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おとぎ話シリーズ

あなた好みに ― 人魚姫 ―

作者: 柘榴石

 深い深い海の底に、人魚の王さまのお城があります。

 王さまには六人の姫がいて、その中でも、とりわけ一番末の姫は美しく、人を魅了する綺麗な声をしていました。

 ある時、人魚姫は人間の王子さまに恋をします。

 人魚姫は王子さまに会いたいと海の魔女の家を訪れ、声と引き換えに尻尾を人間の足に変える飲み薬を貰いました。

  けれど王子さまの勘違いによって人魚姫の想いが叶う事はなく、人魚姫は代償として海の泡となって消えてしまうのです。



 *****



「ジーン王子、大好きです!」


 澄んだ美しい鈴のような声が軽やかにそう告げる。

 声の主は、長く豊かな金の髪に澄んだ海を思わせる深い青い瞳の可愛らしい少女。


「知っている」


 好意を告げられた精悍な体躯の気品ある王子は、声の主に視線を落とし、端整な顔で穏やかに笑った。


「シレーヌ、はしたない真似をするな。申し訳ございません、殿下」


 娘を城に連れてきた父公爵は、王子の姿を認めるなり走りより想いを告げる娘を窘める。


「いや、シレーヌはまだ子供、周りから見てもこの無邪気さは微笑ましいばかりだろう。それに婚約者にこうも明確に思いを告げられて嫌な思いをするわけがない」

「うふふ。ジーン王子は優しいです。大好き」


 シレーヌは自分より三十センチ以上も高い身長のユージィン王子の腕に絡み付く。二人の場合、大きいのは身長差ばかりでなく、年齢も二十歳と十三歳と離れている。王侯貴族の婚約など身分がものを言うのだから年齢差等は問題でなく、シレーヌが成人してしまえば本当に何の問題もないことだ。

 自分を見下ろし優しく微笑んでくれる王子に、シレーヌは飼い主に尾を振る犬のように喜びを顕にする。


「シレーヌ、お前はもっと女性の嗜みというものをだな」

「公式の場では頑張ってます! もう、お父様はお仕事に行って下さい! ジーン王子とお約束をしているのは私です!!」


 そう言ってむくれた顔をする娘の我儘な態度を叱責しようする公爵を、王子は大丈夫だと言うように制する。


「シレーヌの言う通り、彼女は分別を働かせることのできる娘だ。卿も苦いことを言っはいるが、心の内では愛娘に嫌われるのは避けたいと思っているのだろう?」

「確かにシレーヌをこうしてしまったのは親である私の責であり、私は娘を手塩にかけていることも自覚しております。が、シレーヌは他ならぬ殿下の婚約者。先々のことを思えば今ここで窘めることも愛情です。殿下も子供だからと大目に見すぎなように思いますが」

「それほど子供だとも思っていない。卿の娘だ。卿もシレーヌも信頼している」


 王子にこうまで言われれば、公爵もそれ以上の口出しはできないと引き下がる。何より、娘が王子に大切にされていると思えば、むしろ表情が緩んでしまうというものだ。「くれぐれも粗相のないように」と厳しい顔で娘に諭し立ち去るが、父親としての足取りは軽かった。

 父の背を見送って、シレーヌは王子を見上げ微笑みかける。王子はすっとその手を差し出した。


「庭の散策など如何ですか? お姫様」

「はい! 喜んで!!」


 駆け引きなどできない幼い自分(シレーヌ)に、王子が噴き出すように笑う。でも、それでいい。嫌がられていないのなら、シレーヌはそれで十分だった。


「十六まであと三年。私と結婚してくださいね!」

「婚約者なのだからそうなるだろうな」

「約束ですよ!」


 シレーヌはユージィン王子の事が本当に大好きで、身長差も年齢差も全く気にならない。王子が自分の事を妹のように思っているだけで愛してくれていないことは知っている。でも、自分がその分まで王子を愛せばいいし、優しくしてくれるのだからそれでいいと思っていた。


