幕間の逢瀬
昨夜私が受け取った主人からの指示を思い返す。金貨と錆びた銅貨、短剣と折れたマッチ。
おそらく、逃がした2人と追っ手の4人が直面している状況と同じであろう。
短剣は武具、金貨と銅貨は値動きの幅、マッチは火種だ。近いうちに争いの火種が表面化するが、寸でのところで急速に鎮火する。
私にはこのマッチを折るタイミングを操るように言われているのだ。
裏の使い走りから戻ると、昼前の酒場の席に客の宣教師とスティーブンの連れてきた童が並んで
座っていた。宣教師も説教するときの力強い声ではなく、穏やかな声で聖典の一節を読みながら
言葉や情景を説き、まだ文字を扱えない童に文字、単語の手解きをしていた。
この二人がいつの間に仲良くなったかは知らぬが、スティーブンが仕事に出ている間の
面倒を頼んだのだろう。
「おお。これはよい物ですな。ひとつ描かせて頂いてもよろしいか?」
絵描きの男が遅い起床で酒場に降りてきた。宣教師は一つ静かに頷いて目の前の席を勧めた。
彼もまた静かに手帳にペンを走らせた。
表通りの喧騒と厨房の音が遠くなっていく不思議な空間がそこにはあった。
私はカウンターの席に収まり、朝淹れて冷たくなった紅茶の残りに手を伸ばした。
ここ数日の出来事を紙に認めてペンを置く頃には店の奥にまで日が差し込む時間になっていた。
「今夜の支度、粗方できましたよ。」
厨房から顔を出した料理版はいつも以上に仕事をやり切った表情をしている。
「パトリック、少し話に付き合ってもらえないか?」
なんだい?と柱に肩を預けて、腕を組んだ。
「パットはうちに来る前軍隊付きの料理人だったよな?」
「あぁ将軍や上級騎士おつきの料理人さ。」
懐かしそうな顔を覗き見て、
「それなら軍隊の食料補給についての知識はあるか?」
「いや、そこは兵糧官の仕事だ、俺は運ばれてきた食材を提供していただけだから、
その辺はよくわからないんだ。」
「では、北の軍隊の素行は知っているかい?特に食料の略奪や指揮官の癖。」
パトリックは薄笑いを浮かべた。
「旦那は戦争でも起こすつもりなのかい?俺はパウ公国で務めていたからその内部については
分かるが、それ以外は何ともいえねぇな。」
そんな事は無い。と首を振ったところで酒場に最初の客が入ってきた。パトリックが軽く手を上げて
話を切り上げると白い歯を客に見せて仕事場に入って行った。
今夜は久しぶりに大事の起こらない夜になるな。
いつの間にか帰っていたスティーブンが長椅子で寝ていた童の横に座り、宣教師に今夜の食事を
勧めていた。
その席に交じりたい気持ちもあったが、一人の客を贔屓する訳にもいかない。
他の席で追加の注文を頼む声が聞こえた。
若い兵士風の男たちは気勢も飲みっぷりもいい。彼らの注文に任せて酒と料理を提供した。
やはり香辛料の香りは皆の食を進めるのだろう。
若者たちが千鳥足になる頃、背筋の伸びた妙齢の女性が入ってきた。
「遅くに失礼を、空いている部屋はありますか?」
「2-1の部屋をお使いください。食事はどうされますか?」
「後で部屋に持ってきていただけますか?それと、話し相手を一人手配して頂けたらとても
嬉しいのですが。」
客が帰路についたころ、簡単な食事のバスケットと紙類を両手に持って先の扉を軽く肘でノックした。
「お行儀の悪いことをなさるのね。」
部屋の中から静かな返答があった。私は扉を押し開けて入ると、部屋着になった彼女を見た。
壁に向かって座る彼女がしなやかな首の動きで私を見た。
「遅かったわね、私は約束通り遊びに来たと言いうのに。」
私は彼女の前に食事と蒸留酒を2.3滴垂らした紅茶を出しベッドに腰かけた。
サイドテーブルに紙とペンを広げ、彼女の顔を見た。
