黒煙の豹のお腹の中にて①
シヴァの声と共に代表者に選ばれた。
これから生徒会の面々は挙って自分を打ち倒そうとするだろうし、自分が倒されればその時点で1年5組は敗北する……小さな背中に圧し掛かる重責を感じていると、上空に浮かぶ伝達用のゴーレムから音声が響く。
『それではこれより、1年5組対生徒会の選抜戦第5試合を執り行います。開始まで3……2……1……』
3カウントの後に鳴り響いたブザー。試合開始直後、セラは自らの周辺に灰を巻き上げて姿を隠し、生徒会の面々や観戦者たちの目から自分の姿が見えないようにすると、新たに魔法陣を描いて精霊化を発動した。
子供から大人へ……かつて神族の魔の手から学術都市ほぼ全員の命を救った、今を時めく《灰の霊鳥》と呼ばれる外見を隠すと同時に、自らの魔力を純粋な精霊のものに変えることで魔法の安定性を向上させ、続けざまに新たな魔法を発動する。
ギリギリまで時間が掛かったが、シヴァやエリカ、クラスの皆の助けを借りながらようやく会得できた念写術……それによって写し出されるのは大きく複雑怪奇な魔法陣。
「…………っ」
この姿になったとしても、声が戻ることはない。
それでもこの魔法は、セラがようやく手にした〝自分で自分の身を守るための魔法〟……魔術師として、ようやく自立し始めたことの証。
だからこそ、彼女は万感の思いを込めてこの魔法の名を心の中で叫ぶ。
(《灰燼式・黒煙之邪豹》……!)
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少し時を遡る。
この試合における1年5組の代表者がセラであるという事実は、全生徒や教師陣は勿論の事、生徒会を驚かせた。
セラが前学長の意向によってまともに魔法を習得していないのは周知の事実だ。だからこそ多くの生徒たちが反撃も恐れず寄って集ってセラを虐げてきたのである。
今ではようやく魔術師として学び始めたが、それでも実力は付け焼刃も良いところだろう。そんなセラを、倒されればその場で敗退が決定する代表者に選ぶなど正気の沙汰ではない。シヴァも決闘のルールに従って守りに入れないし、たった3人でどうやってセラを生徒会から守り抜くつもりなのか。
「シヴァを代表者にするのはルール上少し無理があるとして……てっきり、もっとも守りが固いグラント・エルダーかリリアーナ・ドラクルが代表者となると思ったのに……」
「空間魔法による回避に長けた魔術師と、強固なゴーレムに全身を守られた魔術師……その2人を差し置いて、あんな役立たずを選んだ意図は一体何?」
ただの考えなしか、はたまたこちらを舐めているのか……いずれにせよ、その侮ったようにしか思えない人選は、生徒会一同に少なくない屈辱を与えた。
賢者学校最強集団に最弱の魔術師を神輿に選んで挑んできた、その慢心を砕かなければ気が済まない……少なくとも、ミカエラを除く面々はそう考える。
「相手の行動など関係ないわ。人数差は勿論のこと、魔術師としての実力も私たちの方が上。定石通りにいけば私たちの勝利は100%揺るがない」
シンディはまだどこか気の抜けた様子のミカエラに代わり、伝達用のゴーレムに代表者はミカエラであると通達し、1年5組と全校生徒に告知させた。
何やら不調の様子だが、そんな今の彼でも生徒会メンバーの中で最も強いはずだ。何の変わり種もない、王道とも言える人選……これで1年5組はミカエラを倒さない限り勝利が出来ない。
そうしている内に、生徒会と1年5組はそれぞれ指定された位置に着く。互いに第1野戦演習場の端と端……まるでチェスのように、無数の岩山を挟んで向かい合い、遂に因縁の選抜戦が開始される。
『それではこれより、1年5組対生徒会の選抜戦第5試合を執り行います。開始まで3……2……1……』
3カウントの後に開始のブザーが、上空に浮かぶ小型ゴーレムから鳴り、ようやく少し調子を取り戻した様子のミカエラが生徒会に号令をかける。
「……よし、それでは当初の予定通り、分断作戦を開始する。まずは――――」
より確実に相手を倒すための各個撃破作戦。生徒会の威信を保つため、生意気な後輩を黙らせるため、またストレスを発散させる道具を取り戻すため、この日まで練り続けた作戦を実行しようとした瞬間。
「な、何だあれは!?」
遠く離れた位置……1年5組の初期位置から膨大な黒い煙が濛々と立ち込め始めたのだ。
その煙はまるで意志を持ったかのように、巨大な豹の姿を象ったかと思いきや、爪と牙を剥き出しにして第1野戦演習場全体を呑み込むように広がり、生徒会全員を巻き込んだ。