「ジーン王子は私のどこか少しでも好きなところはありますか?」

「……そうだな……声、か」

「声?」

「シレーヌは声が可愛いな」


 王子の大きな手が優しくシレーヌの頭を撫でる。それが子供扱いとは思っても、とても嬉しいのだ。

 花咲く庭を歩き花木に囲まれた四阿に辿り着く。シレーヌは王子にぴたりと身を寄せ座る。横を見上げれば、やはり優しい笑顔がそこにあった。


「今の私はジーン王子に歌くらいしか贈れないのですが」

「では子守唄にしてくれ。少し寝る。膝、借りるぞ」

「どうぞ! ……ですが、子守唄……は知らないのでそれっぽい感じのでいいですか?」

「いいぞ。子供が生まれるまでには覚えておいてくれ?」

「はい」


 シレーヌの膝に頭を乗せ横になる王子は、下から手を伸ばしシレーヌの頬を撫でる。

 格好よくて優しい王子様。

 こうして一緒に居られて穏やかな時を過ごせる。それが本当に幸せだ。

 婚約者なのだから当然結婚して、大好きな王子様とこれからもこうして一生幸せに暮らすだと思っていた。


 でも、必ずしもそうとは限らないと、ある日突然思い知ることになる。


 ユージィン王子がその女性と出会ったのは国王陛下の生誕祭の宴だった。シレーヌは成人前だが、王太子の婚約者。その宴に招かれていて、その場を見ていた。

 王子はそこで、類稀なる歌声の持ち主として宴席を盛り上げるために呼ばれた一人の歌姫に目を奪われていた。

 その夜、王子はその歌姫を召したと聞いた。


 *****


 シレーヌは鏡に映る自分の姿を見た。

 平べったい……

 まだ十三だから仕方がないと言われればそうなのだが、膨らみ始めたとはいえ胸はまだまだ小さく、身体は細いだけで女らしさというものがない。

 あの日、王子に召された歌姫は、今でも王子の客品(かくぼん)として城に滞在している。

 その歌姫は踊り子でもあるそうで、それは見事なプロポーションをしていた。

 そんな歌姫と幼い自分、正常な男性がどちらを選ぶかは分かりきったことで、王子が彼女を選ぶのも当然というものだ。

 シレーヌが王子妃になるのは三年後。

 それまでにはあの歌姫が側室として絶対的な地位を築いていそう。もしかしたら王子の子供すら生んでいるかもしれない。

 三年後、自分は魅力的な女性になっているだろうか。

 幼い頃から歌声を褒められてはいたが、それは貴族令嬢の嗜み程度。それを本職にする者に敵うわけがなく。

 同じ年頃の令嬢の中にはすでに魅惑的な肉体をしている娘もいるというのに、自分はまだまだで。今後に期待できるのかも分かるわけもない。

 それでも王子は、少しは自分の相手をしてくれるだろうか。

 三年後、歌姫は二一。王子の愛を得て、益々妖艶になっていそう。

 その上で十六の何のへんてつもない家柄だけいい小娘が王子の愛を得るのは


 ……………難しそうだ……………


「どうしたの? 悲しそうな顔をして」


 鏡を見たまま深く溜息を吐いて項垂れるシレーヌに、優しい声が掛かった。


「お姉さま……」

「もしかして王子様の事?」


 シレーヌの背後に心配そうな顔で立つのは五人の姉達。

 姉の問いかけにへにゃりとシレーヌの眉が下がる。その表情を見て、反対に姉達の眉は上がった。


「うちの可愛い妹を泣かせるなんて王子といえど許せないわ!」

「あんな淫乱そうな歌姫のどこがいいのかしら」

「ええ! シレーヌの方がずっとずっと可愛いわ」

「趣味の悪い王子様ね! そんな男にシレーヌを任せて大丈夫なのかしら」

「本当よ! いくら眉目秀麗、文武両道と言っても女を幸せに出来ないようでは男としては不出来よ!」

「………」


 シレーヌを溺愛してくれている姉達は口々に王子の悪口を言う。けれど、シレーヌはそんなことを望んでいない。


「お姉様……私、ジーン王子が好きなの。悪口を言わないで」

「……ああ、シレーヌ、なんて可愛いの!」


 姉達はぎゅうっと純真無垢な妹シレーヌを抱き締める。


「お姉様……苦しい……」

「まあ、ごめんなさい」


 慌てて離してくれる姉達の、シレーヌを窒息させるのではないかという大きな胸。比べて平坦ともいえる自分の身体。どうして自分だけこんなにぺたりとしているのかと羨ましげに見つめてしまう。


「……お姉様達は、胸はいつから大きくなったの……?」

「胸? そうね、十二、三歳くらいかしら」


 姉の返答にまた溜息が漏れる。

 自分はすでに十三だ。

 なのにいまだに成長の兆しが見えないというのはどういうことか。

 美人で妖艶と名高い公爵家の(あね)たち。上の五人はまさにその通りなのに、どうして末の自分だけ出来損ないなのか。


「大丈夫よ! シレーヌ!! 求婚を受けたのは王子なのだから、公爵家としてもちゃんと責任はとってもらうわ」


 沈むシレーヌに、姉は安心してと言うように力を込めて言う。

 シレーヌはその言葉に力なく笑った。


「いいえ。そんな王子になんてシレーヌは勿体ないわ!」

「そうよ!!」


 シレーヌのその笑顔を見て、また姉達はごうごうと王子を非難しだした。それを遠くで聞きながらシレーヌは過去を思い出す。

 姉の一人が言ったように、何を隠そう求婚したのはシレーヌの方なのだ。

 あれはシレーヌが五つの頃の話だ。十二のユージィン王子が公爵邸(シレーヌの家)に父王の使いで訪れた事があった。


『だあれ?』


 父の影に隠れ、シレーヌは見知らぬ、そして幼ない子供の目をも奪う美少年に訊ねた。


『ユージィン王子様だよ。御挨拶を』

『ゆー……じーんおうじさま……おうじさま! シレーヌ、おうじさまとけっこんする!』

『シレーヌ!』


 父の窘める声も耳に入らず、シレーヌは王子のもとに歩み寄りその手を取った。


『じーんおうじさま。シレーヌのおうじさまになってね!』

『……………』

『ね!』

『……ああ、分かった……』


 シレーヌの突飛な申し出に、王子は呆けた後、再度促されて、ふっと楽しそうに笑い承諾した。

 五つのシレーヌのごり押しに頷いてしまった律儀な王子は、後日本当に婚約の書類にサインをして持ってきてくれたのだ。

 後から聞いたことだが、そもそもはシレーヌの姉達との顔合わせだったらしい。そろそろユージィン王子にも婚約者をと話が出て、美人揃いと噂の公爵邸(シレーヌの家)に使いという口実で来させられたらしい。

