極上ハンバーグ老紳士風
今あたしの目の前にはボロボロの家屋がある。
営業中の札こそかかっているが、まぁボロボロだ。窓ガラスも割れていて、内側からベニヤが打ち付けられている。地面自体は綺麗に掃除されているんだけど、玄関の段階で床板に穴が空いていたり柱がへこんでいたりと、中々に痛めつけられている。
何故そんな建物の前にいるかと言えば、ギルドの酒場でどこが一番美味い店かを尋ねた結果だ。
同時に、『問題がある。関わらない方が良い』とも言われていたが。
美味ければ、店主がどんな偏屈だろうと問題なし!
そう判断して、蝶番に手を掛ける。
ガタつくが、ちゃんと回る。引けば軋みながらも扉は開いた。
店内は薄暗い。暗視慣れしているからあたしにはハッキリ見えるが、端的に言えば外観にふさわしい内装。と言うか、何もない。
テーブルや机は木材となって部屋の隅に纏められており、客が座れるような椅子はカウンターにある三脚のみ。その内の一脚はあからさまに傾いているのが哀愁をそそる。
料理の匂いすらないのは不安だが、ここは勇気を持って声を上げる。
「すいませーん!」
反応があったのは数秒待ってから。
カウンターの奥からガサゴソと音が聞こえ、薄く開いた扉から青白い顔が半分だけ覗いた。
こっちは気配察知に慣れてるから平気だけど、子供なら泣き出すか気を失ってるぞ。
「お客、さん……?」
「そーですよ。ギルド酒場でおっちゃんと息子さんから聞いてね。……やってる?」
「それは、まぁ、はい……」
なら良しとカウンターにつくと、ようやく女性が姿を見せた。
ボサボサの長い黒髪から垣間見えるのは、切れ長の瞳と深い隈。不健康そうな外見に高い身長が、今にも折れそうな枝を思わせる。
「あの、ですけど……ここは」
「どーでもいいからおすすめ一つ」
「あの……はい」
女性は諦めたようにため息一つ付くと、長い黒髪を後ろで束ね、棚から取り出したバンダナで頭を、マスクで口元を覆って冷蔵庫を開いた。
なるほど確かに期待できるかもしんない。
衛生に気を使うのは、貴族が使用するような高級レストラン、その中でも極一部だ。まさかこんな一領主が治めているような中小街でここまでちゃんとした準備から始めるとは思ってもいなかった。
そんな彼女が冷蔵庫から取り出したのは、三種類の葉の包み。それぞれに葉の種類は違うが、開かれた中にあったのは似通った肉のミンチだった。
肉の切り身ならまだしも、ミンチとなるとさすがに区別が付きにくい。赤身が多いか白身が多いか、色が濃いか薄いか程度で、何の肉かさっぱりだ。
女性はクズ魔石をコンロタンクへと流し込むと、魔力を流してコンロに火を点ける。流れるような動作でフライパンを乗せ、油を垂らす。そこまでやってから再度冷蔵庫を開くと、赤白緑三種類の野菜を取り出すと、カットを始める。
もう一つのコンロに火を点けたかと思えば、そちらは弱火で、乗せたのは鉄板。そちらにはそれ以上何もせず、フライパンへとカットした野菜を投入。このぼろ屋に、初めて食べ物の香りが流れ出す。
うん、良い感じ。野菜の焼ける音が心地良い。
店内が薄暗いこともあり、瞼を閉じてその音を聞き入る。と、パチパチと違う音が混じり始めた。
思っていたよりも意識を薄れさせていたらしい。瞼を開いてみればフライパンの野菜は鉄板に移されており、葉に包まれていた肉も片付けられている。
残っている肉は、彼女が右手から左手、左手から右手へと小気味良く移動させている一握りだけだ。
その作業を終えると、真ん中を凹ませて、フライパンへ。
ジュワーッっと言う音と共に、肉の香りが狭い室内に満ちる。
ヤバい。本格的にお腹減ってきた。
同時に期待もうなぎ登りだ。クズ肉を寄せ集めたハンバーグは珍しくも無いが、この店で、この調理を見せられて、結果クズ肉ハンバーグとさほど変わらない味なら泣いちゃうかも知れない。
一回ひっくり返してから蓋をして暫く待ち、また更にもう一回ひっくり返してまた蓋。瞼を閉じ、ひっくり返すときだけ目を開く様がまぁプロっぽい。
そして出来たハンバーグを鉄板に移し、カウンターへ。そしてフライパンに残った油は小皿に入った液体へと注がれ、数度かき混ぜてソースとして進呈される。
これが不味いはずが無い。
「どうぞ。……あの、パンとかは……」
「いい。兎に角食べさせて」
おずおずと差し出されたナイフとフォークを奪うように手にして、さっそくハンバーグの端を一口分カットする。
溢れ出る肉汁が鉄板に触れて匂い立つ。三種類のミンチを混ぜたのは分かっているが、この香りは、多分他の動物の脂身だけも混ぜてある。
観察出来たのはそこまで。
我慢の限界と素早く口へと入れただけで、あたしはもう幸せだった。
噛みたくない。口の中で溶けるなんて事は無いが、舐めて食べたいと思うほどの旨味。肉汁だけを味が薄くなるまで堪能したいところだが、喉が、胃が、肉を求めて自然と動く。
渋々一噛みしてみれば、ハンバーグを切ったときと同じ香りが一気にあふれ出す。その時点で噛まないなんて選択肢は無くなり、一瞬で一口目が消えた。
「あ~、ヤバい。これ今まで食った中で一番だわ」
「おう! 誰か来たって聞いたから来てやったぞっ!」
乱暴に扉が開かれ聞き苦しいダミ声が聞こえたが、今のあたしは寛容だ。不愉快な気分になることも無く、二口目をどれぐらいのサイズにするか悩む。
おかわりは既に決定だ。かといってこの幸せをぽんぽん口に出来るほどあたしは豪快じゃ無い。
どのサイズが最高の一口になるか。ソースもまだだし、付け合わせの野菜もある。こんなに美味しいと、どのタイミングで何をするがすら幸せな難問になってしまう。
う~ん、どうしたものか。
「何だクソガキかよ。どこの誰に断って飯食ってんだ――」
「汚いから離れてくれる?」
男の口元を右手で遮り、ナイフを持った左手をシッシッと振る。
と、男はぽかんとした後顔を真っ赤に染め、ペッとあたしのハンバーグに唾を吐いた。
はい。難問終了。
汚い笑い声を背にあたしは食器を置き、席を立つ。
「おねーさん、悪いんだけどまた一人前作っておいて。間に合うように戻ってくるから」
そう告げて開け放たれたままの玄関へ。
何故かついてこない三人を見やって、大仰にため息を漏らす。
「ついてきなさいよ。びびってんの? 腰抜け共」
こんだけ言えば実際腰抜けでもついてくるだろう。
爆笑する声が聞こえてきたが、、無視して通りに出て、店横の路地前で立ち止まって男達を待つ。
通りの先には衛兵が二人。貴族街への出入りを管理している者達だろう。こちらの様子が視認できないはずも無いのだが、関わってくる様子も無い。
店から男三人が出てきた事を確認して、路地裏へと入ってゆく。
クズが相手なら時間的な余裕は十分。何よりあんな男達の悲鳴とかで料理の邪魔をしたくなくて、奥へと向かう。
貴族街も近いと言うこともあってか、ぼろいのはあのお店一軒だけ。裏の家は両隣とも高い塀で囲まれているので都合が良い。
そこそこ歩いたところで足を止め、振り向く。
ニヤニヤと笑う男三人。
彼らへとあたしは、最高の笑顔を向けて見せた。
「じゃ、苦しんで死のっか」
△▼△▼△▼
鉄串を男の肩口に突き刺し、僅かに動かす。
すると男は、肺から漏れるような甲高い声を上げて上体を起こした。
そして自分の下半身を視界に入れ、現状を再認識し、涙と共に甲高い悲鳴を上げる。
「うん、うん。こうやって何度も起こしてあげるから、安心して苦しんでね」
