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龍神様と魚の丸焼き

 ドカンボガンと盛大に鳴り響く音を聞きながら、あたしは釣り竿を垂らしていた。

 ラーグルウ龍神湖。

 大陸内でも第二位の広さを持つその湖は、対岸が見えないほどに広い。

 そんな広大な湖面で、無数の軍船がやりあっている。

 大きい船は帆船。要するに船艦で、見える範囲では互いに三隻ずつ。術士と大砲を満載している為、互いにとっての主力だ。ただ、遠目に見る分には水柱以外あんま派手さは無い。

 帆船の十倍はあるだろう小舟は、数の多さだけが目につくぐらいで何をやってるかも分からない。定石通りなら衝角を取り付けて突貫とか、帆船にとりついたりしているんだろう。

 ちなみにあたしの後ろ、陸地の法からもワーワーと争っている声が聞こえる。

 まぁ要するに、戦争中なわけだ。このラーグルウ龍神湖を二分する両国が。

「お、釣れた」

 こんな五月蠅くても時間さえかければ釣れるものだ。戦争のおかげで漁獲量が減って、釣れやすくなってるのかもしんない。

 釣れたのは彩りが美しい淡水魚。サイズは手の平より大きい程度で、一時間で釣れた三匹は全部同じ種だ。

 このラーグルウ龍神湖固有の淡水魚、メルラル。他にも二種存在するが、水龍の加護を受けた魚と言われるほどに美味しい、らしい。

 これでおわかりだろう。あたしがわざわざ戦争中のこんな場所に訪れた理由が。

 まぁ、迂回してもめぼしい名物のある町がなかっただけではあるけれど。

「さてさてさ~て」

 集めておいた枝木に火を点ける。

 でもって釣った三匹を水で洗い、鉄串をグサリ。二匹には岩塩をつけ、残る一匹はそのままで火にかける。

 火に触れる位置で焼く人もいるが、あたしは遠火派だ。煙で臭くなったり真っ黒になる部分が多かったリが嫌で、時間がかかってものんびり焼くことにしている。

「そしたら後は……今夜どーしようかな」

 時刻は昼前。日が落ちる前に辿り着けそうな村なり町なりは幾つかあるが、戦時なのでどーしたもんか。国境近くと言うのも悩みものだ。

 要するに、最前線。物価高騰だけならいいが、滅んでたり兵士が一杯だったりする可能性が十分ある。

 となれば、最悪野宿だ。ちょいと気は重いが致し方なし。

「おい貴様っ! 何をしているっ!」

「見ての通り調理中だけど」

 ガシャンガシャンと音を立てて走ってきたおっさんにそう返す。

 もうだいぶ暖かいと言うのに、全身鎧。その上背中には槍に大盾と見てるだけで重苦しい。

「戦争中だぞっ!?」

「別にこの国の人間じゃないし」

「そういう問題では無いだろうっ!? 女の子が、こんなところで、一人でいるんじゃないっ!」

「いや、冒険者なんだけど」

「そういう問題じゃ無いっ!」

 わざわざタグを見せたのに一喝され、頬が引きつる。

 悪い人じゃないんだろう。だから問題だ。

 さすがのあたしでも、善意に暴力で応えるほどカスじゃないので。

「マックス、少し落ち着け」

「隊長っ! ですが、女の子が、こんなところで一人でっ!」

「確かに戦時中だが、冒険者の移動は制限されていない。あえて問題とするなら、魚を捕っていることぐらいかな?」

 白馬に乗って現れたのは、かなりの美形。白銀の鎧に金髪碧眼がよく似合い、暑苦しい出で立ちだというのに涼やかさすら感じる風貌だ。

「大体国境沿いでしょ? そっちの法は関係ないと思うけど」

「残念ながら、両国の法に触れるんだよ。過去にこの辺りで密漁が頻発してね。こちらで裁いた後にグルウへ輸送して裁いたり、その逆もあったりとね。貴重な資源だから、その辺りは厳しいんだ」

「ふ~ん。なら逮捕する?」

「帰還中ならそれもあったかもだけど。残念ながら、ね」

 パチンとウインクを飛ばしてくる美形。

 貴族っぽい雰囲気の割には、それなりに話が通じる人物のようだ。

「なら、あたしからはこれね。おっちゃん、はいワイロ」

 魔法袋から取り出した革袋を、おっちゃんに渡す。

「あたし特製の干し肉。行軍中ってんなら、食料はあって困るもんでも無いでしょ?」

「女性にたかりに来たわけでは無い」

「対価よ対価。見逃してくれるって言うんだから、そのお礼。ホントに集りに来てたら、渡しはしないわよ」

 当然でしょ? と続けた言葉に、美形が楽しげに笑い声を上げた。

「マックス、お前の負けだ。後で分けてくれ」

「隊長……」

「それでは邪魔をした。マックス、行くぞ」

「……はい」

 一足先に軽やかに駆けてゆく白馬。

 その後を走り出そうとしたおっちゃんに声をかける。

「ねぇ、この辺りで泊まれそうな場所ってない?」

「ん? ……そうだな。ここから真っ直ぐ北に行ったところに共国の町がある。我が国が優勢だから比較的安全に向かえるだろうが、日の入りまで待て。三回ドラが打ち鳴らされれば、今日の戦は終了だ」

「分かった。ありがとう」

 どこもそうだが、戦争は基本的に日中のみだ。

 夜襲もあり得るが、後々外交で不利になりやすいので滅多に無い。同士討ちの可能性も高く、忌避される傾向が強いのだ。

 なので、夜に移動した方が安全。とはいえ、宿も日の入りから三四時間で受け付け終了なので、そんな時間に出たら結局野宿になりそうだけども。

 一応感謝を告げて、魚の焼け上がりを待つ。

 ちなみに釣り竿は即席なので、糸と針だけ改修して魔法袋の中だ。

 ほどよく両面に焼き色が付いたところて゛、まずは味付け無しを手に取る。

 鮮やかな色合いは無くなり、普通の魚。焼き魚としては匂いが非常に薄く、生食の方が正解だったかと不安になるぐらいだ。

 それでも不味くは無いだろうと一口食べて、あたしは動きを止めた。

 まるで果物のように汁が溢れ出て来る。白身も焼いただけとは思えないほどに柔らかく、白身自体は淡泊だが溢れる汁の旨味が凄い。

「……うっっま。こりゃ確かに戦争も起こすわ」

 開戦に至った理由は知らないが、この魚の独占権を求めてだと言われれば納得できる。

 ただ当然と言うべきか、食べられる為に存在する訳ではないので欠点もある。

 まず皮。旨味を逃がさない為に存在するかのような弾力。味も無ければ臭みも無く、ゴムの様なモチャモチャ感が非常によろしくない。  

それ以上の欠点がハラワタだ。

「にっが。これは……うん、ダメだこれ。酒好きでも無理でしょこれ」

 臭みも酷く、食えたものではない。魚に含有される全ての不味い要素を詰め込んだかのような味と風味だ。

 これは無理と、白身だけは綺麗に食べて残りは湖に捨てる。

「さて、それじゃあ本命っと」

 岩塩をたっぷりまぶした塩焼き。

 この時点で美味いのは確定だ。

 かぷりと一口。焼いた塩と言うだけで個人的には極上。それに溢れた汁が絡まり、美味さと渇きを感じさせる。

「ん~! ……ん?」

 美味い。塩が好きと言うこともあってさっき以上に美味い……けど。

 妙な化学反応でも起こしたのか、さっきより皮が食べやすい、ちゃんと噛みきれるようになって、普通の魚程度にはなっている。

 もしかしてと内臓も食べてみたが、やっぱり不味かった。相変わらず、とんでもなく。

 三匹目も同じ。皮が塩のおかげで食べやすくなるのか、たまたま一匹目が異常な個体だったのか判断は付かないが、兎に角内臓は食えたもんじゃないと言う点だけは確定だ。

「うし、ごちそうさま。それじゃ教えて貰った町に向かいますか」

 食事だけを考えるなら、当面はここで野宿でも構わない。問題は戦争中という点だ。

 先ほど来た行軍中の彼らしかり、脇の茂みに転がっている二つの死体しかり。水辺に人がいないこともあって、なんだかんだで寄ってくるのだ。

 別に二三日寝なくても問題は無いのだが、仕事中でも無いのにわざわざそんなことはしたくない。

 と言うことで出発。

 あのおっちゃんの忠告を無視した形になるが、別に危険はないので同じ事だ。


    △▼△▼△▼


 と言うことで到着。

 途中で陣を敷いてる場所が見えたりもしたが、迂回することも無くスムーズに到着できた。

 だと言うのに既に日が落ちている。普通の人なら休憩なども含めて倍の時間はかかったことだろう。あのおっちゃんも適当なことを言ってくれたものだ。

 町の様子は至って普通。時間帯もあってか人通りは少ないが、すぐ近くで戦争をしているとは思えないほどのんびりとした空気だ。

 町に入る時に身分の確認もないし、畑もちらほら見える程度。交易の経由地として栄えているタイプの町なんだろう。

 それなりに大きい商業ギルドに、こじんまりとした冒険者ギルド。馬車や馬と扱う店舗がそれなりにあり、町の規模にしては通りが広い。

 そんな中で選んだのは<皐月>の看板が下がった宿屋。

 昔利用したのを思い出したのだ。特別美味かった訳ではないが、マシだった覚えがある。

 まぁそれだけだ。この町の記憶は他に無いし、何をしに来てたのかも覚えて無い。

 何百と仕事をこなしてきたから、そんなものだ。

「あ、いらっしゃいませ」

「こんばんわ。一部屋空いてる?」

「空いてますよー。一泊五千、夕食朝食付きだと+千ですけど」

「ご飯は選べるの?」

「肉か魚の二択ですね。朝は選べません」

「そ。じゃあ飯付きでいいや。今から食べれる?」

「えぇ。そっちの扉を開いてくれれば隣が酒場なので、この鍵見せてください」

「はいどうも。じゃあこれお金」

「ありがとうございます。部屋はその鍵の番号と同じ所ですので」

「ん。それじゃ」

 受付のおばちゃんに鍵を振って、隣の酒場へ。

 人気店なのかテーブルは全て埋まっている。相席なら空いてる椅子もあるが、わざわざ酔っ払いに絡みたくも無い。自然と視線はカウンターに向かい、こちらを向いて目を見開いている女性で止まった。

 同じ気持ちではあるが表情には出さずに、隣に座る。

「おっちゃん、これ」

「おう。肉か? 魚か?」

「おすすめは?」

「肉だな。朝仕入れっからどうしてもな」

「じゃあ肉で。あと水」

「あいよ。追加分はここで。百だ」

「はい」

 大銅貨を一枚カウンターに置いて、隣の女性を見る。

 白髪を三つ編みにし、丸眼鏡の奥には赤い瞳。女性にしては身長が高く、きちっとした服を着ていることもあって仕事が出来る女って感じだ。

「無事だったのね、蜘蛛」

「無事も何も、私はずっとここの仕事よ。……貴女こそ、現地にいたんじゃないの?」

「あたしが到着する少し前に一通り終わってたって感じね」

「……ホントに全滅したの?」

「ちゃんと確認したのは頭領だけだから、それ以外はなんとも。ただ、クズは始末したし、それに従ったカス共も一通り片付いた筈」

「そう。……あの頭領が、ね」

「本望でしょうね。勇者と全力でやり合った上で、だし」

「それを求めてたわけなんだから、そうなんでしょうね」

 おっちゃんから差し出されたグラスを受け取り、水を一口。

「……それで、あんたは? 仕事だってんなら、切り上げても良いと思うけど」

「組織が潰れても、殺し屋は殺し屋。この仕事は全うするつもりよ」

「内容聞いても?」

「構わないわ」

 蜘蛛はカウンターに大銀貨を置いてお酒を頼むと、言葉を続ける。

「最初はフォルダーシの内偵。罪が確定したら裁くって方針だったんだけど、見ての通り状況が変わってね。盾になって貰わないと困るって事で、今は逆にフォルダーシの外交官としてラーグとグルウ間で行われている戦争の早期解決を図ってるところよ」

「……相変わらず頭が痛くなるような仕事してるわね」

「性格と適正の問題ね。そーいう万力も、相変わらず短絡的に殺してるんでしょ?」

「仕事だから殺してただけ。その時だって下調べぐらいはしてたわよ」

 言いながらカウンターに置かれた皿を受け取る。

「あぁそう言えば、今はカイナって名乗ってるから」

「私はアウラよ。……ま、今回の仕事次第でまた名前変えるかもだけど」

「そ。よろしくね、アウラ」

 ちなみにタグに内包する名前は変えられる。タグに前科が内包されていなければ、ではあるが。

 前科に関しては、憲兵なりに捕まり魔導具による処理がなされる事で罪となり、前科として記録される。なのであたし達みたいに何百人と殺していても、捕まっていない以上は前科の無い一般人なのだ。

「それで? カイナはこれからどうするの?」

「当面はラーグルウの後二種制覇が目標ね」

「……もしかして、固有三種のこと?」

「そ。メルラルがすっっごい美味しかったから、後二種も制覇したい」

「いつからグルメになったのよ」

「フリーになってから」

「……まぁ、武闘派はロクなもん食べてなかったものね。そうなる気持ちは分かるわ」

 アウラはおっちゃんからお酒を受け取って一口。

 非常に美味しそうに飲むけど、あたし的にはお断りだ。どんなに美味しいと言われてもお酒は結局アルコール臭いからアウト。

「それで魚だったわよね。今は漁を出来る状態じゃ無いから、どっちの国でも買うのはキツいわ。自力で捕るつもりなら、湖中心の小島がおすすめね。あの周辺は禁漁区になってるから簡単に捕れると思うわ」

「禁漁区薦めないでよ。……そもそも、湖の中心なんてどう行けってのよこんな時に」

「カイナなら走って行けるんじゃ無いの?」

 普通に不思議そうな顔をされて、ちょっとムッとする。

「あたしは化け物か」

「だいぶ前にスパイぶっ殺す為にため池かどっかの上走ってた気がするわよ?」

「そりゃあ不純物が多くて粘度が高い所なら走れるけど、あんなに澄んだ水じゃあさすがに無理。頭領でも無理なんじゃない?」

「そぉ? 頭領なら空でも空気を蹴って走れそうだけど」

「……確かに」

 勇者に殺されはしたが、デタラメな人ではあったのだ。

 真正面から戦いさえしなければ、勇者に負ける事などあり得なかっただろう。仕事で勇者を殺す事になっていたのなら、問題なく殺せていたはずだ。

 そう考えれば、好きに生きて最後まで好きにやったわけだ。大往生を遂げたと言って良いだろう。

 そこからは<三奪>時代の昔話へ。

 アウラは、<三奪>でも数少ない長く古い仲だ。話している内に思い出す過去は多く、ツラい事が多い仕事の話も、今となっては懐かしい話として長々と談笑しあうのだった。


    △▼△▼△▼


 翌日。

 早起きしたあたしは、再びラーグルウ龍神湖に来ていた。

 到着したのは日の出から少しして。

 宿の夕食はそれなりな味だったのだが、それがまた悪かった。アウラとの話が終わり、寝入ったものの思い出すのはお昼の焼き魚。

 ゆっくり寝れる環境なのに、寝たのは一時間。二度寝しようにも、釣れなかった二種を思い描いて悶々と。

 結局が今だ。朝食代を払っておきながら食べもせずにチェックアウトは悔し涙が出そうな程だが、魚の味を想像するだけでお目々パッチリなのだから仕方が無い。

 宿代という大きな代償を払ったのだ。ガッツリ釣らなくては。

「……お、やっぱあった」

 水辺を暫く歩いたところで小舟を発見。

 昨日の湖上戦を見た上での予想が的中だ。

 水辺に上げてあるのは三隻。帰港が間に合わなかった奴らの物だろう。どちらの国のモノかは知らないが、借りさせて貰う事にする。

「いよいっしょっ!」

 勢いよく湖に押し出して、跳躍して搭乗。六本置いてあるオールの内二本を手に取り、腰を下ろしてのんびり漕ぎ出す。

 案外戦争は規則正しいので、まだ湖上は静かなものだ。

 一般的には日の出と共に起きて朝食、その後準備して本日開戦という流れ。今日の所は両軍ともそれと同じで、今は朝食なのだろう。

 川鳥達が朝食を取っているのを眺めつつ、あたしも朝食。干し肉を咥えてオールを漕ぐ。

 戦争さえしてなければ、船に揺られつつ釣り糸を垂らすというのも乙だったのに。

 そんな事を思いつつオールを漕ぐこと暫く。もちゃもちゃ噛んでいた干し肉が無くなった頃に、右後方に島が見えてくる。

 一応座礁に注意するが、底が見えないほどに深く、魚がハッキリ視認できるほどに透き通っている。これで岩にぶつけるとしたら、居眠りしていた場合ぐらいなものだろう。

 帰りもあるので灘羅かな傾斜に乗り付け、ちゃんと舟を引き上げておく。

「……ぃよし。じゃあまずは、島の確認かな」

 完全な孤島なので大丈夫だろうが、変な野生動物がいたら厄介だ。

 島は中々の密林具合。魚同様ここだけの希少個体がいても不思議は無い。

「っていうか、小島って言ってた気がするんだけど……」

 舟から見た限り、半径十キロほどはあるだろう。あたしが方向音痴なら、ここを島だと思わず対岸だと思っていたはずだ。

 ちゃんとジャケットを胸元まで閉め、フェイスガードもしっかりと。それでも真っ直ぐに森には入らず、その外周を回る。

 禁漁区であり、立ち入り禁止区域でもあるのだろう。人が入った気配は無く、森へと入る獣道すら見当たらない。

 更に言えば、動物の気配も少ない。あえて言えば鳥ぐらいなもので、どこにでもいると思っていたウサギやネズミの痕跡が無い。孤島とはいえ、かなり珍しいと言って良いだろう。

「トカゲにヘビに虫、か。……毒ガスの実験施設とかじゃ無いでしょうね」

 経験上、生物が偏る環境は大体ヤバい。

 自然発生するものなら硫黄系の毒が多く、人工的なものなら製造を失敗した農薬が毒ガスとしては多い。そういった場所は必然的に生息生物が偏るので、嫌な予感を抱いてしまうのも当然だ。

 ちなみに、経験上こういった環境で一番ヤバかったのがキメラの大発生だ。食虫植物に爬虫類や昆虫を混ぜ合わせたキメラが、ある研究所から逃げ出した。その研究所は森のただ中にあった為、森は木々とそのキメラだけが生息する死の森へ。隣接する三カ国が軍を動かす事態となり、更に帰還率が二割を切るという大惨事が発生した事によって<三奪>とへ依頼が舞い込んだ。

 <三奪>全員が参加した依頼は、後にも先にもあの一件のみ。死者は末端の構成員だけだったとはいえ、それなりに被害を出した仕事もあれぐらいなものだろう。

 そんな仕事をこなした経験があれば、警戒もする。

 突然変化した景色に、警戒の度合いが引き上がったのも必然だ。

「いつ作られた道よ、これ」

 森を割くように、一本の道が延びていた。

 幅は馬車が二台並んでも余裕を持って走れるほど。だが人が使用した形跡は無く、青々とした雑草がくるぶし程まで伸びている。

 良い景色ではある。幻想的と言っても良いだろう。だが、樹海を織り成す木々ですらその道への侵入を拒むように綺麗に並んでいるのを見ると、異様さしか感じられない。

 足を踏み入れ、地面に異常が無いかを確認しつつ歩く。

 虫の鳴く声すら聞こえない。あるのは鳥の鳴き声と、木々のざわめき、後はあたしの草を踏みしめる音だけだ。

 黙ってひたすら歩く。好奇心が魚の味よりもこの道の先に続いているのだから仕方ない。

 日がそれなりに高くなった頃、ようやく行き止まりまで辿り着き、あたしは感嘆の声と共にそれを見上げた。

「……これは、凄い」

 そこは広大な広場だった。生えているのは芝生だろうか? 靴のソールを隠しきれない程度で短く生え揃い、その中心には巨大な木。

 島の外周から見えなかったように、高さ自体はそれほどでも無い。凄いのは、広場を覆うほどに広がったその枝振りだ。

 高さよりも、横幅の方が遙かに長い。無数の枝と葉から僅かに零れる光は、なんか涙が出そうな程に美しいと思えた。

「っと、よしっ!」

 放心しかけた意識を、頬を叩いて引き戻す。

 目的は達成。危険生物も今のところは見当たらないし、兎に角次は魚釣りだ。

 その前に、あたしは木の幹まで歩み寄って、両膝をついた。

「魚釣らせていただきます。後、枝採ったり、火を使ったりするんで、よろしく」

 無神論者でも、こういった場所に敬意を払うのは当然だと思う。

 と言う事で、両手を合わせて少しお祈り。単にお願いしているだけだけど、個人的には筋を通しているつもりなので許していただきたい。

「いよっしっ。じゃ、釣るぞぉーっ!」

 宣言と気合いも兼ねてそう叫んで、あたしは全力で来た道を戻り始めた。


 そして昼過ぎ。

 小枝を集めて焚き火の準備をして、舟を着けた場所と似たような灘羅かな傾斜のある地点で初めての釣果を上げたあたしは、その魚を前に眉根を寄せていた。

 縦に平べったく、金銀のまだら模様の魚。上下のヒレと尾ビレが異常に大きく、可食部が少なそうだ。

「食べれるにしても……食べにくそうだなぁ」

 他の固有二種がどんな魚かも分からないので、食べるしか無い。美味ければ当たり、不味ければ外れだ。

 けど、このまま丸焼きだと食べにくいのは確定。串に刺して焼くにしても、一手間は欲しい所だろう。

 なのでまずは血抜き。エラの内側から目の上の方に向かってナイフを刺し、尾ビレを切り離して水でジャブジャブ。後の加工は焼く段階になってからだ。

 メルラルの時に血抜きしなかったのは、串に刺して焼くだけだったので面倒くさかったのだ。実際、メルラルに関してはその調理法が正解だった気がするけど。

「そーいえばあいつら、何考えて戦争してんだろ」

 遠くでボンガボンガ聞こえる昨日と同じ音に、ふと思いつてそう漏らす。

 アウラが言うには、両国の戦争は魚の取り合いが原因だ。元凶を言うのなら、両国の主要輸出先であるフォルダーシ共国の新法令。その内容を端的に言えば、一回の輸入量が多ければ多いほど、課税額を引き下げると言うもの。

