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賢者学校の問題児


 背中まで届く明るい栗色の髪を後ろで束ねてビジネススーツを身に纏う小柄な女性は、その鈍色の瞳を真ん丸と開いて、アムルヘイド自治州の学術都市、その中心に位置する賢者学校の職員室で途方に暮れていた。

 歳は20歳を過ぎて3年となるが、その150センチは超えていないであろう身長と童顔極まる整った容姿は未だに中等部……下手をすれば、初等部の生徒と間違われかねない。

 しかし、そんな彼女は歴とした、4000年前に世界を滅ぼしかけ、復活を予言された《破壊神》と戦った《滅びの賢者》を……ひいては、それに準ずる魔術師たちを育成するための教職員の1人なのである。


「それでは今日より我が賢者学校に赴任することになったエリカ・アウレーゼ先生ですが、新人教育の一環として1年5組の担任を務めてもらうこととなりました」


 


 任せられたクラスに割り当てられた教室に向かいながら、新任教師であるエリカはそっと思い溜息を吐く。


(不安だなぁ……。わたし、ちゃんと先生が出来るかな? ……しかも、あの噂(・・・)の5組で)


 それは職場に勤め始めた初日なら誰もが思う不安ではあるが、エリカの気が重くなる要因は初仕事だからというだけではない。

 2000年近い伝統を誇る賢者学校だが、今年度から高等部1年生から上の学年は成績ごとにクラスが振り分けられるという、実力主義的な制度が設けられたのだ。

 今年高等部に進級、または入学してきた生徒は最初の1ヵ月の間は仮のクラスに、成績を纏められれば改めて実力に見合ったクラスに振り分けられるという訳である。


(わたしが担当するのは、1番成績の悪い生徒たちが集まる5組……もっと悪く言えば、問題児の集まり)


 そしてそれこそが、エリカが不安に思う最大の理由である。ただでさえ教師として初めての現場だというのに、いきなり底辺クラスの担任を任されては誰だって不安に思うだろう。

 きっと教室の中では改造制服に未成年の喫煙、教室の壁や机に落書き、叩き割られた窓ガラスといった無法地帯が広がっているのではないかという、妙な妄想まで働く始末だ。


(ま、まぁ……流石そこは名門校だし、そこまではないんじゃないかなぁって思うけど。……思い、たいんだけど……なぁ)


 無理矢理ポジティブに考えようとしてもそれすら阻まれる。その理由こそが、あの噂(・・・)の生徒の事だ。

 シヴァ・ブラフマン。今年度から高等部に入学してきた生徒なのだが……たった1ヵ月の間で賢者学校史上最大最悪の問題児と噂されている生徒である。

 編入試験で州外の武闘派名門貴族の子息を精神的に再起不能にまで追いやり、入学したらしたで、模擬戦でクラスメイトを徹底的に痛めつけて、その8割を不登校にした。

 壊された学校の備品や設備は数知れず。魔法で破壊不可能とされるミスリル製のゴーレムは完全消滅。魔力測定場は魔力を放出しただけで大破。野戦演習所は半分は吹き飛ぶ。他にも、この1ヵ月の間で校舎の壁に大穴を開けただの、グラウンドに巨大なクレーターを作っただの、物騒な逸話が絶えない。それが嘘ではないという痕跡が至るところに残っているだけに、エリカも安易に嘘だと否定できない。


(普通ならもう退学になっててもおかしくなさそうなんだけど)


 話を聞くに、いずれも授業の一環である魔法演習によって破壊されているらしい。信じられない話だが、当の本人はワザとではなく加減が出来ないとか苦しい言い訳をしているとか。

 とは言え、魔法演習以外での授業では非常に大人しく、被害も出していない。あながち嘘と断定することも出来ない上に、賢者学校の教職員たちも、圧倒的な破壊能力を秘めた魔法を操るシヴァに面と向かって逆らえず、また放り出すことも出来ない。

 少なくとも、賢者学校においておけばあの危険人物の行動をある程度縛れる。逆に退学などにすれば、その後シヴァが問題を起こすことで巡り巡ってどんな風評被害が賢者学校を襲うか分かったものではないのだ。


(それ以上にシヴァ君の魔法は確かに強力で、あの行事(・・・・)には使えるかもしれない、かぁ)


 今の不利益を優先するか、先の名誉と利益を優先するか。以前まで学術都市を統括しながら賢者学校の学長を務めていたマーリス・アブロジウスが娘のエルザともども失踪し、臨時でアムルヘイド自治州の代表であるドラクル大公が学長を兼任する今の賢者学校では、シヴァの力をいずれ来る行事に活用出来るのではないかと考えているようだ。


(それだったら、わたし(新人)じゃなくて、もっとベテランの先生が担任を務めればよかったんじゃ……?)