「ゆるし、ゆるして……」
「ハンバーグより価値がないのに、あたしのハンバーグを汚したのよ? 許すはずがないじゃん」
もう何回目かになるか忘れたが、だいぶ短くなった男の足に右足を乗せ、潰す。
響き渡る絶叫。今までとは違って、今回は一発でまた気を失った。
既に四回目の気絶だ。疲労や出血の兼ね合いもあるんだろうが、情けないの一言に尽きる。まだ優しい部類の拷問だってのに。
ちなみに一人は脳天にナイフを突き刺して即殺。もう一人はナイフの毒で全身麻痺状態。この様子を見れるように壁に寄りかかるよう置いてあげたが、声を上げることも出来ずにただ泣いているだけだ。
それでは、落ち着いて食事する為に一手間。
麻痺った男に近付き、魔法袋から取り出した解毒薬をその口に突っ込む。
「ほら、弱い毒なんだからすぐ治るでしょ? 分かったらすぐ立て」
「はひぃ、はいっ!」
ふらつきながらも起立した男の右手首を握り、肩ほどの高さまで持ち上げる。そして、力一杯振り下ろす。
ブツリと音がして、男の腕が肘から取れた。
肩口から取れるはずだったのに、貧弱な身体だとこういうことがままある。まぁどっちでもいいんだけど、なんか失敗した気分だ。
男は千切れた部分を眺め、あたしが持っている手へと視線を移し、思い出したかのように絶叫を上げて転がり始めた。
「うっさいなぁ。……殺すか」
あえて聞こえるように呟くと、男はピタリと悲鳴を止め、フラフラと立ち上がった。
「よしよし。で、あんた他にも仲間いるんでしょ?」
投げかけにコクコクと頷く男。
声を出したら悲鳴になりそうなのだろう。汁まみれの顔に奥歯を噛み締めた表情が中々に滑稽だ。
「じゃ、ちゃんと言っておきなさい。『あたしの食事を邪魔したら殺す』って」
コクコクコクコクと全力で首を動かす男。
素直なのは良いことだ。
鷹揚に一つ頷いて、追加で釘を刺しておく。
「もちろん、今度は、皆殺し。分かったら行け」
「はいぃぃぃぃぃいいいいっ!」
返事の最後は悲鳴になっていたが、素直に走って行ったので黙って見送る。
「後は、ほっといても死ぬだろうけど……ま、満足したしね」
死んだ男の額からナイフを引き抜いて、両足が半分ほど潰れた男の額へと投擲しておく。
さて、楽しいお食事の時間だ。
あれだけ騒がしかったというのに、衛兵も近隣住民も寄ってこなかった。
あからさますぎて色々察せるが、あたしにとっては好都合なので問題なし。
店に戻ると、女性は驚いた顔をしながらもすぐにハンバーグを提供してくれた。
「あ、これ今日のお代ね」
「え? いや、でも……」
「迷惑料込みって事で全部貰っちゃえば良いから」
三つの革袋。当然あの三馬鹿の物だ。
それぞれ中身は少ないが、十人前食べてもおつりがでるだろう。
目標は五人前だ。パンもサラダもいらない。このハンバーグなら付け合わせすら不要。
ハンバーグを、兎に角このハンバーグだけを腹一杯食わせてくれ!
と言うことで、再度実食っ!
今度は最初からソースをかけ、一口大にカット。
先ほどの、肉! と言う香りもたまらなかったが、ソースに混ぜられたスパイスと果物のささやかな香りが、熱せられることで非常に食欲をそそる。
「それじゃいただきます」
ソースをたっぷりつけて、一口。
実質二口目なので一口目ほどの衝撃は無いが、ソースによる味の変化は感心できる程だ。
肉の味を損なわない濃さに甘み。僅かなスパイスは風味を際立たせ、ソースに混ぜられていたみじん切り野菜の食感がほどよい固さを演出している。
最高。思わず笑い出しそうだ。
「おらぁ! 舐めた真似しやがったのはどいつだっ!?」
「あは、あはははははははっ! あ~~……ったまきた」
また一口しか食べずに食器を置き、席を立つ。
元々の仕事柄、感情なんてのは抑制できて当然。だと言うのにこんなにも怒りが沸き立つ。
仕事をしてる頃はこんなことあり得なかった。たぶん、嬉しいとか幸せとか言う感情を抱くようになった事の反動なんだろう。
他人事のようにそんなことを思いつつ。入ってきた男達へと向き直る。
感情のままに殺す為に。
「おらあああっ!」
大剣を振りかぶる男。あたしは一歩踏み込んでその男の顔面をひっつかむと、店内に入ってきた男達を睥睨した。
数は八人。全員が冒険者っぽく武装しているところを見ると、話自体はちゃんと伝わっているのだろう。
「聞いてるならついてこい。ちゃんと殺してやる」
顔を捕まれた男は既にぐったりしている。握力を上げると小鳥のような鳴き声を漏らすので、多分まだ生きてはいるんだろうが。
男を引きずって外に出る。
素直に道を開いてくれて良かった。もし襲いかかってくるようなら、店内を血まみれにしていた筈だ。明日も食べれないとなると、非常に困る。
なので、一応。
「明日も同じ時間に来るから、ちゃんと店開いててね」
呆然とする女性へとそう告げて、外にもいた男達に顎で路地を示す。
店はボロだが立地は良く、大通りに面している。いくら馬鹿共でもこんな場所で始めようとは思わないだろう。
実際武器を抜いたり何か怒鳴ってはいるがあ、近付こうとはしてこない。こっちとしても、店の前を散らかしたら明日来たときちょっと不愉快な気分で入店する羽目になるので、すぐに始める気は無い。
とはいえ、本当に、どう殺してくれようかと言う気分だ。
思わず握力を上げてしまったが、手の中から漏れていた声は既に無い。見下ろしてみれば、既に事切れているのが明らかな有様だった。
ポイ捨てしたいが、美味しいお店の隣では良心が痛む。
なのでちゃんと先ほどの死体が転がっているところまで辿り着いてから、手を離した。
それを待っていたかのように襲いかかってくる男達。
路地裏としてはかなり広いが、一度にかかってこれるのは三人が限度。全方位から襲われても危険が無い練度と言うこともあり、あたしは冷静にその頭を殴り爆ざす。
「いてっ」
「なんか飛んできたぞおい」
頭部を失った三つの胴体は、その場で暫く揺れた後、仰向きに倒れた。
頭部の破片やら何やらはだいぶ後ろまで跳んでいったらしいが、目に見える範囲の男達はただぽかんとした表情。初めてこの力を見る一般人がする共通の表情と言える。
<三奪>では、爆笑する人の方が多かったが。
あたしに暗殺者としてのセンスは無かった。魔術も使えない。秀でた点が無ければ<三奪>の幹部には追いつけない。
だからあたしは、身体能力を鍛えるしか無かった。才能もセンスも無い以上、<三奪>に所属しつつ生き延びるには肉体を鍛える以外の道が無かったのだ。
魔術は使えないが、気配の操作を覚える段階で大抵の者が魔力操作を覚えることが出来る。魔力の放出は出来ずとも、魔力操作の精度を上げれば部分的に筋力を強化できる。
その結果がこれ。
万力で潰したように殺せるようになったから、あたしは『万力』などと呼ばれていたのだ。
「もう汚れても良いから派手に殺すけど……ゴキブリは巣も含めて綺麗に片さないといけないから、ちょいと面倒か」
数はいるので、片っ端から殴って潰す。
基本は顔。たまにボディを殴るのは、生きてたら後で情報を引き出そうと思ってのことだ。
残り二人まで殴ったところで動きを止める。
十四回殴って、内四回はボディを殴ったのだが……振り向いてみれば、頭がついている四人は腹を抱えた状態で死んでいるのが見て取れた。
かなり加減したってのに情けない。