「ゲホッ!? こ、これは!?」
「落ち着け! 魔力障壁を展開し、分析魔法を発動! この煙の正体を――――」
掴め……そう言おうとしたその瞬間、ミカエラは全てが遅かった事に気付いた。
「馬鹿な……他のメンバーは?」
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「ミカエラ!? 皆! 返事をなさい!」
先ほどまで側にいたはずのミカエラたちが消えた。
気配も探れなければ、魔力探知で居場所を探ることすら出来ない。声を張り上げたところで届くはずもなく、シンディの呼びかけは黒い煙で薄っすらと靄がかかった第1野戦演習場に空しく響いた。
「……先手を打たれたようね」
分断するつもりが、逆にこっちが分断されてしまった。
その事実を受け入れるしかなく、苦々しい表情を浮かべるシンディはふと疑問を抱く。
「それにしても……一体誰がこんな魔法を?」
一見して隠し属性の魔法であるということは分かるが、こんな事が出来そうな魔術師が1年5組にいるのかと言われれば、首を捻らざるを得なかった。
シンディも貴族の出だ。同じ貴族であるリリアーナやデュークが、それぞれ空間と樹木属性の使い手であるということは知っているし、これまで観戦した選抜戦の様子からもそれは明らかだ。
とは言っても、シヴァというのもあり得ない。彼は炎属性に特化しているし、今回の決闘のルールにあたって、シヴァが不正しないようにと幾つもの魔道具を取り付けられている。魔法を使えば即座に警報が鳴り響き、反則負けになっているはずだ。
ならばグラントか……と考えても疑問は消えない。そもそも彼女はゴーレム使いだ。となると、消去法で――――
「いえ、まさか……そんなのあり得ない」
自分たちを分断したのはセラだということになってしまう。
これまで散々見下してきた、あの小さく頼りない存在が栄えある生徒会のメンバーを、試合開始直後に翻弄した……シンディの凝り固まったプライドはその事実へ無意識のうちに蓋をする。
いずれにせよ、やることに変わりはないのだ。この黒い靄が掛かった第1野戦演習場の中から1年5組を見つけ出し、仕留めるだけ。
「……!?」
そう思った時、シンディの魔力探知に何者かが引っ掛かった。急いでその方角に向かってみると、魔力の持ち主は移動していないらしく、すぐに会敵するに及んだ。
……まるで待ち構えているかのように。
「ごきげんよう、副会長」
現れたのは4種類もの魔力が入り混じった金髪の娘……シヴァと並んで、シンディたちが最も汚らわしい存在と嘯く混血雑種。
「奇遇ね、リリアーナ・ドラクル。丁度良かったわ……私、貴女を探していたところなのよ」
「まぁ、それは奇遇ですわね」
金髪の娘……リリアーナは不敵な笑みを携え、臨戦体制へ移行する。
「私も貴女に用があって、こちらまでお招きしましたから」
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レーダスは忌々し気に舌打ちをした。
分断されたかと思いきや、まるで誘い出すような魔力を感じて……その当てが外れてしまったのだ。
その魔力の持ち主はレーダスが狙っていたシヴァのものではないが……事前の作戦で最初に仕留めると決めていた相手でもある。
そんな前座同然の雑魚がまるで挑発するかのように、これ見よがしに魔力を発しているのが気に入らない。レーダスは当初の作戦通りに仕留めることにし、その者の前に現れた。
「おい、モヤシ野郎」
「いきなり酷い言われよう」
掃き捨てるように蔑称で呼ばれたデュークは、本来荒涼としていたはずの地にうっそうと茂る雑木林を生やして待ち構えていた。
これまでの試合でも見せた、高低差や木々を利用したジャングルファイト……獣人たちの間で広く伝わる実戦武術を発揮するための場をあらかじめ作り出していたらしいが、レーダスはそんなものなど意にも介さないと鼻息を荒く吹き、近くの木に向かって強かに裏拳を叩き込む。
これは警告だ。まるで小枝のように圧し折れ、回転しながら飛んでいく木を眺めながら、「あんなのまともに食らったら死ぬんじゃないか」と遠い眼をするデュークに、レーダスは低い声で告げる。
「テメェみてぇなヒョロイ奴に構ってる時間はねぇんだよ。とっとと棄権してシヴァ・ブラフマンの居所を吐きやがれ。俺たち生徒会に舐めた口きいた、あのクソ生意気な1年坊は俺が直々に焼きを入れてやらねぇと気が済まねぇ」