既にバスケットの中身を頬張っていた彼女は普段と比べて幼く見える。
指についたソースを軽く舐めとり、口を開いた。
「マリーたちから聞いているわ。上手くいっているようね。」
彼女が紅茶に手を伸ばしたのを見て私が質問する番だと察した。
「逃がした3人。この一日で彼らが今どのような動きをしているのかが知りたい。」
飲み下し、一息つく動き一つ艶めかしいこの女性の深い知恵を次の言葉で痛感させられる。
「追手の4人がそれぞれ、この宿に2名、港が監視できる宿に1名、東門の近くに1名宿泊していることが
確認できていましたので、馬車に乗せた3人をすぐに近場の私の息のかかっているお店に匿いました。
そして、港の桟橋につないだ小舟で待機していた小姓に合図を送り一隻港から漕ぎ出させました。
同時に陸路では北と西の2方向に荷馬車を走らせました。荷馬車の人間にはそれぞれ別の隣町で朝一の
買い付けを言いつけました。朝確認したところ小舟が一隻盗まれていたそうです。日の出後に
商人たちの列にまぎれて北に向かいました。宿場予定にしている宿、商館につき次第それらの場所から
使いの物を私のところに走らせます。今夜は野営の予定なので、明日の明け方には最初の知らせが
届くと思われます。」
「費用、だいぶ嵩んだだろう?」
私の野暮な質問も彼女は意に介していないようだ。
「この小さな歪みを大きな儲け話に変えるのが貴方の仕事でしょう?」
当然そうである。この数少ないパートナーは自身の能力をもって今夜私を脅しに来たのだ。
これ以上の協力を要請するなら金銭か儲けのビジョンを見せろと。
私は蒸留酒の瓶口に鼻を近づけ香りを楽しむ素振りを見せながら、力も信頼もあるこの友人相手に
どの順番で話をするべきかを考えた。
「武器が絡んでいる事は私にもわかります。戦争でも起こすつもりでしょうか?」
彼女が私に試案の時間を与えないように質問を投げてきた。
「戦争は起こさせない。私も戦争は望んでいません。」
「武器で荒稼ぎをするなら、武器の値上げが必要でしょう。値が上がるのは戦争の時なのが道理では
無いでしょうか?私が逃がす手伝いをした3名は、ライネスという男性が国内で値下がりした武具の
価格安定を図る政治的戦争を。ミラという女性の商人が糧食などの武具以外での戦争特需を求めての
戦争を。その大きな取引を成立させる為にあの若い男性商人ラッセルの扱う武具のルートが必要。
この3人は何が何でも戦争を起こすでしょう。」
この流れに乗って利益を出すつもりなのでしょう?と投げかける視線を指で遮る。
「開戦前夜までだ。その流れに乗せるのは開戦前夜までだ。皆が明日から死闘が始まると緊張の糸が
張りつめている所に状況が傾くほどのニュースを流す。戦いが無くなった戦場には持て余した武具が
溢れ、戦争の準備で国の財政は悲鳴を上げる。」
「その武具を安値で買いたたく算段なの?」
「そうだ。売り先も考えている。」
「何万もの人間が総じて納得するほどのニュースを貴方は持っているの?」
「なければ作るさ、それが商人だ。」
彼女は髪を後ろに纏めるような仕草をした。
「なら今まで以上にあの人たちから目を離すわけにはいきませんね。昨夜匿ったお店の娘を一人、
彼らに同行させましょう。賢く献身的な子をあの武器商人に惚れたとでも言って動向を願い出させれば
良いでしょう。」
ぜひともお願いしたい一言が出てきた。彼女はもうこの商売が得る利益に気付いている。
戦争そのものにかかる費用の大半を掻っ攫うのだ。
時に非道徳な手段さえこの利益の前には優先されるのだ。
3人がどのような動きをするか分からないなか、馬車の御者以外に直接内情を探れる存在が出来たことはこの上ない。
明日は方々に種を撒こう。