というか、死体を吹き飛ばさないで殴った部分だけ爆ぜる威力で殴る、と言う時点でかなりの技術と手加減が必要なのに……更に手加減してこのざま。その分頭を爆ざさした奴よりは数分苦しんだだろうが。
ちなみに、生き残っている二人は腰を抜かして声すら発していない。代わりに聞こえるのは奥歯の重なるカチカチとした音だけだ。
「さて、それじゃああんたらの巣を教えて欲しいんだけど」
「す、す、す……? あ、あぁ、あ、あじ、アジトは、りみ、りみ、リミック、商会、です、す」
「何それ。大通りで店開いてんの?」
あたしの投げかけに、全力で首を振る二人。
素直で結構なことだ。
「もういち、いっこ、奥の路地に、あるます」
「しょ、商業ギルドで、の、仕事で、はい。です」
「リミック商会ってのが分かりゃあいいわよ。後は……そう、今日来てない仲間とかいんでしょ? 居場所が分かる資料とかは?」
二人は一度顔を見合わせると、一人が首を振った。
「知らない、です。知りません」
「そ」
男の頭を蹴り飛ばす。
手加減控えめだった為、頭が爆ぜながらもその身体は両脇の塀よりも高く浮かび上がり、ぐしゃりと落ちた。
「で?」
「いち、一階の、おく、奥ですっ!」
「ん。ご苦労さん」
「や、ころさな」
パンッと乾いた音をたててその頭を蹴り爆ざし、路地を出る。
あれだけビビってて、リミック商会とやらの従業員じゃないと言う事は無い筈だ。
通りには人がいない。通りの先には相変わらず衛兵二人が立っているが、衛兵である以上権力の犬。下手に関わらない方が良いだろう。
地面を見れば、通りの先にある路地へと続く血痕。
一人生かして帰した奴のものだろう。こんなことは想定していなかったが、これで迷わず目的地にはたどり着けそうだ。
△▼△▼△▼
「案外良い建物じゃない」
リミック商会にたどり着くまで、十分とかからなかった。
看板があるわけでは無く、大通りといえるほど広い道に面しているわけでも無い。立地的には貴族街から近いながらも、路地裏が重なるような場所にある為周囲の建物は幾分安っぽい。
そんな中で一際立派な建物へと血痕が続いていた。
王都等の人口密集地に建つビルという建物に近い。三階建てで、一階部分からは二階に上がる階段が見えている。
その階段の左側には一室あり、その扉へと血痕が続いている。ちなみに逆側にはそこそこ広いスペースがあり、今は馬車が置かれている。馬車につながれた二頭の馬は、酷く居心地悪そうだ。
飼料も何も無いので、来客の馬車なんだろう。良く大通りでもないこんな道を馬車で来ようと思ったものだ。
「さて、と。<三奪>時代なら人が少なくなるタイミングを見計らうんだけど、今回は殲滅が目的だしね」
瞼を閉じ、魔力を両手に集めてパンッ! と辺り一帯に響くほど打ち付ける。
あたしが唯一使える魔術っぽいもの、<探査>だ。音の発生時から魔力を乗せることにより、周囲の建物、人などをかなり詳しく立体的に把握できる。
難点は音が届く範囲限定という点。当然標的がいたとしても<探査>を使えばその音が相手に聞こえてしまうので、事前に地形を把握するとき以外の出番がなかった技でもある。
今回は別に、相手が脅威でも無ければ見つかって困るわけでも無いので問題ない。
「壁は見た目ほど厚くない、か。二階がなんか色々置いてあって、三階の奥だけ厳重、と。中に何人いるか分からないけど、見張りが二人立ってるだけだし……裏の脱出路にだけ細工しとけば良いかな」
内部の様子は大体視えたが、三階奥の二部屋だけは全く感知できなかった。客らしい姿も感知できなかったので、見張りが二人いる部屋が商談部屋、もう一室がボスの部屋ってところだろう。
非常階段はその二つの部屋から伸びていて、途中で合流、地上の敷地まで続いている。
「ん~、貴族かぁ。仕留めちゃうか、帰るの待つか……どーしよっかなぁ」
思いっきり響かせた柏手では誰も出てこなかったので、この後どうするかを悩みながら壁を乗り越える。
リミック商会の土地を覆うように建っている高さ二メートルほどの外壁だ。魔術的な防犯機能を備えているわけでも無いので、問題なくひとっ飛び。
「鎧の紋章までハッキリ見えればどこの家か分かるんだけど……いや、調べるのも面倒いなぁ。明日のこの時間にはまったりしてたいし」
商談部屋の前に立っていた見張り二人。その内の一人がフルプレート装備だった。馬車で来て、そんな護衛を付けている時点で九割方お貴族様って奴だ。
残る一割はかなり金のある商会長が護衛に冒険者を雇っているパターン。ただし、こんな胡散臭い商会にわざわざ来ている時点で、その可能性は極端に低い。
冒険者は所詮外部組織。機密保持の観点から見ても、そんなものを雇ってここに来るとは思えない。
「ま、仕留めちゃうか。全員殺せば一緒だし」
無理に殺す必要は無いが、丸ごと殺せば逆にバレにくい。リミック商会に敵対している組織の犯行とでも纏められるはずだ。
そんなことを思いつつ、糸ほどの細さで作られた鋼線を階段に仕掛ける。
非常階段最後の段、そこにだけ足首、腹、首の高さで引っかかるように三本張る。
身体能力に自信があるなら途中で飛び降りるだろうが、貴族と商会長だ。この程度の仕掛けで十分だろう。
「よし。それじゃあ折角だから<三奪>時代は出来なかったやりかた、やってみよっかな」
店舗正面に戻り、フェイスガードで目元まで覆う。
そして、ちょっとワクワクしながら魔法袋から二本の試験管を取り出す。
中に入っているのは薄い青の液体と、薄い緑の液体。両方共にそこそこの毒物なのだが、混ぜると揮発性の劇物になるという非常に面白い性質を持つ。
この前受けた仕事でその話を聞き、試してみたかったのだ。でなければ、こんな単品では効果がいまいちな毒物など所有しはしない。
一階のドアノブを回すと、案の定鍵はかかっていなかった。
腕をちぎられた奴が来たり、出ていった奴がいたりと、鍵を閉める余裕もなかったんだろう。
扉を開き中を覗くと、訝しげな顔でこちらを見る男達。
その中の一人、今にも死にそうな顔色で一番奥のソファに寝ていた男だけが目を見開き、鼓膜が破れそうなほどの絶叫を上げた。
彼は巣までの道のりを分かりやすくしてくれただけで無く、他の奴らの注意まで引きつけてくれるなんて、良い仕事をしてくれるものだ。
手早く試験管の中身を混ぜ合わせ、部屋へと投げ込む。
一瞬で泡立ちピンクの煙があふれ出したのが一瞬見えたが、劇物と聞いていたので即座に閉める。
「そう言えば、あの量で足りるのかな?」
『混ぜればヤバい、効果は一、二分』とだけ聞いて、安かったから購入した物だ。どれくらいの範囲に効果があるのか聞いた覚えが無い。
まぁ今更か、と思い直してドアノブを握る。
煙が溢れるようなら、逃げ場は扉か窓の二択だ。抵抗があることは予想して、ドアに体重をかけるが……扉越しに聞こえた暴れるような音はほんの数秒で消えて無くなった。
「……冗談でしょ」
予想を遙かに超えた効果に、どれくらいぶりかの冷や汗が流れる。
念のために五分ほど待ち、扉を開けてみれば室内には死体が転がっているだけ。
それも全身を二倍ほどに膨らませ、穴という穴からピンクの泡を吹き出した、異形の死体。
「これは……そりゃ、二度と作らないしレシピは捨てるっていう筈だわ。あの錬金狂人、良く死なずに済んだわね」
即効性もヤバければ、このすぐ無毒化する点もヤバい。愛国者や狂信者がこんな物を手にすれば、一夜ともたずに滅びる国家や組織が続出することだろう。
さすがにこんな物はもう使わない。ストックもないし制作者が封印したから手に入れるすべも無いけど。