「んー……そうも行かないんですよね。こちらとしては勝ちを譲るような真似をするつもりはないですし」
デュークとレーダスはそれぞれ同時に構え、辺りに独特の緊張感が拡がった。
流派は異なれど、同じく肉弾戦を主とする魔術師……互いの間合いや隙を読み合う、武芸者同士が向かい合った際に起こる静かな前哨戦だ。
「そのシヴァからも言われたんですよ……祭典で優勝を目指すなら、生徒会くらいサンドバックにして糧にしながら勝たないとって」
「あぁっ!?」
ワザとらしい挑発だったが、元々沸点がかなり低い気質なのだろう。明確な怒気を瞳に宿し、青筋と血管を同時に浮かび上がらせながら全身を魔法で強化するレーダス。
「生徒会くらい……だとぉ!? 今年の1年坊はどいつもこいつも舐め腐りやがって……!」
「何もおかしなことは言ってないと思いますけど。確かに少し失礼な物言いになってしまいましたけど、優勝なんて目標を掲げた以上、たかだか一校の代表に負けるようじゃやってられませんし……ねぇ?」
「抜かしやがれ! テメェらごときが祭典を勝ち抜ける分けねぇだろうが!!」
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黒煙の魔法が野戦演習場全域を覆い、生徒会が分断された時、アリスとフランツは離れ離れになることは無かった。
各個撃破するには人数差は最低でも同一以上にしなければならない。もし黒煙の魔法が生徒会を各個撃破するための分断目的だとするのなら、シヴァが何も行動しないという大きなハンデを自ら抱えた1年5組の内、誰かが生徒会メンバーの2人以上を同時に相手取らなければならない。
そう仮定した時、一体誰がアリスとフランツの2人と相対するのか……それは予想通りの相手だった。
「まさか……そんなものを持ち出した程度で、僕たちに勝てると思っているのか?」
2人の前に悠然と立つ巨大なゴーレム。その中に搭乗しているであろうグラントに、アリスとフランツは嘲るような視線を向ける。
「僕たち生徒会は引き籠って研究ばかりの魔術師と違って、実戦的な魔導戦を経験し続けてきた。そんな人形程度、どうとでもなるという事を先輩として教えてあげるよ」
「勿論、体にねぇ! 気味の悪い眼と角を持った紛い物のエルフ擬きが、研究塔まで与えられて好き勝手に振る舞っているのが気に食わなかったんだよねぇ! 今すぐその木偶の坊をスクラップにして、引きずり出してあげる! キャハハハハハハハッ!」
侮蔑の視線と言葉……それはグラントにとっては慣れ難くも、馴染みのあるものだった。
腹も立つし、悲しくもあるが、そういった輩は全て発明した魔道具の力で黙らせてきたのだ。
だから今回も同じ。言葉を弄するよりも、このゴーレムの力を見せつけて黙らせてやる……怒りで力む手から意図的に力を抜いたその時――――
「アンタが終われば次はセラね! ここ1~2ヵ月の間ですっかり生意気になっちゃってさぁ……自分がどういう立場なのか、また躾けて教えて上げなきゃ!」
「また木からぶら下げて、魔法射撃の的にして上げるのも良いかもね。今ならどんな風に顔を歪めるのかが楽しみだよ」
自分でもよく分からない怒りが、本来激情家のグラントの頭を沸騰させ、ゴーレムから魔法砲撃を速射させる。
吹き飛ぶ地面と砕け散る巨岩、それから逃れるように身体強化の魔法で後退するフランツとアリスをゴーレムの中から睨むグラントの怒りの根底には、パン粥の温もりと小さな手の感触があった。
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リリアーナとシンディ。デュークとレーダス。そしてグラント対アリスとフランツ。
黒煙に覆われた第1野戦演習場でそれぞれの戦いが繰り広げられる中、ミカエラは意外な人物が立ちはだかったことに瞠目する。
「……一体、シヴァ・ブラフマンはどういうつもりだ」
「…………」
その人物は答えない……否、答えられないというのが正しいのだろう。
怯えながらも引く様子の無い、あまりに小さく頼りない姿を見て、ミカエラは忌々し気に舌打ちをする。
「よりにもよって……よりにもよって私に対して貴様をぶつけてくるとは……どこまでも思い上がったものだな……! セラ・アブロジウス!!」
「…………っ」
先の敗北によってすっかり侮られたのか……シヴァに破れたことによって既に事実ではなくなったが、よもや賢者学校最強と呼ばれる自分に対して、正真正銘最弱の魔術師を相対させたことに、ミカエラは怒りの咆哮を上げたのであった。