 まさかそこで一番年下のシレーヌと婚約してしまうとは誰も思わなかっただろう。

 そして、今となっては王子自身も後悔していることだろう。

 けれど、歌姫の身分を考えれば彼女が正妃となることはないだろうし、公爵令嬢であるシレーヌを蔑ろには出来ない為、たぶん婚姻はこのまま成立されると思われる。が、歌姫が寵姫として君臨することは充分考えられる。

 姉の言うように王子に正式な婚約者として責任を取ってもらうことは出来るだろう。

 だが、シレーヌはそうではなくて、王子と幸せになりたいのだ。

 王子にもシレーヌと一緒にいるときに苦痛を感じることだけはして欲しくない。

 一番の愛情でなくとも一緒に笑いあえる関係でいたい。

 その為にできることはなんなのか。


「……男の人を振り向かせるにはどうしたらいいの……?」

「うぅん……そうね。シレーヌは少し引いてみてはどうかしら?」


 その言葉に、シレーヌは大きな青い瞳をさらに大きく見開いた。

 そうだ。自分は王子に感情を押し付けすぎているのかもしれない。

 “押してダメなら引いてみる”

 それは恋愛の定石かけひきだ。

 今までアピールはしすぎるぐらいにして印象付けは過大にしてある。ここでそれをぱたりと止めてしまえば、どうしたのかと気になるのが人というものだろう。

 それに、いっそ三年間顔を見せずにいて、その間に魅力的になれれば、その変貌ぶりに目を見張ってくれるかもしれない。

 一つ見えた光明に、シレーヌはぐっと拳を握る。

 シレーヌだって美人揃いと噂の姉妹の末の妹なのだ。磨けば綺麗になれるはず! いいえ、なってみせましょう!

 三年間、美を追求する姉達に教わればきっとなんとかなるはずだ。

 そうだ。そうしよう!

 三年間王子には会わないことにしよう!

 シレーヌはそう心に決めた。



 *****



「一緒に来るかと思っていたんだがな……」


 ユージィン王子は、一月(ひとつき)ほど前に婚約者であるシレーヌと散歩した花咲く庭を見やり、ぽつりと零した。

 これまでシレーヌは週に二、三度城に顔を出していたが、王の生誕祭以降なにやら忙しいらしく顔を見せていない。今日は定例の会議があって、常任委員である彼女の父公爵が登城する。公爵に付いて来て顔を見せるかと思っていたが、来ていないようだ。


「ジーン王子」

「シ……ああ、リリスか……」


 背後から名を呼ぶその聞き覚えのある声に、自然に浮かぶ微笑で振り返ったものの、そこにいたのは思い描いた相手ではなく、身体のラインを強調したドレスを纏う悩まし気な美女。声こそ似ているものの、髪の色も瞳の色も望んでいた姿ではなく、ユージィンは露骨に顔を顰めた。


「その呼び名は閨でしか許していないぞ。俺に用があるなら侍女や女官を通せ」


 溜息交じりにそう言って、リリスという名の歌姫の横を抜けてこうとする。


「まあ、冷たい。今夜は来ていただけます?」


 すれ違いざま、揶揄うような調子で訊かれ、ユージィンは足を止めた。


「……気が向いたらな」

「……最近、気が向かないのですね?」

「そうだな。回数を重ねれば重ねるほど……」

「飽きた、という事でしょうか?」

「飽きた……というのか。もともと興味も薄かったのだが」

「本気で仰っているのですか? あれほど……」

「あれほど?」


 リリスの問いに、ユージィンは彼女に向けて酷薄に笑う。

 リリスは歌姫で踊り子。つまりはそういった女。


「もて余した欲をぶつけただけだ。俺がお前如きに本気になるとでも? 身を弁えろ」

「王子」

「ああ、その声だ。その声にだけ惹かれた。俺の興味を引きたいのならその声で啼いていればいい」


 ユージィンの冷淡な態度と声にリリスは及び腰になる。

 王子にとって、貴族令嬢とは違い、柵のない女は楽でいい。こちらが冷然な態度であろうが、それによって不利益を被ることは一切ないのだから。


 ***


「ラルフさん! ユージィン王子はどちらですか?」


 シレーヌは回廊で見かけた王子の執務補佐をする一人の文官に、息を弾ませて訊ねた。


「殿下でしたら、息抜きだと園庭に出られましたよ」

「ありがとう!」

「シレーヌ様、お呼びしましょうか?」

「いいの! こっそり見るだけだから!」


 シレーヌはすでに文官のもとを走り去りながら答えた。

 シレーヌが王子と会わないようにしてもう一月。いや、人に言わせればまだ一月かもしれない。それでもシレーヌには、やはりどうしようもなく長く感じる日々だった。

 三年間会わずにいようとしたが、シレーヌは王子の姿を見たくて堪らなくなってしまった。こちらの姿さえ見られずにいればいいのだから、王子の姿を盗み見ようと城にやってきたのだ。

