滅びの賢者 後編
灼熱と爆風が吹き荒れ、目にも止まらぬ高速移動と途方もない膂力、炎の化身すら焼き尽くす業火でシヴァはシルヴァーズたちを蹂躙する。
奇跡など期待しない。そう自分に言い聞かせてきたセラは、今目の前で繰り広げられる奇跡のような光景に目を奪われた。
「ぎゃあああああああっ!?」
「あづぁああああああああっ!!」
シヴァに顔を鷲掴みにされたマーリスとエルザは、自分の頭を握り潰さんとする腕を掴む以外はほぼ無抵抗のまま焼き尽くされ、シルヴァーズが口から放った熱線はシヴァが口から撃ち返した熱線に押し返され、最早原形すら留めない溶岩の海と化した荒野を吹き飛ばしながら悪魔を呑み込む。
虐げられた娘を救う為に、颯爽と現れた男が悪を倒す。現実ではそうあることでは無い、実際に起きれば奇跡のようだが、目の前のそれは奇跡のようであって奇跡ではない。
呪いと圧倒的な太古の戦力に追い立てられながら、必死に生きてきた男が現代で繰り広げる、必然にも似た救出劇だ。
「はっはぁ!!」
『がぁああっ!?』
燃え盛るマーリスとエルザはさながら砲弾の如く投げ飛ばされ、シルヴァーズの胴体を大きく抉ると共に四散する。仰け反った悪魔は追撃として放たれた踵落としを頭で受け止め、頭蓋を爆散させながら溶岩の海に沈んでいった。
「……ぁ……さっ……!!」
声を発せられなくなった喉が、唯一思い出の拠り所であった実母を呼ぶ。
――――いつかきっと、貴方にも素敵な王子様が現れるわ。
精霊であった母がまだ幼かったセラを膝の上に乗せながら語ってくれた、囚われの姫と白馬の王子を取り巻くありふれた物語。そんなものが現実で起こるはずがないのだと思うことで、絶望だらけの人生を諦めながら歩いてきた。
(白馬の王子様じゃなかったけど……皆から怖がられる《破壊神》だったけど……本当に現れたよ。……お母さん……!)
視界が涙で滲む。こうして安心しながら涙を流せるのは一体何時振りだろうか。
「あっ……ぁぁ……あぁっ……あ……!!」
シルヴァーズとマーリス、エルザはセラの絶望そのもの。逆らうことすら出来ない絶対者。そんな絶望の象徴が、焼き尽くされていく。母の言葉と、娘に向けて幸福であってほしいという願いは、間違いではなかったのだと安堵して、セラは言葉にならない、酷くくぐもった声を上げて泣いた。
「おのれおのれおのれぇええええっ!! なぜ邪魔をするのだ、《炎の悪魔》……《破壊神》よ!! 世界を滅ぼそうとした残忍極まる貴様に、あの薄汚い混血1人を助ける理由はないだろう!?」
「だ・か・ら!! そういうのは全部誤解なんだっての!!」
人の話も聞かずに酷い誤解を受けるシヴァはシルヴァーズの足を掴んで振り回し、エルザに叩きつける。挙動の全てが破壊の嵐を巻き起こす今のシヴァはせめてその誤解は解こうとしたが、当然の如くマーリスは聞く耳を持たない。
「あの娘が贄となってアブロジウス家に繁栄を取り戻すのは決定事項なのだ!! 誰にも拒否権も意義も与えられていない!! 強い側が弱い側を搾取するのはこの世の理……すなわち、運命であろう!?」
「違うな。運命だの世の理だの、そんなものは存在しない。互いの意思がぶつかり合えば、後は勝者だけが我を通せるのがこの世界だ!! 個人的な強さや大衆的な強さ……そういうのが有利なのは認めるが、必ずしも勝者であるとは限らない。お前らが散々弱いと見下したセラ自身の意思が、俺を引き寄せたようになぁ!!」
マーリスが放つ水と風の螺旋を突き破る無数の熱線が彼の全身を貫く。悪魔の力を得て人類の攻撃では死ななくなったマーリスは瞬く間に肉体を再生させるが、精神的な疲労は蓄積されるもので、再生を終えたマーリスは溶岩に足を焼かれながら荒い息を吐く。
「ぐ、ぎぎぎぁああ……! ぬ、ぐぅ……! アレは私が生ませた私の娘だ……私がどうしようと勝手だろう!? 一体何が楽しくてアレに肩入れし、我らの悲願を邪魔するというのだ……!」
「そういうところが、俺がお前らに牙向く理由なんだよ。これが赤の他人なら俺もここまでやらなかったがな……お前らは、俺の一番大切な奴を泣かせ過ぎた」