 必然的に漁師は同業が少ない湖上での漁獲を求めて国境付近に。それは両国の漁師共通で、制海権ならぬ制湖権の主張し合いに。結果が国を挙げての戦争というわけだ。

 そこまで行く前に、この辺りで魚採れば良いのに、と思わんでも無い。

 そーとー信心深いんだろうか? この辺りの人達は。

「っと……おぉう、釣り上げる前に分かる」

 湖の透明度が高いというのもあるが、先ほどの魚は全身がキラキラしているおかげで深い部分からその輝きが見て取れる。

 普通に嬉しくない。

 これがメルラルなら、美味しいのが確定しているので若干テンションも上がったんだろうけど。

「はい血抜き血抜き。でもってちょろっと掘って餌刺して~」

 昨日と同じように脇の地面を少し掘ってミミズを捕まえ、針に刺して第三投。

 この辺り、土も良質なのかミミズがかなり見つけやすいのだ。戦争する労力があるなら、漁業と農業の二つを両国でやれば良い感じに栄えると思うんだけども。

「ん~……昨日と同じかぁ」

 サクッと三匹目。昨日より遙かに早い釣果だ。

 でもって昨日同様同一の三匹。この湖、魚種毎に分かれて住んでいるんだろうか。

「ま、サクッと釣れただけ感謝感謝っと、ぉ。おおおおおおぉっ!?」

 振り向いた先に、女の子がいた。

 それも、木の幹から半分だけ姿を見せて。

「び、び、びっくりしたぁ……」

 あたしの声に驚いたのか、その子は一度木の幹に姿を隠したものの、またそろそろと顔を半分覗かせる。

 緑の紙を肩口で揃え、輝くような同色の瞳。非常に可愛らしい女の子だが……このあたしを驚かすとは、なかなかに出来る子だ。

 いや、冗談じゃなく。視界に入る程の距離に、あたしに気付かれずに近付いてきたのだ。警戒していなかったとはいえ、並の斥候以上に気配の消し方が上手い。狩人や暗殺者として、将来有望な才能の持ち主だ。

「ねぇ、何してんの?」

 あたしの投げかけにも、女の子は動かない。

 場所が場所だ。もしかしたら、噂に聞く精霊や妖精の類いなのかも知れない。

 無理にお近づきになる必要は無いので、気を取り直して火を点ける。

 そしてお魚の下処理だ。まずは湖に漬けながら腹を捌き、内臓を捨てる。腹部をちゃんと水洗いしつつ、下側のヒレを指で根元から綺麗に剥がす。背中側も同じで、ナイフを使わずとも綺麗に取れたので、指だけで綺麗に剥がしてゆく。

 メルラルと違いハッキリと分かるサイズの鱗だったので、こちらも剥がす。水につけたまま、ナイフの背でガリガリッと。後は指で一通りなぞって、指に引っかかる感じがしなければ下処理終わり。

「……っ。……うん、まぁ、予想はしてた」

 串に刺して振り向けば、目の前に少女がいた。

 ビクッとするだけで済んだのは、さっき驚かされたから覚悟してただけだ。

「しっかし気配の消し方上手いわね。何? マタギの子?」

 正直気配の消し方だけなら<三奪>でも幹部に次ぐ巧さだろう。

 素直に感心しながらそう尋ねるも、少女の瞳は魚を真っ直ぐ見つめるだけ。

「……まぁいいけど。一本ぐらい上げるから、ちょっと待っててね」

 焚き火のそばに串を刺し、魔法袋から取り出した岩塩を擦りつける。

 今回は三匹とも全部だ。一人なら気にせず一本は素材の味を楽しむところだが、子供がいるので全体的に薄めに味付け。

 後は焼けるのを待つだけだが、魚の焼ける良い匂いが漂い始めたところで女の子がそわそわと。

 気持ちは分かる。メルラルと違い、この魚は凄く良い匂いだ。

 そろ~っと手を伸ばす少女の腕を掴んで、まだまだと首を振る。凄く悲しそうな顔を見せたので、頭を撫でであぐらの上に。少女を抱えて「まだかなまだかな~」と口ずさむ。

 抱きかかえたのが良かったのか、横揺れが気持ちいいのか。どっちにしても、泣き出さなくて何よりだ。

「そう言えば、おとーさんとかおかーさんは?」

「……?」

「……まぁ、食べてればくるか」

 見上げてくるだけの女の子にそう独り言ちる。

 カラフルな冒険者ギルドでもそうは見ない綺麗な緑の髪。それだけでも珍しいが、さっき頭を撫でた際に二本の角があった。

 鬼人か鹿系の獣人なのだろう。両方とも人間がメインであるこちら側ではかなり珍しい人種だが、立地的にはそこまで不思議でも無い。

 だいぶ前に会ったボー達が向かった山脈先の共和国。こちら側からそちら側へと向かうルートで最も安全なのが、ここから更に南に行った山脈の切れ目、ルザンド峡谷を通る道なのだ。

 そういった立地事情もあり、この辺りは亜人の割合もそれなりに多い。アウラが所属する共国、その先にある帝国も亜人を人間同様に扱っている。

「よし、じゃあそろそろいいかな」

 魔法袋から布を取り出して、引き抜いた鉄串の持ち手に巻いてから少女に渡す。

「食べて良いよ」

 少女は促しに一つ頷いて、ガブリと一口噛みちぎった。

 獣人だから、だろう。骨ごと一気に行くのは普通の人間にはキツすぎる。

 普通魚を食べるときにはしないボリボリと言う音が、静かに響く。その音が止まったと思ったら、見上げてきた少女の瞳が目映いばかりに輝いていた。

「うん、いいよ」

 少女の笑顔は、母性本能が刺激されるほどに可愛らしい。

 ただし、食べ方は豪快。バクッといってボリボリッとしてゴックンと。頭まで食べきって、少し寂しそうな顔で見上げてきた少女に思わず苦笑してもう一本。

 こんだけ美味しそうに食べるんなら、たぶん固有三種の内の一つなんだろう。食べれそうに無いけど。

 たまに見上げてきてニコッとする少女がホント可愛い。食べられないのもやむなしだ。

 焚き火を絶やさないように枝を追加しつつ、少女の食べ終わりを待つ。この後自分用にまた焼かなきゃいけないから、ちょっと暑いけど仕方ない。

 食べ終わった少女は、あたしのあぐらから降りると、笑顔を見せてぺこりとお辞儀した。

 うん、良い子だ。

 よしよしと頭を撫でて、あたしも立ち上がる。

 さぁ、釣り再開だっ!

 幸い釣り竿は片付けなかったので、土を掘り返してミミズを捕り、針に刺してポチャリと。

 三匹連続で同じのが釣れたときはガッカリだったが、今はもうウェルカムだ。金銀魚も知らない魚も何でも来い来い。

 兎に角あたしは飢えている。理想はもう、味よりもサイズだ。この子が食べきれない大型を釣り上げるのが理想ではある。

 クイックイッ。

「ん?」

 服を引っ張られて見下ろせば、真っ直ぐ見上げてくる少女。その目に映っているのは、あたしじゃなくて釣り竿だ。

「……やりたいの?」

 ゴクン。

「はい。じゃあここに座って、釣り竿持とうね」

 先ほど同様にあぐらの上に座らせて、少女に竿を持たせる。

 あたしが釣りをしていたのを見てたのだろう。たまに糸を引く動作が可愛らしい。

 と、竿が大きく撓った。

「おぉ。……大丈夫そう?」

 かなり大物っぽい。

 釣り竿を離してもすぐつかめるように準備するが、少女はなかなかに頑張る。

 座ったままで力を入れにくいだろうに、しっかりと釣り竿を引き、戻し、また大きく引き上げる。

 見事なものだ。少女を抱き上げて立ち上がり、地面に下ろす。と、その意味をちゃんと理解して、少女は数歩下がってから大きく釣り竿を振り上げた。

 水飛沫と共に、長大な影が宙を舞う。

「おぉっ! すっごいな君っ!」

 思わず声を上げてしまったのも仕方ないだろう。

 何せ少女が釣り上げたのは、少女の倍はあろうかという長さのヘビ、顔だけはちゃんと魚っぽく縦長だ。

 針から外し、頭を切り落として活き〆。引きずって水の中まで持って行き、ちゃんと血を抜く。まぁ、このタイプはまた勝手が違うので正しい手順かどうかも分かんないけども。

「ん~、まだ釣る?」

 コクコクコクッ! っと勢いよく頷く少女に微笑んで、湖ヘビの腹を割いてその臓器を針に刺す。

 ニッコニコな少女は、少し離れて釣り餌をポチャリ。飛距離は少ないが、少女がやるならまあそんなもんだろう。

 問題はこの湖ヘビだ。一本の鉄串で焼くのは無理なので、メルラルとかの一般的な淡水魚サイズにぶつ切りして刺してゆく。

 そうして出来たのは、なんと二十本分。あたしが持っていた鉄串全部だ。

 鉄串が足りないと言う事もあり、ヒレの付いた尻尾の先端はポイ。勿体ないが仕方ない。

「はい、じゃあ終了っ! って、また釣ったわねぇ」

 見てはいたが、少女が釣ったのは更に五匹。今度は金銀魚ばかりだ。

 血抜きぐらいはしないとあれなので、少女に串に刺した魚を焚き火の側に出しておくようにジェスチャー。意味は伝わったのか、水に漬けてある鉄串を持って行く少女を見送って、あたしは残り五匹の血抜きを始める。

 水流が殆ど無いのは幸いだ。血や臓器が流れにくいと言う問題もあるが、寄ってくるのが小魚ばかりで水中に放置していても持ってかれる心配が無い。

 血抜きを手早く済ませたものの、それでも少女が鉄串を刺してしまう方が早かった。

 血抜きした五匹を陸地において、少女と並んで焼き上がりを待ちつつ塩を塗る。

 少女が興味津々だったので塩を少し舐めさせてあげると、キュッと顔をすぼめた後、なんか凄く嬉しそうな笑顔を見せてくれた。

 うんうん、塩愛好家が増えたようであたしも嬉しい。

 いくつかある革袋の内、一番小さい革袋と取り出して、その中に一欠片の岩塩を入れてプレゼント。

 誕生日に欲しい物を貰った子供のように飛び跳ねる少女は、見ていて楽しい。

『レンティアあああああぁぁぁぁぁぁっ!』

 突然、森を揺らすほどの大声が響き渡った。

 鳥が一斉に飛び立ち、木々が揺れる。そんな森の中から、長身の男がかなりの速度で駆け寄ってくる。

 中々凄い光景だ。

 男の肩が触れた木はその部分が抉れ、押しのけられた木は根元から倒れてゆく。

 見た目は鹿みたいな角が生えた美形青年だが、明らかに人間じゃ無い。

 そんな災害存在が憤怒の表情で駆け寄ってくるのは、恐怖を通り越して笑えてくる。

「貴様ああああぁぁぁぁぁっ!」

 男が森を出て一歩。その一歩目で、男の表情は素に戻ると同時に動きを止めていた。

 両手を広げて立ち塞がったのは少女。その姿に男は、笑顔を見せて両手を広げた。

「心配したぞレンティアっ!」

 抱擁の為に両手を広げているとでも思ったんだろうか?

 勿論そんか事は無く、少女はぷいっとそっぽを向くと、こっちにきてあたしのあぐらの上に腰を下ろした。

「……レンティアっていうの?」

 コクン。

「そっか、良い名前ね。あたしはカイナ。よろしくね」

 グリグリと後頭部を押しつけてくる返事に頬を緩ませつつ、あたしはその頭を撫でる。

「じゃあそろそろ食べよっか。……はい」

 また布を巻いて鉄串をレンティアに渡す。

 腕ぐらいの太さがあるそれに、やっぱりかぶりつく。可愛らしい見た目とは違い、ボリボリ食べる様はワイルドだ。

「あ、おにーさんも食べる?」

「う、うむ。……貴様、レンティアに何をした」

「何って……餌付け、になるのかな? これだと」

 顔は見えないが、幸せそうなのは伝わってくる。

 だが男は鉄串を手に取ると、刺さった物をみて鼻を鳴らした。

「こんなもの、我らとて常に食っておるわ。それで餌付け等と笑わせる」

 レンティアよりも更にワイルドに一口。身の半分以上を骨ごと口にした男は、一噛みしたところで一度動きを止めると、猛烈な勢いで咀嚼し始めた。

 なんか齧歯類みたいだ。

 あっという間に一本目を食べきり、そのまま二本目にも手を伸ばす。それに対抗するかのようにレンティアも二本目へ。

 何というか、身内なだけあって似たもの同士だ。

 あたしも一本手に取り、一口。

 味の感想を端的に言えば、まぁ普通。ただ、非常に不思議な味ではある。

 何というか、肉なのだ。赤みがかった白い身は、確かに魚の食感。鳥肉のような味で、なのに少し魚の生臭さがある。噛んで消えてゆく口当たりは魚なのに、残る味が鳥肉というのは違和感しか無い。

 だが、不味くは無い。塩の効き具合もちょうどよく、屋台で大銅貨三枚で売っていれば、まあこんなもんかと思える程度の味だ。

 固有三種の魚を食べたかったんだけど……空腹も相まって美味しくは感じるからまぁ良しとしよう。

 そんな事を思いつつあたしが一本を食べ終える頃には、見事に全て平らげられていた。

 骨すら残さないその姿勢、素晴らしいと思います。

「ふむ、見事だ。貴様料理人という奴だな?」

「いやいや。こんな黒ずくめの料理人なんていないから」

「そうなのか?」

「そーなの。そもそも、塩つけて焼いただけなんだから、大抵の冒険者なら普通にやってるって」

「……冒険者、か」

「そ、冒険者。それでおにーさんは、この子のおにーさんであってるの?」

「いや、父だ」

「はぁ」

 何故か胸を張る男に、思わず曖昧な返事を返す。

 予想はしていたので、別に意外ではない。

 亜人なら、外見と年齢が一致しないのはむしろ普通だ。人種が違えば成長速度も寿命も異なるのだから、当然ではある。

「まぁ兎も角、ごめんなさい」

「ん?」

「禁漁区ってのはきいてたんだけど、どーしても美味しい魚が食べたくて」

 素直に頭を下げて謝ると、男はにやりと笑った。

 男としては微笑んだ程度かも知れないが、そこには背筋が凍るほどの凄みがある。

「まぁ、構わん。ごちそうにもなったしな」

「そりゃ良かった。レンティアが釣った魚がまだあるから、良ければ食べる?」

「貰おう」

「ん。じゃあこの子返すわね」

 そこそこ満足したのか、あたしに寄りかかって寝ているレンティアをお姫様抱っこで抱え上げ、男へと差し出す。

「それで、つったとは?」

「釣りよ、釣り。その子ならやり方把握してるし、道具はあげるから後で教えて貰って」

「……良いのか?」

「大体自作だしね。レンティアも楽しそうだったし、気にせず貰って」

 そんな事より気になるのは、彼らがどうやって釣りもせずにどうやってこんなところで生きているのかだ。

 釣りを知らないってのが、非常に気になる。

 まぁその辺りは追々聞くとして、今はレンティアが釣ってくれた五匹の処理。

 あの金銀魚だが、今回処理するのは一匹だけ。残り四匹はそのまま鉄串にズブーだ。中骨ごと食える顎なら、邪魔くさいヒレも気にしないだろう。

 左手に四本、右手に釣り竿と一本を持って焚き火に戻る。

「じゃあ釣り竿」

「うむ。なるほど、これで捕るのか」

 しげしげと眺める男を横目に、地面を串を刺してゆく。その作業が終わったら、後は取り出した岩塩を塗りたくるだけだ。

「……それはなんだ?」

「塩だけど。……ねぇ、もしかして神族とかいうやつ?」

「しんぞく?」

「えーっと……神様だったり、それに近い種族だったり?」

「ふむ、神か。ならば我らもその神族というものなのだろう」

「おぉう」

 こんな場所に住んでて釣りも塩も知らない時点で、そういった超越した種族なんだろうとは思ってたけども。

 男は軽く言ったが、神族なんてのは伝説上の生き物だ。神同様神話やおとぎ話でしか存在しない筈の存在。

 それが、目の前にいる。何というか、リアクションに困る。

「ほれ。我らは龍だ。神に頼まれ世界の維持を司っている」

 男がそう言い右手を翳すと、手首から深緑の鱗が生え始め、人差し指と中指、薬指と小指が一体となり、その手自体が倍以上に膨れ上がる。

 龍の手。これでもサイズを抑えてくれてるのだろうが、そこから放たれる威圧感は凄まじい。

「えーっと……神様に、直接頼まれたの?」

「うむ。と言っても数代前だ。その頃より存命なのは二龍のみ」

「ちなみに、失礼かもだけど、ドラゴンとは違うの?」

「あれらは大半が我らの血を飲んだ何かしらの生物だな。奇特な龍が交わった結果生まれた者もおるだろうが、その場合は最低限の知識を有するはずだ。……こうして貴様と放せる程度の知識はな」

「……言葉を覚えて生まれてくるって事?」

「万物の意思を読み取れるが故に、言語を解すると言う事だ」

「うん、分からん。もういいや、食べましょ」

「貴様凄いな」

 神様系に感心されるなんてあたしも中々ね。

 ちょっと誇らしく思いながら、あたし用の一手間かけた魚を一口。

 うん、美味くない。いや、美味いんだけども、さっき食べた湖ヘビより物足りない感がある。臭みは無いので、その辺りを加味してギリギリ合格点。

「いや、素晴らしいなこれはっ!」

 男は非常に満足そうで、二口で一匹を食べ終える。

 ん~、言うほど美味くないんだけど、もしかして臓器が美味い魚なんだろうか。

 そうは思っても、取り除いてあるので試せる筈も無く、残るもう一つの可能性にかけて、小骨をかじる。

 ぷつりと骨を噛みきる食感。あまり好きな感覚では無いので、覚悟を決めて奥歯で噛み締める。

 と、魚が爆発した。

 味と言うより、匂いだ。青魚の風味が若干混じるが、白身のムニエルを口一杯に頬張ったかのような溢れ出る香り。

「お、おぉ。なるほど、これ、焼くだけでも骨と一緒に食べるとべらぼうに美味しいんだ」

 匂いとは味だ。骨の芯から溢れるこの香りだけで、白身を一緒に食べれば上等なムニエルを食べてる気分になる。

 まぁ、小骨を噛まなくちゃいけないので、好き嫌いは分かれるだろう。あたしも、味は好きだが、あんま好みじゃ無い。

「うむうむっ! いや見事。そのままとは比べものにならんなっ!」

「ふ~ん。いっつも生魚食べてんの?」

「いや、そもそも食を必要とせぬ」

「ん? 神族っていっても生き物でしょ? 生きてるならお腹減ると思うんだけど」

「故に否。我らは生物では無く存在だ。ただ在る場合ならば、一切を必要とせぬ」

「……凄いね?」

「はっはっはっ! なに、そう難しい話では無い。天も地も、本来ただ在るだけならば永遠なのだ。干渉されるからこそ変化し、消耗する。我らはそれらと同じで、行動せぬ限りは何一つ必要としない」

 男は、腕の中で眠るレンティアを優しく撫でる。

「それはこの子も同じだ。ただ、生まれてからまだ百に満たぬ故、存在するだけで僅かに消耗する。消耗は飢えとなる故、今日の活動はそれが原因であろう。……活動する方が消耗するのだがな」

 「全く、困ったものだ」と微笑む様子は、ちゃんと父親だ。

「そう言えば、母親は?」

「我だ」

「……あぁ、神族だとそうなるんだ」

「交わって産む事も可能ではあるがな。ただ、我らは基本活動を必要とはせぬ。故に、そのような事をしようとも思わぬし、番を求めようとする事がまず無い」

「ん~、失礼かもしんないけど、聞いて良い?」

「なんだ?」

「生きてて楽しいの?」

「……。……は、ははっ。それこそ、生きる者の発想だな」

 怒るでもなく、嘲るでもなく、ただ楽しそうに男は笑った。

「虫の繁殖に意味を問うか? 魚が泳ぐ事に、鳥が飛ぶ事に、意味を問うか? 問わぬだろう。我らは、そう有れかしとして在るのだ。そこに楽しいか否か等関係ない」

「でも、美味しいのよね?」

「うむ、見事。あの奇特な龍が人と関わろうとした理由も分かろうというものだ」

「なら関わればいいじゃ無い。もっと美味しい料理なんていくらでもあるわよ?」

「そこが生物としての違いだな。美味いとは思うが、それだけだ。欲求が無い故、求める事が無い。つまり、万事がその程度の事なのだ。我らにしてみれば、な」

 達観してる言葉自体は、なるほど神族っぽい。

「なら、どんなとき行動するの?」

「今ならば、レンティアに害を与えられた場合だな。後は、和が領域を穢された場合か。ここもレンティアが生まれる前に、相当騒がしくされてな。その際に一通り片付けてやったわ」

