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灰の精霊


 時は遡り、学術都市。


「…………っ」


 両腕でノートを抱きしめるセラは、口からハァハァと息を吐きながら街の中心にある、学術都市で一番背の高い建物である塔を目指して、道端に転がる魂を抜かれた無傷の死体を飛び越えながら走る。

 体の小さなセラは、その運動能力や心肺機能も子供並みだ。走り過ぎて脇腹が引き攣るような痛みに顔を歪めるが、それでも止まるわけにはいかない。肉体から引き剥がされた霊魂が完全に分解されてしまうまで、もう時間も迫ってきているのだ。


「……っ……っ」


 荒い息を吐きながら止まることなく塔に辿り着き、中に入って階段を駆け上がるセラ。

 この塔は四六時中一般開放されている学術都市のシンボルのようなものだ。屋根もなく開けた屋上には授業の開始と終わりや、放課後や昼休みを告げる為に学術都市全域に鳴り響く大鐘の魔道具が設置されているのだが、目的はそれではない。出来るだけ高く……遮蔽物が視界に入らない場所に来ることが目的だ。


「っ……っ……!」


 何とか屋上まで辿り着き、乳酸が溜まって感覚がなくなってきた足が縺れそうになりながらも、セラはノートを広げながら上空を見上げる。

 この屋上は観光名所としての役割も果たしており、夜になれば自動で灯りをともす魔道具も設置されているので、広げたノートも読むことが可能だ。

 幾万人にも及ぶ学術都市全員の救命……その役割を小さな体で背負ったセラは震えそうになる利きの右腕を左手で強く握りしめると、右手に魔力を集中させて空に向ける。

 魔力の残光によって、ノートに書かれた魔法陣を宙に描こうとしているのだ。魔法陣を構築する速度も重要だが、それ以上に正確に仕上げるために何度も何度もノートを見ながら、夜空という巨大な用紙にゆっくりと魔法陣を記していく。


(上手くいくかどうか分からない……けど)


 長い長い人類史においても、恐らく過去例の無い魔法を行使するための陣を描きながら、セラはシヴァからの教えを思い出していた。


   =====


『炎という属性に、本来死者を蘇らせる力はない』


 そう聞いた時、セラは思わず首を傾げた。これまでさんざん炎の魔法で死者を蘇らせておきながら何を言っているのかと。


『本来炎とは物体を燃焼させるだけの力……地属性を始めとする他の要素が合わさって副次的な力を生み出すこともあるけど、水の塊である生物の肉体を元通りになんて出来るわけが無いんだが……それでも俺の魔法、《生炎蘇鳥(フェニクス)》は魂の情報から肉体を再構築することができる。そのカラクリの正体が、これから教える術式だ』

【はい】


 シヴァは炎で魔法陣を象りながら説明を始める。


『俺が生まれるよりも更に昔の魔術師たちは、口にした事が自然法則を逸脱させて実現させることができる最強種、神族や悪魔の力を参考に、今までは額面通りの力しか発揮しない属性魔法に新たな力を与えるための術式の研究に没頭していてな。その過程で神族や悪魔を調査していく内に、1人の魔術師がとある種族を発見することとなった』

【ある、種族?】

『神族や悪魔が人類が生み出す概念や信仰といった思想と自然界の魔力が混ざり凝って誕生することは説明しただろ? 信仰が今よりもずっと生活に根深く浸透していた大昔では神話や宗教、民間信仰に出てくる神や悪魔は次々と生まれていったんだが、その中には神族や悪魔として誕生するための条件を満たしているにも拘らず、誕生しない存在があったんだよ』


 片手に点した炎を不死鳥の姿に変えるシヴァ。


『それが幻獣種。神族や悪魔になり損なった、魔術師の思想上だけに存在する種族だ』

【……どうして幻獣種は実在できなかったのですか?】

『その原因は今でも分からない。何か条件があるのだと思うけど……当時幻獣種を発見した魔術師たちにとって重要なのは、個の存在として確立した神族や悪魔からリスクや代償付きで力を借りることなく、それらに比類する力を魔法に与えることができるという点だった』


 大多数の人類から生まれた概念や思想は魔力と混じりあい、力を得る。肉体を得て個の存在として確立した神族や悪魔の力を借りるには直接的な干渉が必要不可欠だが、幻獣種は形を持たずに彷徨う、眼に見えない力の源……それを何らかの利用が出来るのではないかと、発見した魔術師は考えた。

 

