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友達から始めましょう


 艱難の日々が終わったのだと完全に自覚できたのは、翌日の朝だった。

 

(……また、ここに戻ってこれるなんて……)


 セラは自分用に用意された小さな個室のベッドの上で目を覚ます。朝食の準備や朝の洗濯など、何かとやることの多いセラは眠りの浅いシヴァと同じくかなり早起きだが、今日の賢者学校は休校日……急ぐ必要性があまりない。


(……ご飯作らないと。それからえっと……)


 しかし根が真面目な彼女は休みだろうとなんだろうと、やるべきことがあればそれを先に済ませてしまおうとしてしまう。大抵の学生なら、この日は休息に集中して家事の手伝いなどもしない者も多いのだが、この屋敷で唯一家事ができる……というか、シヴァに任せれば大惨事が目に見えるのでセラがやるしかないのだが……自分がやるしかないのだ。


「…………」


 とはいっても、それはなんら苦ではない。今までは自分の分の家事を、誰も手伝わないから全て自分でこなしていたが、こうして素直に喜んでくれる相手がいると俄然やる気が出てくる。

 有り体に言えば、シヴァの元に身を寄せてから家事が楽しくなってきたのだ。労働は労働なので趣味とは違うのだが、家を綺麗に整え食事を用意するセラに、シヴァは毎日礼を欠かさない。

 自分に出来ないことをしてくれるおかげか、はたまた共に暮らして家を任されているおかげか、その時のシヴァは本当に嬉しそうで、セラも小さな体でそれに応えたいと思っている。

 

(……これが、前を向いて生きること)


 大した理屈はなくとも、ただ感情だけが生きる理由になる。まだ自分本位の在り方は見つけられないが、誰かと共に生きていきたいと思わせてくれる。

 つい昨夜までなら、何時この平穏な日々が終わるのだろうかと不安で不安で仕方がなかったのに、今はこの日々をどうすれば守れるのかと思えるようになったのだ。

 不安しか抱えていない後ろ向きな感情ではなく、未来への展望を夢見て進むことがシヴァが言っていた「セラ自身が望む在り方」だと言うのなら、それはとても素晴らしいものに思える。母が死んでから、こんなにも晴れやかな気持ちになったのは初めてだ。


(この代償が、あの人たちの死だと思うと、胸が痛いけど……)


 とても家族とは思えない関係ではあったが、マーリスとエルザが死んででも自分が良ければそれで良いと思えるほど、セラは豪胆にも残虐にもなれない。

 それを昨夜の帰路でシヴァに告げた時、彼は静かな口調でこう言った。 


 ――――これは俺個人の考え方だけど、どんな生き物も奪い合いから逃れられねぇ。だから敵を食らって生き残った俺たちは、どんなに苦しくて、悲しくても、選んだ道を最後まで責任持って歩き続けるのが、筋ってもんじゃねぇかな? 


 遥か昔、生きるために幾億の人々をその手で殺め、世界中から呪詛を吐かれてもなお、生きることを選んだ男の言葉は重かった。

 実際にマーリスとエルザに手を掛けたのはシヴァだが、その彼に助けを乞うたのは自分自身。だから自分もシヴァと同じ罪を背負って生きると決めた。

 途中で躓き、立ち止まり、思わず後ろを向いてしまうこともあるかもしれないが、それでも最後には前を向いて歩いていく。そうしなければ、何の為に2人が死んだのかも分からなくなってしまうではないか。


「…………?」


 そんなことを考えながら物干し場で服やタオルを吊るし、洗濯籠を抱えて洗面台に戻ってきた時、ふと目の前が見え難くなった。

 視覚的に何かに遮られた訳ではない。……ただ1点、ずっと昔から自身の目元を隠していた長い前髪を除いては。

 この長い前髪は、シヴァと出会う以前、周囲の悪意から唯一セラを守ってきた防壁のようなものだ。体を守ってくれたわけではないが、周りから向けられる悪意や嘲笑の視線から自動的に目を背けさせてくれる。

 

(もう慣れたと思っていたのに……)


 長年、視線が俯きだったせいか、それとも気持ち的な問題なのか、この前髪が急に煩わしくなってきた。そして、これから先を生きていくのに、もうこの前髪は必要ないのではないかとも思えてきた。

 セラは目元が見えない鏡の中の自分をしばらく眺めると、近くの引き出しから髪切りバサミを取り出す。

 これから直視することになるであろう様々な視線。こんな自分を今まで守ってくれていたことへの感謝。様々なことに想いを馳せながら、セラは恐る恐る自分の前髪にハサミを入れた。