「ま、まぁスムーズに殲滅できたから良かったって事で」
そっと扉を閉める。
騒がしくして三階の連中に危機感を抱かせれば、逃げられる可能性もごく僅かだが存在したのだ。その危険性が無くなったんだから、あたしの行動は間違っていなかった。
うん。屋外で使わずに済んで、非常に良かった。最小で、最善の犠牲だったわけだ彼らは。
なむ。
「いやぁ、毒ガス系は暗殺ギルドでも嫌われるわけだわ。<三奪>在籍中にやってたら幹部連中に殺されてたかも」
効果が酷すぎたので、冗談抜きで殺されてた可能性がある。
まぁ、錬金狂人と出会ったのが<三奪>壊滅後なので、まずそんなことはなかっただろうけど。
「っと……あの二人、真面目ね」
二階をスルーして三階。探知をしたときと同じ位置で、しっかり扉の前に立っている二人を目に少し感心する。
騎士の方はまぁ当然というイメージだが、逆立てた金髪に複数のイヤリング、ネックレスと言ったいかにもなチンピラ姿も騎士と同じようにドッシリと構えている。そんだけちゃんと出来るなら、見た目どうにかしろと言ってやりたい。
どうせ殺すから見た目で差別なんてしないけども。
「ここは普通にやるか」
懐から投げナイフを取り出し、片手で二本同時に投擲する。
見た目通りちゃんと警戒していたなら対応できるはずなのだが、ナイフは反応のはの字も無い二人の側頭部に抵抗なく突き刺さった。
崩れ落ちた二人へと近寄ってみれば、全く同じキリッとした表情。目を開けたまま寝てた結果がこれなのかもしんない。
二人を蹴ってスペースを確保し、扉を叩く。同時に<探査>を発動させて内部の様子を確認。
一対一で会話してるのかと思いきや、それぞれの椅子の後ろには一人づつ立っている。
室内に残されただけあって、本命の護衛はちゃんと出来る部類っぽい。ぽいだけで、ノックの瞬間に攻撃なり逃走なりの行動に移れていない時点で、良くて一般人基準の凄腕どまりだろう。
カチリと鍵が開かれる。
あたしは大きく息を吸い。
「まいどー! ハンバーグ屋さんからのクレームですよーっ!」
扉を開き、声を上げつつ左右の護衛へとナイフを放つ。
悪の頭領と言った風体の男、その護衛は二メートルを超える巨漢。
如何にも良い身分と言った風体のデブ、その護衛は背筋が伸びた老執事。
彼ら二人は不意打ちと呼べる初撃にちゃんと対応して見せた。
巨漢は左腕でナイフを防ぎつつ突進、老執事は両手に計六本のナイフを現わし投擲してくる。
悪くは無い対応だ。及第点にはほど遠いが。
狙いが正確な六本のナイフを横に跳ぶだけで回避し、突っ込んでくる巨漢の右足を左足で蹴って前進を止め。軽く跳躍して顎を蹴り上げる。
「へえ」
今までの雑魚とは違い、巨漢の頭は爆ぜず、蹴りの衝撃で身体が浮かび上がることも無かった。
「うん、良く鍛えてた。誇って良いよ」
死んだけど。
下顎を眼球にまでめり込ませ、ゆっくりと倒れてゆく巨躯から残る三人へと視線を移す。
パッパと片付けて明日はハンバーグ、ってつもりだったのだが……問題は老執事だ。攻撃してくる様子は無いが、右手で隠すように握られているのは分銅鎖。
投げナイフの技術もそうだが、そんな暗器を持っている時点で、執事ではなく暗殺者ギルドの人間であるという可能性が高い。
<三奪>から抜けて食べ歩き旅を満喫しているというのに、そんなところと敵対することになったら……そう考えただけで妙な苦みすら感じる。
暗殺者ギルドを簡単に言えば、殺しだけを請け負う冒険者ギルドだ。<三奪>と比べれば何段も劣る組織とは言え、ギルドは大陸の各地にあり所属人数に至っては殺し屋業界最大。
そんなところに標的として張り出されたら、年単位で安眠妨害されること必至だ。
さすがにこの展開は予想していなかったんですけども。
「ぼ、ぼう、ぼぼ、ぼぷおぅ……」
「犬の真似してんじゃ無いわようざったい」
ドンっぽいのを蹴り飛ばす。
今回は最適な手加減で、男の顔は大きくひしゃげながらも爆ぜることは無く、ふわりと浮いてソファの後ろへと落ちた。
あいたソファへと腰を下ろし、眉間を押さえる。
さぁどーしたもんか。
「は、はっはっはっ。丁度貴様の話をしていたところだ暴王よ。年若い女性だとは思いもしなかったがな」
デブが何か話し始めたが、脅威でも無いので放っておく。
問題は奥の老人の方だ。
「ちなみに先ほどまでの話は単なる冗談だ。地獄耳というのはあっていたようだが、理性の無い獣というのは耳にした噂にすぎん」
老執事を殺すこと自体は造作も無い。
ただ、証拠を残さずに始末するというのが難しい。
あいつら、弱いくせに人の足取り掴んだりする事だけは異様に上手いから厄介だ。暗殺者ギルドじゃなく嫌がらせギルドに改名した方がいいと思う。
「さて、では商談に入ろうか? その席に座ったと言うことは、話があると言うことだろう? 折角の機会だ。私としても頼みたいことがある」
老執事を殺すと後々うざい。
となれば懐柔するか口止めするかぐらいだけど……。
チラリと老執事を見てみれば、暗器をしまってデブの後ろに立っている。
熟練の執事を思わせるその雰囲気からは、金で動くような人間に見えない。
「ふむ、私から話して良いようだな。このタイミングで来たのなら大凡を把握しているのだろうが……一応伝えておこう。貴族街周辺の土地は大体は抑え終わっている。三日後からはキラリム、モルテンの私兵が到着し、順次詰めてゆく予定だ」
なら拷問して口封じだけども……暗殺者ギルドに復帰できる程度の拷問となると、従順になるまで最低三日は欲しい。
「三日か……」
三日も行方不明の時点で、既に足が付いているも同然だ。
それなら一週間掛けて人形にして、暗殺者ギルドへと弁明に向かわせた方がマシな気がする。
「そう、三日後からだ。貴様が協力するというのならば、三日後の時点で仕掛けても良いのかもしれんが、家同士の繋がりというのもあるのでな。決行は七日後。これは変えることが出来ん」
けど、腐っても暗殺者ギルド。言いなりの人形なら、すぐバレるだろう。おそらくその頃にはあたしの存在も把握されているだろうし、一時しのぎにもならない気がする。
ん~、難しい。
勢いで殺して明日のハンバーグまで一件落着で済ませたい。
「リミックを殺されたのは痛いが、まぁいいだろう。無論この商会は貴様の物だ。ただ、こちらが用意した物資に関しては事前の取り決め通り納めて貰う。数日とは言え兵を養うには必要な己だからな。それで、この商会以外にも貴様の要求があるというのなら」
「うっさい」
コスンと小気味いい音がして、あたしは慌てて顔を上げた。
反射だったのだ。悪気はないし、あえてどっちが悪いかと言えば、ずっと五月蠅かったデブが悪い。
そのデブは、今まで悩み続けていたあたしの苦悩をあざ笑うかのような笑みのまま額にナイフをはやし、ソファの背もたれに倒れ込んだ。
「あ~……やっちゃったぁ……」
『お前は考えなしに殺しすぎだ』。そう言った幹部の顔を思い出す。
敵だから殺せば良いじゃん、と言った考えは今もあるが、生きてた方が便利な敵もいるって事は、一人旅をするようになってから痛感した。
だからちゃんと考えて、あのデブには触れないでおいたのに……。
「もーいいや。爺さん目的は何?」
開き直って背もたれに寄りかかる。
「暗殺ギルドでしょ? そんなデブが暗殺者ギルドの要人とは思えないし、何が目的でデブのお供してんのよ」