 いくら使う魔法が強くても、器物や設備を破壊しまくるシヴァは問答無用で底辺クラスである5組に入れられた。ただでさえ問題のある生徒が集まるクラスなのに、そこに特大の問題児が入ったとなれば、誰も担任などやりたがらない。

 事実として、僅か1ヵ月の間でシヴァの担任を務めていたアラン・ラインゴットは30歳ほど更けて髪の毛が全力後退したらしい。今日初めて会った時は50歳くらいの先生かと思ったら、実は20代だと聞いて心底驚いたものだ。

 端的に言えば、体のいい生贄である。失っても大して損失のない、経験の浅い新米教師に厄介毎を押し付けて、元からこの学校に勤めていた教員たちはシヴァを恐れて逃げたのだ。

 一体どれほどの問題児なのか……不安で不安で仕方がないエリカだったが、自らの両頬をパンッ! と平手で叩いて喝を入れる。


(ううん! そんな弱気になっちゃダメ! どんな経緯があっても、わたしは今日からシヴァ君の先生なんだから!)


 夢か理想か、はたまた信念か。溢れる情熱を持って教職の道を選んだエリカは、相手がどんな問題児でも真摯に向き合って導くと決めていたのだ。実際に生徒本人の人となりも知らずに、噂だけで偏見を持つなどあってはならない。

 そう思ったら、不思議と先ほどまで重く沈んでいた心が浮き上がってくる。すると丁度良く、1年5組の教室が見えてきた。


(か、隔離教室……。しかも野戦演習所の片隅に建てられた小屋)


 1年5組用校舎と、看板が壁に掛けられていることから間違いなくここが5組の教室なのだろう。

 成績ごとにクラスが振り分けられるが、もちろん成績が良い方が好待遇で、悪ければその逆だ。

 最高成績者が集まる1組の教室を見て見たが、そこはまるで貴族の館の大広間のような広さと豪華さに加えて設備が充実しているのに対し、こちらは小さな小屋1つ。

 実力主義の結果と切り捨てればそれまでなので大きな文句は言わないが、こうも本校舎から離れた場所に隔離されると思うところがある。


「な、嘆いていても仕方ないし、とりあえず入ろう」


 そして元気な挨拶で生徒たちとの出会いを飾るのだ。エリカは教員になることが決まったその日からずっと考え続けた、生徒たちとの出会いのシチュエーションを頭の中で反芻し、5組の教室である小屋の扉を開けようとした瞬間――――


「きゃあああああああああああああああっ!?」


 教室の8割以上が吹き飛んだ。  




 事の始まりは3日前まで遡る。

 4000年前、世界を滅ぼさんとした末に5人の英雄と精霊の主、2柱の神によって討伐されたという《破壊神》シルヴァーズ。時空を超えて復活を果たした最強最悪の存在は今――――


「おじちゃん、このニンジンよく見たら傷だらけだ。もっと安くしてくれよ」

「兄ちゃん、根菜相手にその言い掛かりはないだろ。土の中から引っ張って取るんだから、傷くらい付くって」


 学術都市の市場に位置する八百屋でニンジンの値引きをしようと店主と交渉を始めていた。

 一見すると何処にでも居るような茶髪の少年だが、彼は紛れもなく世界中から恐れられたシルヴァーズその人である。


「え? あ、えー……じゃあ……。くっ……! ダメだ、この店の野菜は状態が良すぎるものばかりじゃないか!」

「お、おう。ありがとよ。それで、ニンジンは買っていくのかい?」

「あ、はい。買います。とりあえず、3本頂戴」


 ……もっとも、世界を滅ぼすだのなんだのは全て、以前まで掛けられていた呪いの弊害による誤解なのだが。

 彼の正体を現代を生きる人々が知れば目が飛び出るほど驚くか、決して信じようとしないかのどちらかだろう。伝説に語られる《破壊神》なら、野菜を奪うことはあっても、野菜の値切り交渉を始めた挙句、ぐうの音も出せずに言い負かされることなどある訳がないと。