「……今思えば、俺は結構ヤバいことをしたのではないだろうか?」


 この時代に来てから事実上最初の、権力者の殺害。4000年前までは割と頻繁に行われていた気がするが、流石にこの平和の時代ではそれもかなりの大事だろう。

 ましてや相手はアムルヘイド自治州を統括する貴族たちの1人で、今住んでいる学術都市を治める有力者で賢者学校の長。少なくとも、この地が荒れることが予想できる。

〝結構〟などと言っているあたり、シヴァの認識の甘さが伺えるだろう。実際はとんでもなくヤバいのだ。具体的に言えば、公爵を殺害した平民として死刑待ったなしというくらい。


「まぁ……バレたらセラを連れて世界の果てまでランデブーするか?」


 とは言っても、そこは世界最強最悪と恐れられた《滅びの賢者》。一国を相手取ってもどうにでも出来る自信と実績がある。

 強いて不安を述べるなら、シヴァの行いが発覚した場合は賢者学校退学が間違いなしということか。ようやく高校デビューを果たしてリア充になれるかと思ったのに、入学して1ヵ月も経たない内に生徒からも教師からも怖がられて、友人の1人も出来なかったことが悔やまれる。


「……まぁ、周りは学長やエルザたちが死んだ事にも気付いていなさそうだけどな」


 早朝に《灯台目(ローゲル)》で公爵邸を確認してみたが、皮肉にもマーリスが中庭に張っていた隠遁の魔法と、悪魔が生み出した異界のおかげで、屋敷の住民の誰にも昨夜の夜の戦いは知られておらず、ただ公爵とその娘が忽然と居なくなったという認識だけのようだ。

 死体どころか証拠も残っていないのでしばらくは失踪扱いになりそうである。動機的な意味合いで、虐げられている娘のセラを屋敷に住まわせて、公然とエルザと対立したシヴァが疑われる可能性は高いかもしれないが、事件に関与していると断定することは難しいだろう。


(そういう訳で、今日は《灯台目(ローゲル)》で様子を見ながらゆっくり休むとしようかね。……家事は出来ないけど、この無駄に広い庭の草抜きくらいならできるだろうし)


 シヴァは庭に出てグルリと辺りを見渡す。

 この屋敷を購入し、セラと共に暮らし始めてしばらく経ち、シヴァもようやく理解した。自分は家事に一切向かないダメ人間であると。

 結局、炊事洗濯掃除はセラ任せになってしまうが、せっかく広い庭があるのだから、散らかっても大した問題にならない外でくらいなら何かをしたいところだ。


「雑草に覆われて目立たないけど、池跡や石畳もあるしな。今までは壊してばかりだったから、これからは見栄えの良い庭とか作りたい」


 セラも生きると決めた。なら自分も変わらなければならない。壊してばかりの人生ではなく、これからは何かを成せる者になりたい。


(そして目指せリア充! ってな)


 高校デビューは失敗した。それはもう物の見事に。しかし学校生活は残りほぼ3年間残っている。諦めなければ、きっと今の周りの評価だって変えられるはずだと、シヴァは両拳を天に突き上げた。


「……お。セラも洗濯終わったみたいだな」


 その時、トテトテと軽い足音が近づいてくる。間違いなくセラだろう。シヴァは「今日の朝食はなんだろ」と暢気なことを考えながら振り返り……思わず固まった。


【……おはよう、ございます】

「お、おう。おはよう」


 そこに居たのは前髪を切り、一目惚れした時に見た容貌を現したセラだった。

 切ったと言っても依然として長い前髪だが、それでも宝石のような翡翠の瞳は露になるくらいには切り揃えられており、整った容姿と調和している。

 こうしてセラの素顔を拝むのは初めて会った時以来だ。茫然と見つめてくるシヴァに何処か不安そうに表情を曇らせ、セラはホワイトボードを見せる。


【あの……どう、ですか? 髪……変ですか?】

「はっ!? いやいやいや! 全然変じゃないぞ! イメチェンしたんだな! 凄い似合ってる! うん!」


 思わず胸がドキドキしすぎて周囲の温度が上がり、周りの雑草が炭化しているくらいには、セラの容姿は完成したと言ってもいいだろう。

 ホッとした表情を浮かべる彼女にシヴァも内心で安堵の息を溢す。以前本で「女の身なりを目敏く気を配り、変化を褒めるべし」という項目を見つけて重点的に読んでいて良かった。でなければ返答に詰まっていたかもしれない。