「え? いえ、今までの話を聞いておられたならそのような感想は抱かない筈ですが……」
あからさまに戸惑った様子で老執事はそう呟いた後、一つ関払いをして背筋を伸ばした。
「この地域の暗殺者ギルドは加担しております。その、男爵が主導する、クーデターに」
老執事はそこまで言ってまた咳払い。一度胸に手を当てると、緊張が解けたように頬を緩めた。
「貴女相手なら問題ないようですな。知り合ったばかりならば知人でないのか、契約後ならば知人の枠に入らないのかは分かりませんが」
「何の話?」
「確かに私は暗殺者ギルドに所属しておりますが、ルイウィスト連国所属です。同業者でしたらこれでご理解いただけますかな?」
「地方じゃなくて中央の暗殺者ギルドに所属してるって事ね。別に違いがあるとは思えないけど」
「ほっほっ。この国では、その違いが大きいのですよ。国が関わっているか否かは、在り方に大きな違いが生じますので」
他国の人間にしてみればどーでも良いことをにこにこ告げてくる老執事。
デブの依頼主に相当ムカついてたんだろうか? それでも依頼失敗ならしかめっ面にはなりそうなものだけど。
「って、国が絡んでる? 暗殺者ギルドでしょ?」
「他の国も多かれ少なかれ絡んでいるでしょう? 我が国ではルイウィスト中央都暗殺者ギルドが国家の暗部を担う程度には密接な間柄というだけですので」
「それはまた。入る条件が厳しそうね」
「貴方様でしたら無条件でございますよ」
「んなめんどーなもんに関わる気は無いわよ。……それで? あんたが請け負ってる依頼は?」
「このイスト州での不審な動きに関する調査を」
「そのデブがごちゃごちゃ話してたけど……調査終わってんじゃないの」
「えぇ、とうの昔に。そこでご相談なのですが、どうか報告をお願いできないでしょうか」
「うん。てめーで行け」
当然の返しに老執事は苦笑すると、胸元を開いて見せた。
タキシードの下にあったのは、枯れた肌。そして、血で描かれたような真っ赤な入れ墨。
「このような立場ですので」
「ん? 中央の暗殺者ギルドだからじゃなくて、そのデブにやられたって事?」
「えぇ。情けない話ですが、この者の子飼いに一人手練れがおりまして……」
「な~る。報告できないように契約で縛られてるってわけね。……たっかい金出してよーやるわ」
契約魔術は奴隷に対してよく使われるので、その紋は奴隷印と呼ばれる。
従来の奴隷印ならば手の平サイズなのだが。老執事の胸にある紋はかなり大きい。それだけ縛りの内容が多く、同時に契約魔術施行時の金額がとんでもなかったという証拠だ。
「偽の情報を流す為に、色々と縛られましたので。面識のある相手にクーデターに関する話が出来ず、書き取りも不可能。本部から来た者にも嘘の情報を流すしか無く……貴方様にお願いするしか」
「あのねぇ。……暗殺者ギルドなのにそれの対処すら知らないの?」
「対処、ですか?」
「ウチなら一年在籍した奴の必修だったんだけどなぁ。……解除してあげるから、そのまま立ってて」
「は、はい」
嫌な予感でもしたのか注射を打たれる前の子供みたいな表情を一瞬見せたものの、ちゃんと起立した状態を保つ老紳士。
その前に立ち、右手を印に触れる。
万が一はあるので、出来れば自分でやって欲しいんだけども、仕方が無い。
「ふー…………はっ!」
右足の親指から足首、膝、腰と右手に至るまでの関節をひねり、最後に触れている右手を僅かに押し出す。
だがそれだけで老紳士の身体は大きくたわみ、吹き飛び、壁にぶつかって崩れ落ちた。
その瞳孔は完全に開ききり、半開きの口からはよだれが落ちる。詳しく言えば下の方も漏れているが、死んだ人間は大体そうなるので見ていて『きったないなぁ』と思う程度だ。
それから一分ほども待つと、老紳士は「ギュヒィ!」と音を立てて空気を取り込むと同時に大きくむせ込み、それが落ち着くと子鹿のように身体を震わせながら立ち上がった。
「な、何を……ごふっ」
「魔術が使用者の魔力を使って発動するのと同じで、奴隷印は施された者の魔力を使って効果を維持してる。つまり奴隷印を維持する魔力を一時的に減らしさえすれば、印自体は消えるのよ」
「……まさかっ」
老執事が胸元を確認してみれば、勿論印は消えている。
青アザも無いのは、ちゃんと衝撃を心臓にだけ絞ったからだ。壁にぶつかっていたので、背中とかには青アザあるかもしんないけど。
「あの、感謝いたしますが……つまり、私を殺したのですか? 一時的に」
「そうよ。すっごい気を使うから、自分の心臓ぐらい止めれるようになっときなさいよ面倒くさい」
「自分の心臓を止めろ、と言われましても……」
「どれだけ心臓を止めていても無事か、動きに支障が出るのは何分か。殺し屋ならその程度の把握は当然でしょ? それ以前の事すら出来ないってどーなのよ」
「……申し訳ございません」
まぁ老人に言うのは酷だが、その年齢までやれていた時点でそれなりな筈なのだ。
今更そんな初歩を不可能なことのように言われてもあたしが困る。
「じゃ、これで問題ないわよね? 兎に角この件にあたしは関わってなかったって事で上手く纏めて」
「……はぁ。いえ、ですが貴女はこの件を知って干渉してきたのでは?」
「クーデターとか言ってたの? きょーみないない。ここの三下が食事の邪魔したから潰しに来ただけだし」
「は?」
信じられないモノを見るような目を向けられるのは心外だ。
食事を邪魔されれば、誰だってムカつく。その食事が美味ければ殺意が湧いて当然の筈だ。
「あのね、あたしは凄く美味しいハンバーグを食べてたの。それを、二回も邪魔された。そりゃあ殺すでしょ?」
「はぁ……」
「なんかピンときてないみたいだけど……ん~、例えば蚊に刺されるでしょ? その蚊は殺すし、もし見えるところに蚊の巣なんてのがあったら全部潰すでしょ? そー言うこと」
「蚊は巣なんて持ちませんが……まぁ、はい、言いたいことは何となく」
「ならよし。兎に角あたしの存在は公にしないように」
「それは構いませんが、せめて連絡先を教えていただけませんか?」
「断る」
馬鹿な要求を一言で絶ち、非常階段への扉を開く。
結局使わなかったワイヤーを回収するのだ。普通に設置したが、視認しにくくて強度も高い鋼線なんてのは市販されていない。何気に貴重品なのだ。
「あぁそうだ。この商会の奴を皆殺しにしたつもりなんだけど、他に生き残りがいそうな場所ってある?」
「他は男爵の家に護衛として派遣されている者達ぐらいでしょうか。子会社などを含めればかなりの数がありますが、リミック商会に限るのでしたらそれだけかと」
「そ。その男爵って、何って家?」
「リグルード・ディ・ボルワージュ男爵でございます」
「はい了解。じゃあ後始末やら諸々は好きにやって。あたしはただ食べ歩きしつつぶらぶら旅してるだけ。その邪魔をしなければ何しても良いから」
「かしこまりました。ありがとうございます」
深々と頭を下げる老紳士に軽く手を振って、非常階段を下る。
なんか裏では色々あるらしいが、あたしはのんびりハンバーグを食べれる環境を作れればそれでいいのだ。
なので次に向かうはデブ男爵のお家。
これ以上回る場所が増えないことを願うばかりだ。
△▼△▼△▼
と言うことでデブ男爵のお家。
名前を忘れたので一回老執事の所に戻った時はちょっと恥ずかしかったが、早く仕事を片付けたいのでやむなしだ。