『そして生まれたのが理論(幻想)の中でだけ存在する超常的存在の力を借り、悪魔や神族に人類が立ち向かう力を与える高等術式……通称、幻想術式と呼ばれる、大勢の人類から発せられる概念や思想に自分自身の魔力を混ぜて、あり得ない現象を引き起こすものだ。4000年前までは、一定水準を超えた魔術師たちが神族や悪魔と渡り合えた最大の理由だな』

【それじゃあ……シヴァさんが使っている蘇生魔法も……】

『あぁ。セラも不死鳥という存在くらいは知ってるんじゃないのか?』


 そう聞かれてセラは頷く。幾度命を落としても、自身を焼き尽くして灰の中から蘇る、世界中で知れ渡った空想上にだけ存在する霊鳥だ。


『例として、俺の《生炎蘇鳥(フェニクス)》も世界中の人類が発している不死鳥の概念に自分の魔力を混ぜ込み、空想上にだけ存在する命を生き返らせる炎を実現する魔法術式ってわけだが……実を言えば、俺の適正属性じゃ神話に記される不死鳥の力を最大限に発揮することはできない。なぜなら不死鳥の神髄は、どれだけその身が砕けても、最後には〝灰〟の中から復活することにあるんだからな』

【灰……ということは】

『そうだ。不死鳥という概念的存在……その力を最も強くこの世に権限出来るのは、灰の適正属性を持つセラだけだ』


 聞けば聞くほど荒唐無稽にすら感じる高度な魔法術式、それによって生み出される神の如き力。それをこれから自分が行使するのだと考えると、状況も相まって必定的に緊張するセラだが、その心情を察したかのようにシヴァは穏やかに語りかける。


『昔、誰かが言ってたよ。魔法って言うのは、扱う奴の性格で向き不向きが現れるってな』

『…………?』

『多分、実際にそうなんだと思う。俺みたいに戦う事ばっかり考えてた奴は破壊に特化した魔法が得意になるし、グラントみたいに物作りに没頭できる奴は錬金術とかが得意になる。そして医療系の魔法が得意な奴っていうのは、セラみたいな奴が多いみたいだ』


 それはまるで、何の迷いもなく、失敗すら恐れていないかのような不敵の笑み。


『成功確率は低いっていったけど、実を言えば成功するんじゃないかって、俺は根拠もなく確信してる。だってお前は、《破壊神》呼ばわりされた元世界の敵とだって一緒にいてくれるくらい、優しい奴じゃないか』


 性格は魔法の才能の1つ……セラには他者を救う確かな力が秘められているのだと、古の時代を生きた最も強い魔術師は断言する。


『どこの誰かも分からない奴が、大勢の命を巻き込む企み何か、灰の翼でぶっ飛ばしてやれ。上手くいかなかったとしても、俺が一緒に責任でも何でも背負ってやるさ』


  =====


 不安は消えたわけではない。それでも、こんな自分を信じたシヴァに応えたい。その一心でセラは魔力の光が灯る手を走らせ、学術都市上空に巨大な魔法陣を描いていく。

 幻想術式は、理論上だけで存在する神族や悪魔に匹敵する幻獣種に魔力を与えることで限定的に顕現させ、その力を行使する術式。今セラが描いている魔法陣は、とある幻獣種の力を図式化したものだ。

 人類が文明を築き上げた黎明期から種族問わず世界中で信仰を集める、《創造神》クリアを主神とする世界最大宗派の1つ、創神教(そうしんきょう)。その宗教が教え伝える重要な信仰神話において最も重要な役割を担う3体の幻獣種が存在する。

 クリアによる世界の創造から始まる、維持と破壊、そして再生からの維持という3つの機能によるサイクル……これは世に三獣論(さんじゅうろん)と呼び、それぞれに対応した神獣が存在する。

 発展と維持を司る神狼。破壊を司る悪竜。そして、世界中に広まる不死鳥伝説の原典である、破壊されて灰の山と化した世界を元に戻す霊鳥……今回セラが幻想術式によって疑似的に顕現させる、破壊からの再生を司る巨鳥(きょちょう)だ。


(出来た……ここから……!)


 日付が変わる1時間前になって完成した魔法陣。それを時間が許す限り見直すと、今度は地面にもう1つ……エリカから教えてもらった精霊化の魔法陣を描き始めるセラ。

 人類と精霊のハーフであるが故の魔力の運用の不安定さを解消し、魔法のコントロールを上げることで成功率を高める。精霊化した状態で魔法を使うのは今回が初めてだが、これほど高度な魔法となれば自分自身の精度を上げなければ話にならないだろう。


「…………っ!?」


 エリカと一緒になって必死に覚えた、一時的に人としての要素を排し、自らを完全な精霊と化す魔法陣を書き終えた時、大気を引き裂くような微かな音と共に凄まじい威圧感を感じ取ったセラ。

 彼女本人は自覚していないが、極限状態で精神が機敏になったことで、偶発的に魔力探知を行っているのである。慌てて威圧感を感じる方角を振りむいてみると、暗い夜空でも分かるほど巨大な水塊が飛来してくるのが見えた。 

 

(そんな……後、少しなのに……!)