 文官は息抜きだと言っていた。園庭にユージィン気に入りの四阿がある。人に気付かれにくい場所にあるから昼寝には最適だとユージィン自身が教えてくれた。おそらく其処だろうと逸る気持ちを抑えつつ足を進めた。

 その四阿に近付いたとき、微かな歌声が聞こえた。

 元々ユージィンに見つからないようにと思っていたが、さらに注意を払って近付き、こっそりとそこを垣間見た。

 その目に入ったものは……

 あの歌姫に膝枕をされて瞳を閉じるユージィンの姿。

 シレーヌは物音をたてないようその場を離れた。


 ***


「駄目だな。違いばかりが大きくなる」


 王子はリリスの膝の上から身体を起こし、右手で自分の前髪をかき上げる。


「王子?」


 戸惑いがちに声を掛けてくるリリスに、王子は冷ややかな瞳を向けた。


「もういい。歌姫に戻るか? それとも下賜されたいか?」

「……私はもう用済みですか?」

「ああ。結局は別人。似ているところがある分だけ却って疎ましくなってきた」


 生誕祭で聴いたリリスの歌声。それは自身の婚約者であるシレーヌとよく似ていた。

 この声がもっと甘く啼くところを聴きたいと手を付けたが、満足できたのは最初だけだった。確かに声は似ている。だが、シレーヌの声はこれほどにいやらしい媚を含んでいたことはない。もっと澄んだ美しい声だ。

 それに、閨で聴くことになる声は、きっともっと甘くユージィンの為だけにあげられるものだろう。誰かに教えられ、誰にでも聴かせるこんな声ではないはずだ。


「あとは侍従の仕事だ。そちらと話を付けろ」

「……私には一切の情もございませんか?」

「お前とは情ではなく仕事の関係。必要のないものは要らん」


 ユージィンはきっぱりと言い捨てる。

 婚約者のシレーヌはユージィンを優しい男だと思っているようだが、実際はそんな生易しいものではない。

 もちろんそれは女性関係のことだけではなくて、為政者としてのことでもある。

 けれどもそれは、生涯彼女だけは知らなくていいことだ。


 ろくな休憩にならなかったと思いつつ、ユージィンは自身の執務室へと戻った。溜息交じりに椅子に腰かけたとき、ひとりの執務補佐官に声をかけられた。


「王子、シレーヌ様とは会われましたか?」

「は?」

「そのご様子では、本当にこっそり見るだけだったようですね」


 こちらの返答に、「おや」という顔をして彼は答える。事態を少し呑み込んで、ユージィンは声を荒げた。


「何だそれは!」

「何だと言われましても言葉の通りです。それにしてもシレーヌ様の愛らしさとあのお声は素晴らしい。あの笑顔を見れば心が和み、遠くから聞こえてくる歌声など聞いているだけで気持ちが明るくなります」

「言われずとも知っている!」


 ガタンっと椅子を蹴倒す勢いで立ち上がると、ユージィンは執務室を飛び出した。


 ***


「ひぅ……ふ……」


 今日は髪を結い上げていなくて良かった。俯けば少しは泣き顔を隠せる。回廊もユージィンが教えてくれた人通りのあまりないところを選んで行こう。

 庭の隅で一頻り泣いていたが結局涙は枯れてはくれなかった。王子のいる城にいるのがいけないのだと思い、シレーヌは家に帰ろうとしていた。

 やっぱり来なければ良かった。そう思いながら、零れる涙をシレーヌはこっそりと拭う。

 王子は、自分の本当のお姫様を見つけたのだ。



 “人魚姫は王子の好みの女性になろうと頑張るけれど

 王子にとって人魚姫はお姫様の身代わりでしかない”



 そんな物語の一節を思い出す。

 シレーヌはユージィン王子の偽物のお姫様。

 先に出会っていたからと言って、王子の恋心までをどうにか出来るわけではない。

 それでも公爵令嬢として王子の婚約者として、しなければならないことがある。

 望みを告げる声を殺して王子の妃となることだ。

 だから、年齢も身体も、そして精神的にももっと大人にならければユージィンの妃はつとまらない。

 もっと大人として自分を磨かなければ。

 そう自分に言い聞かせながら回廊を曲がると、一人の城仕えの貴族男性とばったりと出くわす。


「可愛い泣き声がすると思えばシレーヌ様ではないですか。どうされました?」

「……ぅ……大人になりたい……」


 泣きすぎて冷静な判断が出来なくなっているシレーヌはぽろりと本音を告げてしまう。男はごくりと喉をならした。

 シレーヌはその年齢からも美人揃いの姉達の影に隠れしまうことが多いが、やはり美少女に他ならない。海のような青い瞳から真珠のような涙を溢す姿は、本人の意思とは関係なく男を唆す。