炎の噴射によって宙に浮くシヴァは、物理的にも立場的にも遥か高みからマーリスを見下ろし、厳然と告げた。
「お前らがいる限り、セラは望んだ未来に行けない。……だから「娘さんをください」なんてありふれたセリフは言わない。滅ぼしてでも奪ってみせる」
こんなに酷い父親への挨拶があるだろうか。
だが、そうしなければならない。幾らシヴァでも、仲良くなりたい者と仲良くなりたくない者、見逃してもいい相手とそうでない相手の区別くらいはつく。彼らを見逃せば、再びセラに牙をむくであろうということは容易に想像が出来た。
「ふ、ふざけ……うぐっ!? がぁああああああああああっ!!」
「お、お父様!? 一体どう……がっ!? ぁああああああああああっ!!」
シヴァの物言いに怒り心頭に怒鳴り散らそうとした矢先、突如マーリスが苦しげな悲鳴を上げる。エルザは思わず駆け寄ろうとするが、それよりも先に彼女も父と同じような悲鳴を上げ始めた。
一体何事かとセラが目を白黒させていると、二人に信じられない変化が訪れる。全身が黒光りする甲殻のようなもので覆われ、頭は左右に開く大顎が特徴的な虫のものとなり、背中には蛾の翅が生えた。
「「ギチチチチチチチチィィッ!!」」
「やっぱり、こうなったか」
もはや人外の容貌。血涙を流しながら痛ましい悲鳴を上げる二人を見ながら、セラの元に降り立ったシヴァは鼻で軽く溜め息をつく。
【二人は一体どうなってしまったのですか?】
「悪魔の魔力に呑まれたのさ。元々、人類の膿から生まれた悪魔の力は、人類とは相性が良くないしな」
人類の恐怖や罪悪、絶望といった負の感情が凝って生まれたのが悪魔。その力は人類との融和性こそ高いが、強すぎる力ゆえに、並みの者が手を出せば短時間で魔力に全身を蝕まれ、それに適応する化生と化して、地獄のような痛苦を生涯味わいながら魔力の元々の持ち主である悪魔に服従する存在……眷属に成り下がってしまう。
恐らくマーリスはその事を知らなかったのだろう。儀式契約において自分が上手だったと自負していたようだが、結局シルヴァーズの手駒になるのであったら、彼らは悪魔の手のひらで踊っていたにすぎない。
「眷属化と……4000年前はそう呼ばれていた現象だ。……悪魔め、最初っからそうするつもりだったな。魂まで変質してしまっては、もう助けられん。……このまま二人とも始末する羽目になるが、それでもいいか?」
「…………」
以外にも、哀悼にも似た感情がセラの中で湧き上がった。どんなに虐げられても、マーリスは実父であり、エルザは血を分けた姉妹なのだ。それがあのような痛ましい姿になってもなお、苦し気な絶叫を上げる二人を見て思うところが無い訳ではない。
ならば尚の事、葬ってやらなければならないのではないだろうか? 血涙を流す眷属と化した二人を見て、セラは小さく頷く。
『……認めよう……! 極めて業腹だが、貴様の力は最強種すら凌ぐということを……! だが所詮は人の子だ。貴様に我を殺せず、我には貴様を殺す手段がある!』
全身の火傷を修復しながら、溶岩から空中に飛び立ったシルヴァーズから膨大な魔力が放出される。すると、眩い光に包まれた悪魔が1人から2人、2人から4人と、倍々式に増えていくのだ。しかもそれぞれから感じる魔力は、シルヴァーズとまったく変わりがない。
権能魔法によるものだとすぐさま推察する。権能魔法は発動者が望んだ事象を過程を無視して引き起こす何でもありの魔法。こうしてオリジナルと遜色のない力を有する分身を無限増殖させることも可能だ。
「単体じゃ敵わないから数に頼るか。それはお前が散々見下した人類の専売特許みたいなもんだぞ?」
『何とでもいうがいい……悪魔たる我が矮小な人の子1人倒せぬ……その事こそが問題なのだ』
プライドよりも勝利という譲れない大前提を優先し始めたシルヴァーズ。逆に言えばそこまで追い込まれているのだろう……窮鼠が猫を噛むように、シヴァを倒すに足りない戦力を無理矢理増やしてきた。