 そう言って男は豪快に笑うが、複雑な気分だ。

 手酷くやられただろうに、両国はまた戦争。ここに手を出さない分、学習していると言うべきか、どーなんだか。

「今も騒がしいけど、いいの?」

「眠る場所がここの底だからな。残骸が降ってこない距離なら、まぁ構わぬ」

「ふ~ん。じゃあここに来る分には問題ないんだ」

「レンティア次第だがな」

「でしょうね」

 鬼のような形相で迫ってきたのを思えば、まぁそうだろうねと言う感想しか出てこない。

 そんな事を話している間にも魚は全て無くなり、あたしも骨が残っているだけだ。

 骨が美味しいのは分かったけど、さすがに食べるのはキツい。

「それじゃ、ごちそうさまっと。あ、一応勝手に上陸したお詫びにこれあげる。釣り竿の糸と針の予備もね」

「うむ。それでこれは……魚に塗っていた奴か」

「岩塩よ。本来は砕いて粉にしてからかけるんだけど、めんどいしそのまま舐めても美味しいから、あたしはそのまま使ってるってだけ」

「……美味いか?」

 表面を一口舐めた男は、非常に渋い顔をした。

「魚は美味しかったでしょ? 調味料って奴よ。レンティアにもあげたけど、量が少ないからたまには作ってあげて」

「ふむ、料理というやつか。……まぁ、レンティアが喜ぶなら試してはみよう」

「ん、よろしく。あ、焚き火そのまんまで良い?」

「うむ。処理はしておこう」

「ありがと。それじゃあね」

 結局二種類魚を食べただけで、それも固有三種かどうかすら分からないままだったが、まぁいいだろう。神族なんてのと会話が出来たと言うだけで、大収穫だ。

 うん、関わらないようにしよう。

 そそくさと舟に乗り、出発。

 まだ日は出ているので砲戦の音は聞こえるが、戦争と神族どっちが怖いかと言われれば、間違いなく神族だ。

 戦争なんて合法的な殺し合いに過ぎないわけだし、混ざるならそっちの方が良い。

 とはいえ、実際混ざるのも面倒くさいので、あたしは音を頼りに交戦地帯に近づかないようオールを漕ぎ始めた。


    △▼△▼△▼


「あれ、まだいた」

 昨日と同じ宿に戻り、同じようにチェックインすると、酒場にはアウラが突っ伏していた。

 昨日とは違い、カウンターではなくテーブルだ。昨日同様そこそこ客が付いているのに一人で一テーブル独占する様は、いっそ清々しい。

 ……そこまで堂々とした性格じゃなかったと思うんだけど。

 近付いてみても、反応無し。頭に手を置いて初めて、アウラはむくりと身体を起こした。

「あ、まだいたの」

「<三奪>の頃じゃ想像も付かないでしょうね、今のあんた」

「もー殺すなら殺してくれて良いわよ馬鹿らしい」

 エールおかわりっ! と大声を張り上げて、テーブルに顎を載せるアウラ。

 中々やさぐれていらっしゃる。

「何があったのよ」

 対面に腰掛けつつそう尋ね、エールを持ってきたお嬢さんに今日のお勧めを頼む。

「何って、全部よ全部。ひとが根回しして噂蒔いて戦争が終わるように手を尽くしてるってのに、利益がどーだの今戦争を止めたら収益がどーだの……私がいなければその切っ先が自分たちに向いてたって事も理解しない馬鹿共ばっかなのよ? だからネズミ系は獣人内でも嫌われるのよ。小狡いだけでなんもしやしない」

 アウラはグイッと一気にエールを煽り、木造ジョッキをテーブルに叩きつけた。

「死ねっ!」

「……荒れてるねぇ」

 <三奪>が壊滅した事も、アウラにとっては効いているのかも知れない。

 殺し屋としての能力は十分にあるが、頭脳派を自称する彼女にとって、<三奪>という後ろ盾は、万が一の保険として精神的余裕を与える大きな要素だったのは想像に難くない。

 まぁ、ストレスだろう。後ろ盾が無くなったと言うのもあるが、<三奪>が潰れた事で、同業他社に軽く見られたりもするだろうから。

 ちなみに、あたしみたいな武闘派には関係ない。むかついたら殺せばいいし、殺されたらそこでおしまい。ただそれだけだ。

「もぉさぁ、殺っちゃってくんない? ほらここに資料あるからさぁ。あ、おねーさんもう一杯っ! 三杯ぐらい持って来ちゃってっ!」

 テーブルに置いてあった紙の束をずいっと押しつけて、空のジョッキを振り上げるアウラ。

 人前でこんなに酔っ払う事も、重要な資料を携帯する事も、昔ならまず無かったんだけど……人間、変わるもんだかなぁ。

 「武闘派は脳筋。資料見せるだけ時間の無駄」なんて言ってたの一年前を思い出しつつ、受け取った資料を眺める。

 さすがアウラと言うべきか、分かりやすく纏めてある。

 一枚目は殺害対象者の名前、肩書き、抜粋されたタイムスケジュールにルーティン。

 二枚目以降は個々人の詳しい情報で、最後の五枚には殺害優先度と特定人物を殺さなかった場合などの考察が記されている、

 まぁ、あたしは武闘派なんでそんな詳しく読まないけども。

「この人数だと、あたしに頼むと高く付くわよ?」

「友情価格でっ! 友情価格でお願いっ! でもって最悪そのクソネズミぶち殺してくれればいいからっ! お願いしますっ!」

 深々と頭を下げて、顔を上げる勢いのままジョッキをグイッと一気。飲み終わるとゴンッと音を立ててテーブルに頭を打ち付ける。

「お願い。あのネズミだけでいいから極上の拷問かました上でぶっ殺して」

「引き受けるのは良いけど、それなら自分でやった方が良いんじゃないの?」

「私はぁ、いま、ディユースティーチの、お仕事なの。そのお仕事はぁ、フォルダーシの内偵でぇ、今はフォルダーシを助けろって」

 テーブルに頬を押しつけて、半眼で見つめてくるアウラ。

「おわかり?」

「昨日聞いたから分かるけどね。……殺したら不味いの?」

「クズでカスだけど、あいつがいなくなるとちょ~弱体。国の経営がヤバくなるのよお。中抜きしまくっててヤバいのにぃ、いなくなったらもっとヤバい」

「じゃあ殺したら不味いじゃん」

「そー、ヤバい。あー、ヤバい。もー、全部取る為に軍動かしたとか言ってるしさぁ……のーみそ欲で塗れて腐ってんのよ絶対。あのウンコクズネズミぃ」

 ゴンゴンとテーブルに額を打ち付けてエールを呷り、再び打ち付けてはエールを呷る

 う~ん、ストレスモンスター。

 明日にはすっきりしててくれると良いんだけど。

 暫く黙って食べていると、アウラの動きが止まっていた。

 あり得ないと思いつつも、食事を終えて確認してみればガッツリ熟睡中。

 元ではあっても<三奪>に所属していた者として、どーなんだろうかこれは。

「はぁ、しゃーない。おじょーさん、こいつの代金は?」

「あ、大丈夫ですよぉ。足りなくなったらお声をかけさせていただくようになってますので」

「ん、分かった」

 アウラのポケットに手を入れて鍵を取り出しても、寝たまま。

 本気で殺されても良い心境なんだろう。<三奪>に所属していたなら、それくらいの覚悟が無ければ泥酔できない筈だ。

「全く」

 アウラを担いで酒場を出る。

 勿論資料は回収済みだ。自分のミスから関係ない一般人を殺すってのは、案外心が疲れるので。


    △▼△▼△▼


「おはよう」

「ん。よく眠れた?」

「えぇ。こんなに寝たの、ここ十年じゃ初めてね」

 翌日。

 日が昇ってからそこそこ経っているので、酒場にはあたし達だけだ。

「……その、昨日は、ごめんなさい」

「気にしてないわよ」

 アウラが対面に腰を下ろすと、お嬢さんが水を持ってくる。

 ここは朝食も大して美味しくはないが、水が料金に入っているだけ良心的だ。でもって今みたいにかなり遅めだと、仕入れた魚を使ってくれるのか焼き魚が単純ながらも中々悪くないお味だったりする。

「それでどうすの?」

「もう帝国に馬を走らせてて、共国で出来る仕事なんて無い。だから、帝国から連絡があるまではのんびりさせて貰うわ」

「クソネズミは?」

「ふふっ。まぁ、タイミングを見て、やるなら自分でやるわ。そんな機会は無さそうだけど」

「宮仕えするつもり?」

「それも状況次第ね。金払いは良いし、<三奪>ほど危険な場所に派遣される事も今のところ無いし……そう考えると、ありかもしれないわね」

「ま、あたしはアウラの選択を否定しないわ」

 そう言った所でアウラの朝食が運ばれてきて、少し黙る。

 置いていったお嬢さんが調理場に消えた事を確認してから、魔法袋から出した硬貨をアウラの手元へと滑らせた。

「ただ、お金に関してはそれあげる」

「あげるって……は……?」

 蒼青白貨。<三奪>から頂戴したあの超高額硬貨だ。

「<三奪>の倉庫から持ってきたのだから、同僚に会えたら渡そうと思ってたのよ。使う機会なんてある筈無いから、昨日は完全に忘れてたけど」

「いや、でも、こんなの……」

「あんたなら使い道もあるでしょ? 退職金だと思って貰っとけば良いって」

「……まだあるの?」

「そりゃあ、ね。勇者に一枚あげただけで、後は触ってないし。と言っても、残り十枚ぐらいなもんだろうけど」

「あ、あはははっ! 何よそれ、そんだけ持っててそれってのも異常だし、なんでそこで勇者が出てくるのよ。全く、貴女と話してると本当に飽きないわ」

 楽しそうなアウラに、あたしは首を傾げる。

「言ってなかった? あたし、勇者を使って頭領の息子とそれに従った奴ら皆殺しにしたんだけど」

「……昨日は、頭領が勇者とやり合って殺された、って事しか聞かなかったけど」

「あぁ勘違いしないで。その時の雇い主は国だったから。あたしが勇者を使ったのはその後」

 僅かに警戒の色をに滲ませたアウラにそう告げると、彼女は安堵と共に息を漏らして一つ頷いた。

「なるほど。裏切り者の残党退治に使った、ってわけね」

「そー言う事。そー言えばあの勇者。その後も色々やったらしいのよね。そっこーで王位交代してて笑ったなぁ」

「ん? ちょっと待って。その話、どっかで聞いたような……」

 何かを思い出そうと、アウラの視線が右上に向かう。それと同時に、宿屋の方が騒がしくなった。

 ガチャガチャという無数の金属音と、詰問するかのような声。

 まぁ衛兵だろう。冒険者でそこまでの重装備をしている者は少なく、口調も冒険者ならもっと豪快か乱雑だ。

 案の定、扉を開いて姿を見せたのは衛兵達。五人もいるところを見れば、捕物か。

「アウラ・ルイ・リベンス。フォルダーシ共国から逮捕状が出ている。ご同行願おう」

 思わず顔を見合わせる。

 アウラの驚きは理解できるが、あたしの驚きはその名前。

「ぷふっ。何その長ったらしいの」

「王宮勤めって時点で、家名ぐらいは誰でも持ってるの」

「おい、逮捕状が出ていると言っているんだ。立って両手を挙げろ」

 五人の中でも一際大きな男が威圧しつつ寄ってくる。

 とはいえ、所詮は衛兵だ。アウラも動じるような事は無く、頬杖をついて睥睨する。

「あのね。私はこの国の外交担当。国から逮捕状が出たからと言って、地方勤務の衛兵ごときが逮捕して良いと思ってるの?」

「衛兵ごときだとっ!?」

「気に障ったなら謝るわ。ただ、この国の法で定められているのよ。色々複雑だけど、簡単に言えばこの国の王宮に勤めている者を逮捕拘束できるのは、貴族局管轄の中央憲兵隊でなければいけないの。おわかり?」

 この国の腐敗具合が良く分かる法律である。

 だが衛兵も然る者、腐った国の国仕えと言うだけあり、アウラの言葉にも下品な笑みを見せたのが四人。苦々しい表情を見せたのは隊長っぽい一人だけだ。

「そう、法律法律。その法律が変わったんだよ」

「……冗談でしょう? 私を捕まえる為だけに、この短期間で法律を変えたって言うの?」

「そりゃあ知らんが、伯爵以上の貴族家当主から直接命令が出れば良いんだとよ」

「あんのクソネズミぃ」

「おっと、差別発言に宰相侮辱罪がついて死刑確定だな」

「……クソネズミって言っただけで、あんのクソネズミの事とは限らないと思うけど?」

「がっはっはっ! 言うなぁお前」

 笑う大男の斜め後ろで、隊長らしい壮年の男性が渋々と口を開く。

「貴女ならご存じでしょうが、そういう判例が既にあります。仮に別人を指していても、変わりませんよ」

「はあぁぁぁぁ~~。ほんっとどーしようも無いわね」

 ため息を吐きつつ立ち上がるアウラ。

 その様子に男は笑みを深め、カウンターへと向かって声を上げた。

「テメェ等出ていけっ! ここは一時的に俺たちが接収するっ!」

「逮捕でしょ? 縄かけて連れ出すだけの事に、接収する必要なんでないでしょうに」

「何言ってんだ。生死は問わないと言われれんだぞ? 楽しむのに場所は必要だろうが」

 男の言葉に、後ろの三人が笑い声を上げる。

 壮年の男性だけはしかめっ面を見せたが、駆け足で出て行く店員達と一緒に酒場から出て行く。

 まともではあるんだろうけど、職務放棄はどうなんだおっさん。

「仕方ないわねぇ」

「あんたが上になるなら優しくするぜ?」

「そうね。私が上よ」

 アウラが紐を解くと、三つ編みにされた白髪が綺麗に広がる。

 男達は「おぉっ!」と声を上げ、それが最後の言葉だった。

「私を見上げて果てるの。幸せでしょ?」

 アウラが穏やかに微笑むと、三つの首が床に落ちた。

 髪を縛っていた鋼線で切り落としたのだ。相変わらず見事なもんである。

「腕は鈍ってないようでなにより」

「こんの相手に腕も何も無いわ」

「かもね。……しっかし、相当酷い国ね」

「一般人はどの国も同じなんだけど……衛兵を含めた国の組織が大体、ね」

「こんな国よく取り込もうと思ったわね」

「最初は上の方だけどうにかして、輸出入の汚いやり口をどうにかしたいって話だったのよ。何人か関係者をリストアップして、許可を貰ったら殺してお終い……って予定だったんだけど、ねぇ」

 ため息を吐きつつ、アウラは銀髪を後ろで纏める。

「まぁやる事はやったし、この国にもいられなくなったし、お役御免ね。満額にボーナス受け取って、後はどうしようかしら」

「そんな事より、こんなタイミングで手配がかかってる方が気になるんだけど。昨日の資料だって、いつも持ってるわけじゃ無いんでしょ?」

「そんな事なんて言わないでよ……」

 あからさまにガッカリしてみせるが、すぐに復活してアウラは言葉を続ける。

「昨日あのクズネズミと口論になったのよ。だいぶ溜まってたからキツく言ってやって、私室の荷物片付けてこの宿に戻ってきたって訳。折角の再会だから、もう一度会えるかと思って……やっぱり会えた」

 そう言って微笑むアウラは、あたしが男ならイチコロだっただろう。

 それほどの色気ある微笑みだが、長い付き合いからしてみれば『まーた厄介ゴトに巻き込もうとする』としか思えなかったりする。

「で? 私室があるならなんで宿に泊まってるのよ」

「仲介役として動いてるから、どっちかの国に泊まるのはちょっとね。だから共国南端のこの町で宿取るのがいつもの事なの。昨夜はまぁ、さっぉ言ったとおりだけど」

「なら、昨日登城したってのは?」

「昨日の早朝に共国軍がここ通ったから、事実確認の為にね。……あー、今思えばあのとき殺しとけば良かったわ。あのクズネズミ」

「……ちょっと待って。あたし見てないけど」

「共国軍? カイナがどこで釣りしてたか知らないけど、この町を出たところで二つに分かれて戦場を迂回、昨夜には両方の国に入ったと筈よ」

「なんで?」

「あのクズネズミの案よ。手伝いに来たと言って軍船を借りて、中央の島を占拠。ここは共国の島だから湖も共国の物だって主張するつもりみたいね。ホント馬鹿だから滅びれば良いのよこんな国」

「…………」

 一瞬頭を過ぎったのは、レンティアの笑顔。

 仮にも神族なら万が一も無いとは思うが……親がアレだ。子煩悩ではあったけど、レンティアがあたしと会ってからあの男が出てくるまでそこそこかかったのが気にはなる。

「まぁ普通ならそんな提案を呑む国なんて無いんだけど……あの二国、フォルダーシとの交易で成り立ってる所があるから。まぁ、外に出ましょ。それなりに詳しい状況ならすぐ手に入るから」

「ん……」

 酒場を出て、宿の受け付けに鍵を置いてから外に出る。

「な……っ」

 驚きの表情と共に剣へと手を伸ばす衛兵に、あたしは目を細める。

「剣を抜いたら殺す」

 その言葉で瞬き一つしなくなった衛兵に一つ頷いて、その周りにいる酒場と宿の面々に口を開く。

「掃除代やら何やらは酒場に転がってる奴から貰っといて」

 あれでも一応は公僕だったなら、掃除代ぐらいは持ってるだろう。

 アウラの後に続いて歩く。目的地がどこか知らないが、情報源があるのだろう。

「……なんか怒ってる?」

「ん? あぁ、違う。ちょっと心配で」

「どっちかの国に友達でも出来たの?」

「まぁそんなところかな」

 神族を心配するのは分不相応なんだろうけど、レンティアは庇護欲がそそられすぎて不安が収まらない。

 あの父親、ちゃんと父親としての義務を果たしてくれれば良いんだけど、

「……いや、逃げた方がいいのかな。物理的にこの辺り一帯が滅びる可能性もあるし」

「カイナ、ここが私の情報源よ」

「ちょ、アウラさんっ!?」

 アウラの言葉に慌てたのは、屋台の女店主。ちゃんとエプロンにバンダナと屋台の店主にふさわしい装備で、ガタイの良さも相まって女大将って感じだ。

「彼女は昔の同僚だから大丈夫よ。……それ以前に、もうお尋ね者だからどーでもいいってのもあるけど」

「アタイの仕事はまだ続くんですから勘弁してくださいよ」

「悪かったわね。で、軍の動きに進展あった?」

「あったどころか、普通に進んでますよ。信じられない事に」

「……クズネズミはクズでバカだけど、あっちの王様は単にバカって事ね」

「悪い人達じゃ無いんですけどねえ。まともな貴族ってのは、賢くない貴族って事かもしんないっすね」

「ははっ。……笑えないわね、ほんと」

 げんなりと肩を落としつつ、アウラは果物ジュース二つを受け取ってこちらに向き直る。

「はい。そいうことみたいだけど」

「ありがと」

 果物ジュースを受け取って、歩き出す。

 向かうのは、一応東だ。北が共国、その先に帝国。南が今戦争中。あたしは西から東に向かって旅してるので、ここのいざこざに巻き込まれない方向とすると、関係ない第三国の方になる。

「彼女、友達?」

「知り合ったのは、帝国の仕事始めてすぐね。帝国で厄介な事に巻き込まれてる所で出会って、お店をやりたいって事だったから私が経費で一通り出して、諜報も兼ねてここで仕事して貰ってる」

「仕事だけの付き合いって感じじゃ無かったけど」

「まぁ、私はお客だから。あの屋台はもう彼女の物で、情報屋は副業。どっちにしても愛想は必要だし……うん、私が帝国の人間って知られてるから、話しやすくはあるわね」

「……そっか」

 それなりな期間同じ地域にいるのだ。彼女に限らず、友達に近い人は何人かいるんだろう。

「なら、滅びないように動くか」

「なに?」

「ラーグルウ龍神湖に向かうわよ」

「……え? 何があるの?」

「最悪この辺り一帯が更地になる。だから全速力で向かうわよ」

「はい?」

 不思議に思うのは当然だが、そうと決めたなら急いだ方が良い。

「行くわよ。話は道中で」

 そう告げて、あたしは走り始めた。

 馬の方が楽だが、あの距離なら走った方が早い。

 東から町を出て、向かうはラーグルウ龍神湖。

 レンティアパパがまだキレて無い事を願うばかりだ。


    △▼△▼△▼


 ラーグルウ龍神湖が見えてきたのは正午前後。

 もっと早く着くはずだったのに、途中でアウラがバテたのだ。

 おかげで今背中にはアウラが。押しつけられる胸が酷く暑苦しい。

「神族かぁ。会いたくないわねぇ」

「あんたの為でもあるんだから文句言わないでよ」

「文句じゃ無くて単なる心境よ。実際昔話通りなら、帝国にまで被害が及ぶでしょうし……そんなところに近付きたいとは思わないわよ」

 事情を知ったアウラはブーブーと五月蠅いが、それが重荷になっている点以外は非常にスムーズだ。

 平地で戦争をしていないというのが大きい。アウラが言うには、共国軍が両国に入った事によって一時停戦になっているんだろうとのこと。

 何というか、適当な戦争である。

「で、湖渡るのはどうするの?」

「氷結系の魔術使えたわよね?」

「……湖面凍らせろとでも?」

「足場だけ凍らせてくれればいいから。このまま駆け抜けるわよ」

「冗談でしょっ!? 無詠唱でも継続発動させろってっ!?」

「その辺りは知らん」

「もうっ! 対象からは外すけど、下半身の保護厚めにしといてよねっ!?」

「湖に出る。行くわよ」

「あーもうっ」

 回されていた腕が解け、両手が下へと向けられる。それと同時に、太ももから下が極端に冷えた。

 一瞬視線を下げてみれば、アウラの両手先には魔術陣。激しく動くレザーパンツは所々が白くなっている程度だが、ブーツは氷に覆われ真っ白だ。

 それほどの冷気だからこそ、湖面には薄氷が形成される。そしてあたしなら、踏めば割れるような氷でも足場として駆け抜けてゆける。

 ただし、もう止まれない。

 身体は重く、冷やされて尚熱を持つ太ももが疲労で悲鳴を上げ始めている。

 それなりにトレーニングはしてるつもりでも、やっぱり現役を引退するとそれなりに鈍るものだ。

「……さすがに、キツい」

 思わずぼやいたが、先ほどまで五月蠅かったアウラからの反応は無い。

 無詠唱。魔術を使えないあたしには想像も付かないが、そうとう集中力がいるのだろう。

 暫く走ると陸地が見えてくる。

 西と東に大型船が三席ずつ、小舟は見当たらず、それなりの人数が上陸しているのが見て取れる。

 真っ直ぐ進めば、ちょうど昨日釣りをしていた辺りだ。

 大樹へと続く森の切れ目にも、それなりの人数がいる。

 彼らの服装も視認できる範囲まで近づいてきた。全員が軍服で鎧を纏ってはいないが、ちゃんと帯剣している。ちょっとキラキラした感じの軍服を着ているのは、他多数よりも偉いという印なんだろう。