 何はともあれ、本当の彼は世界の破滅など欠片も目論んではいない。今はシヴァ・ブラフマンと名を改めて、賢者学校の学生として暮らしているのだ。


「という訳で、値切りをやってみようと思ったんだけど、無理だった。この本の通りにやってみようとしたんだけど……おかしいなぁ」

【……流石に今時、何の理由も無くオマケしてくれるお店は少ないと思いますけど】 

「そうなのか? この本、去年初版が出た比較的新作の部類だと思うんだけど」


 左手にニンジンが入った袋を、右手に『買い物上手! 正しい値切りと節約の仕方』というタイトルの胡散臭い本を持って、子供のように小柄な少女と共に帰路についた。

 色素の薄い灰色の長髪を靡かせ、翡翠色の大きな瞳でシヴァの顔を見上げながら文字が記されたホワイトボードを向けてくるのはセラ・アブロジウス。この学術都市を統治していたマーリスの実子であるが、故あってシヴァと同居している少女だ。


(揃って買い物をしながらこの何気ない会話……まるで前に読んだ小説に出てくる夫婦みたいじゃないか。……うっ。なんか顔が熱くなってきた)


 そして何より、シヴァは一目惚れした相手でもある。セラの外見は10歳過ぎた程度でしかないので、(はた)から見ればロリコンだの性犯罪者だのという謗りを受けざるを得なさそうだが、念のために補足しておけばセラの実年齢はシヴァと同じで、シヴァが生まれ育った4000年前は10歳からの結婚など当たり前の時代であった。


「そういや、明後日(あさって)だったよな? 新しいクラスが発表されるのって」

「…………」


 小説の読みすぎかつ、童貞少年丸出しな思考を振り払おうとして話題を急に変えるシヴァに、セラは特に疑ったり勘繰る様子もなくコクリと頷く。

 今日は賢者学校2連休の初日。今も学校では教職員たちが生徒を成績順にクラス振り分けするのに勤しんでいることだろう。それに伴ってクラスメイトが変わるとなれば、シヴァの懸念事項はただ1つ。


「次もセラと同じクラスになれればいいんだけどなぁ」

「…………」


 セラは再び、今度は神妙に頷いた。

 今はまだクラスが同じなシヴァとセラだが、成績順にクラスが振り分けられてしまえば、当然離れ離れにあってしまう可能性も大いにある。

 シヴァと出会うまでは実家でも学校でも盛大な苛めを受けていたセラからすれば、それは学校生活における死活問題だろう。以前とは違い、今は立ち向かう気概を持とうとしているが、それでもセラの事を面白く思っていない生徒も大勢いるはずだ。


【……あの……今からでも、自分の身は自分で守る魔法を教えてほしいんですけど、大丈夫ですか?】


 セラはそんな文字が記されたホワイトボードをそっと見せてくる。


【忙しかったり面倒だったりすれば別にいいです。教科書を見ながら出来ることをしますから】

「何言ってんだか。別に面倒でも何でもないんだから、頼れるときは頼れって」


 遠慮がちな要求をシヴァは快諾した。

 以前までの降りかかる理不尽や暴力から身を丸めて耐え忍んでいた少女は今、自らの殻を破って上を目指そうとしている。

 シヴァとて男。惚れたか弱い少女を守りたいという欲求は大いにあるが、それ以上にセラ自身が目指す先まで導いてやりたいとも思っているのだ。

 

「家に戻ったら、早速(俺がいた時代の)魔法の基礎から教えてやるよ。お前くらいの魔力量があればまぁ……エルザを基準にするが、多分学校の連中全員から総攻撃受けても受け流せるかもな。……なんて、素人にセラ相手に大げさすぎたか?」

「…………」


 冗談めかして笑ってやると、セラもつられて淡く微笑んだ。

 出会った当初は遠慮しかせずに暗い表情ばかりを浮かべていたのだが、最近はよくこうして笑ってくれている。事実はともかく、これが心を許した証拠だと思うと、シヴァも悪い気はしないどころか気分は絶頂である。


「まぁ、案外俺たちは一緒に1組に行くかもしれないけどな。ほら、成績優秀者から優先して1組に行くわけだろ? 1組が満員になれば2組、3組と」

【それは流石に望み過ぎのような気が……思ってたよりも成績が悪いかもしれませんし】

「大丈夫だって」


 シヴァは自身を持って言う。


「成績って要は魔法演習の成績の事だろ? 演習内容から察するに、測定器とか対戦相手とか対魔法防御ごと1発で吹き飛ばしている俺とセラの成績が悪い訳がない。これはクラス分け以降は、豪華な学校生活が約束されると見たね」


 成績以上に被害が甚大であるから問題児扱いされるのではないか……。期待に表情を輝かせるシヴァに、セラはそんな言葉を告げることが出来なかった。



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