「……シレーヌ様……お手伝いしましょうか」


 純真な箱入りの令嬢は手伝いと言ってもどういうことか分からない。やましいことがあっても、保身のためにそれを誰かに言うこともできないだろう、と男は口許を歪めた。


「シレーヌ!」


 突然の呼びかけに、邪なことを考える男と同時、シレーヌの肩も跳ねる。声の主は王子で、彼はどうしてか鬼気迫る表情でシレーヌに走り寄ってくる。

 その気迫に、シレーヌは一歩一歩と後退り、だっと逃げ出した。

 王子が男とすれ違うその時に「後で覚えていろよ」とその男を射殺すように睨んだことは、シレーヌの知らぬことだ。


「おい、待て!」

「きゃー! 何で追いかけてくるんですか!?」

「逃げるからだろうが!」


 身長差があるのだから当然歩幅も差があるし、男女の体力差というものもある。シレーヌはあっという間にその腕を掴まれた。


「おい、此方を向け」

「嫌です。まだ早いです」

「何が?」

「三年後……成長した私を見てください」

「は?」

「三年後にはもう少し胸も大きくなって、色っぽくなるように頑張りますから」

「訳の分からないことを言っていないで俺を見ろ!」

「イタッ……!」


 顔を逸らしたままそんなやり取りを続けていると、強引に顎を捉えられ視線を合わせられた。


「!?……何を泣いている」

「痛いからです! うっ……」


 掴まれたままの腕も、向きを変えさせられた首も、なにより胸が痛い。

 わあっと泣き出すシレーヌに、周辺にいた警備の騎士が何事かと顔を覗かせる。こんな風に女性に泣かれたことのない、いや、正確には泣く女性を宥めた経験のないユージィンはそれなりに戸惑いはしたが、騎士には問題ないと手で制し、とりあえず近くの空き部屋へとシレーヌを入れた。

 シレーヌはユージィンの体にがっしりとしがみ付き、その胸に顔を押し付けたまま顔を上げようとしない。


「痛い思いをさせたのは悪かった。もう泣き止んで顔を上げてくれ」


 ユージィンは彼女を抱きとめ髪を撫でながら、そう優しく言った。けれどもシレーヌはそのままの体勢で頭を振って見せる。


「シレーヌ」

「……だめです……あと三年……」


 すん、と鼻を鳴らしながらシレーヌは答えた。


「さっきから三年三年と。なんなんだ」

「婚姻するまでには……あの歌姫には及ばないまでも……もっと女っぽくなりますから……。今より大人になる私を見てください……」

「……三年も会わずにいるつもりか」


 シレーヌはこくりと頷いた。

 ユージィンはなんとなくではあるが、シレーヌの考えていることが分かった。婚約者とはいえ七つの歳の差。ただ天真爛漫に見える彼女でもそれなりに精神も身体も成長し、これまで見えずにいたものも見えるようになり、考えることも色々とあったようだ。


「三年も会わずにいて、お前は平気なのか?」

「……時々、今日のようにお顔を陰から見に来ます」


 その答えに、ユージィンは思わず短く吹き出した。


「……ジーン王子……」

「いや、すまん。やはり素直で可愛いと思ったんだ」

「自分が子供なのは分かっています! だから頑張って大人になろうとしているんです!!」

「だから、どうしてその過程を俺に見せずにいようとするんだ」

「……ずっと見ていると変容に気付いてはくれないでしょう? 久しぶりに会って、すごく色っぽく綺麗になっていれば少しは興味をもってもらえるかもしれないから……」

「この一月でもう充分だ」

「一月では変化してません!!」

「そうではなく、俺はこの一月、ずっとお前に会いたかった」

「嘘はいいです。ジーン王子はあの歌姫がいればいいのでしょう!?……さっきだって……膝枕……」

「ああ、あれを見たのか。彼女は今頃は荷物を纏めているはずだ。城を出るよう言ったからな」

「……暇を?」

「ああ、解雇だ」

「そんな……仕事のような言い方をしなくても」

「仕事だ。それ以外のものは一切ない」

「……」

「本当だぞ。もともとあの女はお前の父がお前の代わりにと差し出してきたんだからな」


 思わぬ王子の言葉に、シレーヌは顔を上げた。


「ああ、ようやくお前の可愛い顔がまともに見れた」


 シレーヌの頬に王子の大きな手が触れる。見上げている王子の顔はなんだか随分と優しい笑顔で、もう何もかもどうでもよくなってしまいそうだが、話していたことはそうしてはいけない内容だった。


「……あ、あの……さっきの話……え? お父様が?」

「そうだ。婚約者とはいえ、流石に子どものお前を抱かせたくはないのだろう。俺自身もお前にはまだ早いと思うしな。その代わりだ」

「だ、抱く!?」

「その反応。お前はそんなことを考えたこともないだろう」

「いえ! そこに驚いたのではなく!! ジーン王子は、こ、この貧相な身体に触れたいと思うのですか!?」

「別に貧相とは思わんが、触れたいと思う」


 触れたいと思う……子供の自分に?


