研究者はズボラがデフォルトらしい
選抜戦も中盤に差し掛かり、順調に勝ち星を築き上げていく1年5組。クラスメイトたちの戦闘技術を始めとし、魔法術式もまたより洗練されたものへと昇華されていく中、一つの暗雲が立ち込めていた。
「……そ、それじゃ……」
放課後、生徒たちが各々の帰路につく時間帯に、グラントは見るからにフラフラしながら席を立ち、5組の教室を後にする。
その背中を心配そうに眺めながめ、シヴァたちは一斉に互いに顔を見合わせる。
「なんか最近……彼女元気なくない?」
「そうよね。歩く時は何かフラつくことも多かったようだし」
「授業中も良く居眠りするようになったし……」
ああ見えて、グラントは結構真面目に授業を受けている。生来真面目な気質なのだろう、彼女が登校するようになってからは授業中に居眠りをするところなど見たことが無いのだが、ここ最近は椅子に座りながら居眠りをしている姿をよく見かけるのだ。
「訓練で疲れてるのかしら?」
「でも最近は選抜戦もあるから訓練は控えめだしね……何か、それ以外に理由があるとは思うんだけど」
「学校外での事でとか?」
「……多分だけどね」
そうなると、エリカやシヴァたちにどうにかできる可能性は低い。グラントはプライベートでは誰とも関わりを持とうとしないので、彼女の私事に介入するのは難しいのだ。
どうにかできないものかと全員が頭を抱え、精々訓練の頻度を落とすくらいしか対応策が取れないまま時間は過ぎて翌日、悪い予感は的中することとなる。
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「グラントが風邪?」
朝のホームルームで、そんな情報をエリカから聞いた5組の面々は、空席になったままの椅子に視線を向けた。
「今朝、私のところに伝書ゴーレムが届いてね。体調を崩したから今日は休むって」
【あの……グラントさんは大丈夫なんでしょうか?】
「私も心配になって、彼女の研究塔に行って様子を見てきたの。高熱ではなかったし、少し魔法で調べてみたら疲労による自律神経の乱れが原因みたいだね。とりあえず、今日と明日を安静にしてれば元気になるよ」
その言葉を聞いてホッと一息つくセラ。その反面、リリアーナは少し申し訳なさそうだ。
「……研究者気質の彼女に、少し無理を押し付け過ぎたかしら? 彼女の体力の事までは考慮していなかったし」
「それ言ったら、俺も訓練を任されてた身なんだけど」
「言ってはなんだけど、彼女は明らかに体力が無いからね」
セラはこの間、珍しくグラントが走っているとこを見かけた。何やら急いでいた様子だったが、50メートルも走らない内に両手を両膝に付けて、ゼェゼェと息を荒くしていたくらい、グラントの体力は少ない。
体格こそセラより上だが、心肺機能に関しては明らかにセラ以下だろう。そんなグラントは普段、大型ゴーレムに搭乗して戦う。運動量こそリリアーナやデュークほどではないにしても、試合に次ぐ試合によって、精神力は削られているに違いない。そこにシヴァとの訓練も合わさっていては、気力が削れるのも無理はないだろう。
「幸い、今日は選抜戦は無いし、明日と明後日は学校もお休みだから、次の登校日にはまた学校に通えるようになってると思うから、安心して」
疲労が原因と体調不良となると、効果的な治療法はとにかく休むことしかない。見舞いに行こうにも、人嫌いの気があるグラントがそれを歓迎するかどうか。
「それでちょっと先生からお願いがあるんだけど……今日配る予定のプリントを、誰かグラントさんに届けてもらうわけにはいかないかな? 今は教職員皆立て込んでる状態で……」
それを聞いて、控えめながらも真っ先に手を上げた人物がいた。それはリリアーナでもシヴァでもなく、意外な事にセラだった。
【あ……あの。その役目、私に任せてもらっても良いですか……?】
「それはこっちからお願いしたことだよ。ありがとう、セラさん」
「それじゃあ、俺も付き合おうかね」
シヴァの恋愛感情とかを抜きにしても、生徒会までもが明確な害意を示している今、セラを一人で出歩かせるのは危険だ。
こうして放課後、セラはシヴァを付添人としてグラントの研究塔へと向かう事となった。
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そして放課後。夕焼け間近の日に照らされる研究塔にまで来たセラとシヴァ。錆び付いた鉄扉に備え付けられた鈴を鳴らすが、反応は無い。
【寝てるのでしょうか……?】
もしそうなら、塔のポストにプリントを投函して帰った方が良いかもしれないと思い、シヴァの方に振り返ってみると、彼はやけに険しそうな表情を浮かべている。
「いや、魔力の動きを感知してみたけど……あいつ、何か動き回ってるぞ」
体調を崩しているのではないのか……そう思ったシヴァは思い切って鉄扉を押してみると、鍵は閉められていなかったようで簡単に開いた。
そのまま少し悪いと思いながらも、主の許可を取らないまま二人は塔へと踏み込み、グラントの魔力を感じられる先へとシヴァの先導によって向かう。
「おいおい……お前何やってんだよ?」
「……え? あ、あぁ!? お、お前ら何でここに……!?」