 こちらに気付いたのか、何人かが指を指してくる。

 大型船へと走ってゆく者も見受けられるが、まぁ関係ない。逃げ出すなら逃げ出すで、あえて止める必要は無いのだ。

「アウラ。着く、わ……よ……」

 告げる言葉が尻すぼみに小さくなる。

 森の切れ目から出てきた三人。その中の一人が引き摺っている少女を目に、カッと頭に血が上るのが分かった。

 レンティア。

「クズがっ」

「ちょっ!」

 怒りに任せて踏み込んでしまった一歩。

 そんなミスにアウラが合わせてくれたおかげで、踏んだのは分厚い氷。踏み込みの勢いに足首まで水に浸かったものの、跳躍するには十分な足場だ。

「き、さ、ま。らあああああぁぁぁぁぁぁつ!」

 レンティアを引き摺る男に向かって、跳ぶ。

 一足跳びで男に肉薄。振り下ろすように放つ右足が男の左肩から胸へとめり込み、左腕だけを残してその身体を蹴り飛ばした。

「レンティアっ!」

 残った左手を投げ捨て、芝生に倒れたレンティアを抱き上げる。

 見たところ怪我は無い。呼吸もちゃんとしているようだ。

 と、その瞼が僅かに震え、深緑色の瞳が覗いた。

「……大丈夫?」

 投げかけに、一度大きく目が見開かれると、笑顔を零してコシコシとあたしの胸に頭を擦りつけてくる。

 あぁ可愛い。ジャケットの裏に色々仕込んであるからレンティアの角が痛くないか心配だけど、それを無視して全力で抱きしめたいぐらい可愛い。

「……私を忘れるの、やめてくれないかしら」

「忘れてないって。良いアシストだったわよ」

 レンティアを地面に立たせて、髪を解いたアウラへと向ける。

 髪を解いているのは、あたしが男を蹴る時には背中から離れ、鋼糸で両脇の二人を殺害してくれていたからだ。

「レンティア。この人はアウラ。あたしの仲間で、友達よ」

「こんにちわ。よろしくね、レンティアちゃん」

 アウラが右手を差し出すと、レンティアは小さな両手でそれを握って上下する。

「「可愛い」」

 思わずハモったが、和んでる場合じゃ無い。

「アウラ、レンティアをお願い。そこまっすぐ行けば大樹があるから、その辺りでゆっくりしてて」

「出来るだけ汚いモノは見せないように努力するわ」

「うん、お願い。あたしはこいつら皆殺しにするから」

 レンティアを無碍に扱ったのだ。その仲間と言うだけで、万死に値する。

 「また後でね」とレンティアに手を振って、ようやく動き始めた軍服達へと顔を向ける。

 見える範囲では二十人程か。

 全体の一割にも満たないだろうが、ちゃんと宣戦布告しておく事にする。

「貴様等、全員、皆殺しだ」


    △▼△▼△▼


 殺す、殺す、殺す。

 軍服を着ている時点で軍人の筈なのだが、殺されてゆく彼らは一般人とさほど変わらないほどに無様だった。

 構えた剣を取り落とす、悲鳴を上げて逃げ出す、味方を押しのけておいてその場にこける、等々。

 そもそも、戦おうとする者自体が三割に満たないのだ。軍人として恥ずかしくはないんだろうか。

 まぁ、衛兵ですらあんなんだった国の軍に、軍人としての誇りを問うのが間違いなのかも知れないが。

 そんな奴らを殺しつつ向かっているのは西。北が樹海の切れ目として、反時計回りに殲滅してゆく予定だ。

 森に逃げる奴は後回し。湖に飛び込んだ奴は石か死体をぶん投げて、極力始末してゆく。

 ちなみに、一連の動作は走りながらやっている。いい加減疲れてるけど、早くレンティアとのんびりしたいから仕方ない。

「あ~、やっぱ沖に停泊中かぁ」

 軍船は、一気に水深が深くなっているのでかなり近づけてはあるが、それでも浜辺から十メートルは離れている。

 更に小舟も十隻ほど。大型船との行き来に浸かっているらしく、かなりの人数が浜辺に集まっている。

「まぁ、試すか」

「何だおいっ!?」

「殺し屋よ」

 振り向いた男の顔面を気持ち下にぶん殴り、反転させる。目の前に上がってきた足を引っ掴み、踏み込みつつ大きく振りかぶってぶん投げるっ!

 ボゴンと音がして、船底に穴が空く。

 だが、それだけだ。

「そう簡単には沈まないか。……竜骨ぶち抜けば一発って聞いたんだけどなぁ」

 まぁ、幸い砲弾の数は豊富だ。

 船に空いた穴を間抜けずらして眺める面々を前に、あたしはにんまりと笑みを浮かべてみせる。

 さぁ、人間砲弾大会の開催だ。


    △▼△▼△▼


 楽しくなって無駄に時間を使った。ちょっと反省。

 東側最後の一隻が傾いてゆく様を眺めつつ、ふと我に返ったあたしは反省と共に小さく息を漏らした。

「化け物がぁっ!」

 振り下ろされる剣を片手で掴み、股間を蹴り上げる。

 悲鳴すら上げれず崩れ落ちた男の頭を踏み潰しつつ、男に続いて駆け寄ってきた二人の剣が振り下ろされるより早く、奪い取った剣を横に一閃する。

 森からこちらの隙を伺っていたんだろう。ザッと見渡してみるが、どうやら他に骨のある軍人はいなかったようだ。

 その代わり、むかつくアホならいたが。

「確かに来て良いと言ったが、我が海域を穢すなとも言ったはずなのだがな」

 少しは不機嫌なのか、昨日以上の威圧をばらまいている男。

 けど、不機嫌なのはこっちも同じだ。

 歩み寄ってきた男の胸倉を掴んで引き寄せ、凄む。

「今更出てきて何なめた口きいてんだてめぇ」

「ん?」

「レンティアが攫われかかってたでしょうがっ! それでアホな文句垂れてんじゃねぇっ!」

「……ん? もしかして、怒っているのか?」

「当たり前だっ!」

 レンティアが危なかったと言うのに今更出てきたこの男にも、レンティアを連れていこうとした軍の奴らにも、怒っている。

「父親としての義務を果たせやっ!」

 言う事は言ったので、手を離す。

 と、男は少し呆然とした後、頬を緩ませた。

「いや、そうか。……あぁ、すまない。そしてありがとう」

「ちっ。何がありがとうよ」

「昨日言ったつもりだったのだが……、我もレンティアも龍だ。つまり、この程度の奴らなら、髪の毛一本切る事すら能わぬのだよ」

「……は?」

 思わぬ言葉に、苛立ちが霧散する。

「人に合わせ、人の姿を模してはいるが、この肉体は龍だ。髪、爪の先、まつげに至るまで全てが龍に相違ない。故に、数多の凡愚など、驚異たり得ぬのだよ、我にとっても、レンティアにとっても」

「でも、昨日は……」

「それは、貴様だからだ。貴様ほどの実力者ならば、レンティアに害を及ぼし得る」

 見ろとばかりに沈んでゆく船を顎で示される。

「あれだけの事を出来る個は、まだ幼いレンティアにとっては驚異だ」

「……その割には昨日も今日も来るの遅くない?」

「それは……言っただろう。基本は寝ているのだ。それとも、龍の姿でいきなり現れろとでも?」

「あ、うん。ごめんなさい」

 ダメな父親かと思ったが、気配りできる龍の人だったらしい。

 思い込みで苛立ちまでぶつけて、本当に申し訳ない。

「まぁ良い。レンティアの事を気にかけてくれたようでもあるからな。……ふふっ。龍を心配するとは、人とは面白いものだ」

「あんだけ可愛いんだから、心配するぐらいするわよ」

「うむうむ。確かに我が娘は可愛いからな」

 男は満足げに頷くと、森へと視線を向けた。

「それで、あれらは敵と言う事か?」

「そうね。レンティア連れてこうとしてたから、皆殺しにするつもりだけど」

「よし、国ごと滅ぼそう」

 あたしでも呼吸が止まりそうなほどの威圧を溢れさせて一歩踏み出す男。

 その服を、あたしは慌てて掴んだ。

「待て待て待ってっ。さすがにそれは不味いからっ」

「何が不味い」

「そもそもどこの国か分かってんの? 手当たり次第滅ぼしたら、勇者なんかが派遣されるようになって、のんびりお昼寝も出来なくなるわよ?」

「むっ。……なるほど、一理あるな」

 早口で告げた言葉に、男の威圧が霧散した。

 普通に心臓に悪いから辞めて欲しい。

「今レンティアと一緒にあたしの仲間がいるから、そこで話しましょ」

「分かった。ならば、この島を綺麗にしてから向かうとしよう。お前が着くまでには終わらせておく」

「そう? じゃあお願いします」

「うむ」

 悠然と森へと歩いて行く男。

 確かに、初めて会った時みたいな速度で駆け回れば、かなり早く済むだろう。

 となれば、やっと一段落だ。

 怒ったり楽しんだりで、気が抜けたらドッと疲労が押し寄せてくる。

「あぁ~、つっかれたぁ……」

 アウラのお願いもあるし共国は滅ぼすとしても、今日はもう疲れた。

 残党狩りをレンティアパパに任せたので、のんびり島の外周を歩いて大樹へ向かう。

 途中で見かけた軍服を始末したのは物の序でだ。どうせ死ぬのが数分早い程度の違いでしか無いので、本当に序で以外の何物でもなかったりする。

 そんなこんなで大樹に着くと、何故かアウラが男を前に土下座していた。

 その間には両手を広げるレンティア。昨日を思わせる光景である。

「仲間がいるって言ったわよね?」

「いや、つい……」

「まんりきぃぃぃ~っ!」

 ハイハイで近付いて右足にしがみついてくるアウラ。

 それをみて、笑顔になったレンティアも左足にしがみついてくる。ぐりぐり額を押しつけてくるのが非常に可愛い。

「あんたは眼鏡を擦りつけるな」

「だって怖かったんだもんっ! 頭領と初めて会った時みたいに怖かったんだもんっ!」

「殺し屋が泣くな、縋るな」

 頭を押し返すも、執拗に顔を押しつけてくるアウラ。ちなみに、当然だがもう片方の手はレンティアの頭を撫でている。

「あー……それで、どうする?」

「そうね。ほらアウラ、共国ぶっ潰す相談するわよ」

「……クソネズミ殺せる?」

「殺せる殺せる。後はどれだけやるかって話だから」

 そう言うと、やっとアウラは足から離れ、座ったまま男に向き直った。

「失礼いたしました、龍神様。私はアウラ・ルイ・リベンスと申します。今はディユースティーチ帝国に所属しており、他国の諜報を主に取り扱っております。どうぞ、よろしくお願いいたします」

 そうしっかりと自己紹介をし、深々と礼。座った体勢でやったので、要するに土下座だ。

 それに男はたいそう満足そうな表情で、鷹揚に頷いた。

「うむ。我が名はスイ。カイナの友であるなら、我らの友だ。気にかけよう」

「寛大なお言葉、ありがとうございます」

「って、あんたスイって名前だったの?」

「ちょ、カイナっ!?」

「言ってなかったか?」

「覚えが無い」

「こらぁっ!」

 土下座の姿勢から右足にタックルされるが、まぁ転ぶはずも無い。

 なにせ左足にはレンティアがしがみついているのだ。転ぶぐらいならアウラを蹴り飛ばしている。

「あんたねぇ、龍神様よっ!? もっと敬ってっ!」

「だってレンティアパパだし。……敬った方が良かった?」

「何、構わん。我はそこまで狭量では無い故な」

「ありがとうございますっ!」

 何故かまた土下座するアウラ。

 昔はここまで卑屈じゃ無かったと思うんだけど、外交という仕事のせいだろうか。

「ま、ちゃっちゃと打ち合わせしましょ。お昼も食べたいし」

「む、それは良いな」

「はいはい作りますよ。その前に打ち合わせね」

 ぱっと顔を上げたレンティアに微笑んで、その場に腰を下ろす。

 当然のように膝に乗ってくるレンティアは、ホント可愛い。

「えっと……それで、龍神様のご希望は何なのでしょうか?」

「スイでよい。カイナなど、お前やらあんた呼ばわりだからな」

「そりゃあ名前知らなかったんだからしょうがないじゃない……」

 アウラに一睨みされ、小声で言い訳を言っておく。

「それで、希望か。中々に舐めた真似をしてくれたようだから国ごと滅ぼす、といった所カイナに否定されてな」

「……貴女、そんなまともな事言えたの?」

「あのねぇ。そりゃあ武闘派って意識はあるけど、<三奪>の時は考える必要が無かっただけだし、普通に常識は弁えてるって」

「ちなみに、どんな意見?」

 非常に疑わしそうなアウラにムッと眉根を寄せて、口を開く。

「まず問題の共国。首都の半分ぐらいをスイのブレスで消し飛ばして貰おうかなって」

「うん、貴女に訊いた私がバカだったわ」

「ちょっと待ってって。……ソラ、ブレス吐けるのよね?」

「うむ。ただ、共国とやらの位置にもよるがな。わざわざこの湖を出ようとは思わん」

「えっと、ここからだと帝国の手前なんだけど……帝国が分かんないか……」

「いや、昔と同じ位置にあるというのなら、帝国の場所は分かる。そこほど離れていないのなら、まぁ届くだろう」

「うん。ならそれで、ここで龍になってぶっ放して貰うから、この湖の両国に関しては十二分すぎるほどの警告になる。元々禁漁区って事で敬ってくれてたわけだから、それだけで十分でしょ。……まぁ、年に一、二回貢ぎ物を要求するぐらいは有りだと思うけど」

「ふむ。それに何の意味がある?」

「塩とか珍しい食べ物を要求すればいいんじゃない? レンティアだって焼き魚ってだけで喜んでたし」

「……うむ。わざわざ干渉するのは面倒だが、悪くは無いな」

「実在するって事で、信心深くもなるだろうし。まぁ距離感とかもあるから、そこはそっち次第だけど」

「う~む」

 顎に手を当て、考え込むスイ。そして、横からは驚愕の表情で見つめてくるアウラ。

「まともな事、言ってる……」

「だからバカじゃ無いんだって」

「うん、初めて知ったわ。それで、共国に関してはどうなの?」

「そこはアウラ次第で」

「私次第でいいなら、帝国に組み込めるように動くけど……いいの?」

「アウラがお願いしてきたんでしょ? スイにブレスを頼まないってなると、最初っから練り直しだけど」

「ううん、それはそれで良いと思う。ただ……あの、ここから共国って正確に狙えるものなのですか?」

 アウラの疑問に、スイは顔を上げると首を傾げた。

「酷く久しぶりの事だからな。確約は出来ん」

「えっとですね……これが、共国首都の地図なんですけど。あ、ちなみにこっちが現在の大陸地図ですね。この辺りで買える大雑把な奴ですけど」

 アウラが広げた地図は二枚。

 一枚は共国首都の地図。細かく色々書いてあるが、まぁありがちな王城を中心として波状に広がっている都市だ。中心が広場らしく、西側に王城。その周りが貴族街になるんだろう。

 もう一枚が一般的に言う大陸中央図。それなりに大きな都市と山岳、森、湖、川、橋、主要経路が記された大雑把な地図だ。地図の中心が帝国なのは、この辺りで最大の勢力である証拠。実際に言葉通りの大陸中央図なら、中心はこの湖よりももう少し南になるだろう。

 ちなみに、<三奪>の拠点があったグレンダ王国は当然として、南にあるボー達が向かった共和国も地図には記されていない。大陸地図と言っても、市販されてる物に記される範囲はその程度に狭いのだ。

 まあ大体の距離や地形が分かるだけでも、十分に価値はあるけども。

「こう見ると、帝国ってかなり遠いわね。……どーやって行き来してんの?」

「基本は伝達屋に任せてる。それでまぁ……うん、いいか。各地に飛行場があるのよ。分かるでしょ? 秘密でお願いね」

「あぁ。これだけ領土が広ければ当然か」

 完全に忘れていたが、帝国はワイバーンでも有名だ。国家事業としてワイバーンの繁殖を行っている為、軍事行動以外の用途でも使っているのだろう。

「ふむ。この地形なら……うむ、そこまで狙いを外す事は無いだろう」

「さすがです。でしたら、共国首都のこの辺りまで被害が出るようにお願いできますか?」

「うむ、それは難しいな」

「龍神様でも難しいですか」

「久方ぶり過ぎてな。どこまで被害が広がるか、予想できん」

「でしたら首都からは離れますが、北西のこの辺りに放っていただけますか? その位置まで攻撃が届くと言うだけでも、龍としての武威を示すには十分かと思います」

「ここからならば、その首都の左奥に放てば良いのだな?」

「はい。勝手な想像となり申し訳ありませんが、帝国側ならば防壁も堅牢になっていますので、想定以上の威力であっても被害は抑えられるかと」

「ふむ。貴様等がそう望むのなら、そうしよう」

「ありがとうございます。それでは、現在考えている今後の活動とその結果についての予測ですが……」

「じゃあレンティア、お魚釣ってよっか」

 見上げてきて、大きく頷くレンティア。

 もうあたしは不要っぼいので、レンティアと遊ぶ事にする。

 駆け足で大樹の根元に置いてあった釣り竿を取ってきたレンティアを撫でて、手をつないで歩き出す。

 集中している二人を置いて、湖へ。

 とっても楽しいレンティアちゃんとの釣り、始まりです。


    △▼△▼△▼


 レンティアと釣りを楽しんでいると、あっという間に日が沈み始めた。

 お腹がグーとなる。昼を食べない人は多いが、あたしは三食、可能なら四食食べたい派だ。お昼抜きはさすがに堪える。

 あたしは釣りもせず、レンティアが釣った魚を処理していただけだが、爆釣なおかげでそこら中に串を刺した魚が立っている。これだけあれば、レンティアパパがいても十分な量を食べられるだろう。

「……凄い事になってるわね」

「アウラ。話は纏まったの?」

「えぇ。さぁ大仕事よ」

 アウラの表情が輝いてる。こんだけ生き生きしたアウラを見るのは初めてかもしんない。

「えっと、じゃあ腹ごしらえしてく?」

「そんな時間ないわよ。まず帝国に報告して、共国に噂を流すように手配して、この湖両岸の両国と会談。あ、明後日には片付けるから、明後日の朝、共国首都南門の前で集合ね」

「そんなに急がなくても……」

「龍神様を待たせるわけにはいかないでしょ? じゃ、私は先に行くから、貴女は遅刻しないように来てねっ!」

 言うなり軽やかな足取りで湖面を走ってゆくアウラ。

 ここに来るときに無詠唱はどうたらこうたら言っていたのはなんだったのか。あたしの時よりも遙かに分厚い氷の橋を作って走ってゆく様に、ちょっとイラッとする。

「おぉ、今日は多いな」

「レンティアが凄くてね。昨日みたいに焼いてくから、火起こしといてくんない?」

「うむ、昨日みたいにやれば良いのだな? 任せておけ」

 スイまで使って夜食の準備。

 今日はここで一泊。レンティアと一緒に寝れると思うだけで、昼の疲労も吹き飛ぶというものだ。


    △▼△▼△▼


 昨夜は大半がスイの腹に収まったものの、あたしもお腹いっぱい食べられたので満足。更にレンティアを抱えて寝たので、寝起きも爽快だ。

 どうも龍はいつでも寝れていくらでも寝れるらしく、もうお昼近くなのにレンティアは熟睡中。昨夜は『人の姿で寝るのは苦手だ』とか言っていたスイも腹を出して大の字で眠っている。

 なのであたしは、一人朝食兼昼食の準備だ。

 目が覚めてレンティアの寝顔があったので、本当に気分が良い。奮発しちゃおう。

 と言う事で、水辺にあった木の板を洗って、その上に挽肉を。

 そう、ハンバーグ。それも、あのハンバーグ屋直伝の一品である。

 ちなみに今更だが、魔法袋に入れた物は劣化しない。ただし、水を入れれば全部濡れるし、熱い物を入れておいたら取り出したとき温くなっていたりと、変化しないわけでは無い。一応、一ヶ月果物を入れておいたが瑞々しいままだったので、食べ物に関しての劣化は極端に遅いか劣化しない、と判断している。

 念のため挽肉の状態を確認するが、特に問題なし。

 油、スパイス、繋ぎ用の粉と、一通りある。ハンバーグ屋のお嬢さんが、せめてこれをと無理矢理持たせてくれたものばかりだ。

 当然、レシピもある。さすがにグラムと言われても分かんないけど、全部五人前分と言っていたので、五等分すれば良いだけだ。

「……思い出したら行きたくなって来ちゃったなぁ。次の国で美味しいハンバーグ屋さんでも探そうかな」

 呟きつつ、木の板の上で五等分。繋ぎ用の粉は試験管で溶いて肉に混ぜてゆく。

 ぐっちゃっぐっちゃと混ぜて、それなりになったら右手左手へとパタパタ投げる。

 で、最後に真ん中をちょこっと凹ませる。理由はわかんないけど、そーしら方が良いらしいのでそーしとく。

 そーして五個出来たら、鉄板の上に乗せる。

 この鉄板、昨日潰した船から持ってきたものだ。補強材らしく曲がっていたので、力で伸ばした。ちょっと凸凹しているのはご愛敬。

 広がる香しい匂い頬を緩めつつ、二本の枝でひっくり返す。メモに『面倒くさいようなら先に調味料を』と付け足してくれてあったので、その通りにしてある。なのでスパイスの香りも胃袋を刺激してくる。