「ジーン王子……もしかして……」

「言っておくが! 俺は幼児趣味はないからな!!」

「あ、そうですか……」

「一般的にも十三はもう子供ではないぞ!」

「えっと、じゃあ」

「だが、大人でもない!!」

「……そうですよね……」


 今まで、二人の間には性的なことはまるでなく、そんなことを感じさせる雰囲気もまるでなかったのに、王子は王子でいろいろ考えることがあったのだろうか。

 シレーヌも、立派な青年である王子に自分との婚姻まで女性とそういったことをするなというのは、さすがに酷いとは思っているが。


「でも! ですけど!! わざわざお父様が女性を差し出さずともいいではないですか!!」

(おまえ)を溺愛する公爵だからこそな、婚姻まで無難な女で済ませてくれとあれを見繕ったのだろう」

「私を思ってでも……ひどいです……」

「貴族令嬢に手を出されるよりは、ということだろう」


 王子の言いたい意味は分かる。貴族令嬢を相手にすれば、令嬢の親一派から側室にごり押しされるということもあるだろうし、相性があってしまえば最悪シレーヌの婚約者という地位さえ奪われかねない。それはシレーヌにとっては本末転倒。さらにそうなってしまうと、貴族間のバランスを崩す可能性もあるのだし、それならばそれを仕事とする女性相手のほうが面倒はない。

 分かりはするが、正直、父のことはそれでも許せない思いがある。でもやはり、王子のことを思えば、婚姻まで女性と関係するなというのも酷なこと。どちらをとるかと言われれば……。


「……でも、じゃあ、その……好きにはなっていませんか……?」

「ない。全く」

「そうですか……」


 王子のきっぱりとした即答に、自分でも思った以上にほっとした声が出てしまった。

 王子が女性と体の関係を持つことは当然のことながら嫌だ。でも、それ以上に、その人のことを好きになってしまわれるのが嫌だ。

 自分のことを愛していないまでも、できることならこの先も王子には特別に好きな女性などできないでほしい。それがシレーヌの勝手な願いであって、王子には酷いことを思っているのも分かっているが、仕方がない。だからせめて……。


「私、頑張ってジーン王子の好みの女性になりますから……結婚したら私で我慢してください……」

「別に、このままなるように成長すればいいだけだ」

「でも、お好みはあるでしょう? 例えば、物静かな落ち着いた女性と明るく溌溂とした女性ではどちらがいいですか? 私、ジーン王子好みになってみせます!」


 シレーヌは意気込んで見せるが、王子はむしろ呆れたように溜息した。


「お前は今のままで十分可愛いくて、どう成長していくのかが楽しみなのに、なぜわざわざ別の誰かになろうとするんだ」

「……え?」


 返ってきたのは予期せぬ答え。


「でも、あの日ジーン王子は歌姫に見惚れていました……。少しの間だけでもお傍に置くほどですもの。気に入るものがあったのでしょう? それはどこですか?」

「声だ」

「……声? 歌、お上手でしたものね……。じゃあ、私ももっと……」

「違う。あの女はお前に声が似ていたから、そこだけに興味を持った。あれは俺にとって歌姫ではない。初めてお前と出会ったあの日、公爵邸に入ると歌声が聞こえた。幼いがとても澄んだ綺麗な声だった。それ以来、俺の歌姫はお前だけだ」


 ユージィンは、ぽかんとした顔で自分を見上げるシレーヌを見下ろしていた。

 シレーヌは、家族仲の良い公爵家で、父母からも姉からも愛され真綿で包むようにして育てられてきた。それゆえにというのか、まるで誰からも愛されるのが当然のような無邪気さと愛らしさを振りまいていた。