さすが貴族と言うだけあって豪邸。男爵にしては大きすぎる気もするが、悪いことしてたと考えれば妥当なんだろう。
広大な前庭に、見劣りしないだけの母屋。更に左右には離れが存在し、渡り廊下でつながれている。
老紳士に聞いたところでは、派遣されているのは二十人。昼が十二人、夜が八人の体制で警備に当たっているらしい。他にも獣魔が何匹いるだの一人ヤバいのがどーちゃらこーちゃら言っていたけど、まあ殺す人数が分かればそれで十分だ。
夜になるまで観察したところ、護衛が寝泊まりしているのは屋敷を正面から見た時の右手側。右の離れが丸々護衛用にあてがわれているんだろう。右の離れ以外に出入りする様子が無い。
なので本家はノータッチ。デブ貴族は殺してしまったが、標的はなんちゃら商会の手下だけだ。
外側だけでは判断はつかないが、見た目通りなら左側の離れ同様の内装。一回が広間でキッチントイレ付き。二階が六部屋で多分寝室。
見張っている間に八人と交代で六人出てきたので、おそらくそいつらが夜勤。聞いた話より何人か少ないが、真面目にはほど遠い外見ばっかなのでそー言うことなんだろう。
よしよしと犬っころを撫でつつ、何となく時間を潰す。
この犬っころ、敷地に入って一番最初にあたしを察知した優秀な奴だ。いきなり吠えなかった賢さに免じて、敷地端の茂みでちょっと教育。その結果、今は腹を見せてもっと撫でてと尻尾を振る可愛い超大型犬に。
この子が一匹ずつ仲間を連れてきてあたしに挨拶させてくれたから、こうしてのんびり出来てる。
本当に可愛いし持って帰りたい所だけど、あたしに動物を育てる甲斐性は無い。
うん。後であのなんかする気の老執事に、この子達の手厚い保護をお願いしておこう。
「じゃ、そろそろやろっかな。お友達呼んで?」
賢いこの子はちゃんと言葉が理解できるらしく、「ヴォフ」と小さな声で吠えると屋敷の方へと走ってゆく。
巨大犬の動きに見張りが不思議に思って寄ってくるかも知れないが、それはそれで好都合。
あたしは魔法袋からかなり大きめの革袋を引きずり出し、地面に置く。
現在地はあの子を躾けた敷地端、壁沿いにまで手が回らないのか木が生い茂っている為、遠目で発見される恐れは無い。
なので革袋から取り出した肉を、警戒もせずに適当な大きさに切ってゆく。
グリーンサウルスの尾肉。市場には滅多に出回らないような高級肉で、あたしの勿体ない精神がざわつくが、可愛いあの子の為なら仕方が無い。
もう一袋取り出して、更に四等分。八頭もあのサイズがいるのでそれぞれにとっては間食にもならない量だろうけど、そこは味で勘弁していただきたい。
ちなみにこの肉が入っていた革袋、それぞれに『正義の味方』『罪には罰を』なんて刺繍が入っている。
当然、あたしの趣味じゃない。魔法袋にギリギリ入る幅で、かつ肉が収まるくらい長い革袋なんて限られていて、そこではこんな刺繍の入ったやつしかなかったのだ。『我が名は暴王』とか『正義執行』とか、そんな刺繍よりはまだマシかと思い渋々買ったに過ぎない。
だから今はもう肉の下敷き。ちょっと勿体ないけど、もう持ってくつもりは無い。
「ヴォウッ」
「おかえり。じゃあ一人一切れね。足りないだろうけど、それで我慢して少しおとなしくしてて」
あたしの言葉に賢いこの子達はちゃんと一切れずつ口にしてゆく。
そんな中、さっきまで撫でてた子だけが肉では無くあたしへと近付いてきた。
「クゥ~ン……」
「ふふっ、良い子ね。……ありがとう、さよなら」
頬を重ね合って優しく撫でる。
ずっとそのままもふもふしていたい誘惑を振り切って、あたしは駆けだした。
もふもふは最高だった。けど……それより幸せになれるハンバーグがあたしを待っているのだっ!
夜回りの警備は、ハッキリ言ってザル。貴族街の警備なんてのは基本そんなものだが、チンピラが警備の時点で仕事ぶりの酷さは推して知るべしだ。
正面門の二人は並んでお喋り。何かあったときにすぐ反応できるようにと配置だけはしっかりしているが、本家玄関へと続く中間地点の一人は噴水に腰掛けて睡眠中。更に玄関の三人は段差に腰掛けてカードゲームに興じているザマ。
並んでる二人には、その首にワイヤーをかけて一気に跳ね飛ばす。中間地点の一人は後頭部に足を掛け、地面にグシャリ。そのまま駆けて、玄関の三人には投げナイフを投擲してさっくり仕留める。
「……貴族の屋敷でこんなに楽だと不安になるわね」
ナイフを回収しながら思わずぼやく。
<三奪>時代の仕事でこんな楽だったことは数えるほどだ。その数回も、大体が殺し屋を油断させる為の餌。
その餌でさえ、ここまで酷くは無かったんだけど。
「まぁ、今回は欠片も警戒されてないから、こんなもんかもか」
<三奪>に依頼される時点で、大体は心当たりがあって自衛行動を取っている者ばかりだった。奇襲になっている今回を<三奪>の仕事と同じにすべきではないんだろう。
玄関の三人だけ、懐に入った革袋を没収。
ゲスということなかれ。大枠で言うのなら喧嘩を売ってきたのはこいつらで、これは勝者の報酬なのだ。
他に何か無いかちょっと触ってみたが、見事に何も無い。
しけた奴らだ。
他に誰もいないので、普通に歩いて右手の建物へ。
扉の前で一度立ち止まって中の音を確認するが、騒いでいる様子は無い。
チンピラの集団なら、起きていれば騒ぐ。それ以外は寝ていると言った印象だ。なので静かだと判断した段階でおもむろに扉を開く。
そこには欠伸をしつつ歩いている男がいた。
咄嗟に懐から引き抜いたナイフを放つ。
それに対して男は、驚愕の表情を見せつつも半身を下げて回避。
「テメ」
声を上げようとする男へと一足跳びで近付き、側頭部へと右足を蹴り放つ。
加減してない一撃だ。
だが男は、左腕で頭部を守り、半歩蹴り飛ばされただけで踏みとどまった。
「ちっ」
声を上げる余裕も無いと判断したのか、男は唯一身に纏っていた装備、腰に佩いた剣を引き抜き、
「はいおつかれ」
放った左拳が男の頭部を弾き飛ばした。
ゴンと音を立ててひしゃげた頭部が壁にぶつかる。頭部につられて飛んでゆこうとする胴体は咄嗟に掴んだのでそれ以上の音は無かったが……
「……大丈夫、か」
暫く待っても他に音がしないことを確認して、あたしはその胴体を横たえた。
あの老紳士が言っていたのはこの男のことだろう。
確かに良い反応をしていたし、普通の蹴りをちゃんと防げただけでも練度はうかがい知れる。タイミングが良かったおかげで楽勝ではあったけども、まともにやっていたらそこそこ手間取った可能性が高い。
少なくとも、<三奪>を抜けてからは屈指の実力者だ。<三奪>時代なら、記憶に残らないその他大勢の敵に分類されるとはいえど。
「さて。それじゃあちゃんと仕留めてきますか」
後はもう流れ作業のようなものだ。唯一気をつけることがあるとすれば、夜勤三人の財布抜き忘れぐらいなものだろう。
ちなみにだが、当然屋敷の物には手を着けない。
敵だから、勝者の権利として物品はいただく。貴族は別に敵対したわけじゃないから物は取らない。
そう、あたしはちゃんと道理を守れる普通の旅人なのだから。
△▼△▼△▼
「あの、こんなにはいただけません……」
「それは貴女の価値でしょ? あたし的にはそれだけの価値があるんだから気にしない気にしない」
翌日、ハンバーグ屋さんにて。
カウンターに並べた複数の革袋、その内一つの中身を見て小刻みに震えだした女性へと、あたしはピコピコとフォークを振ってそう返す。
革袋は全部昨日掃除した奴らが持っていた物だ。