グラントが居たのは、高温の炎が燃え盛る錬鉄用の大釜が稼働した工房だった。どうやら新たな合金を生み出そうとしていたらしく、グラントは体調の悪さが顔に出ているにも関わらず、汗だくになりながら作業をしている。
「体調悪いんだろ? それなのに火作業とか、自殺志願者なの?」
「う、うるさいっ! わ、私のことなんて、どうでもいいだろ……!?」
【で、でも今にも倒れそうです……っ】
「じ、自分の事なんだから、わ、私がどうしようが勝手だし、どうなっても私の責任だ……! お、お前らには関係ないっ」
何を言っても聞き入れようとせず、作業に戻ろうとするグラントにシヴァは一瞬真顔になる。
「なぁ、この炉に何か入ってるの? 火が付いてるだけ?」
「……は、はぁ? いや、これから入れようと思ってたから、火が付いてるだけだけど――――」
「ていっ」
シヴァが素早くグラントの眼前で柏手を打った瞬間、パァンッ!! という凄まじい音が工房内に反響し、グラントは糸が切れた人形のようにバタリと地面に倒れて、眼を回しながら気絶した。
不意打ち気味に目の前で爆音を響かせることで相手を強制的に気絶させる、《滅びの賢者》の猫だましである。
「大人しく寝てろ、しゃらくさい。セラ、今の内にコイツをベッドの上に放り投げとこうぜ」
【あの……いいのでしょうか? こんなことして……】
「いいっていいって。古今東西、今も昔も、病人の分際で大人しくしない奴が悪いんだから」
そう言って、シヴァはグラントを肩に担ぎ上げてベッドのある部屋を探す。大抵の部屋は埃塗れで乱雑に資材や魔道具が置かれた物置部屋ばかりだったが、一室だけ山のように積み重ねられた資料と机、そして乱れた布団が上に乗っかっているベッドが設置された部屋があった。
「どこもかしこも埃塗れだな……ゴミもあちこちに散乱してるし」
セラが来る以前のシヴァの屋敷……というほどではないが、この研究塔も十分ゴミ屋敷だ。よく見て見ればカビも生えているし、部屋の隅には出来合い料理のから容器が詰まったゴミ袋が幾つも積まれているし、ベッドが置かれている壁際の窓など、汚れすぎて外がくすんで見えるくらいだ。
(前に来た時も思ったけれど、これは……)
始めてきた時も埃っぽい場所だと思っていたが、改めて内装を見てみると実に酷い有様だ。こんな汚部屋では、休んでも満足に体調の回復が見込めるとは到底思えない。歩き回っているだけで舞い散る埃で喉を痛めそうだ。
あまりに酷い状態の研究塔を見回して、セラは意を決したようにシヴァに問いかける。
【あの……お掃除をしていっても、良いですか? このままじゃ体にも良くないですし……体調が悪いと、ご飯も用意できないんじゃないかって……】
「俺は良いと思うけど……大丈夫か? 勝手に色々やったら怒られない?」
【その時はその……いっぱい、謝ります】
無許可で掃除などすれば、グラントは気を悪くするかもしれない。その事は当然セラも考えたが、この状態を放置してグラントの体調を悪化させるのとどちらが良いのか……その2つを天秤にかけ、セラの中で前者に傾いた。
「そういう事なら、俺も手伝おうかね。……まぁ、役に立てるか分からないけど、物運ぶくらいなら何とかできるし」
【え……? で、でも……シヴァさんの時間を割いてもらうわけには……私が言いだしたことですし、私1人で……】
「いいっていいって。乗り掛かった舟だし。何から始める?」
有無を言わさぬ様子で制服の上着を脱ぎ捨て、袖をまくるシヴァにセラも観念し、同様に上着を脱いで袖をまくると、シヴァに指示を出しながら掃除を開始した。
気絶してしばらく目を覚まさない様子のグラントは学校の医務室に寝かせると、シヴァが物の位置を全て記憶しながら徹底的に磨き上げていく。
エリカから教わった、掃除にも大いに活用できる生活魔法である、壁や窓、床に付着した汚れを綺麗に拭う《塵埃落》、念動力と探知の魔法術式を組み込むことで、床や棚の上にある埃や髪の毛といった生活汚れを一ヵ所に集める《芥蒐集》、そして布や床に発生したカビを落とす《黴洗浄》。
そういった様々な生活魔法を、元来高い掃除スキルを誇るセラが使うことによって、研究塔は見る見るうちに磨かれていく。
荷物の類は全てシヴァが持ち上げては元の位置に戻し、水の汲み替えやゴミ出しを全て受け持つことでセラをフォロー。洗濯ものもシヴァが放つ炎の灼熱を遠くから当てることによって、布団やマットですらも瞬時に渇き、居残りで仕事をしていた職員が帰宅する直前には、グラントの研究塔は光を放っているのかと思わせるくらいに綺麗になっていた。
こうして全ての掃除が完了し、シヴァとセラが保健室に置いてきたグラントを回収しに行くと、当の本人はまだ起きる気配もなく寝息をたてていて、二人は顔を見合わせる。
「……気絶させただけなんだけど、随分寝るな」
【まだ起きそうにないですけど……やっぱり、ここ最近ずっと疲れてたのでしょうか?】
そのままグラントを肩に担いで研究塔のベッドの上で寝かせてもまだ起きる気配が無い。掃除をしても変わらず資料が山積みになった部屋で眠る彼女を心配しながら一瞥し、シヴァは外に置いてあったゴミ袋を纏めて捨てに、セラは恐らく一度も使われていなかったであろう狭い調理部屋で、消化の良い食べ物を作り始めるのだった。