 純粋無垢で可愛いを集めたような

 愛される為だけにいるような

 砂糖菓子のように甘く可愛い少女。

 それがシレーヌを初めて見て思った印象だ。

 そして、そのシレーヌを欲しいと思った。

 固く無垢な蕾を大切に大切に育んで、いつか美しく花開かせるのは自分だと。

 そしてそれを今、ユージィンは育んでいる真っ最中なのだ。

 そんな、どこか倒錯的な思いがあることも否めないが、誰にも触れさせたくないという思いがある。

 今も、自分を見上げるシレーヌの瞳は真っ赤になっていて、どれほど泣かせてしまったのかと胸が痛くなる。

 無条件に優しくしたいなど、愛情以外のなにものでもない。


「だいたいお前が魔女の誘惑に負けないでと、俺にしっかり釘を刺したんだろう!」

「はい?」

「婚約の申し込みをしに行った俺に『魔女が誘惑してもシレーヌを選んでね』って、にっこにこと」

「……覚えてません……」

「まあ当時五歳だしな。だがな、俺だってずっとお前の事を可愛いと思って大人になるのを待っているんだぞ」


 可愛いと、王子はシレーヌ自身を待っていると言ってくれている。そう思ってくれているということは……。


「……私のこと……少しでも……好き、ですか?」

「好きだから可愛いんだろう!」

「え? あれ……? ジーン王子は私を女性として好きで妃にということ……でいいんですか?」

「ああ、そうだ」

「……」


 王子が自分を好きだと言ってくれている。妃にと望んでくれている。

 もうそれだけで嬉しくて、シレーヌは自然と笑顔になってしまう。


「ジーン王子、大好き!!」


 ぎゅっと大きく逞しい身体に抱き着いて言えば、王子もシレーヌを抱き返してくれる。ああ、もう、なんて幸せなのだろうか。まさか王子の自分のことを好きだと思ってくれていたなんて。見上げれば、王子も笑みを返してくれて、ますますシレーヌは笑顔になってしまう。なのに、王子は、ぽんとシレーヌの頭に手を置くと、軽く溜息を吐いた。


「シレーヌ、この際だから言わせてもらうが。お前こそ俺が王子だから好きになったのだろう」

「はい?」

「初対面のあの時、俺が“王子”と分かった途端に顔を輝かせて! それまではおどおどと父の後ろに隠れたままだったじゃないか。お前は“王子”と結婚する“お姫様”になりたいだけだろう!」

「失礼なことを言わないで下さい! 当時はそうだったのかもしれませんが、何度も何度もジーン王子を好きだと言っています!」


 確かに、あの時シレーヌは素敵な王子様に一目惚れしたと言っていい。幼かったシレーヌは物語のようなお姫様に憧れてそうなりたくて、突然目の前に現れたユージィン王子の王子という肩書とその容貌に、それだけで求婚してしまったのだ。

 でも、今はもうそれだけではない。目の前のユージィンという人自身が好きなのだ。

 正義感が強く行動派の、けれども気品ある王子様。

 本当は誰かの次なんて嫌で、一番に自分のことを好きになって欲しいほどに好きだから。


「だから……わ、私……ジーン王子の為なら頑張ります!……けれど……」

「は?」

「ですから……その……ジーン王子のお相手を……」

「!?」


 シレーヌの申し入れにユージィンはひどく驚いた顔をした後で、ふいっと顔を逸らした。


「いや、ああ……だけどな……」

「やっぱり触れたいというのは嘘なのですね!?」

「違う!! よく考えろ。お前は幾つだ?」

「十三です」

「俺は?」

「二十歳……」

「そうだ。大人の七つ差ではなく成長期の七つ差だ。その差は大きい。年齢的にも体格的にもな」


 細く成長途中のシレーヌの身体、対してユージィンは見た目は細身に見えるが、王子として武道にも通じ脱いでみれば筋肉質で成人男性の平均以上の体躯をしている。身体を繋げることはシレーヌの苦痛となることが容易に予想される。


「まだ無理だろう」

「無理……ですか……」

「なんでお前ががっかりするんだ。俺がすることだろう」

「だって……私が大丈夫になるまで他の女性を抱くのでしょう? 仕方がないですけれど……本当は身代わりでも他の女性に触れられるのは嫌です。本気になってしまったらどうするんですか……」

「我慢している人間にそういう可愛い事を言うな」


 幼いだけだった少女は当然の如く日々成長していく。

 そして今、膨らみ始めた蕾は、未成熟な色香を漂わせ男を惑わし始めた。

 それでも、まだ手折るのは早い。

 そう思い、どれだけユージィンが自分を律しているか。

 そしてそうするのは、ユージィンがシレーヌを大事に思っているからに他ならないのに。


「あの……じゃあ……ジーン王子」

「何だ?」

「胸、刺激したら大きくなるって聞きました」

「は?」

「大きくなりたいんです!」


 そう言ってシレーヌは、ユージィンの大きな手を自らの膨らみを持ち始めた胸に持っていった。


「おい! 離せ!」

「嫌です! ジーン王子でないとダメなんです!」

「なんなんだ! それは!!」

「普通に揉むのではなく、成長期の今、性的な刺激とともに揉むことが必要なんです。性的刺激を受けることによって女性ホルモンが活発に分泌され、それによって胸が大きくなる……とお姉さまが言っていました!!」