その数は実に数百体はいるだろう。シヴァとセラを取り囲む人類では殺せない無数のシルヴァーズと、ついでに眷属化したマーリスとエルザ。これだけ揃えば、シヴァも倒せるのではないかと思わせる大軍勢だ。
『これで終わりだ。我は原型となった貴様を殺すことで、本物のシルヴァーズになり替わって見せよう』
そして一斉放火がシヴァとセラに殺到する。これだけの攻撃を受ければタダでは済まないと確信を持ったシルヴァーズだが、屈辱と焦りに囚われた悪魔は失念していた。
何故、4000年前にシヴァが神殺しとまで言われたのかを。迫りくる無数の軍勢を滅ぼしたがゆえに、《滅びの賢者》と恐れられた所以を。
「あぁ、そうだな。もう聞くべきことも聞いたし、これで終わりにしよう」
シヴァの手元に炎をまき散らしながら、とある物が召喚される。それは賢者の最大の武器である知恵を象徴する、一冊の魔導書だった。
紙ではなく、何かの皮膚で出来た黒い表紙に金属の装飾が施されたその本の1ページ目を開き、シヴァは魔導書の名を唱えた。
「出番だ。熾きろ、《火焔式・源理滅却》」
シヴァから放たれる熱波は先ほどまでとは比較にならないほどに温度を引き上げる。シヴァを包む炎の衣や焔の髪が炎という形を変え、電流が迸る青白い閃熱となったのだ。圧倒的な温度上昇による電離……いわゆる、プラズマと呼ばれる現象だ。
全身に走る紋様も蒼く染まり、最早太陽そのものが現れたのではないかという熱量が放出される。シヴァは青の閃熱を自在に操り、広範囲にわたってシルヴァーズの分身たちを一気に100以上薙ぎ払った。
『無駄だ。幾ら威力が上がろうと、概念によって守られた我らを殺すことは――――』
出来ない……という言葉は呑み込まれた。なぜなら全身が焼失した分身も、体の一部だけが焼失した分身も、何時まで経っても肉体が元通りになる様子が無いからだ。
どんなに威力があろうとも、普通なら瞬時に肉体が復元されるはずなのになぜ? ……その疑問は、他の誰でもないシヴァ本人の口から答えられた。
「万物万象全てには、それを構成する大本が存在する。それは素粒子だったり、魔力だったり、概念だったりと様々な呼ばれ方をしているが、俺たち魔術師はそう言った一なる構成要素を一括りにして根源と呼んでいる」
シヴァが《滅びの賢者》、《破壊神》とまで恐れられた最大の理由。何者も抗うことが出来ない終末の閃熱が灼熱地獄を焼き始めた。
「これはな、存在する全ての根源を最速で焼き尽くす閃熱を俺が操る全ての炎に付加する魔法だ。お前の分身が復活しないのも、人類では殺せないという悪魔の概念を、効果が発揮される前に根源から焼失させたからだ」
シルヴァーズは両眼を大きく見開き、愕然とした。今シヴァは間違いなく、最速で全ての根源を焼き尽くすと言ったのだ。
例えば水を掛ければ火は消える。仮に全ての魔法を消し去る反魔法があるとしよう。しかしそれらも全てが無意味……最速とは文字通り、全てに先んずるということ。水が火を消すという事象を発生させる前に、あの灼熱は水を構成する素粒子を焼き尽くし、反魔法がシヴァの炎を消すより先に、あの炎は反魔法を構成する根源を焼失させる。
神々や悪魔を守る概念が機能しなかったのも同じ理屈だ。概念によって悪魔が守られるよりも先に、概念を構成する根源そのものを焼き尽くされては復活などできるはずもない。
故にあの魔導書の名は《火焔式・源理滅却》。世界でただ1人、シヴァだけが持つことが出来る全てを滅ぼす魔書である。
「そして分かるよな? こんな灼熱を放出し続ければどうなるかくらい」
天地は鳴動を始める。青白い灼熱が時間や空間を構成する要素を触れた先から焼失し始め、悪魔が作り上げた異界が崩壊を始めたのだ。
「生贄を得ていないお前が力を振るえるのはこの異界があってこそだ。その異界が無くなれば必然的に、お前はほぼほぼ無力な存在となって焼き尽くされる」
『……お……うぉおおおおおおおおおおおおおっ!?』
そうなればもはやシルヴァーズに勝ち目はない。それを悟るや否や、一斉に襲い掛かり始める悪魔とその眷属たち。焦らざるを得ないのも当然の話だ。