 ……ちなみに、その本のタイトルは『ラブラブ♡デート大作戦』である。いずれ訪れてほしい未来の予習だ。


【シヴァさん……ありがとうございます】

「……ん? ど、どうした? 急に改まって」


 そんな文字をホワイトボードに浮かべ、ぺこりと頭を下げてきたセラにシヴァは困惑する。


【貴方が居てくれたから私は死にませんでした。未来も何もかも諦めてた、死んでないだけで生きてもいない私がようやく〝生きていたい〟って思えたのも、シヴァさんのおかげです。だから……そのお礼です】

 

「……俺は俺の欲求に素直に従っただけだから……そうも真っすぐお礼を言われるとむず痒いな」


 男として、セラが欲しいという欲求。それが根本にあったからこそ、こうも曇りない眼で見つめられると何だか照れる。

 2人の間に奇妙な沈黙がしばらく流れ、セラは意を決したように再びホワイトボードを見せてきた。

 

【あの、シヴァさん……。こんな私でも……強くなれますか?】

「……強くなりたいのか?」


 セラはコクリと頷く。


【今までずっとされるがままに生きてきました。……でも、これからは自分の足で歩いていきたいんです。逆境にも、理不尽にも、自分じゃない誰かにも流されずに、自分が決めた道を歩いていきたい。…………それが、どんなものなのかは、あまりよく分からないけれど】

「……そっか」

【……私も、そのくらい強くなれますか?】

「それは……正直、やってみないと分からん」

 

 セラの問いかけに、己が生存欲求を世界相手に貫いてきた《滅びの賢者》は厳然たる事実を告げる。


「未来はあまりに不確かで、この先どうなるかなんて俺にだって分からない。でも、少なくともやらなきゃ何も変わらないってことくらいは俺にだって分かる。フロンティアスピリッツって奴さ。保障のない先に足を踏み込むのが、何かを変えるための第一歩だと、俺はそう思うぞ?」


 大切なのは意志。どんなに苦しくても乗り越える勇気が、目の前の優しくて弱い彼女を強く変えるのに必要だ。決して容易ではない未来に臨もうとしているセラに、シヴァは明るく笑いかけた。


「それに言ったろ? 俺がお前の望んだ場所に連れてってやるって。……というか、俺のリア充への道も前途多難だし、隣で一緒に頑張ってくれる奴がいてくれるとありがたい」


 若干落ち込みながら本気でそう言うと、セラはようやく笑ってくれた。悲しみも何も混ざっていない、交じりっけのない心からの笑み。それこそが、シヴァが始めてセラと出会った時から一番見たかった表情だ。


「お前が望む強さが何なのかは俺にも分らんが、それが手に入るまで俺も手伝ってやる。……その代わりと言っちゃなんだけど、俺の頼みも聞いてくれないか?」

「…………?」


 セラは首を傾げながらも頷くと、シヴァは顔を真っ赤にしながら口をモゴモゴと動かす。


「その……だな。えぇっと……俺たち今まで、成り行きで一緒に暮らしてきてきただろ? でも別に俺たちは関係は家族でも何でもないんだよ。……もちろんこのまま一緒に暮らしてくれると嬉しいんだけど、その前に確かな繋がりが欲しいんだよ。一緒に暮らしていくための義理みたいなのが欲しい」


 赤い顔。どこまでも真摯な表情と視線。片膝をついて自分の手を握るシヴァに、セラもなぜかつられて顔が赤くなり、心臓が激しく動悸し始める。


「だからまず……俺と友達から始めてくれないか!?」


 シヴァはヘタレた。本当は「結婚を前提に~」とでも言って一気に関係を持って行こうと思ったのだが、いくらなんでも踏み込み過ぎて半歩引き下がってしまった。

 どうしてこういう時に限って男らしくなれなかったのか……未知なる未来への恐怖は世界に恐れられた男でも恐ろしいものだが、セラに言った傍からこれってどうなの? と、ここぞとばかりに決められない情けなさに、シヴァは両手両膝を地面につけざるを得ない。


「…………」


 それでも、シヴァ本人とセラ本人がどう思うかはまた別問題。項垂れるシヴァの肩をチョンチョンと指先で突き、情けない顔を上げる彼に向って、セラは短いが大きな文字が浮かぶホワイトボードを笑みと共に見せつけた。


【はいっ】






 なんだかんだあって、ようやく正式に友達から始めたシヴァとセラ。恥ずかしそうにさっさと屋敷の中に戻るシヴァの背中を見送り、セラはふと疑問符を浮かべる。


(……あれ? 友達から始めるって……次は何か別の関係になるってことでしょうか? でも一体何に……?)


 誰でもわかる行為に気付かない鈍感なセラに、シヴァの想いが通じるのはまだ先の話。


  

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