「あー、たまんない」

「なんだこれは」

「っ!? って、レンティアもっ!?」

 鉄板を挟んだ目の前にスイ。そしてあたしの間横にはレンティア。

 気配がなさ過ぎてピックリするので、ホントやめてほしい。

「ハンバーグよハンバーグ」

「はんばーぐ」

「いい? 物足りないだろうけど、一個はあたしので、二人で二個ずつ」

「うむ、文句は言うまい。しかし、魚の焼ける匂いも良いが、これもまた溜まらんな」

「それも、本当に美味しい所のハンバーグだから。あたしが作ってるし、こんな設備だから若干味は落ちるかもだけど、ホント大事に食べて」

「分かった分かった。それで、まだか?」

「もうちょっとよ。……そういえば、国から貢ぎ物貰うようにしたの?」

「うむ。互いにそちらの方が良いだろうという事でな。ブレスを吐くと腹が減ると告げたら、明日その後に大量の食料を持ってくるよう手配するとも言っていたな」

「そっか。じゃ、これ食べて、どーしてもまた食べたくなったらこのレシピを来た人に渡して、要求しなさいな」

「良いのか?」

「もしかしたら、これより美味いハンバーグ作れる人がいるかもしれないけどね。ま、そうだったら次来たときその人紹介してよ」

「うむ、分かった」

 一応ハンバーグ屋の人のサインも入っていたし、そもそも企業秘密とかどうとか言われなかったら別に良いだろう。

 一般的には龍にレシピが渡るなんて嬉しいはずだ。……多分。

「うし、じゃあそろそろいっかな」

「そうか」

「ちょっと待ってって」

 即座に手を伸ばす二人を止め、仕上げのソースを一気にかける。

 肉そのものの味を楽しみたい所だが、お皿なんて無いので仕方ない。

 かけると同時に広がる激烈に美味しそうな匂いに、思わず喉が鳴る。

「じゃ、どーぞ」

 言うなり二人はハンバーグを手で掴んで齧り付いた。

 さすが龍。豪快だ。

 あたしは勿論木の枝で。場所によってはお箸で食べる地域もあるので、枝二本で食べるのも慣れたものだ。

 焼き加減はレア。卵形に近い形状にしたので仕方ないが、一口食べてみれば、これはこれで悪くない。

 ただ、やっぱりあのハンバーグ屋に比べると、少し落ちる。焼き加減だけで無く、肉の混ぜ方とかありとあらゆる技術が問題なんだろう。

「ん~~~~っっまいっ!」

 スイ、咆吼。

 レンティアもコクコク頷きながらひたすら咀嚼している。

 作った甲斐があるというものだ。あたしは捏ねて丸めて焼いただけだけど。

「いや、なんだっ!? こんなにもかっ! こんなにも料理は凄いのかっ!?」

「一応、あたしが今まで食べた中で一番美味しいのがこれだから。これからもっと東に行くけど、このレベルの料理はそうないでしょうね」

「そうか、一番かっ! 確かに一番の料理だっ!」

 興奮しつつスイは二つ目へと手を伸ばし、そこで動きを止めた。

「あと、一つしか無い……」

「そりゃあ食べれば無くなるわよ。美味しいハンバーグがどーいうものか分かっただけで、良かったと思いなさいな」

「むぅ。……知らぬうちに、世界は良き方向へと変わっていたのか」

 たいそうな事を言っているが、たかがハンバーグである。

 今のところ大陸一のハンバーグだとは思うけど、味だけで言うならメルラルだって負けてない。丸焼きのように味を逃がさず、皮を美味しく処理出来るようになるだけで、ハンバーグを同じ次元の美味しさになる事間違いなしだ。

 要するに、スイが何も知らないだけ。

「骨まで食べれるあんた達なら、昨日の魚だって同じぐらい美味しいんじゃないの?」

「うむ。確かにあれも美味いが……肉の旨味というのがな。懐かしさもあって、少し、感動している」

 一転して、二個目は一口を小さく、味わいながら食べ始めたのが、感動していると言う態度なのだろう。

 それを真似したのか、レンティアも二個目はちょっとずつ。たまに鉄板のソースを沢山付けて舐めているのがまた可愛い。

 それでも龍と言うべきか、あたしが一個を満喫してしまう間に二つをペロリだ。

 物足りないだろうと思ってパンを出してあげると、こぞって鉄板のソースを付けてパクパクと。食事を終えた時には、鉄板は洗い立てのようにピカピカだった。

「あ、そー言えばこれとか船の残骸とかどうする?」

「うむ。それに関してもアウラ、だったか。彼女と話してな。食料を持ってきた帰りに、持って帰って貰う手筈となっている。故に、我はこれからゴミ集めだ」

 がっはっはっと笑うスイ。なんか無駄に元気だ。

 と、服の裾を引っ張られて視線を落とすと、レンティアが見上げていた。

「か」

「……かっ」

 喋ったっ!

「かーな」

 グアッと目頭が熱くなる。

 子供が初めて喋った親の心境はこんなのだろうか。

「はんばー、ぎゅ。あーと」

 思わずレンティアを抱きしめる。

 ヤバい、なんか泣きそうだ。

「れ、れ、レンティアっ! 我はっ! 我はっ!?」

「ぱぱ?」

 うおーっ! とスイは男泣き。

 気持ちは分かる。ホント分かる。

 あー、ほんとハンバーグ作って良かった。

「レンティア。名前呼んでくれて、凄く嬉しい」

 身体を離してそう告げると、レンティアは笑顔でコクンと。

 感動に浸ってたい所だけど、やる事は色々ある。

「じゃ、ここ片付けて、おとーさんのお手伝いしよっか?」

「んっ」

 そんな返事にスイの男泣きが更に酷くなり、焚き火やらの片付けが終わるまで泣き止まないという始末。

 ただ、その後は良い仕事を見せ、パパ頑張っちゃうぞーとばかりに全力お片付け。

 おかげで日が沈む頃には、大体の残骸を一カ所にまとめ上げる事が出来ていた。

 当然と言うべきか、レンティアはとうの昔におねんねだ。それでも頑張ったスイは、龍としては働き者の部類なんだろう。多分。

「……行くのか?」

「キリが良いしね。レンティアが起きてたら行きにくいし」

「そうか」

 沈めた船にまだ使える小舟があったのは幸いだった。

 最悪泳いで湖を横断するつもりだったので、かなり楽になる。

「いつでも来い」

「また騒がしくするかもよ?」

「今になって思えば、ああ言うのも悪くはない」

「ふふっ。……じゃ、近く通ったら寄らせて貰うわ」

「あぁ。待っている。……またな」

「またね。レンティアにもよろしく」

「分かった」

 手を振って別れる。

 こんなにも居座りたいと思ったのは、旅を始めてから初めてだ。

 次に会ったときにも笑顔を見せて貰えるよう、美味しい食べ物を仕入れとこう。

 そんなことを思いながら、あたしはオールを漕ぐ。

 今日でラーグルウ龍神湖に関わる二ヶ国とはお別れだ。結局固有三種を全種食べれたのかどうかも分かんないけど、仕方ない。明日には共国フォルダーシからもおさらば予定なのだ。

「アウラなら大丈夫だろうけど……どんな計画たてたのかね」

 <三奪>メンバーによる立案実行は久しぶりだ。

 アウラは自分で宣言していたように、民衆を扇動して陽動として使う事が多かった。蜘蛛と呼ばれていたのも、鋼糸を武器として使っていた点もあるが、標的をじわじわと情報で絡め取り、身動きできなくする迂遠な手腕が評価されての事だ。

 アウラが立案した作戦は<三奪>の評価を上げる事が多かったので、一部幹部はかなり評価していたが……はてさてどーなることやら。

 正直、武闘派連中からはまどろっこしいと不評だったので、ちょっと不安。

 まぁ、逆らうつもりは無いけども。

「あー、良い景色だなぁ」

 ちょっとした不安を泉に沈んでゆく太陽の美しさで誤魔化しつつ、あたしは最後のラーグルウ龍神湖を堪能したのだった。


    △▼△▼△▼


 翌日。

 昇り始めた朝日さえ澱んで見えるほど、あたしは憂鬱に暮れていた。

「めんどくせぇ……」

「万力って、ホント変わんないわよね」

「そっちこそ。もうさぁ、クソネズミがムカつくって話だったんだから、拉致って拷問してぶっ殺してで良くない?」

「賢くなったかと思ったら、やっぱり武闘派のままだし……」

 口調こそ呆れたモノだが、アウラの目は爛々と輝いている。

 別れてから一睡もしていないのだろう。元々色白な肌がより白く、結果的に目の下の隈を異様にくっきりと浮き立たせている。

 なのに赤い瞳だけが生気を強く押し出している為、ちょっと怖い。噂に聞く吸血鬼みたいだ。

「いい? これは、この国の今後に関わる事案なの。だからこそ、声を上げて煽動させてくれないと困るの」

「他に当ては無いの?」

「帝国に所属している者が煽動してたら後々問題になりかねないでしょ? そうじゃなくても、万が一に対応できる実力があって信頼できる人なんて、貴女以外いないわよ」

「うん。ちょっと嬉しいけど、アウラの事だから信頼できない」

「失礼ねぇ」

 クスクスと笑うアウラ。

 悪巧みが上手で口も上手い。互いに仲間で友人だと思っている筈だけど、アウラなら仕事だからと言って、平然とあたしを崖下に突き落とす。そういう事をしでかすという信頼がある。

 今回も、案が酷い。最初からあたしに犠牲になれと言っているようなものだ。

「後始末はちゃんとやる。情報操作にも全力を尽くすから、長くても一年。一年この国離れてれば、貴女の事なんて噂にも残ってないはずだから。ね? 今日だけ頑張って」

「アウラが言ったんでしょ? あたしは、武闘派なの」

「お願いっ」

 両手を合わせて拝まれて、あたしは深々と息を吐く。

 暴力は自分で振るってこそ意味があるってのに……本当に、最低の仕事だ。

「もういい。さっさとやろ」

「よしきたっ! じゃあ……うん、あの教会のシンボル潰して、そこに立っちゃって。魔術の補助はやるから、私が伝えた感じでお願いね?」

 現在地は共国首都の中央広場近く。東西南北の大通りが交わる首都最大の広場であり、日が昇ったばかりだというのに人通りはかなりのものだ。

 商業ギルドに冒険者ギルドは当然として、教会に共国最大手の商会。主要道路と言う事も有り既に出店がそこそこあり、首都と言うだけの賑わいだ。

 アウラが指示した教会は、広場の西側。広場中央の噴水から見れば、王城を背にして立つようになるだろう。

 あー、やりたくない。城に正面から乗り込んで王の首を取ってこいと言われた方がずっとマシだ。

「じゃ、任せた」

「あいあい」

 気のない返事を返して、路地から路地へ。途中壁を蹴って屋根の上に乗る。

 教会後ろの建物まで移動して、更に跳躍。教会の屋根に手をかけて、登り切った所で一息。

『じゃ、風の魔術で音を広げるわよ』

「あいあい」

 鼓膜に直接届くアウラの声に二つ頷いて、渋々教会のシンボルを蹴り倒す。

 勿論、広場には落ちないように、教会の屋根に乗って滑り落ちるような確度で倒す。脇の芝生に人がいたら申し訳ないが、極力被害は少なくとの要請なのでやむを得ない。

 そして、シンボルがあった場所に足をかけてマントをブァサァと広げた。

 ちょー恥ずかしい。

 いつもの黒ずくめに、緑に輝くマント、そしてマントを固定する為の肩当てという身なりだ。普通に考えて変態だろう。

 なのに目立つからと言われてこんな物を……。

 あたしは一体何をしているんだろう。

『我が声を聞くがいい愚民共よっ!』

 張り上げた声が拡張され、首都に響き渡った。

 誰もがあたしを見上げ、あれほどの人がいるというのに全ての音が消えていた。

 ヤバい、恥ずかしい。

 正面から風が吹いてくるおかげで、マントがバタバタと鬱陶しい。

『我が主は、この国の腐敗にお怒りだっ! 不正に不義、あらゆる悪徳が横行し、それを良しとする蒙昧足る貴様等に嘆きを感じておられるっ! 何よりもっ! 我が主の領域を侵すというその行為、許しがたしっ!』

 ここでマントをバサッとやる、と言われたけどもうバサバサしてるので、右手を挙げるだけにする。

『故に神罰を執行するっ! 我が主の怒りを識るが良いっ!』

 遙か上空で、光が爆ぜた。

 アウラの魔術だ。見た感じはショボイが、雲に届くほどの高度にまで打ち上げたので、かなりの魔力を消耗した事だろう。

 そんな事を思った瞬間、流れ星が落ちた。

 ドゴォン、と遙か遠くで重い物が落ちる音が響き渡った。

 ヤバいっ!

 基本仁王立ちと言われたので、両足を踏みしめる。奥歯を噛み締めて全身に力を入れると、首都を衝撃が貫いた。

 柔い建物は倒壊し、屋台は吹き飛び、大の大人ですら転がってゆく。

 衝撃が過ぎた後、眼下で立っている者は誰一人として存在しなかった。

 泣き声さえ聞こえない、束の間の静寂。

 音が始まる前に、あたしは声を張り上げる。

『慈悲であるっ!』

 その声に触発されたかのように泣き声が幾つも聞こえたが、すぐに消える。

 隣の人間が、或いは親が、その口を押さえたのだろう。慌てて家屋から出てきた者もいるが、何か口を開くとすぐに近くの人に張り倒されている。

 うん、ちょっと気持ちいいかも。

『蒙昧たる貴様等に与える、主の慈悲であるっ! 愚民共よっ! 貴様等は知っているはずだっ! この国に蔓延る悪をっ! 罪をっ! ならばこそ、己が手で罪を購うが良いっ!』

 大体の人が呆然としているが、中には祈り出す人もいる。

 思ったけど、無理にでもスイに頼めば良かったんじゃ無いだろうか。こんな光景を目にしたら、アイツなら満足げにうむとか言ってそうだ。

『今この時より、正義を為せっ! それこそが、主の慈悲に応える唯一の手段と知るがよいっ!』

 何言ったらいいのか分かんなくなってきた。

 ここでアウラの手引きで声を上げる人がいる筈だったんだけど……もっと煽らないとダメって事なんだろうか。

 仕方ないので一応両手を広げてみる。

『さぁ、立て。そして、為せ』

 一人が恐る恐る立ち上がると、続々と立ち上がり出す。

 全員が立ち上がったのを確認して、一言。

『正義は汝等にありっ!』

 決まったな。

 そう思ったものの、静寂。

 嫌な汗が背中に噴き出るのと同時に、咆吼が上がった。

『おおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!』

 まず走り出したのは冒険者達。六人ほどの集団が王城へと向かって走り出すと、すぐに追随する者達が増え、横の通路に至るときには既に五十人は越えていたりする。

 続いて商業ギルド。商人なのか一般人なのかしらないが、どんどん中に入って喧噪が起きている。それは大商会も同じで、出入り口から乱闘が始まっていたりする。

 う~ん、カオス。

 見える範囲では商会と商人ギルドが標的となっていて、そこに関わらない人は大体が白の法へと走ってゆく。どこの首都でも大体同じで、城の近くに貴族街があるので、そちらも標的なのだろう。

(拡張は止めたわ)

「で、どーすんの」

 一応仁王立ちしたままそう返す。

「帰って良い?」

(情報は流してあるから、待機で。現場で片付けたらすぐに連絡が来るようになってるから、そうしたら退散しましょう)

「……殴り込みに行きたい」

(ふふっ。良い演説だったわよ。頼んでた扇動役達もだけど、私も思わず聞き入っちゃったわ)

「スイの一発が強すぎてビビったんじゃない?」

(確かに、あれはびっくりよね。かなり余裕を持った着弾点を指定したんだけど……多分北側は相当酷いでしょうね)

 うん、やっぱり龍って凄い。

 いつか伝説のドラゴンステーキを食べたいと思ってたけど、それを諦めるぐらいには凄かった。

 普通のドラゴンは雑種みたいな事言ってたけど、あんなのの血が混じってるってんなら十分過ぎる驚異だ。近寄らないようにしよう。

(そういえばこの後って)

「ちょっと待って」

 見下ろせば、祭服を纏った人達が膝をつき、祈りを捧げている。教会の人間全員なのか、三十人はいる。

「……教会の偉いのは始末しちゃっていいんだっけ?」

(その長い帽子被ってるのは仕留めていいわ。お金関係もそうだけど、強姦とか普通にやってるし)

「ん」

 ナイフを取り出し、投擲。

 先頭で祈る長帽子の後頭部にナイフが突き刺さり、爺さんが倒れると小さな悲鳴が上がった。

『クズが』

 呟きが拡張され、祭服達が驚きの表情で見上げてくる。

 うん。声を拡張する魔術をかけなおしたなら、そう言ってくれないと分かんないからね? 呟いちゃっても仕方ないと思う。

『無知は罪では無い。だが、知った上で為さぬなら罪だ。分かるな?』

 なんか震えている祭服達へと続ける。

『そやつは咎人だ。それを知りて裁かぬは罪だ。今この時、貴様等は価値のない罪人だ。……罪を購え。人としての正義を示して見せろ』

 はい、と声を上げてバラバラに走り出す。

 中々サマになってるんじゃ無いだろうか。服装はイカレてるけど 。

 広場は商人ギルドと大商会が襲われている以外は見所も無いので、反転して城の方を眺める。

 至る所で煙が上がっているのは、ブレスの余波か、民衆の放火か。何というか、雰囲気だけで言うのなら敗戦国の一言に尽きる。

(商会と商人ギルドは制圧されたみたいね。私刑で大体殺されてると思うけど……え? 大半が連行されてるって)

『……どこに?』

(そこに)

 振り返れば、確かに広場へと十数人が連行されてくる所だった。

 粛々と連行されてくる様子は、まるで葬式だ。連行されている奴らからすれば、間違いなく自分たちの葬式なのだろうが。

 教会前に並ぶと、罪人達が跪かされ、それに続いて連行してきた者達も跪く。

 言葉をかけろって事なんだろうけど……さてどうしたものか。

『面を上げよ』

 まだ貴族街の方ではワーワーやってるっぽいので、こいつらを向かわせた方が早く終わるだろう。

『罪を罰するは我に非ず。まずは正義を為せ。贖罪はその後に行われる』

 引っ立てられた者達は黙って俯き、それ以外の者達は騎士のように一斉に返事をして貴族街へと駆けてゆく。

 見張りが一人も残らないが……まぁ、うん。あたしが見ているとしよう。

 ただ、黙ってみているというのも案外怠いものだ。

 家族で来て罪人の列に並ぶ者がいたり、ボコボコにされた奴が罪人の列に置いていかれたり。着々と罪人の列は増え、それを見る民衆の輪も増えてゆくが、終わりがいつかも分からずただ退屈である。

 拡張の魔術が切れているのかどうかも分かんないってのが、またキツい。

 一時間は黙って立っていたが、苦肉の策であたしは口を開く。

『主よ、聞こえていますか』

(あ、ごめんなさいっ! ちょっと、情報が多すぎて……)

 求めていたのはそんな言葉では無いので、黙って待つ。

 その沈黙で察してくれたのか、暫く待つとアウラの言葉が聞こえた。

(うん、今音声拡張は切ったから)

 片膝をつき、祈るようなポーズをして口元を隠し、やっと安心して声を出す。

「ほんと頼む。ちょー退屈なんだから話し相手になるか状況報告ぐらいはして」

(こっちだって忙しいし、この前も言ったでしょ? 魔術を発動し続けとくのって、案外キツいの。余裕無いんだから)

「暴れても良いなら良いけど」

(カイナはホントよくやってくれてるわ。もう最高。あ、なんかここに罪人集める流れになってるから、一通り集まったらまずは罪が無い人達を外しましょう)

「あー、やっぱ無罪の人も並んでる?」

(罪が無いって訳でも無いんだけど、軽微だったりやむを得ない事情があったりだから)

「まぁ任せる」

(ん。じゃあその時は名前読み上げるから、上手く使って)

「分かった。……で、後どれだけ待てば良いの?」

(その点に関しては朗報よ。どうも声が届いてたみたいで、貴族界隈じゃ数少ないまともな人達が指揮を執って制圧を進めてくれてる。このペースなら昼前には終わるわよ)

「なっが」

(いや、一国を落とすのに半日って、くっそ早いわよ?)

「待ち続けるこっちの身にもなって欲しいんですけど」

(それは、こっちの台詞よ?)