 恐らく都市の人々の魂を抜き取った何者かの攻撃。このままでは今セラが居る鐘の塔に直撃するだろう。そうなれば自分の命が助からないどころか、リリアーナやエリカ、グラントたちを始めとした学術都市の人々も助からない。

 思わず絶望してしまいそうになった……その時、都市を覆い隠すように燃え広がる炎の壁が、城塞をも砕きそうな水の砲弾を弾き飛ばした。


(……シヴァ、さん……!)


 触れるもの全てを焼き尽くす炎の大結界。多くの人はこれを見て恐怖を感じるだろうが、何時だって彼の火によって守られてきたセラは、この炎が脅威ではないということを世界でただ1人知っている。

 まるで陽光を受けているような温気に包まれ、セラは炎の結界に全幅の信頼を置きながら、精霊化の魔法陣の魔法陣に魔力を流し込んだ。


「…………っ!」


 その瞬間、渦巻く光の渦がセラを包む。エリカ監修の下、何度が試しに使ったことがある精霊化の魔法だが、何度やっても慣れない、自分の内側から何かが飛び出しそうな不可思議な感覚が全身を駆け巡る。精霊化によって引き起こる彼女の変化はまるで早送りをするかのようだった。

 子供のそれと同等の長さであった手足はしなやかさを保ったまま大人の手足と同じくらいに伸び、高くなった背丈よりもさらに長く伸びて地面に引きずるほどになった灰色の長髪には半透明のベールが被せられ、ところどころに青白い火が燻っている。

 肉付きの薄い体は一変して、豊かな胸が主張する女性的な体となった。耳はより長く伸び、全身に入れ墨のような紋様が浮かび上がると、万人を魅了する肢体を踊り子のような民族服に似た、魔力で編まれた精霊の衣装で包み込む。

 子供が大人へと急成長したような劇的な変化を遂げたセラは、月明かりを受けながら美しく輝く美貌を上空の魔法陣に向け、手を翳す。

 人としての要素を排し、灰の精霊として覚醒した彼女によって神話の如き奇跡を引き起こす、その魔法の名は――――


(《灰燼式・灰之鳳凰マギア・フェニキシアン・グレイアー》……!)


 セラの背中に生える巨大な灰の翼。世界が焼け落ちた残骸から人々を復活させる霊鳥の権能そのものと言ってもいい力の塊が、その威を示す。

 羽ばたきによって巻き起こる豪風と共に炎の結界は散り、翼から青白い火が燻る、灰で出来た羽が雪のように学術都市全体に舞い落ちる。

 夜闇の中で青白い光を纏いながらヒラリ、ヒラリと舞い落ちる灰の羽が地面や屋根、絶命した住民たちの体の上に落ちた瞬間に強い光と共に弾けると、その光を浴びた霊魂は瞬時に削られた肉体情報を修復させ、元の肉体へと戻っていく。


『うっ……な、なんだ? 寝てしまっていたのか……?』

『うぅん…………え!? な、何で!? 何で私道端で寝ちゃってたの!?』

『……は!? も、もう夜!? 今日は夕方に用事があったのに!!』


 破壊された存在を元に戻す事に長けた、治癒や再生とは格が違い、復元や蘇生とは一線を画する、復活の魔法。それが灰の精霊にして魔術師、セラ・アブロジウスの力である。

 次々と息を吹き返していく住民たちの声が下から聞こえてくる。やがてそれは都市を揺るがすほどの喧騒となり、それを聞き届けた途端に緊張の糸が一気に解けて、全身から力が抜けたセラは精霊化を維持できず、いつもの姿に戻ると共に地べたに座り込む。

 足の力が抜けて、全身は虚脱感に包まれる。典型的な魔力不足によって起こる体調不良である。幾らシヴァから魔力を譲渡されたからといっても、これだけの大人数を一斉に復活させたのだ。しばらくは動けそうにない。


(……こちらは無事に終わりました。あとはシヴァさん……どうかご無事で……!)


 街の人々が助かって本当に良かったと胸を撫で下ろしそうになったが、まだ完全な解決には至っていない。セラは水の砲撃が飛んできた方角に向かって、ただ一心にシヴァの武運を祈り続けた。


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