中身は確認してないし、全部銅貨でもちょっと勿体ないなぁ感はあるけども、ハンバーグを食べてるウチに自然と取り出してしまっていた。
もう、それだけ美味い。
そもそも、今この時間を満喫する為にちょっと頑張ったついで。幸せな味を提供してくれた彼女に還元するのも悪くない。
と言うか、三皿目を食べた瞬間、もう全部渡すと決めたのだ。
あたしは大食漢じゃない。だから二皿目が終わったときにはそこそこお腹いっぱいで、でも無理してもう一皿食べる気だった。舌が味を求め、胃袋が『仕方ないからもう一皿だけ』と無理矢理スペースを空けてくれた感じで。
そして運命の三皿目。
まず違ったのは匂い。肉の香りが僅かに薄れ、付け合わせ野菜の香りが妙に強くなっている。まずはハンバーグと一口含めば、少しがっかり。舌がもう慣れてしまったか、新鮮な旨味は感じない。だが、野菜を一つ食べて目を見開く。
スパイスが口内の肉汁と混じり、綺麗に混じり合って喉へと落ちてゆく。
驚きつつハンバーグにソースを掛ければ、これもまた今までドロリとした物と異なり、野菜入りのスープをかけたかのように表面に広がる。
鉄板に触れ、泡立つソースの香りがまた格別。これは、出汁の香りだ。
溜まらず大きめにカットしたハンバーグをガブリ。
物足りなかった油の部分にソースが混じり、解ける。更に付け合わせの野菜。ピリリとした辛みが、ハンバーグでありながらあっさりした味わいに刺激を与える。
今までの、ハンバーグとしての鮮烈な旨味は薄れている。だが、鉄板に乗った全てが一つになることで、同じ次元の美味さにまで昇華されている。
極上の料理だ。
するすると一皿終え、更にもう一皿。量も、味付けも、胃袋に合わせたかのように変えられてゆく皿に、あたしは気がつけば五皿目を食べ終え最高の気分で瞼を閉じていた。
「この料理には、それだけの価値がある」
「そんな、大げさな……」
女性はそう言うが、過小評価に過ぎるというものだ。
まるでフルコース。ハンバーグだけで彩られながらも、一流のフルコースにすら劣ることの無い、奇跡の料理。
「うん、奇跡ね。これは本当に奇跡の料理」
「や、やめてください本当に。ハンバーグしか作れないのに……」
「それでもここまで極めれば本物。それも、客の状態に合わせて味付けや配合まで変えるなんて、一流って評価すら霞むわよ」
顔を真っ赤にして俯く女性に首を傾げつつ席を立つ。
こんだけ美味しい料理を作れるなら、褒め言葉なんて言われ慣れてても不思議はないんだけど。
「まぁ兎に角、ハンバーグを含めた一品だけだとしても、その技術、客を見れる心は一級品。誇って良いし、それに見合う対価がそれなんだから素直に受け取って」
まぁ、いくらで提供されてるかも知らないんだけど。
何故か泣き出した女性から逃げるようにあたしは店を後にする。
「ありがとうございましたっ!」
初めて聞いた女性の大声。
まぁそんだけ大声出せるなら大丈夫でしょ、なんて考えながら、あたしは次の街へと向かって歩き出した。
【中央都暗殺者ギルド第三位 ラム・ロブ】
ルイウィストでは、暗殺者ギルドを国が保有している。厳密に言えば公的資金が割り振られており、その分暗殺者ギルドは優先的に仕事をこなす、と言う体制になっているのだ。
ルイウィスト直轄の諜報部隊もあるのだが、公務員であり優れた人材のみを寄りすぎっている為、荒事には余り使いたくないと言う事情があるのだ。
そこで多くの部分を委託した結果が、今のルイウィスト中央と暗殺者ギルドの現状である。
ラムの仕事は、そこの受付だ。老いるまで生き、仕事をこなすことが出来た為、老後の資金は潤沢。本来なら、すっぱりと足を洗う気でいたのが数年前。
凄腕では無かったが、その堅実さから気がつけば中央と暗殺者ギルド内のランクが三位にまで上がっていた。おかげでギルドからは酷く惜しまれ、縋り付くように頼まれた結果が受付という仕事。
殆ど老後の楽しみと化していたその仕事だが、ある時から未帰還者が続出した。
イスト州、及びその州に隣接する州の内偵を請け負った者達。
帰還者もいたが、須く内偵の仕事は果たせていなかった。
未帰還者の中には将来有望な者もいた。
国の諜報部隊からも、未機関車が出始めた。
そこで回ってきた依頼。
一線を退いた老人にはキツいと言いながらも、ラムはその依頼を引き受けた。
何故自分より若い者達が帰ってこないのか。
その事実を、突き止める為に。
それが半年ほど前のこと。
イスト州での未帰還者が続出する理由は、すぐに判明した。
元Aランク冒険者<全手全道>バーグル・ローゲル。どんな手段を用いてでも依頼を遂行する事でAランクまで上り詰めた人物ではあるが、同じAランクの冒険者と比較すれば実力は一段劣る。
策略、事前準備、手段を問わない非道さ。全てを含めて評価されたにもかかわらず、彼は実力で劣ることに劣等感を拗らせ、より下劣な手段に走った。
その結果が、同じAランク冒険者の殺害。冒険者ライセンスの剥奪だけで済んだのは、皮肉にも彼が望んだ実力の証明となった。なにせ、同ランク帯からの報復を、見事躱しきってみせたのだから。
そのような一級の人物が相手では、元一級の老骨では逃げることすら叶わなかった。
結果、奴隷契約を結ばれ、仕える羽目になった。
だが、ラムとしては悪いことばかりでは無かった。
同じように依頼を受けた若人を、逃がすことが出来たのだから。裏切り者と呼ばれることになろうと、既に死を待つ身。未来ある若者を追い返せる立場になっただけでも、依頼を受けた意味はあったと思えたものだ。
そんな諦めの境地の中、奇跡が齎される。
「まいどーっ! ハンバーグ屋さんからのクレームですよーっ!」
そんな意味の分からない大声と共に。
リミックの護衛が一撃で死んだ。
従軍経験がある、イシス州では屈指の実力者。その男が、殆ど何も出来ず、一撃で。
リミックが死ぬ間際に漏らした言葉で、彼女の正体を知る。
暴王。
今、この大陸では、聖剣の勇者に次ぐ有名人だ。
一つ、国を救った。一つ、あの<三奪>を崩壊させた。一つ、剣聖を弟子にした。等々、数多の詩が歌われている。
そのどれもに共通しているのは二点。ただ暴力によって解決している点と、敵対した者は蹂躙するという点だ。
作り話として非常に爽快で面白いとは思っていたが……相対して、実感した。
詩は創作でも。誇張でも無い、ただの事実なのだと。
リグルード男爵すら迷い無く殺す残虐さ。腕力で奴隷印を解除する異常さ。何よりも、食事を邪魔されたからと言うだけで敵対する全てを滅ぼそうとする純粋さ。
その在り方が暴王で無くて何というのか。
横暴で、我が儘で、理不尽で。
感謝と共に、憧れた。
だが、既に年老いたこの身では、その在り方に近付くことすら出来ない。
ただ、老いて枯れ木と果てたこの身体の芯に、火を燃べられた感じがした。
殺されることを覚悟した上で、中央に連絡を取る。
その後は、今までの苦労が嘘のように順調に進んだ。
あのバーグルが、手下諸共殺害されていたのだ。たが、その現場をみたラムの驚きは、その直前にあった部下とのやりとりに比べれば遙かに薄いものだった。
「おやめなさいっ!」
剣を引き抜いた部下を一喝する。
リグルード男爵邸。入ってすぐに集まってきた巨大な影を前に、部下が思わず抜剣したことは責められない。
ラム自身、事前に聞いていなければ戦闘態勢を取っていただろう。