 うふふふと低い笑い声を漏らすアウラ。

(諜報から集まってくる情報を纏めて、捕まった者の経歴確認。今まで集めた情報があるからまだマシだけど、何千枚とある資料からその一枚を探して確認して……)

「はい。あたしお利口な案山子になろうと思います」

(うん、お願いね。私は楽しく仕事してるから。あ、念のため音声拡張は再展開しとくから、そっちで何かあった場合はさっきみたいにお願い。一応見える位置にはいるけど、忙しいから}

「ん」

 下手に関わらんようにしとこ。

 アウラの含み笑いにそう決め、再び仁王立ちに戻る。

 広場はかなりの数が集まっているというのに相変わらず静かなものだ。たまに騒ぎ出す者もいるが、速攻で叩き伏せられている。

 ただ、何故全員が揃いも揃って跪いているんだろうか。とっ捕まった奴らは兎も角、連行してきた人達も跪いて頭を垂れている。

 あ、子供が母親に土下座させられてる。別に見ててもいいのよ? 居心地は悪いけど、仕事と割り切ってるし。

 そんな事を思っている間にも、更に人が集まってくる。

 お、騎士が騎士を連行してる。相当激しい争いだったのか、怪我をしている人も増えてきた。

 教会の人達も頑張ったようだ。ボロボロの祭服を纏って肩を借りつつ歩いている様子は、まさに武闘派神父。彼も暴力の良さを知った事だろう。

 うんうんと頷くと、その神父と目が合った。一つ頷いてやると、何故か滂沱しその場で祈り始めた。

 他の奴もそうだけど、あたしはちゃんと、偉い人の使いでこんなことをやってるんだよってスタンスを維持できてると思うんだけど……何故あたしに祈るし。

 祈るならスイに祈れ。

(……ん。カイナ、今クソネズミも捕まったみたい)

『王』

 響いた声に顔を顰め、見上げてきた王っぽい奴から視線を逸らす。

(ごめんなさい。今解除した)

「……今王様っぽいのと金持ち家族っぽいのが連行されてるんだけど。今更ネズミが捕まったわけ?」

(速攻で帝国方面に逃げたらしくてね。無理言って竜騎隊に見回りお願いしておいて良かったわよ。クソネズミ一行だけじゃなくて、他の貴族まで逃げてたし)

「普通、王様置いて逃げる?」

(こいつらのヤバい所って、これなのよね。危機察知能力が異様に高くて、行動力もある。これで性格さえまともなら、獣人の中でも一大勢力になってたでしょうに)

「そー言えば、鼠人の集落って訊いた事無いわね」

(手先は器用だけど、体力が無いからね。同一種族だと発展しきれなくて、定期的に生まれるこういうのが村の維持すら不可能にしちゃうって事みたいよ)

 生産量の少ない村で搾取に走れば、そりゃあ維持すら出来ないだろう。

(こういう奴らが、種族のイメージ悪くするのよねぇ。真面目に働いてる人も多いって言うのに)

「それで、いつ頃来るの? もう広場凄い事になってるけど」

 広場は既に満員だ。手前側には罪人が縛って並べられ、それを囲むように市民達が。一番奥では負傷者の治療をしているようだが、治療される側は大体が他と同じように跪いている。動いているのは治療をしている人だけだ。

 もう、安静にしていろと言ってやりたい。血まみれで祈られて喜ぶ奴なんているんだろうか。

(すぐにくるわ。ただ……言ったように、帝国の人間なのよね。連行してくるの)

「ワイバーンで乗り付ける場所なんて無いけど」

(もう着陸してるわよ。一族だけで二十人、一緒に逃げた貴族二家族で十二人。計三十二人を連行中ね。そろそろ見えてくるんじゃ無い?}

 言われて北の通りへと顔を向ければ、確かに大人数が移動してきているのが見て取れた。

「……あの数は広場に入んないけど」

(そこは任せるわ。それでこの後だけど、まずは無罪に近い人達は解放して。罪人の処遇に関しては任せるわ)

「それ、あたしの仕事?」

(この国の法と比較して刑罰まで決めるのは、さすがに無理。皆殺しで良いから、それっぽくやっちゃって)

「丸投げにも程があるでしょ……」

(じゃ、拡張魔術使うから。お願いね)

 魔術使われたらもう黙るしか無い。

 なんか負けた気分で非常にムカつく。

 ……そう言えば、なんであたしはこんなことやってんだろ。

 レンティアを攫おうとしたから。その報復でクズ共を殺すのは、まぁ当然。

 ただ、この国に関しては正直どうでも良い。あえて言うなら、昔馴染みが苛ついてたから手を貸してあげよう程度の気持ちだ。

 なのに今、その昔馴染みは自己利益の為に頑張ってて、あろうことかあたしを矢面に立たせてる。

 もう、手伝わなくていいんじゃないかな?

 利益も無いし、楽しくも無いし。

 引っ立てられてくる鼠人御一行。前線に置いてある竜騎隊なんて国家機密だろうに、その鼠人達の周りには八人の帝国軍人が付き添っている。

 重厚感ある黒の全身鎧で、中々の業物だ。見る者が見れば分かる細工だが、必要の無い場所を薄くしてあったり、空気を通していたりと、強度を維持しつつかなりの軽量化を行っている。

 鉱人も多く産業が活発とは聞いていたが……なるほど。大陸一の武具が流通しているというのも誇張では無いんだろう。

 そんな事を思いつつ、広場の入り口で立ち往生する鼠人達をぼんやり眺める。

 あたしの前、教会前の空間はそこそこ空いている。王族を初めとした罪人が規則正しく並ばされている為、市民で溢れかえる広場に比べれば人口密度が段違い。

 なので市民が道を開けば通れるのだが、その様子が無い。むしろ近寄らせまいとしているような雰囲気すらある。

 あたしがこんな目に遭っている元凶がアレなんだけど、どーいうつもりなんだか。

「馬鹿者共がっ! まだ分からんかっ!」

 広場に響いた大声は、一歩前に出た鼠人が発したものだ。

 他の面々に比べ一際小さく、痩せていて、ハゲている。高そうな服がまた似合わずお模造だが、そんな外見とは裏腹に発せられた声は非常に良く通り、聞きやすかった。

 服さえ無ければ見窄らしいの一言に尽きるその中年が、アウラの言っていたクソネズミなのだろう。

「見よ、この私を連行した者達の装備をっ! その者は帝国の遣いだっ! 貴様等は良いように使われているに過ぎんのだぞっ!」

 強さを感じない。声だけでかい。カリスマも無いのに態度だけ大きい。

 うん、ものすごくクズの特徴が詰まってる。

 見た目が厳つくてクズってのも多いながらも、声が大きい奴にクズが多いのは経験上確かだ。まぁ現状は大声を出さざるを得ない状況だし、日頃はもっと声を抑えている可能性も……あるようには思えないから、やっぱクズなんだろう。うん。

「帝国の侵略を許すというのかっ!? 違うというのならその女を引き摺り下ろせっ! 殺せっ! 帝国の狗を許すなっ!」

 凄くギャーギャー五月蠅い。

 そして集まってる市民達は、何故乞うようにあたしを見上げてるんだろうか?

 テメェで考えて行動しろ、と言いたい所だけど、立場があるので口を開く事にする。

『悪を罰するのに、国に何の関係が?』

「……な、何を言っている帝国の狗がっ! 民を煽動しこの国を帝国に組み込もうとしている事などお見通しだっ!」

『貴様の罪は明白だ。脅迫、強姦、殺人、横領、書類偽造、ありとあらゆる罪を犯し、その証拠も証言も今となっては集める事すら容易い。……分かるな? 貴様の様な生き物は存在する事自体が大罪であり、その罪による富を享受した一族ごと厳罰に処し地獄に落ちるのが相応しい』

 淡々と告げた言葉に、静寂が落ちた。

 クソネズミは呆然としている。口が回る印象だったが、証拠があると言った事で驚いたのかも知れない。

 と、広場が揺れた。

 民衆達の咆吼だ。

 直接襲いかかる者こそいないが、鼠人一向に向かって様々な物が投擲され始める。

 何故かそれらから鼠人達を守るように盾を並べる帝国軍人達。

 そんな中でクソネズミが何かを叫び手を振ると、帝国軍人達がスピアを構えた。

『ふむ』

 帝国軍人はクソネズミの味方と言う事か。

 一部の冒険者が悲鳴を上げて距離を取ろうとする市民達の前に出るが……さすがに荷が重そうだ。

 と言う事で、あたしは跳躍。

 突き出されるランスの上に降り立ち、そいつの頭を蹴り、

(殺さないでっ!)

 鼓膜に突き刺さるような叫びに、あたしは反射的に威力を弱めて男を蹴り飛ばす。

 ちゃんと胴体ごと飛んでいったので、死んではいないだろう。

 着地と同時に左右の帝国軍人も蹴り飛ばす。その横にいた帝国軍人も巻き込んで吹き飛び、建物にぶち当たってその奥へと消えてゆく。

 残りは三人。と言いたい所だが、少なくとも巻き込まれて飛んでった二人は無事だろう。一連の流れで確実に戦闘不能に出来たのは、最初に蹴った一人だけだ。

 うーん、手加減ってやっぱ難しい。

 と、見える範囲にいる帝国軍人三人は口元のカバーを外すと、笛を咥えた。

 ピィーと耳障りな音が空に響く。

『腕に覚えの在る奴は、鼠人と貴族をを確保して後退。それ以外はもっと下がれ』

「はっ!」

「お任せ下さいっ!」

「舐めた真似すんじゃねぇそクソネズミ共っ!」

「おらもっと下がれっ! 邪魔になるぞっ!」

 冒険者達が鼠人一行と同行していた貴族達を確保し、ガタイの良い一般市民が人垣を広場へと押し込み、帝国軍人のランスで傷付いた人を避難させる。

 なかなか良い仕事だ。

 ちなみにあたしはその間ただ見守るだけ。帝国軍人達が手を出すようなら順に潰すつもりだったが、彼らもこちらを警戒して手を出してくる様子は無い。

 と、北の空から三つの影が接近してくるのが目に見えた。

 かなりの速度だ。徐々に大きくなってくるその緑を目に、あたしの口元には笑みが浮かんだ。

『あたしへの報酬は、アレでいい』

(ちょ、ちょっと待って。アレって……)

『帝国軍人は帝国の法で裁く。だから生かす。けどアレは、帝国の物ではあっても法で裁かれるようなモノではない。だから……あたしのモノだ』

(待ってっ! ホント待ってっ! ワイバーンってすっごくお金かかってるんですけどっ!?)

『親しき仲にも礼儀あり。ただ働きしろとは言わないでしょうね?』

(……好きにして。どーせそいつらのせいだし、怒られるのは竜騎隊統括だし)

 言質は取った。あぁ、待ち遠しい。

 ワイバーンの接近を楽しみに待ち受けていると、一通りの作業が済んだのか大通りには人がいなくなった。

 残っているのは、近寄る事もせずにスピアを構えている帝国軍人三人と、鼠人達が乗っていた馬車三台。

 何となく一度振り返ってみると、何故か全員がこちらを向いて跪いき、祈っていた。

 ワイバーンが信仰の対象化なんか何だろうか? まぁ、食べるつもり満々だけど。

 先に着いた二匹が羽ばたき、ゆっくりと降下を始める。

「「おおおおおぉぉぉぉぉっ!!」」

 咆吼と共に、左右の建物から帝国軍人が駆け出てくる。

 タイミングを計っていたのだろう。正面からは滑空してくるワイバーン一匹。

 ただ、帝国軍人達の方が幾分か早かった。

 突き出してくるスピアを、左右の手で引っ掴む。

 刃がなく、重さで突き刺すだけの騎乗用スピアを掴むのは非常に簡単だ。

 両腕に力を入れ、帝国軍人ごと持ち上げる。そして、着陸した二匹のワイバーンに向かってぶん投げた。

「「ぬおおおおぉぉぉぉぉっ!!」」

 双子かと思うほど同じ声を上げて飛んでゆく帝国軍人。

 その結果を確認する事も無く、あたしは滑空と同時に繰り出されるワイバーンの足を両手で掴んだ。

 軽い。

 念の為に両手で掴んだのだが、思った以上に衝撃が少ない。

 大剣を振り下ろすようにワイバーンを地面に叩きつけると、色々と潰れる感触こそあれど、ワイバーンは原型を保ったままだった。

 見た目よりも遙かに軽いのだろう。珍味とされるのは、そこら辺が理由なのかも知れない。

『じゃあ、終わりね』

 騎乗しようとしていた帝国軍人二人は、投擲された帝国軍人ごとぶっ飛ばされて地面に倒れているワイバーンを眺めて突っ立っている。

 そんな二人を片付けるのは容易い事だった。

 駆け寄って殴る。駆け寄って蹴る。以上だ。

 さて。そしたらまずやるべき事は一つだ。

 相変わらず跪いたままの民衆の前に立ち、あたしは口を開く。

『解体と料理の心得がある者はワイバーンの処理を。あまりは皆で食べればいいから、そのつもりで上手くやって。後帝国軍人の拘束もお願い。そいつらはそこら辺に纏めて転がしとけば良いから』

「はいっ!」

「お任せ下さいっ!」

「拘束は冒険者でやるぞっ!」

「我ら【黒鉄】が屋内の帝国軍人を拘束するっ!」

「希望者は三人一組でかかれっ! お手を煩わすなっ!」

 一時的に場が騒がしくなり、三十人ほどが広場から出て作業を始めてくれる。

 アウラがストレス一杯になったのが嘘のように統率の取れた動きだ。国の上層が腐っていただけで、一般市民は優秀なんだろうか。

『さて。それじゃあ罰を始めましょっか。まずは全員さっきみたいに跪いて。呼ばれた者は立つように』

 そこまで言って口調が戻ってしまった事に気付くが、今更だ。

 今まではスイを意識して喋っていたけど、帝国軍人のせいで気を抜いたのでもう無理。今更偉そうっぽくするのもなんか恥ずかしいので、この口調で行く事にする。

 そう決めたはいいんだけど……何故かアウラからの指示が無い。

 自分でそうするって言ったくせに。

 仕方なく息を吸い、気持ち大きめの声が出るよう口を開く。

『罪には罰をっ! けど、国が腐っていた以上、法による罰では無く、道理による罰を与えるっ!』

(……あ、ごめん。相変わらず無茶苦茶やるから、なんか、やる気が無くちゃったわ。えっと、それじゃあまずは……)

 あたしは、アウラが挙げる名前をそのまま声に出す。

 その数実に五十八人。長ったらしい名前も多かったというのに誰一人噛まずに呼べた自分を褒めてやりたい。

『あんた達の罪は、地位在る立場にありながら組織を是正できなかったという点。職員であるのならばその上役を、貴族であるのならば国に携わる者達を、罪を犯している事を知りながらも黙認した事が罪。その罪は民と等しく、けど地位ある故に、その罪は重い』

 一息吐き、広場の面々を見渡す。

 呼ばれ、立ち上がった者達は沈痛な面持ちで、それ以外の者は大半が頭を垂れたままだ。

 正しい判決かどうかは知らないけど、アウラが良いというなら良いんだろう。あたしには関係ないし。

『与えられる罰は、一つ。今後、正しき民の為に生きなさい』

 何故か、感嘆の声が響いた。

 立っている者達の中には、泣き出す者が半数以上。その場に跪いて頭を垂れる者もいる。

 こんな第三者に罰を決められて、何故みんな納得できるんだろうか。あたしとしてはありがたいけど……ちょっと素直すぎないだろうか。この国の人達。

『それじゃあ、ここからはこの国を腐敗させた者達への罰に入る』

 そう告げて、死刑の執行を開始する。

 この場合、私刑と言うべきかも知れない。アウラが集めた情報から、大きな被害を被った人に、罪人を処分させるのだから。

 勿論、殺人を良しとしない人には強要しない。被害者が数人で済むような罪人はいないのだ。出来ないと言う人にはやらせず、次に被害を被った人に執行を任せれば、数人目で喜んでその手を汚す者が現れる。

 一族郎党皆殺し。なので老人や子供への執行は拒否する者が多いかと思ったが、最高でも四人連続で拒否されたぐらいで、五人目は当然のようにその首を切り落としていた。

 相当恨まれていたんだろう。ただ、刑を執行した人達は復讐を遂げたと言うより、なんか妙に誇らしげだったのが気になる。胸を張るような事を頼んだつもりは無いんだけど……まぁいいか。

 そんなこんなで刑の執行は進み、残るは王族と宰相一族。

粛々と続けられる処刑もいよいよ大詰め。先に王族の処刑を告げる。

 引っ立てられ、あたしの前に並べられる王族。

 何故か知らないが、市民達が当然のように罪人を目の前に並べるのだ。

 罪状と処刑人を告げるだけのあたしに何を期待しているんだか。ちなみに祭服集団も治療を終えたのか気がつけばあたしの右手側に並んでいる。祭服をボロボロにしたオッサンを先頭に、処刑される罪人では無くあたしに向かって跪いて祈りのポーズを続けている。

「……神の遣いよ。どうか、発言の許可をいただきたい」

 跪き頭を垂れる王の発言に、あたしは一つ頷く。

 ここにいる全員の認識がソレなんだろう。どっちかと言えば龍神の遣いを語る詐欺師に近いんだけど、勿論ンな事は口に出さない。スイにも一応許可は貰ってるし。

「罪は、全てが我にある。ピラップの甘言に惑わされ、容易くその言葉に乗り、民に負担をかけた。それらの罪は全てが我にあるのだ。どうか、寛大な処罰を」

 この場で発言した者はその全てが市民達に張り倒されてそのまま処刑と言う流れだったが、さすが王族と言うべきか。あたしが許可したのもあるんだろうけど、市民達は動かない。

 王としては無能であっても、王としてのカリスマ性はある、媚びず、覚悟を決めているその言葉は、中々に重い。

 だからこそ、あたしもスイっぽさを意識して言葉を選ぶ。

『貴様が犯した罪は、この場にいる多くの者と同様だ。自らは手を汚さず、悪に目を瞑り、ただ在る事を良しとしただけ。だが、その座に在った事が罪なのだ。悪が横行し、そのただ中に在って関わらず、良しとした事は、王という立場を担う者にとって何よりも重い罪である』

 そう告げて、あたしは懐から解体用のナイフを取り出す。

 長い事お世話になってきたナイフだ。ちょっと惜しいけど、切れ味は抜群だし自害に使うには向いているはずだ。

『王妃。これで自害を許す』

「お待ち下さいっ! 妻は」

「良いのです。……このお方が言うとおり、私は何も出来なかった」

 王妃は歩み出てくると、跪いて恭しくナイフを受け取った。

「王妃としての役を果たせなかった私に、寛大な処罰を感謝致します。厚かましい願いではありますが、どうかエストには慈悲を」

『罪には罰をもって償わなければならい』

 一つ息を吐き、左手を横に伸ばす。

 『剣を』と一言告げると、冒険者達が慌ただしく動き、中々に見事な剣を差し出してきた。

 細工の無い両刃の剣だが、よく手入れされているのが一目で分かる。一般的な剣とは異なり斬る事に重点を置いているのか、刃先は鋭く美しい刃文が浮かび上がっていた。

『王子よ。この剣で、王の首を落とせ』

「はぁっ!?」

『それが貴様に与えられる罰だ。贖罪の後は、一市民として生きよ』

「巫山戯るなっ! 何故、俺が、父を、この手で殺さねばならないっ!」

「おやめなさいっ!」

「やめよっ!」

 両親に一喝され、目を丸くする王子。

 その視線を無視するように、王都王妃は頭を垂れた。

「ありがとうございます、使徒様」

「母上、何故……」

「感謝を」

「父上も……何故、なのですか……」

 呆然とする王子に、頭を上げた王が微笑んだ。

「エストよ。この首だけでお主が許されるのだ。これほどの慈悲はあるまい」

「何を、何を言っておられるのですかっ!」

「エストっ! 理解なさいっ!」

 鬼気迫る王妃の声に、王子が息を呑む。

「貴方も、王族なのです。私達は、この手を、汚さなかった。汚す事すら出来なかった」

 ハラハラと涙を零しながら、王妃が王子を抱きしめる。

 感動の場面。

 これで王妃が王子を刺したら面白いなー、なんて思ってたのは内緒だ。

「ごめんなさい、エスト。けれど、貴方は残る。それが私達にとってどれほどの慈悲か。理解してちょうだい」

「母上……」

 二人は暫く抱き合うと、ゆっくりと身体を離した。

 泣きながら、王子が剣を手に取る。そして、振りかざした。

「すまぬな、エスト」

「父上……っ!」

 振り下ろされた剣は、容易く王の首を両断した。

 状況が状況だから仕方ないのかも知れないが、王子の剣技はまぁへっぽこだった。あの剣で無ければかなり酷い事になっていただろう。

「エスト。ちゃんと、生きてね」

 王妃は微笑んでそう告げ、自身の心臓に短剣を突き立てた。

 苦悶の一つも漏らさず、潔く死ぬその姿は見事の一言に尽きる。

「はは、うえ……っ」

 ボロボロと涙を流しながら、睨み付けてくる王子。

「俺は、貴様を、許さないっ!」

「不敬なっ!」

「こいつっ!」

 いきりたつ市民を手で制する。

 そして、その手を王子へと差し出した。

『剣を返しなさい』

「……っ」

 ギリッと奥歯を鳴らしながらも、素直に剣を返す王子。

 その剣を持ってきてくれた人へと返して、あたしは王子に向き直った。

『いくらでも憎みなさい。他者を憎む事は、罪では無い。ただし、このあたしを殺そうと思うのなら、一から成り上がり、王となり、今よりも強固な国を造った上で挑みなさい。その時は、対等な敵として、全力で相手をしよう』

 自然と笑顔になっているのが自分でも分かった。

 もしそうなったら、どれほど楽しいか。これほどの敵意を見せてくれる相手なら、あたしは心置きなく全力で戦えるし、悩む事無く殺し続けられる。

 フルリと震えてしまったのは、武者震いだ。あたしに敵対する為に創られる国。もし戦う日が来たのならそれは……最高に楽しい日々になるに違いない。

 正面からの殴り合い。そーいうのは、ロマンだ。暗殺者ギルドみたな陰険な手口じゃなく、堂々と殺し合えるのは素晴らしい。

『期待しているわ』

 何故か王子の敵意が霧散して呆然と見上げてきていたが、まぁいいだろう。

 市民達に視線を向けると、即座に王子が移動させられ、死体もまた片付けられる。

 そして引っ立てられてくるのは宰相一族。その数驚きの二十人。

「貴様ぁっ! この儂にこのような真似をして帝国が黙っていると思っているのかっ!?」

 早々に騒ぐ宰相の顎を殴って気絶させる。

 残る十九人が三列に並べられてゆくのを眺めていると、隣のボロボロ祭服オッサンが口を開いた。

「使徒様。こちらを」

 差し出されたのは、王妃が使った探検。

『あげる』

「……よ、宜しいのですかっ!?」

『ん』

 感涙し、抱くように短刀を抱えて頭を垂れるオッサン。

 確かにあたしお手製の一品物だけど、素材はそこまで高いもんじゃ無いから。

 まぁ、いちいち言わないけども。

 並べられた一族を前に、あたしは市民に向かって口を開く。

『成人している鼠人は前へ』

 その言葉に、かなりの人数が歩み出てくる。広場の人数からすればほんの一握りではあるが、それでも五十人はいるだろう。

 更に、周囲の視線を受けて渋々出てくる者がそれなりに。

『貴様等が、罰を下せ。同族が犯した大罪に相応しい罰を。この国に住まう者が、貴様達を受け入れるに足るだけの罰を』

 あたしの言葉に応じて、冒険者達が騒人達に武器を差し出す。

 斧であったり剣であったり槍であったり。武器は冒険者の命な筈なんだけど、いいんだろうか? 勿論、協力的なのは非常に助かるんだけど。

「お、俺たちは、罪を犯してないっ!」

『分かっている。だが、多勢にとってこの者達の罪は、貴様等の罪でもある』

 アウラに言わせれば、宰相の悪行は誰もが知っている。その上龍神を怒らせ、王を処刑するに至った。

 元凶が鼠人の宰相であると誰もが知っている以上、同族に対する非難が出てくるのは当然の事だろう。本人達の罪だけで済ませるには、あまりにも重すぎる。

『出来ないというのならば、この国を出て行く事だ。或いは、迫害される事を受け入れた上で居座るか。……まぁ、好きにしろ。罪無き鼠人に、機会を与えているだけだ』

 市民を見回し、言葉を続ける。

『鼠人達が罰を行えないようなら、後は好きにしろ。この国に住まう者全てにとっての罪人だ。相応しいと思う罰を執行しろ』

 以上、終わり。

 最後が雑っぽいかも知れないが、仕方ない。

 何せ、良い匂いが漂い始めているのだ。こいつらがどうなろうが、普通にもう興味が無い。

 バサッとマントを翻して、ワイバーンの加工場に向かう。

 加工鳩言っても、単なる大通り。わざわざ屋台を持ってきてくれたのが五人。それぞれから違う匂いがして、非常にお腹が空く。

(あ、終わった?)

