飲ませる何て真似をしたら笑うけど、アウラもいるしまず大丈夫だろう。
「この礼は、どうすればよい」
「こー言う可能性も含めてアウラが誘ってきたんだから、礼云々は必要ないけど……あぁ、そうだ。それでも恩にきてくれるんなら、ディセルに頼んで昨日のチョコレートっての作らせてよ」
「うむ、分かった」
これは思わぬ収穫だ。
大して面白くは無かったものの、一生に一度見るとするなら最高の席で武闘会を見学できた上に、お土産付き。文字通り骨を折った甲斐もあるというものだ。
「それでアウラ、この後はどうする」
「アルフォンスと混血、内通者であろう暗部のものに拷問をかけ、情報を引き出します。同時に、情報の封鎖を確実に行いますので、相手の出方で判明する点も多いかと」
「アルフォンスから情報を引き出すのは、俺に任せて貰えないか?」
王として、不可能な願い。
だがアウラは、王の目をじっと見つめると、一つ頷いた。
「分かりました。ただし、その場には私か壱号を必ず同席させて下さい。文官、武官にかかわらず、同行者として認めるのは宰相閣下のみです」
「アウラ殿っ! それはどういう意味でっ!?」
顔を赤く染めたナリードの言葉に、アウラは首を振る。
「申し訳ありませんが、これだけは譲れません。飛竜隊隊員の不祥事に続き、あろうことか騎士団団長の裏切り。近衛兵だけは大丈夫という確証がありますか?」
「我々は近衛だっ! 王の為に死ぬ事を剣に誓った我らに、何たる言い草かっ!」
「アルフォンスは裏切り者だと気付いていたと?」
「話を逸らすなっ!」
あ、カチンときた。
アウラの横顔が引きつったのを目に、あたしは一歩距離を取る。
頭脳派を自称するだけあってそれなりに温厚だが、それでもアウラは元<三奪>なのだ。
道理を通さないバカは許さないし、ちゃんと暴力に訴える事も出来る。権利を主張するだけの腰抜けとは違うのだ。
ただ、冷気に適性がありすぎる為、アウラは怒っただけで冷気をまき散らす。こんな感じで気温が一気に下がったら要注意だ。
「ではナリード卿、ここで死んで下さい」
「……は?」
「貴方が死ねば、疑わしき者が一人減ります。それは王の為であり、国の為です」
その王もまた、距離を取って眺めている。止めるつもりは無いのだろう。
「では、近衛としての職務を全うするナリード卿に敬意を。さようなら」
「お、お待ち下さいっ!」
アウラの腕が振り下ろされようとした瞬間、ナリードの前に転がるようにして出てきたのは宰相だった。
「こ、この者は儂の教え子の息子。赤子の頃より知っておるのです。裏切り者では無いと儂が保証しますので、どうか」
「閣下っ!? 何故ですっ! どうしてそのような新参者にっ!」
「黙らんかっ! アルフォンスが裏切ったという事実で察しろっ! 新参者である事など些事にすぎんわっ!」
ナリードを窘める宰相。だがアウラの笑顔は変わらなかった。
「宰相閣下はご理解いただけているようですね。ですので、この場でナリード卿には死んでいただきます」
「待てっ! だから、この者に関しては儂が保証するっ!」
「閣下。お尋ね致しますが、その者とアルフォンス、どちらの方が付き合いが長いので?」
「そ、それは……」
「ナリード卿はその辺りの事を一切考慮せず、下らないプライドの為に陛下の御身を危険にさらそうとしているのです。帝国の為にも、この場で処分すべきかと思われるのですが?」
「……な、ならば、儂はどうなのだ」
「閣下ほど陛下の為に時間を費やし、国家の為に心を砕いている方は存在しません。何より、アルフォンスやそこの者のように、下らない謀をする時間的余裕はない。ですので、全面的に信用しています」
「調べは付いている、と言う事か」
「依頼を引き受ける前に調査した事ですし……彼の事は気付けませんでしたが」
アウラの言葉に宰相は深々と息を吐くと、ナリードへと向き直った。
「選べ。誇りを翳して死ぬか、頭を垂れるか」
「……閣下。私が、負けるとでも?」
「あれを見て未だ勝てると思っているのならば、近衛兵長足る価値もあるまい。潔く散れ」
冷たくそう告げて、距離を取る宰相。その姿が非常に小さく見えたのは、気のせいだろうか。