「信憑性のある話なのか!? それは!! それに、だからってな!」

「他の男性にしてもらっていいんですか!?」

「っ!」


 我慢していると言っているのに、シレーヌは自らユージィンのその努力を圧し折ろうとする。しかも他の男などとふざけた事を言われ、ユージィンは我慢ならなくなった。


「後悔するなよ!」

「あっ!」


 ユージィンはシレーヌの向きを強引に変えて、背後からその胸に大きな手を当て撫で始めた。

 感じるのはドレスの刺繍のごわごわとした感触で、胸の柔らかさというものがまるでない。


「ドレスの上からでは駄目だな」

「え!?」


 言うや、ドレスの後ろの留め金を外し、白い下着の上から胸に手を置くと優しく撫でた。


「んっ くすぐったい……」

「最初はそうらしいな。……下着、こういうのなんだな……」

「だって! まだ大人用を着けるほどなくて!!」


 シレーヌが身に付け入るのは胸の部分が二重になったキャミソール。色気とはまるで無縁だ。


「いや、刺激が伝わりやすくていいだろう。続けるぞ」

「ん、はい……」


 ユージィンの指先がシレーヌの胸全体を撫で、掌で小さなそれを持ち上げるようにしながら揉み上げる。暫くそうしてから両方の先端の周辺を指先でなぞりだした。


「んっあっ」


 ぞくりと刺激が走り、シレーヌは思わず声を出してしまった。背後にいるユージィンは口の端を上げ、両の先端を人差し指の先で極めて優しく撫でた。


「は、あ……んん……」


 徐々に、ふくりと肌着の上からでも分かるように小さな頂が立ち上がり、シレーヌからは甘い声が漏れた。


「感じるようだな。……それに声が可愛い。その声、俺以外には聴かせるなよ」

「ふぁ、あっぁ……王子……やっ、へん……」

「変になりそうなのはこっちだ」


 あの歌姫を、否、どんな女を抱いたときよりも気持ちが高ぶる。

 自分のことを偽りなく無邪気に好きだと言ってくれる。それだけで可愛くてしかたのない少女が、今ユージィンの為にユージィンの手によって女に変わろうとしてくれている。


「シレーヌ……」

「ひゃっ……!」

「っ!」


 耳元で呟かれた聞いたこともない声に、がくりとシレーヌの膝が崩れた。ユージィンは胸に添えてあった手で咄嗟に彼女の腰を支えた。


「どうした?」

「……ぞくっとして……腰が抜けました……」


 あまりにも素直な反応と返答。


「ふ……ははっ……可愛いな」

「わ、笑うなんてひどい!」


 シレーヌは後ろを向いて怒ったのだが、その唇にちょんっと初めて感じる柔らかさが触れた。

 事態がうまく呑み込めず呆気にとられるシレーヌに、ユージィンは見たことが無いほどに甘く微笑んだ。


「可愛いと言ったんだ」

「……い、いま……キス……しました……?」

「ああ、言われてみればしたな。無意識だった」


 確かな答えを聞いて、シレーヌの顔はぼんっと音がしそうなほどに一気に赤く染まった。


「無意識だったじゃないです! ファーストキスはもっとロマンチックにしたかったのに!」

「それはすまん。そうか、始めてだったな。では、ドレスをちゃんと着て庭に出ようか? やり直そう」

「ファーストキスにやり直しはないんですよ!」

「固いことを言うな」


 王子はなぜか楽しそうに言いながら、シレーヌのドレスの留金を閉じ始める。


「……もう終わりですか……」

「ああ、また今度にしよう。なあ、シレーヌ、急がずともいい。今のお前も俺にとっては可愛くて愛おしい存在なんだ」

「でも……!」


 なおも言い募ろうと後ろを向くシレーヌの頬に大きな手が触れて、そっと反対の頬にユージィンの唇が触れた。またも驚いて固まってしまったシレーヌだが、そんなことには頓着せずにユージィンは、額やこめかみへと次々と触れていく。


「こういうことは今でもいくらでも出来る」


 ユージィンはシレーヌと至近距離で視線を合わせ、いまだ呆然とする彼女ににこりと笑った。

 まだまだ子供だと思っていたシレーヌに、口付けすら早いと思っていた。だが、ユージィンが思うよりも彼女の心は成長していた。シレーヌにその覚悟があるのなら、出来ることをすればいい。

 事態を呑み込んで顔を赤くする少女もとても可愛いが、ユージィンの手で成長する彼女はどれほど艶やかになるのだろうか。本当に楽しみでならない。


「それと言っておくが、俺は別に巨乳が好きなわけではないからな」

「え!?」

「好きになるのは人であって胸ではないだろうが。相手にとって魅力的になろうと努力するのはいいことだが、相手の好みに合わせて無理に自分を変えて好きになってもらっても、色々辛くなるのは自分だろう。心配するな、俺はこのままのシレーヌが好きだ。似ている女性がいようが惑わされたりはしない」

「そう、ですか……。よかった……!」


 心底安堵したような笑みを浮かべるシレーヌに目を細め、その頬にもう一度口付けを落とし、ユージィンは小さな婚約者の細い肩を抱き寄せ部屋を出て、彼女と花咲く庭へと足を進める。


「じゃあ、マッサージは必要ない……ですね……」

「……まあ、……そのあたりは臨機応変に考えていこう……」


 そして、婚約者の呟きに、王子は歯切れの悪い言葉を返した。



 それから三年後

 ユージィン王子の腕をとるのは誰もが羨む可愛らしい女性。

 無垢な少女のような笑顔の、その姿を見れば誰もが癒されてしまいそうな雰囲気で。

 けれども、彼女の胸は男ならばつい目を吸い寄せられる程のサイズだったという。

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