しかしそれを当然のごとく見抜いていたシヴァは、魔導書のページを捲って記された魔法陣に魔力を注ぐ。《火焔式・源理滅却》は全てを焼き滅ぼす魔法と、その派生形の魔法を無数に記された魔導書だ。ゆえに、対多勢用の殲滅魔法も記されている。
『グルォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
青白い閃熱が巨大な三頭竜を形作り、けたたましい咆哮と共に悪魔の分身たちを食い散らかし、3つの口腔から放たれる灼熱で跡形もなく焼き尽くしていく。それを見たシルヴァーズは思わず怯んでしまうが、それでもまだ余裕の笑みを浮かべることが出来た。
『無駄だ! 如何に範囲を広げたとしても、我が分身を生み出す方が早い!!』
減らされた数以上の分身を次から次へと生み出すシルヴァーズ。確かにこのペースでは何時まで経っても終わりがないが、シヴァもまた泰然とした様子で告げた。
「お前こそ気が付かないのか? この三頭竜が、アヴェスターの閃熱で編まれた自立型立体魔法陣であるということに」
『なんだと!?』
つまりこの暴虐の限りを尽くす三頭竜自体が殲滅魔法ではない。これから三頭竜が繰り出す魔法……それこそが真の殲滅魔法なのだ。
三頭竜の上空に青白く輝きながら雷電をまき散らす光の輪が生み出された。その円環は徐々に小さくなりながら輝きと熱量を増幅させる。
「焼き払え! 《光輪のダハーカ》!!」
収束から一気に解き放たれた光の輪は世界の果てまで広がり、通過する全てを焼き払う。分身たちも、眷属と化したマーリスとエルザも、シルヴァーズや異界そのものすらもだ。
(思い……出した……)
首から下を全て灼熱に呑み込まれた瞬間、シルヴァーズは走馬燈のように過去に聞いた話を思い出した。自分が生まれるよりも前、自身の原型となったシヴァが炎熱を操る者の頂点に立った時の噂話を。
かつて世界にはクリアやイドゥラーダに匹敵する、太陽神が存在していた。太陽の信仰は世界に幅広く存在し、かの神族はそれら全てを力に変えて絶大な存在となったという。
そんな全ての炎熱の頂点に立つ存在であった太陽神を倒し、その座を取って代わった破壊の化身。神威を陰らせぬために秘匿とされた、シヴァのもう一つの異名。
すなわち……《太陽神を焼き殺した男》。
(おのれ……! 我は……我らは……絶対なる…………に……!)
根源滅却の炎に焼かれた異界は、シルヴァーズやマーリス、エルザと共に消滅し、シヴァとセラは元の世界……公爵邸の中庭に放り出された。
真上に輝く月と星を見るに、きっとまだそんなに長く経っていないのだろう。まるで夢でも見たような経験だったが、青白い閃熱から紅蓮に戻った炎の衣を纏うシヴァを見て、一連の出来事は夢ではなかったのだと実感させられる。
本当に……セラは現実の悪夢から解き放たれたのだ。悪い実父や義姉も、契約で繋がっていた悪魔の存在も今は感じられない。その事に関して、一体どのような言葉を魔道具に浮かべればいいのか迷っていると、シヴァの腹の虫が盛大に鳴った。
「晩飯もまだだし、お前も疲れてるだろうから、家に帰って着替えてから外食にでも行くか」
あの激闘など何でも無かったかのように、いつも通りに振る舞うシヴァは煌々と燃える炎の衣に照らされながら、いつも通り暢気に笑う。
「また一緒に飯でも食ってくれよ、セラ。誰かと変わらず一緒に飯食うの、夢だったんだよ」
セラは頷いた。頷き、下を向いたまま静かに、再び泣いた。もしあのまま悪魔の生贄になること受け入れていたら、1人の食事が寂しいと言っていた彼と共に、もう1度団欒を囲むことも出来なかっただろう。
それが申し訳ないやら、嬉しいやら、なんだか複雑な気持ちのまま、セラはシヴァの胴に頭を付けながら、静かに嗚咽を溢し始める。
同じく炎の衣でセラを守りっぱなしにしていて良かったと、シヴァは彼女の頭の後ろにおずおずと手を回す。一目惚れした少女との物理的な急接近にドキドキしながら、なるべくそれを感づかせないように、シヴァは上を向いた。
「帰ろう、セラ。俺たちの家に」