『ん』

(じゃ、魔術切るわね)

 これでやっと普通に喋れる。

 ふぅと息を吐いて、さっそく一番近い屋台へ。

「一本頂戴」

「これは使徒様っ! 勿論ですっ!」

「お代は?」

「頂ける筈がありませんよ。使徒様が狩ってくれたのですから」

 そう言いつつ差し出されたワイバーン串を受け取り、一口。

 まず広がるのが、甘辛いタレの味。そして、肉。脂身は少ないが柔らかい牛肉のような食感と味で、中級のちょっとお高いレストランとかで提供されそうな肉質だ。

 それを串で食べるというのが、また美味い。これを無料というのは、ちょっと気が引ける。

「あぁ、そう言えば素材をどうするかで解体人達が揉めてましたよ」

「ん。じゃあそれ、全員で均等に分けて。それがお代って事で」

「いいんですかっ!?」

「いいよ~。じゃ、あたしは次の屋台に行くから」

「はいっ! ありがとうございましたっ!!」

 うん、うん。これは他の屋台も期待できそうだ。

(こっちはやっと軍人の移動が済んだけど……これからどうするつもり?)

「屋台の肉を一通り食べたらこの国出るつもりだけど」

(ワイバーンっ!? ちょっと、私の分も貰っておいて)

「冷めたら美味しくなくなりそうだし、断る」

(む。……ま、ちゃんと縛ってあるし大丈夫かな。じゃ、私もそっちに行くわ)

「好きにすれば。あ、おばちゃん串一つ」

「使徒様っ! 初めての食材なんでちょいと恥ずかしい出来かもしんないけど……それでいいかい?」

「勿論」

「ならこれを。他の所が自前のソース使ってるから、ウチは塩胡椒だけで試してみたんだよ」

「素材が良い感じだから、それもありね」

「分かってるねぇ使徒様は。さすがだよ」

 ニコニコ笑うおばちゃんから串を貰う。

 白めの肉に焼き色がついて、これまた美味しそう。一口食べれば、胡椒の香りと肉の味。そして肉から甘みを引き立てる塩の味。

 これも、美味い。

 もうどんな味付けでもそれなりに美味いんじゃないだろうか。若干ワイバーン臭というか、十分焼いているのに生っぽい香りがあるので、その辺りをクリア出来れば最高の食材になりそうだ。

「代金については素材を均等に分けるって事になってるから、それでお願い」

「あらぁ、嬉しいねぇ。ありがとう使徒様」

「ん。じゃあね」

 モリモリ肉を食べながら次の屋台へ。

 と、正面からアウラが駆け寄ってくるのが見えた。

 帝国軍人達を北側出口に置いてきたのだろう。

「ふぅ。あ、お兄さん一本頂戴」

「あ、あたしも」

「はいっ! ありがとうございますっ!」

 何故かこの屋台の兄ちゃんは背筋を伸ばしていて、注文しただけでお辞儀する間じめっぷり。

 と言うか、多分緊張してるんだろうなぁ。もうあたしの通称が使徒様になってるし。

 震える手で差し出された串を受け取り、アウラと一緒にパクり。

 これは……魚醤だっ!

 サッと塗っただけで塩っぽいしょっぱさと旨味が肉の味と絡まり美味いと思わせる。ただ、匂いが独特で、鼻から抜けるこの臭いが……苦手だ。

「うん、美味い」

「美味いけど、魚醤って独特すぎる」

「この魚臭さが良いんじゃないのよ。カイナは分かってないわねぇ」

「魚臭いって言うか、生臭いっていうか……。そもそもワイバーン肉自体が少し臭わない?」

「あのねぇ。帝国でこんなに新鮮なワイバーン肉食べようと思ったら、幾らすると思ってるのよ。普通に上級貴族しか食べれないわよ?」

「そんな?」

「そんなにするのよ。野生はこの辺りにいないし、軍用でしか育ててないからこの肉質で市場に流れれば……まぁ高額になるわね」

「ふ~ん」

「それで、この後はどうするの?」

「勿論この国出るけど」

「……帝国に来ない?」

 アウラの何気ない投げかけに、あたしは反射的に顔を顰めた。

「面倒事はごめんよ」

「まさか。色々迷惑かけたし、そこそこ良いレストランで奢ろうかなって」

「……本気?」

「竜騎隊の件でボーナスぐらい出るでしょうし、それぐらいはね?」

「それなら、寄るぐらいならいいかな」

「そうしなさいよ。今から来る竜騎隊の人達からワイバーン借りてひとっ飛びで済むし」

「それで面倒な事にならないならいいわよ。おっちゃん、串一つ」

「私もお願い」

「あいよ」

 屋台のおっちゃんは如何にも職人と言った風体で、頼まれてから串を焼き出す。

 今度のは、肉の厚さが違う。大きさは同じぐらいだが、厚さが半分ほどになっていて、一枚一枚がUと言う形で串に刺さっている。

 他と違うこういう試みは、見ているだけでワクワクする。導味が違うのか楽しみだ。

「じゃあ、貰ったらさっさと行きましょ。竜騎隊で起きた大事件だから、全速力で向かってきてるわよ、きっと」

「ここともう一店舗貰ったらね」

「なら私がもう一店舗の方を貰ってくるわ」

「そんな急がなくても……」

「あれ」

 アウラが指さした先は、広場。

 処刑が済んだのか、一斉にこっちに向かってくる。

「ヤバい」

「でしょ? それ貰ったら北門脇の小屋に集合で」

「分かった」

 やむなくおっちゃんに催促し、出来上がった串を二本持って走り出す。

 もうあたしの仕事は終わったのだ。

 後ろから色々声が聞こえた気もするが、完璧に無視してあたしは全力で北門へと向かったのだった。



   【アウラ・ルイ・リベンス】



 <三奪>が潰された。

 そんな噂が流れてきたのは、潰されたとされる日から一ヶ月ほど経ってからだった。

 それが事実にしろ嘘にしろ、アウラにとっては関係なく、日々ストレスの溜まる仕事をこなしていた。

 <三奪>が潰れようが、今受けている依頼に変わりは無いのだ。

 ただ少しだけ、数少ない友人の安否が気になった。それだけだ。

 仕事をこなすだけの日々。どれだけ手を回そうと進展が見られない仕事に、<三奪>が潰れたならもう逃げてもいいんじゃ無いかと、そんな風に思い始めたある日、彼女と再会した。

 万力。

 頭領のお気に入りであり、幼少より殺し屋として育てられた生粋の武闘派。幹部では無いながらも、唯一頭領と正面からやり合える本物の化け物。

 そんな友人は、カイナと名前を変えて、相変わらずのデタラメな生き方をしていた。

 過去に何度、そのデタラメさ、適当さを羨んだ事か。

 今回は、呆れの方が強かったけども。

 龍神との接触、龍神の子が攫われかけたからと大型船を破壊するデタラメさ。

 龍神より化け物なんじゃ無いかと思ったものの、実際に見た龍神はやはり化け物だった。

 見た目は人。だが、存在の圧が桁違い。駆け寄ってくる姿に、思わずへたり込んでしまったほどに。

 けど、幸いな事に龍神には言葉が通じた。カイナの無茶苦茶な提案はあったけど、おかげで難解な仕事を終わらせる道筋を立てる事が出来た。

 どれくらいぶりだろうか。こんなにも気分が高揚したのは。

 龍神との打ち合わせを終えるなり、私はすぐに行動を開始した。

 ラーグ国とグルウ国に乗り込み、外交権限ですぐに王と繋いで貰う。

 深夜だろうが関係ない。帝国の外交官が持つ権限は、それほどに強いのだ。

 どちらの国も、対応は同じだった。

 最初は不機嫌そうに、龍神の名を出すと疑わしそうに。

 別に、信じて貰う必要など無い。ただ、最後に念押しだけは忘れない。

「明日の朝、龍神様が共国に罰を与える。その怒りを目にしたのなら、両国共に即座に食料を満載させた船で湖の島に向かうように。料理人も一人つけて、龍神様に許しを請いなさい。続く要求は、龍神様がなさるでしょう」

 共国に手を貸したという罪が、両国にはあるのだ。

 だからこそ、疑おうとも龍神のブレスを目の当たりにすればすぐ動く事だろう。

 そう判断して、告げる事だけは告げて次の行動に移る。

 情報の流布。

 そこそこ長くこの地域にいるからこそ、頼れる人物も多い。ラーグ国、グルウ国、共国の三カ国に情報を広める。

 丸一日の猶予すら無くとも、『そんな話聞いたなぁ』と思わせる事が重要なのだ。

 共国は龍神の怒りを買った。罰が下される。

 その二つさえ人口の一割ほどが耳にすれば十分なのだ。

 事が起これば、噂は事実となり、急速に膨れ上がる。

 そんな下準備をしながら、本国の竜騎隊統括と連絡を取る。

 上から目線で無理だの職権乱用だのほざくので、王様にまでやむなく話を通す事になった。遠隔通話で王と会話など云々、宰相を筆頭とした貴族が五月蠅かったものの、どうにか話は付いた。

 一度大きな爆発があるだろうから、それが発生してから近付くように、と何度も念を押した。何度も言わなければ理解しないような奴等だから仕方が無い。疲れる。

 というか、私は王直轄の外交官。なのになんでこんな五月蠅い事になるんだろう。

 そんな不満を抱きつつも、仕事が終わるという開放感の方が先に立って頑張れる。

 十分とはいえ無いながらも、猶予から考えれば十分な下準備をして向かえた当日。

 龍神のブレスから始まる想定外のあれやこれやは、もうカイナが関わると仕方の無い事と割り切るしか無いんだろうか。

 本当に、昔からそうなのだ。カイナが絡むと、結果はちゃんとするのに毎回過程がおかしくなる。

 それでも、カイナが悪いわけじゃ無いから、友人として付き合えるんだけど。



  【大司教  マクベリック・シープノイヤー】



 その日、マクベリックが共国首都の教会を訪れていたのは、とある話を耳にしたからだった。

 『共国の教会より、ある枢機卿に多額の献金が行われている』

 自身の管轄である教会から、不正に献金が行われている。それは、大司教足るマクベリックにとってあまりにも衝撃的な内容だった。

 事実を確認する為に自ら動くのは、マクベリックにとって当然の事。供すら連れずに即座に動き、前日には共国首都へと着いて一泊。多少の情報収集だけで耳にする教会の悪評に苛立ちながら、マクベリックはその日を迎えた。

 今日の朝、龍の怒りが下る。そんな噂を耳にして、このような教会ならばやむなしと思っていたものの、案の定何も起きず。

 苛立ちながら教会に出向けば、殆どの者が未だに寝ているという体たらく。

 大声で泊まり込みの者を起こし、すぐさま全員を集めるように通達。集まり次第礼拝を行い、自らの愚かさを懺悔する事から始めるように告げ、教会の奥へと進む。

 不正献金の証拠探しだ。

 無駄に華美な装飾品の数々に苛立ちを更に募らせながらも、部屋を橋から当たってゆく。

 それなりの時間が経った頃、突然建物が揺れた。

 大きな揺れだった。とはいえ、ここは教会だ。災害が発生すればけが人が運び込まれる場所であり、慌てて外に出る必要は無い。

 慌てる事無く足を進め、身廊へと向かう。

 そして、扉を開いた先には、誰もいなかった。

 礼拝を行えと指示していたにもかかわらず、だ。

 ふつふつと込み上げる怒りを噛み殺し、外へと向かう。

 そこでマクベリックが目にしたのは、一変した世界だった。

 朝の静けさが嘘のように騒がしく、民衆が暴徒となり商会を襲っている。

 誰もが慌ただしく、目を爛々と輝かせて駆けてゆく様はまるで戦場だ。

 そして、教会の入り口に倒れ伏せる一人の神父。

 その脇に転がっている長い帽子は、司祭帽。教会を任されている者だけが与えられる物だ。無駄に装飾が施されてしまってはいるが。

 辺りを見回し、教会の脇にしゃがみ込んでいる祭服の少年を見つけ、歩み寄る。

「何が起きているのですか?」

「あ、貴方は……」

「何が起きているのか、と問うているのです」

「は、はい。ま、まず最初に、龍神様の罰が下りました」

「……は?」

 小刻みに震える少年は顔を青く染め、寒さを堪えるように自身の身体を強く抱きしめた。

「北に、龍神様の、怒りが。そ、そして、使徒様が、悪を、許すなと」

「使徒だとっ!?」

「は、はい。この教会の、上に」

 言われ、一歩下がって見上げてみれば、確かにいた。

 少女だ。あまり見かけない黒一色の服に、輝く深緑色のマントに不釣り合いな肩当て。

 異様な風体ではあるが、聖典に記される使徒とは全く違う。

 だと言うのに、何故使徒と信じるのか。

「意味が分からんな……」

「使徒様が、龍神様の怒りを告げたのです。それに、司教様の罪も知り、罰を」

「まぁ良い。兎に角、北側で大きな被害があったのだな?」

「お、恐らくは。誰もが、見たのですっ! 龍神様の怒りをっ!」

「落ち着きなさい。貴方は教会の扉を開き、まずは司祭の遺骸を運び入れなさい。弔いも、治療も、教会の領分です」

「は、はいっ!」

 幾分か落ち着いてきたのか、少年は若干震えながらも立ち上がり、教会の扉を片側ずつ開き出す。

 その様子に一つ頷いて、マクベリックは北側へと向かって駆けだした。

 民を救う事が教会の本分だ。使徒とやらを問い詰めたい所ではあるが、まずはこの混乱で傷付いた者達を保護する事が優先だ。

 暫く走ると、窓ガラスの割れた建物などが多く目に入り始める。

 竜神の怒りというものが発生したのは、北西の方なのだろう。そう判断した段階で西へと向かい始めた事で、貴族街へと足を踏み入れる事になる。

 本来いるはずの衛兵がいない。本来ある筈の静寂が、民衆の上げる声で乱されている。

 だが、不思議と火の手は上がっていない。更に北西の一般街では煙が立ち上っているが、貴族街での火災は見受けられない。建物や門も綺麗なものだ。

「ありえない……」

 戦争も内戦も経験してきたマクベリックにとって、その光景はあまりにも異常だった。

 市民が国に反旗を翻した場合、間違いなくその矛先は貴族に向かう。放火略奪は当然で、これほどまでに家屋が綺麗に残っている事などありえないのだ。

 貴族の建物から、不安げにこちらを見ている者もいる。

 暴徒が通った後で、そのように無事な人がいると言う事も、ありえない。男性ならば殺され、女性ならば陵辱される。それが戦争の常であり、内戦においても同様だ。

「何なのだこれは」

 暴徒となった市民に規律がある?

 ありえない。

「退けっ! テメェ等は咎人じゃないだろっ!」

「我らは国の剣にして盾だっ! 通すわけにはいかんっ!」

「悪党を見逃して、何ほざいてんのよっ!」

「正義をなせっ!」

「クソの言いなりで恥ずかしくねぇのかっ!」

 そんな声が聞こえ始め、歩みを進めると道を塞ぐほどの民衆がいた。

「すまない。通してくれ」

 騒がしいのは前線の民衆だけで、後方の民衆は静かなものだ。

 殺気立ってはいるが、冷静さがある証拠だ。戦時において、それがどれほどに異常な事か。

 おかげでマクベリックは前へ進めるが、剣呑な雰囲気が刻々と高まってゆく。

「やれっ!」

「取っ捕まえろっ!」

「おやめなさいっ!」

 聞こえた開戦の合図に慌てて声を上げるも、遅かった。

 金属と金属、肉と肉がぶつかり合う音が響き、悲鳴と咆吼が辺りを占める。

 にもかかわらず、民衆は堰を切ったかのように進み始める。

 異常な事ばかりだ。

 何故誰一人逃げないのか。何故武器も持たずに前へと進めるのか。

 無数の疑問に目眩すら感じつつ、マクベリックは人波みに流されながら聖術の詠唱を始める。

 人を救いに来たのだ。思わぬ現場に立ち会ってしまったが、救う事に変わりは無い。

「願い、請う。今、大いなる慈悲の形を示したまえ。≪治癒の領域≫っ!」

 大体の位置に聖術を展開する。

 衝突が起きた地点がどこかもハッキリ分からないのだ。大体の位置に範囲聖術を展開する事で、重傷を負った者の延命が可能だと信じて発動するしか無かった。

 魔力の消耗にふらつく。そんなマクベリックに構う事無く人波は進み、そして放り出された。

 中州のように、人波が避けて作られた空間。

 そこは、複数人の冒険者や市民が騎士達を縛り上げている所だった。

 三人ほど事切れた市民が倒れているが、それだけ。二十人以上の重武装を相手取った被害としては、驚くほど少ない。

「……ふぅ。まずは、怪我人を確認させてくれ」

「ん? 教会の奴、にしては見た覚えが無い顔だな」

 声をかけてきたのは、ひげ面の弾性だ。歴戦の冒険者を思わせる出で立ちだが、雰囲気は若い。見た目ほど年は取っていないのだろう。

「騎士とぶつかったのだろう? 念の為この辺りに回復術式を放ったが……」

「あぁ、あれはあんたかっ! ありがとう、助かったぜ」

「いや。それより重傷者は?」

「前線は俺たちが張ってたからな。いきなり襲いかかって来やがったからそこの市民は守れなかったが、大体は防いだ。あんたの援護があったおかげで、ヤバかった奴も元気になって先に行ったし、十分助けになったさ」

「そこの騎士達は?」

「見ての通り全身鎧だから、怪我って程のもんはねぇだろ。剣の平やら棍棒やらで頭ぶったたきはしたが、さっきの聖術で治んねぇなら、今から手を施しても無駄さ」

「……そうだな」

 聖術も万能では無い。特に頭への強い衝撃は、聖術が間に合ったにもかかわらず死に至る事が多い。

 それでも、見たところ全員息があるようで、マクベリックは胸を撫で下ろす。と、男が訝しげに目を細めた。

「あんた、教会の奴っぽくねぇな。感化されたにしても、変わりすぎだろ」

「感化、とは?」

「使徒様の言葉だよ。見ろよ、金に汚くてお高くとまってただけの教会連中が、あんな必死に走り回ってやがる。笑えるぜ。……あぁ、勿論ありがたいんだけどな? 今までが今までだからよ」

「そう、か」

 さらりと告げられた事実に、大司教としては顔を顰めるしか無い。

 もっと早く足を運ぶべきだった。そうは思うが既に遅い。この地域では、既に教会の信用など地に落ちているのだろう。

「……それで、状況を説明して欲しいのだが」

「は? 状況って……見たまんまだろ? 市民総出で悪党退治だ」

「おいリフトっ! 先に行くぞっ!」

「あぁっ! 俺はここでこいつら見張っとくわっ! 神父が癒やしてくれるっつーから、怪我人出たら連れてこいっ!」

「おうっ! じゃあ任せたぞっ!」

 リフトと呼ばれた彼の友人達が走り出す。

 気がつけば、あれだけいた民衆も殆どいない。残っているのは縛り上げられた騎士達と、亡骸になった三人の市民。そしてマクベリックとリフトの二人だけだ。

「何が起きているんだ? 冒険者ギルドは、政治に関して不干渉の筈だろう」

「それがダメだったのさ。そう、俺たちはそれを言い訳にして、手の届く悪さえ見過ごしてきた。そこの三人が死んだのも、今まで市民達が苦しんできたのも、全て俺たちのせいだ」

 リフトはそう告げて、煙草に火を点けた。

「だから俺たちは、民の剣となる。相談して、そう決めた。他の冒険者達も同じさ。こんな国を拠点にしてるんだ。市民の為に行動する事に、戸惑う奴なんていやしねぇ」

「神に仕える者として、こう尋ねるのは気が引けるが……何故、略奪などが起きていない?」

「略奪?」

 紫煙をくゆらせて睨み付けてくるリフトから放たれる殺気は、本物だった。

「巫山戯るなよ金の亡者が。あの方が、正義を与えてくれたんだ。そんな下らねぇ真似する奴がいるはずねぇだろうが」

「……あの方、とは、使徒と呼ばれる者の事か」

「あぁ、そうだ」

 ふぅ~っと吐き出される煙と共に殺気が失せ、そのことにマクベリックが内心安堵したのは仕方の無い事だろう。

 Bランク冒険者。仮にCランク冒険者だとしても、実戦経験の浅い聖職者に太刀打ちできる要素はない。

「龍神様の怒りを告げ、正義を与えてくれた。それが使徒で無くてなんだ?」

「龍神様の怒り、とは?」

「何もしらねぇんだな。北西部に住んでる奴が言ってたぜ? 城壁が衝撃で崩れたってな。……使徒様は言った。それは慈悲だと。俺たちに正義を成せと。たぶん、俺たちの為に、使徒様が龍神様に掛け合ってくれたんだろう」

