遁走の狐火
一方には命を助けられた恩人に
一方には協力的なタレこみ屋に
そういった立場を造る事は難しい。
今夜はその線引きが出来るか?
哀れな蝙蝠になるのはご免だ。
日が山に掛かったころ客は一気に増える。
今日も商人風の客が新たに3人と宣教師のような人が1人、画材を持った人が1人。
部屋から降りてきたらいろいろ話を聞いてみたいものだ。
「遅かったな。どこまで行ってたんだ。」
例の童を担いで帰ってきたスティーブンが入ってきた。
「あとで部屋に肉料理2食分持ってきてくれないか。
こいつが起きた時に腹を空かせてたら忍びない。」
はいよ。と返して、厨房のパトリックに声を張る。快活な返事が返ってきた。
階段の上り掛けで、例の宣教師風の男が酒場に降りてきた。
巨体を畳んで道を譲るスティーブンの動作は諂う動きでなくむしろ
不思議な優雅さがあった。
それは、狭い船内で走り回る内に身に付いた動きに見えた。
対照的に宣教師は譲ってもらうが当然の様に軽く方手をあげて答えただけだった。
客の相手や、料理の手伝いをしながら酒場の様子を観察する。
ラッセルは夕暮れ時には外出から戻ってきて、から酒場には降りてきていない。
例の追跡者はケテルでない方の男が今夜は酒場に張り込んでいる。
ブリジットは用意したサンドイッチのバスケットを手に引っ掛けると、
人の流れに逆らって出て行った。
先ほどの絵描きと思われる男が手帳になにやら走り書きをしている。
今夜は例の宣教師が話題の中心のようだ。宣教師は教会勤めの司祭たちとは違い
穏やかで諭すような口調では無く、背中を押すような頼もしい話し方をする。
「主人、ちょっといいかい?」
私が目の前を通った気配に絵描きの男が顔を上げた。
「何でしょう?もう一杯ですかな?」
「ああ、頼むよ。それとちょっとあっしの絵を見てくれないか?」
ふむ、即興絵の出来で自分を売り込んで宿泊費の値切りでも考えているのか。
「ほう。出航前の帆船かい?まさか、名のある絵描きさんですかな?」
少し彼の事を過小に見ていたことを心の中で詫びなければ。
「主人の絵を描かせて貰えないか?もちろん、書いたのちは買い取って欲しいんだが。」
ほらきた。絵描きや彫刻家、大道芸師のよくやる手法だ。
酒場や宿屋には多くの人が立ち寄る。そこで己の腕を見せつければ
思わぬ買い手に在り付くかもしれないからだ。
「いいだろう。ただ、私よりそこの給仕の娘の方を題材に書いてくれないか?彼女の方が華やかだ。」
「お、うれしいねぇ。明日の日中彼女のデッサンをさせてくれ。そこから構想を練るよ。」
リズが自分の名前が出た事に感付いてこちらに寄ってきた。
「何の話をしていらしたの?」
「この絵描きの先生に君を題材に一枚書いてもらおうと思ってね。」
「美しい御嬢さんだ。できれば君の働いている姿をぜひ書いてみたい。どうだい?」
「それなら、お受けしますわ。肖像画の様に何時間も座っているのは嫌ですから。」
「明日の昼、少しデッサンの為に時間を作ってくれ、ここで書きたい。」
リズと絵描きの男の握手を見守ってカウンターに引き返した。
「2-1使わせてもらうわよ。」
マリーが今夜も約束通りに来てくれた。
今夜は彼女がラッセルとライネスの2組を引き合わせる事が目的だ。
彼女が階段を上がりきって暫くして私も続いて上の階へ。目的は3-4ケテルの部屋だ。
「失礼。食事に降りてこない様なので様子を見に来ました。」
「あぁ食欲がないんだ。」
扉越しに問うと思った通りにそっけない返事が返ってきた。
「食べない訳には行かないでしょう。簡単なものですが用意しました。中に入っても良いですか?」
扉が内側から開き、彼が顔を覗けた。
「何の用だ?わざわざ来たのは食事の用では無かろう?」
「ええ、あなた方の事を知りたいのです。お話しして頂けますか?」
いいだろう。とかれは短く行って招き入れた。
お先に失礼。と口を濡らして彼にもワインを進める。
「俺たちのなにを知りたいんだ?その様子だとある程度調べているようだが。」
「ええ、あなた方の雇い主までは調べています。」
彼の目が鋭くなった。
「お前、ただの旅館の亭主ではないな?」
「昔行商人をしていました。その時の伝手を辿って調べました。」
「商人の目は神の如し。世間は上手いことをいうものだな。」
「剣呑な雰囲気のある客を安易に泊めておくわけにはいきませんから。」
「我々は目標の人物以外に危害を加えることは無い。」
「それは承知していますが、万一と言う事もあります。商人は心配性なのです。」
やっと彼も諦めたように話し出した。
「俺たちの何が知りたいんだ?」
「まずは、例の2人組を追っている理由です。」
「なぜ知りたいんだ?」
「私はその2人と話をしたことはありませんが、貴族様が付け狙う2人だ。
何かしらの儲け話を持っているのではないかと思った次第です。」
「儲け話か。それは分からん。」
「では、なぜ付け狙うのです?」
「主の利益を守るためだ。それ以上に稼ぐつもりではない。」
「なるほど、彼らの狙いに心当たりが有るのですね?」
「ある程度は、な。」
「それを教えて頂きたい。」
「ダメだ、商人なら自分で調べるといい。」
矢継ぎ早の会話に一息が入った。静かな部屋に蹄と荷馬車の音が響いた。
「では取引をしましょう。」
「いいだろう。」
「レナード金貨15枚で例の2人が泊まっている部屋をお教えします。」
「やはり匿っていたのか?」
彼の顔が明らかな怒りに染まった。
「私は客の安全を守っただけです。ただ、金貨15枚と例の2人に何らかの企みが
あるとの情報、彼らに動かれると損をする存在。この3つは、2人の人命より重く
なることもあり得ます。」
彼は乱暴に革袋から金貨を取り出した。
「教えてくれ。」
「2-1の部屋です。ただし、剣はお控えください。血痕が付いては部屋を提供できなくなります。」
「いいだろう。明け方に襲撃する。貴様が2人を逃がして金をせしめない様に見張っておくがいいな?」
「部屋は見張らなくてもよいので?」
「そっちは相方にやらせるさ。降りるぞ。」
酒場まで降りるとライネスは相方に耳打ちして私の定位置が見える席に座った。
そして、夜も更けて皆が各々部屋に引き上げて暫くしたころ、静かに立ち上がり階段に消えていった。
私は今日の事をそれぞれの視点で書き2-1,2-2,2-3,3-4の棚にしまった。
そして、薪割の鉈を厨房から持ってきてカウンターの上に置いた。
案の定その男は血相を変えて降りてきた。私の所まで一瞬で距離を詰めると
私の眉間を狙って細剣を閃かせた。
「部屋は空だった、なんのつもりだ?」
首を剃らせて避けた刃先が背もたれを貫いている。
私は鉈を取ると横方向に立ち上がりながら思いっきり細剣に叩きつけた。
大きな音と共に細剣は大きく曲がり柄を持ったままだった彼は衝撃で肘を痛めたようだ。
「呑気に明け方まで待ってたのはあなた方の落ち度でしょう?」
彼は直ぐ後に降りてきた相方と共に夜に消えていった。
改めて3-4の棚に一枚を仕舞い、大きく破損した細剣の処遇に頭を抱えた。
窮地からは逃した。
この先は私の手の内だ。
彼らの野心の大きさが私と主の利益になる。