アウラとナリードが向き合う。アウラは微笑んで悠然とした立ち姿だが、ナリードは青ざめ僅かに震えているのが見て取れる。
まぁ、あの蛇男でさえナリードに比べれば格上だ。必死である以上、ナリードが絶望に顔を歪めるのも分かる。
「まぁ、待て。そこで良しとしておけ、アウラよ」
「……陛下がそうおっしゃるのでしたら、構いませんが」
アウラが一歩下がり、王がナリードの前へと歩み出る。
「ナリードよ」
「陛下」
その場に座り、臣下の礼を取るナリードに王は言葉を続ける。
「一年だ。一年の猶予をやろう。その間に、近衛兵長として相応しいだけの実力をつけよ」
「陛下までその女の肩を持つのですかっ!?」
憤怒に顔を上げるナリードの眼前に、王は手を伸ばす。
「理解せよ、ナリード。……近衛足る貴様の力が及ばぬが故に、カイナ殿とアウラの尽力が必要となったのだ。分かるな?」
「ですが……私はっ! この命、御身を守る為ならばっ!」
「その命に何の価値がある」
熱い忠誠心だが、王は若干ムッとした様子で、強めの口調で言葉を続ける。
「この身を守れてこそ、その命には価値があるのだ。力も無く無駄に死に、この身を危険にさらす事が貴様の忠義とでも言うのか?」
「そのような事は……」
「ならば理解せよ。下らぬ言葉で己が心情を垂れ流すな。次は許さん」
「はっ」
素直に頷いたナリードに頷きを返し、王はこちらを振り返った。
「待たせたな。では行くとしようか」
「はい。じゃあカイナ、悪いけど馬車まで先導を。私は殿を務めます」
「はいよ。……馬車なんて見えてるんだから、そこまで気にしなくてもいい気はするけど」
そう呟きながらも、先んじて歩き出す。
アルフォンスは宰相とナリードが肩を貸して、王の後ろを引き摺って歩いてくる。
闘技場から出てから馬車まではほんの数歩。それでも誰かしらはいると思いきや、先の広場には人っ子一人いなかった。
アウラに怒られ、暗部の人間が頑張ったのだろう。
エスコートと言うほどでも無いが、馬車の扉を開いて脇に立つ。
「……乗らぬのか?」
「宿までは歩いてくわよ。チョコレート、よろしくね?」
「それよりも治療が優先だろうに。……まぁ、一通り手配はしておく」
「ん、よろしく」
王が乗り、続いて宰相とナリード。アルフォンスを担いだ宰相が、すれ違いざまに会釈程度ではあるが頭を下げたのが意外だった。
色々あった。思う事も色々あったんだろう。
最後はアウラ。
「宿は昨日までと同じ所?」
「今日までは滞在が決まってたからね。後一泊分もう払ってある」
「分かった。……今日はありがとう」
「良いように使われたけど、おかげで美味しいご褒美も貰えるようになったしね。お互い様って事で」
「ありがとう。それじゃ」
アウラが馬車に乗り扉を閉めると、馬車が動き出す。
それと同時に、肌に触れる空気が変わった。
「人払いの魔術、か。また珍しいもの使ったもんね」
非常にマイナーな魔術。人がいない理由も頷ける。
マイナーな理由は、その効果と消費魔力。正確に言えば『何となく近寄りたくない』と思わせる空間を作るだけの魔術で、にもかかわらず魔力の消耗が高位魔術に分類される程。
そんな魔術を引っ張り出してくるなんて、相当アウラが怖かったんだろう。
ちらほらと人が増え始めた中を、あたしは歩き出す。
両手どころか全身痛いが、久しぶりに全力で戦えたので気分は良い。
それでも道行く人達からは変な目で見られる。骨折の痛みを噛み殺して平然を装ってるのに何なんだと思ったものの、全身ボロボロで至る所から出血していればまぁ当然だろう。
馬車に乗せて貰えば良かった。
かなり遅れてそんな後悔をしつつ、あたしは宿まで歩いて帰ったのだった。
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その夜、アウラが部屋まで訪ねてきた。
将来有望らしい若手の神父は、宿に着いたときにはもう待ってくれていた。
おかげでそこそこ元気。身体をさいなむ痛みも、全身筋肉痛で済む程度だ。
そんな体調で聞かされたのは、仕事の依頼。
「前も言ったけど、高く付くわよ?」
「チョコレートで」
「もう王様と話は付いてるし」
「その魔法袋に入るだけ、色んな種類のチョコレート料理」
「乗った」
即答。
もう王族だって殺してみせる。