 感謝しかねぇ。そう呟くリフトの瞳は、どこまでも真摯だった。

 その目を、マクベリックは知っている。

 信徒だ。それも敬虔な。

 もし下手な問いかけをすれば、先程の殺気が物理的なものとなって襲いかかってくるだろう。

 それが分かるからこそ、マクベリックは慎重に言葉を選ぶ。

「……竜神様は、実在したのか?」

「星を落とすような兵器があるってんなら別だけどな。……いや、仮にあっても、ラーグルウの二国か帝国が保有してるってんなら、直接落とすだろ。この国を良くする為にこんな事はやんねぇよ」

「なるほど……」

 星を落とす。

 馬鹿げた話ではあるが、彼らはそれを目にしたのだろう。でなければここまで信じているはずが無い。

 龍神。そして、その使徒。

「神は……我らを見ているのだろうか」

「見ているさ。だからあの方が遣わされた」

 思わず漏れた言葉に、リフトの言葉が返ってくる。

 マクベリックが驚いて顔を上げると、リフトは頬をゆがめ、天へと向かって煙を吐いた。

「きっと、あの方は万人を見ておられる。そう感じたから、誰もが迷わず前に進めるんだ。自分たちの行いが正義なのだと、迷わずに踏み出せるんだ」

「怪我人だっ! ここで治療してくれるんだよなっ!?」

「おう連れてこいっ! ……って事で神父、こっからが頑張りどころだぜ?」

 マクベリックに向かって、リフトは器用に片目を閉じてみせる。

「頑張れば、神は認めて下さる。あの御方もな」


 そこからはまさに野戦教会だった。

 司祭見習いや聖術の心得がある者数名が手伝ってくれたが、数が足りない。

 にもかかわらず、市民、貴族等、敵味方問わず運び込まれてくるのだ。

 魔力が枯渇し始め、糸と針で縫うという原始的な治療にまで頼って、どうにか死者を出さないように患者を回す。

 最後の患者を処置し終えたときには、マクベリックは心身共に疲弊しきっていた。

「お疲れ、旦那」

「リフトか。……助かった」

「それはこっちの台詞だ。旦那がいなかったら何人死者が増えたことやら」 

ここに連れてこられたときには死んでいた者もいた。手遅れの者もいた。

 それが市民ならば、周りの者がその死を讃えた。その家族でさえ、泣きながらも褒めていたほどだ。

 それが貴族ならば、連れてきた者が崩れ落ちていた。彼らの言う悪人であるにもかかわらず、殺してしまった事を心から悔い、懺悔していた。あの方の前に連れて行けなかった事を、心から。

 その光景を異様に思うには、マクベリックは忙しすぎた。一段落付いた今となっては、疲弊しきっていて思考すらままならない。

「ま、行こうぜ。やれる事はやった」

「あ、あぁ……」

「肩貸すよ。お疲れ、旦那」

「……ありがとう」

 リフトの肩を借りて、マクベリックは歩き出す。

 足が重い。自然と下がる視線は、自身のボロボロになった祭服を映していた。

 人波に揉まれた時に至る所が破け、その後の治療で血塗れだ。

 大司教であるが故に、マクベリックの財産は少ない。各地の孤児院運営に給与、お布施の多くを使っている為、自由に出来る財産が少ないのだ。

 だと言うのに、これでは新調しなくてはならない。当分は禁酒だな、と落胆しつつ歩んでいると、視線を感じた。

 気配云々が分かるほど、マクベリックに戦闘経験は無い。顔を上げたのは、何となくの偶然だ。

 そして、見上げた先には使徒がいた。

 目が合った。そう感じた。

 そして、彼女は一つ頷いた。

 ただそれだけ。たったそれだけの事で、マクベリックの全身は震えた。

 見ていてくれたのだ。

 認めて貰えたのだ。この、頑張りを。

 そう思った瞬間、涙が溢れた。

 努力を認めて貰う事。それが、こんなにも嬉しいとは。

 思わず跪き、祈る。

 あの方に。その神に。

 と、肩に手が置かれた。

「な、言っただろ?」

「あぁ、そうだな。まさに、その通りだ」

 神が実在するのなら、これだけの統率も取れるだろう。死すら恐れず正義を為せるだろう。

 神が、見ていてくれるのだから。

「さぁ、行こうぜ」

「うむ、そうだな。私の神というわけではない」

「そう、俺たちの神だ」

 互いに笑みを見せて、またリフトの肩を借りて歩き出す。

 広場に人はまだまだ増えてゆく。


 運良く、あの御方の隣に立てた。

 この時ほど神に感謝した事は無い。龍神様のお導きなのだ。

 使徒様に祈りつつ、そのお言葉を聞く。

 本当に神の声を受け取っているのだろう。告げられてゆく罪、犠牲となった人々の名前、それら全てを個人が知り、記憶すると言うのは不可能だ。

 まさに使徒。

 時折見せる人間としての言葉や表情も、使徒としての威厳をより強く感じさせる。

 王族への処罰も見事の一言。

 これならば、王子への非難は少ないだろう。使徒様への対応で幾ばくかの敵意はかっただろうが、使徒様から認められた以上、表だって彼を非難するような者はいないはずだ。

 遺体の片付けは、教会の役目だ。それは王族も例外では無く、マクベリック自らが王妃の遺体を教会まで運び、使徒様の刃に付着した血液を綺麗に拭って元の場所に戻る。

 タイミングを見てお返ししようとすると、下賜するとのお言葉。

 それにマクベリックは、ただ感謝するしか無かった。

 頭を垂れ、下賜された喜びを噛み締める。

 使徒様の所持品をこの手にできた。それに勝る喜びがあろう筈も無い。

 鼠人達に対する処罰も、市民感情に添った有効な処置といえるだろう。鼠人達の中に使徒様のお言葉を聞けぬ者がいたのなら別だっただろうが、全員で十分に苦しませた上での私刑執行だった。

 それほどの覚悟を見せた鼠人達に、罪を問う者がいるとは思えない。

 そして、広場から大移動が始まった。

 あのワイバーンが食べられると言うのもあるだろうが、誰もが早足で向かっているのは、少しでも使徒様の近くに、出来ればそのお言葉をと言う思いからだろう。

 実際、鼠人達の処刑時には既に気もそぞろな者が多かった。使徒様が命じた裁きだからこそ最後まで動く事は無かったが、それが終われば話は別というわけだ。

 マクベリックにもその気持ちは分かるが、下賜された故の余裕がある。

「旦那、羨ましいぜ」

「リフトこそ、剣を渡していたではないか」

「渡しただけで、貰ったわけじゃ無いからな。ま、直接触れていただいただけでも、その他大勢にしてみれば羨望もんだろうけど」

「違いない。……それで、相談があるのだが」

「ん? どーしたよ改まって」

「……竜神教を創設しようと考えている」

「それは……大丈夫なのか?」

「うむ。教義的には問題ない。勿論障害がないわけではないが……実在する神を崇めるのは、当然の事であろう」

 教会とは、人々の救いの為にある。

 ならばこそ、この地においては干渉しうる神を崇め、奉るべきだろうとマクベリックは考えた。

 自身が既にその信奉者であるのが、最大の理由だが。

「まぁ、いいんじゃねぇか? 大半の奴が入るだろうし、そりゃあ俺もだ。あんたなら今までみたいな腐った奴らとも違うだろうし、俺は賛成だぜ」

「ありがとう。なら、私は早速その許可を取りに行く事とする」

「総本山とか言うとこに行くのか?」

「いや、ラーグルウ龍神湖だ。まずは、龍神様の許可をいただく」

 真剣に告げるマクベリックに、リフトは目を見開くと、苦笑した。

「無茶が過ぎるじゃねぇかよ。……着いてこうか?」

「いや。許可が取れなければ信徒ではないからな。信徒になったら色々と手伝って貰う」

「あっはっはっ! いいね、面白い。じゃあ無事帰ってきてくれるのを楽しみにして待ってるぜ」

「うむ」

 互いに何となくで力強く握手を交わし、逆の方向へと歩き出す。

 リフトは屋台が出ている方へ。マクベリックはラーグルウ龍神湖へと向かって。


 マクベリックが向かったのは、グルウ国だった。

 どちらの国でも良かったのだが、途中で乗せてくれた馬車がグルウ国行きだったのだ。

 その結果、どうにか城門が閉まる前には都市に入る事が出来た。

 いつもなら一泊する所だが、龍神様に早くお伺いを立てなくてはと言う義務感から、無礼を承知で王城へと赴く。

 門前払いを覚悟していたが、待たされる事も無く城内へと通された。

 城内は、日が落ちた後とは思えぬほどに騒がしかった。

 多くの者が小走りで行き交い、貴族とおぼしき者達が至る所で小規模な集団を作り何事かを話し合っている。

 龍神様が顕現なされたのだ。一応はその場所を領土としている国にとって、これほどの騒ぎとなるのは当然だろう。

 それ故に待たされる事無く客間まで通された事を疑問に思ったが、すぐさま現れた宰相閣下の言葉でマクベリックの疑問は容易く解けた。

「共国は滅びたと聞いたが……何故、大司教殿が」

「ご挨拶ですな」

 苦笑と共にマクベリックはそう呟き、恭しく頭を下げる。

「お久しぶりです、マクドナル宰相閣下。事前の連絡も無く訪れた非礼、お許し下さい」

「あぁ、いや、こちらこそ突然すまなかった。それで、何故マクベリック大司教殿がこちらに? それに共国よりいらしたとお伺いしましたが、あちらは一体どのような状況に」

 対面のソファを進めつつ即座に疑問を投げかけてくる宰相閣下に、マクベリックは内心でほくそ笑む。

 情報が錯綜しているのだろう。情報網はある筈だが、編み目が広ければ正確な情報が得られるはずもない。

 或いは、共国首都を担当する諜報員達が使徒様に感化されたか。首都からの情報がきていなければ、近場の町からの情報しか得られず、共国首都が崩壊した等という話にもなるだろう。

「まずは謝罪を。今の私はこの地を治める大司教の許可を得ず登城しております。そして、大司教の任を降りたいと考えてもいます。結果的には大司教という地位を騙り面会を求めた事、真に申し訳なく」

「お、お待ち下さい。マクベリック殿が、大司教の任を降りる?」

「はい。龍神様が顕現なされ、使徒様のご威光に触れた。……その為に生きる事こそが、私があの場に在った意味かと」

「……それは、龍神様を頂に開宗なされる、と」

「えぇ」

 マクベリックの頷きに、宰相は大きく息を吐くとソファに寄りかかった。

「まずは、何が起きたかを説明していただきたい」

「その前に、龍神様にお目通りいただく許可を。それさえいただければ、全てをお話しいたしましょう」

「……それは出来ぬ」

「理由を伺っても?」

「龍神様との取り決めだ。……我らは、前日に通達された。帝国の外交官が、何故か龍神の遣いとして現れてな。半信半疑であったが、龍神の怒りは示された。遣いの要求通り、我らは急ぎ食料を集め、龍神様にお目通りを願った」

 相当疲弊しているのだろう。宰相閣下が進んで情報を漏らすなど、まずあり得ない事だ。

「王と、料理人のみが龍神様のお言葉をいただいた。後で知った話ではあるが、ラーグ国も同じだったようだな。半年に一度のみ、供物の献上共に拝謁を許されたのだ。故に、あの島への上陸は許可でん。近付く事もな」

「……でしたら、私も共国で起きた事をお話ししましょう」

 宰相閣下から事情を話された以上、マクベリックとしても起きた事を勿体ぶる理由はない。

 共国の教会を訪れた理由から始まり、龍神の怒り、使徒様との出会い、行われた裁き。

 説法とは異なり、話が終わりに近付くほど言葉に熱が入ってしまったのはやむ得ない。マクベリックにとってそれは、改宗するに足るほどの出来事であり、正義であったのだから。

「そ、そうか。話は分かった。分かったが、認めるわけにはいかぬのだ」

「ですから、問題は無いのです。小舟の一隻さえ貸していただければそれで。私は、使徒様から許しを得たのですから」

 懐から布に包まれたナイフを取り出す。

「これは……」

「下賜された聖物です。これだけで龍神様にお目通り願うなど傲慢にも程があるかもしれませんが、それでも、ご許可をいただきたいのです。この国にも、ラーグ国にも迷惑はおかけしません。最悪でも、この命一つで済ませますので、どうか」

 マクベリックが頭を下げると、暫くの間静寂が落ち、ため息が響いた。

「許可は、出来ん」

「……そうですか」

「龍神様との取り決めを早々に破る事は出来ぬのだ。分かってくれ」

 ならば、下城の足で小舟を買い上げ、押し通るか。

 マクベリックがそう考えていると、宰相の言葉が続いた。

「独り言にはなるが、龍神様が実在した事で当面は港の使用が禁止される。禁漁区、立ち入り禁止区域を明確にする為だな。その辺りの通達が済み次第解除はされるが、後二日は軍人であろうとも船に乗る事は禁止だ。それはラーグ国でも同様となる見通しだ」

「それは……」

「無論警備は厳しいが、神父一人ぐらいならば見て見ぬふりぐらいはしてくれるだろうな。龍神様の敬虔な信徒であるのなら尚更だ。日の出前ならば、第一埠頭に小舟程度はまだあるやもしれぬ」

「ありがとう、ございます」

「感謝される覚えはない。龍神様の怒りを買うようならば、我らはその者を貶め、長きに渡って愚者としてその名を語り継ぐだろう」

「全ては私が個人で為す事。ご迷惑はおかけしません」

「そう願う」

 席を立った宰相は、執事によって開かれた扉から外へと出て行く。

 その背に向かって、マクベリックは深々と頭を下げた。

 十分すぎる配慮だ。こちらも両国に迷惑がかからぬよう、拝謁が叶った際にはその点を明確にする事から始めるべきだろう。

 そう考えつつマクベリックが頭を上げると、執事が口を開いた。

「それではマクベリック大司教様。お部屋に案内致します」

「部屋?」

「こちらへ。お着替えも用意してあります」

 言われて見下ろしてみれば、酷い有様だ。

 出資している孤児院の子達の方がまだ綺麗な服を着ているだろう。こんな服装で良く登城しようと思ったものだ。

 思わず苦笑して、マクベリックは執事にも頭を下げる。

「ありがとうございます」

「いえ、私はそう命じられただけですので。こちらへ」

「はい。よろしくお願いします」

 ありがたい申し出に、マクベリックは素直に感謝しつつその後に続いたのだった。


 翌日。

 宰相の言葉に従い日の出前に小舟を得たマクベリックは、どうにかこうにか湖の孤島まで辿り着いていた。

 全身が痛い。這いつくばって息を整えるが、運動不足のこの身体にはそれでさえそれなりの時間を必要とした。

 既に日も高く、朝という時間帯はとうの昔に過ぎていたりする。

 対岸すら見えない湖上で、ひたすらオールを漕ぐというのは兎に角キツすぎた。精神的にも、肉体的にも。

「さて。つい先程契約を交わしたばかりの筈だが、これはどういうことだろうな」

 聞こえた声に、マクベリックは息を止め、すぐに身体を起こした。

 そこにいたのは美形の青年。着ている物こそ幾分か古さを感じるが、纏う雰囲気、その佇まいが威厳に満ちあふれている。

 膝をついたまま居住まいを正し、マクベリックは地面に額を擦りつけた。

「龍神様でしょうか」

「そうだ」

「お願いがあり、拝謁参じました」

 端的にそう言葉にして、龍神様の言葉を待つ。

 本来ならつける長い前口上を全て省いたのは、使徒様を見ていればこそだ。

 これで不興を買って殺されたのなら、仕方が無い。ただ、殺される前に両国は関係ない旨を告げさせていただきたいものだ。

 そう思いつつマクベリックが言葉を待っていると、聞こえたのは幼子の声だった。

「かーな、の」

「ん? あいつがどうかしたか?」

「かーな、の」

 顔を上げると、龍神様の横には神々しさを纏う幼女がいた。

 思わずマクベリックの呼吸が止まるほどの美しさ。龍神様には失礼に当たるが、神が幼子を遣わしたとするのなら、目の前の幼女のような姿形になるだろう。

「おい、カイナと繋がりがあるのか?」

「カイナ? ……もしかして、使徒様の事でしょうか」

 慌てながらも懐から包みを取り出し、両手で献上する。

「こ、こちらが使徒様より下賜された物です」

「ん~……、あぁっ。確かにこれで捌いてたな」

 幼女と共に、ナイフを確認する龍神様。

 神に対して自ら口を開くなど不敬極まると知りながらも、マクベリックは溜まらずに口を開いていた。

「あのっ。使徒様のお名前は、カイナ様とおっしゃるのでしょうか?」

「……使徒?」

「はい。国をお救いになられた、龍神様の使徒様です」

「その辺りを詳しく」

 龍神様に促され、マクベリックは語り始めた。

 昨夜宰相に語った内容と同じだ。だが幼女は常にニコニコと、龍神様は時に笑ってくれるので、語り甲斐がある、

 物語が中盤にさしかかる頃には緊張も消え、終盤にいたる頃には立ち上がって熱弁を振るうマクベリック。

 語り終え、熱が引き、慌てて頭を下げたマクベリックに、龍神様は愉快げに語りかけた。

「それで、我に許可を得に来た、と」

「恐れ多くも」

「いや、良い。中々面白そうではないか。なぁレンティア」

 龍神様の言葉に、こくこくと頷く幼女。

「それで、勿論使徒カイナの名前は残るわけだな?」

「龍神様さえ宜しければ、今回の出来事を語り継いでゆきたいとは思っていますが」

「はっはっはっ! あぁ、それで良いぞ。使徒カイナに、我が娘レンティアの名も連ねておけ。いずれそちらに世話になる事もあるかもしれんからな」

「世話に、ですか?」

「いずれ世を見る旅に出る事もあろう。我が宗教だというのなら、その時に手ぐらいは貸してやってくれ」

「勿論ですっ! そうですね、レンティア様は聖女と言う事で如何でしょう」

「聖女?」

「はい。龍神様のお子様という肩書きでも問題はありませんが、龍神様、聖女様、使徒様とした方が信徒も理解が早いかと」

「うむ。その辺りは任せる。好きにやれ」

「ありがとうございますっ!」

 自身が祈る神に認められる。

 聖職者として、これに勝る喜びなどない。

 そもそも、龍神足る超常なる方と話せる事自体が奇跡なのだ。普通に語らってはいるが、マクベリックの内心は常に感動に打ち震えていた。

 全て使徒様の思し召し。身命を賭してこのご恩はお返しせねば。

 開宗するのは、龍神教。御前の龍神様を神とする、現神を奉る宗教だ。聖典、法典を正しく定め、運用すれば、信徒は十分に集まるだろう。

 今ならば、使徒様の在り方を知る者も多い。正しき教義に正しき心が合わされば、多くの心を救え、導けるはずだ。

 全ては使徒様の、龍神様のお導き。

 正義は我らに有り。そう祈るマクベリックに、龍神様は「あぁ、だが一つ付け加えてくれ」と告げた。

「ハンバーグを我らが好む食べ物としてくれ」

「……はんばーぐ、ですか?」

「うむ。昨日来た料理人共はハンバーグを庶民が食べるクズ肉の寄せ集めだの何だの言っていたが、カイナが齎したそれは、極上の美味であった。あの料理人達の料理すら、物足りないと思えるほどにな」

「それはまた……。互いに国一番の料理人を連れてきた筈なのですが」

「遠く及ばんな。故に、我らはあれと同じか、あれ以上のハンバーグを求めている。一応レシピもあるが……」

「拝見させていただいても?」

「……まぁ、いいだろう。一度は試し、ハンバーグの良さを理解せよ。そして、より良い物が広まるよう努めよ」

「はい。……ですが、その目的でしたら両国の料理人に渡した方が」

「好物を侮辱されて不快だったのだ。察しろ」

「はっ」

 僅かに滲み出た不機嫌そうなオーラに、マクベリックは慌てて頭を下げる。

 龍神様を不快にさせるなど、料理人はどれほど愚かなのか。

「まずは、このレシピ通り作って試せ。そして両国の料理人にこれより不味い物は出すなと告げよ」

「はい。では、このレシピは後日返却に訪れれば宜しいでしょうか?」

「そのまま持っておけ。来るのはそれより美味いハンバーグを作れたときと、貴様等が困ったときだけで良い」

「はっ、ありがとうございますっ」

 龍神様の許可を得たどころか、庇護までいただいた。

 龍神教開宗にあたっての不安要素は皆無と言っても良いだろう。

 深々と礼をし、龍神様の許可を得て帰途につく。

 開宗にあたり、やる事は多い。改宗の手続きすら気が遠くなるほどの煩雑さになるだろう。

 だがそれでも、成功すると確信できる龍神教の開宗に、マクベリックは頬を緩めつつ慣れないオールを漕ぎ続けたのだった。


    △▼△▼△▼


 ある地域で始まった特定料理の向上運動。その結果、料理の質は向上し、料理人の質も上がる。他国から料理人が訪れ、その技能によって他の料理人達も更に技術を上げてゆく。その逆も然り。技術を求めて出国する料理人も多く、料理人の行き来が増大してゆく。

 それに伴い、現地での農業、酪農率も大幅に上昇。

 そして数年後。

 その地域で最大の勢力を有する教会が、料理対決を主催。何故か近隣各国の王族が観客として訪れた為、その料理大会は一躍有名に。

 更に数年後。

 大陸一決定戦と呼ばれる大陸最大の料理人の祭典。そんなイベントが毎年のように行われるようになるのだが……

 それはまた別の話である。

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