ヴァリア・ハウンド。二メートルを超す巨体に、鋭く尖った牙。一言で言えば巨大な犬に過ぎないが群れを作る魔獣であり、生息地である北部では討伐に騎士団が出向する程。
それほどに危険な魔獣だと言うのに、彼らには敵意が無い。
「犬の世話を頼むとは言われましたが……」
まさか番犬として調教されたヴァリア・ハウンドを、侵入者である彼女が従えるとは。 どれほどの実力差があれば可能なのか。苦笑すら漏れないと言うのはまさに今の心境だ。
八匹のヴァリア・ハウンドの中でも、一際巨体のヴァリア・ハウンドが革袋を加えて前に出てくる。
その革袋にされた刺繍は二つ。『正義の味方』『罪には罰を』。
「は、はははははははっ!」
「た、隊長……?」
「いえ、その通りだと思いましてね。……そう、私達は正義では無い。ただ、それでも、正義の味方ではある。殺し屋でも、国が正義であるのなら」
そして彼女は、どこにも属さない。だからこそ、本当の意味で正義の味方なのだ。
彼女が思う正義の、その味方。
あぁ、本当に憧れる。
ヴァリア・ハウンドの頬を撫で、ラムは語りかける。
「私はあの方ほど強くはありません。あなた方よりも弱いでしょう。それでも、あの方に頼まれたのです。世話をさせていただけますか?」
「ヴォフ」
「……ありがとうございます」
頬を擦りつけてくるヴァリア・ハウンドに頬を緩めつつ、ラムは部下へと視線を向ける。
「一人本隊に報告を。彼らに危害を加えないよう徹底させてください。あと、彼らの食事の用意、世話係の手配を。残りはまず本家へ。制圧後、二手に分かれ左右の家屋へ」
「はっ」「
動き出す部下達を眺めながら、ラムはヴァリア・ハウンド達を順番に撫でてゆく。
今回のクーデター騒動は、他の州にとって良い見せしめとなるだろう。
イシス州を取り込むべく、隣接二州の知事が貴族を巻き込んで私兵を起こした。ともすれば内乱に発展する可能性すらあった一大事だが、事が起こる前に決着したと言うのは非常に大きな意味を持つ。
ルイウィスト中央都の実力を、これ以上無い形で示した。イシスを含めた三州をルイウィスト直轄区として取り込んでも、文句は出せないだろう。
これでルイウィスト連国は、国としての地盤がより堅くなる、歴史の節目となる出来事に、直接関わることが出来たのだ。
帰還し、報告したことで高い評価を頂いたが、老骨にはもうキツい。足を洗うには絶好のタイミングと言えるだろう。
「全員は無理でしょうが……是非あなた達と、のんびりとした老後を過ごしたいものですね」
飼えるだけのスペースがある家に、食費。その他諸々を考えると蓄えだけでは不安がある。
だがそれでも、満たされた気分と共に、ラムは微笑んでヴァリア・ハウンドを抱きしめた。
一通りの職務を終え、引退を申し出て、一息ついたラムがそのハンバーグ屋に向かったのは当然のことだった。
あの方が、全てを潰すと決意するに至ったほどのハンバーグ。
多少の聞き込みですぐ情報は集まり、家屋の酷さに若干気後れしつつも入ったハンバーグ屋。そのハンバーグを一口含んだ瞬間、ラムの脳裏に数多の可能性が溢れた。
「お嬢さん。中央に来ませんか?」
「はい?」
「責任も、お金も、全て私が持ちます。その腕を、中央で振るって頂けませんか?」
真摯に問いかける言葉に、女性は少し慌てた様子を見せたものの、すぐに困ったような笑顔を見せた。
「ごめんなさい。凄く、嬉しいんですけど……この前来た方が、とても喜んでくれたんです。あれ以来、この辺りも少し落ち着いたようなので、もう少し、頑張ってみようかなって」
「……その、この前来た方と言うのは、黒ずくめの?」
「ご存じなんですかっ!?」
儚げな雰囲気から一転、彼女は興奮した様子でカウンターに身を乗り出してきた。
「どこにいるか教えてくださいっ! この前の、貰いすぎですっ! それにメモも返さなきゃっ!」
「落ち着いてくださいお嬢さん。生憎と私も居場所は知らないのです」
「……そう、ですか」
期待させた申し訳ないとは思いつつも、ラムは言葉を続ける。
「それで、そのメモというのは? 宜しければ拝見させて頂きたいのですが」
「あ、はい。食事代と言って沢山革袋を渡されまして、その中で一番お金が入っていた中に、これが」
そう言って差し出されたのは、四つ折りにされた紙。
受け取った紙に指を滑らせてみれば、表面が滑らかでムラが無い、かなり上等な紙だと分かる。
あの方が残した物だと思えば雑に扱うことも出来ず、鉄板を横にずらして丁寧に紙を開く。
そこに書かれた文字の羅列を目に、ラムは暫く動きを止めた。
一目見て内容は分かった。理解も出来たが、思考がついてこなかった。
このタイミングでこれを受け取るという意味。あの方がこれを彼女に託した理由というモノをじっくりと吟味し、飲み込み、思わず天を仰ぐ。
「は、はははははははっ! あぁ、素晴らしい。ここまでを考えておられますか、あの方は」
「お客様……?」
「失礼致しました。あまりにも予想外でしたので」
一息吐き、平常心を取り戻す為にも一口ハンバーグを食べる。
あの方が気に掛けるのも当然の味だ。
そして、その行く末を任された。責任は重大だ。
急いで食べた訳でもないのに、気がつけば鉄板は空。口元をハンカチで拭い、ラムは女性へと声を掛ける。
「お嬢さん。お名前を伺っても?」
「あ、はい。リリンと申します:
「そうですか。私はラム・ロブ。マスター・リリン。私をここで雇用して頂けませんか?」
「……はい?」
「この料理は、もっと多くの方に味わって貰うべき一品です。私に、是非その手伝いをさせて頂きたい」
「あの……えっと、ですけど……雇用するほど、お客さんはきませんし……」
「怪しいのは分かります。ですので、給料は不要。働きを見て信頼して頂ければと」
「そ、そう言われましても……」
突然の事態に困惑するのは分かる。
あの方が現れたときは困惑したものだ。だからこそその様子を微笑んで見つめ、ラムは席を立ち恭しく頭を垂れた。
「それではマスター・リリン。私は報告を済ませ次第大工を呼んで参ります。どのような図面が良いか考えておいてください」
「……は、はぁ。はい?」
「貴女のお店です。どのような形が使いやすいか、過ごしやすいか考えておいてくれれば。幸い周囲の土地を買い占めるのも今なら容易ですし、敷地に関してはご心配なく。お金も全てこちらで負担いたしますので、御気軽にお考えください」
「いや、いや、意味が、意味がわかんないんですけど……」
彼女から受け取ったメモに記されていたのは、クーデターに関与する貴族の一覧と、出兵予定数。直接の罪には問えないだろうが、ボルワージュ男爵家が動かそうとしていた人員と整合性がとれれば、ルイウィストにとって非常に有用な武器となる。
それほどの物をマスター・リリンが預かっていた。正しく報告すれば上層部がその意味をはき違えるはずも無く、十二分以上のお金を引っ張れるだろう。
ルイウィストにとってあのお方は、一人でほぼ全てを片付けてくれた恩人で有り、間違っても敵対しては成らない人物なのだから。
あのお方がこのハンバーグ屋を優遇しろと言うのなら、国として無視できるはずも無い。
何よりラム自身、ここのハンバーグは絶品だと思えた。老後の全てをかけても良いと思えるほどに。
『意味がわかんないんですけどぉ!』
ボロ屋から聞こえてくるマスター・リリンの悲鳴じみた声に苦笑しながら、ラムはこのハンバーグ屋を国一番の料理店にすべくその第一歩を踏み出した。