さらっと結婚しました
慌ただしい足音がいくつも響き渡った。静寂を破る物音に、驚いて顔を上げる。
この何とも言えない固まった空気を破ったのはクラウディオだった。
血相を変えて飛び込んできた彼は、わたしを見て表情をこわばらせた。きっと泣きそうな顔をしているのだと思う。恐ろしいほどの怒気を含んだ眼差しでイザベルを睨みつけた。
ああ、誤解なのに。教えてもらえないと思って少し涙目になっただけだ。
慌てて瞬きをして涙を散らした。
「何のつもりだ」
低い声は抑えられているが、怒りがにじんでいた。イザベルは彼の怒りをものともせず、ふんと息を吐きだした。テーブルに置いてあった扇を開き口元を隠す。
「あら、お兄さま。何のつもりもございませんわ。わたくしなりに姉になる彼女をもてなしたのですわ」
「そうですわ、クラウディオ様。こちらの作法をお教えしているところでしたの」
険悪な空気に飲まれながらも、ぎゅっと手を握ってくれる彼に少し嬉しくなった。きっと心配してくれているのだ。ぽんぽんと注意を引くように彼の腕を握られていない手で叩く。
「クラウディオ様、イザベル様はこちらのお茶の飲み方を教えてくださっているだけです。わたしがあまりにも不甲斐ないばかりに落ち込んでいただけですので……」
そうお茶の入ったカップを示せば、彼もそちらに視線を落とした。中を見て少しだけこわばった顔になる。イザベルもエデルミラも口をつぐんだ。
ぎこちない空気を和らげるように、わずかに笑みを浮かべて見せる。ここはわたしのちっぽけな矜持よりも正しく伝えるべきなのだ。
「クラウディオ様もご存知の通り、わたしはこの国の作法に明るくありません。イザベル様はわたしに色々と教えてくださっているのです」
にっこりとそう微笑むと、イザベルに視線を向けた。
「イザベル様、申し訳ありませんが、このお茶の飲み方を見せてくださいませ。恥ずかしながら、祖国ではこのような高価な薬の素材の入ったお茶をいただいたことがございません。正しい作法を知りたいのです」
「うるさいわね!」
突然怒鳴ると、イザベルは席を立ってしまった。エデルミラはおろおろしながらも、頭を下げて彼女の後を追っていく。いきなり怒鳴られて残されてしまって唖然とした。しばらくはその後姿を見送っていたが、どうやら自分が何かをやらかしたのだと初めて気が付いた。教えてもらうのなら、日を改めた方がよかったのかと自己嫌悪に陥る。
「……ごめんなさい」
小さな声でクラウディオに謝った。クラウディオは俯いて体を震わせていた。
「くくく、まさか嫌がらせにあのお茶を出したのに、手本を見せろと迫られていたとは……!」
顔を上げると彼は腹を抱えて笑い出した。あまりにも屈託なく笑うので、こちらも見ているだけだ。
「あの?」
「これは嫌がらせだ。この国でもお茶には虫を入れない」
「え?」
嫌がらせだと言われて固まった。
「ああ、おかしい。笑いが止まらない。これでしばらくはあれも突撃してこないだろう」
「はあ」
恥ずかしさのあまりに遠くを見つめた。嫌がらせを気が付かずに、真剣に飲み方を考えていたことが恥ずかしい。イザベルの表情が何故消えたのか、理由がわかった。
色々な意味で、クラウディオがやってきたのはよかったのだろう。矜持が高そうなイザベルは飲むという選択肢しかなかったから、兄に咎められたことに怒り、退出できたのはよかった。
文化の壁は判断が難しい。
つくづくそう思う。知らないものを目の前に出されて、これは嫌がらせなのだろうかと疑うべきか、文化の違いだと一度は受け入れるべきなのか。何が正しいのか、わからない。
これからどうしたものかと悩みながらため息を付いた。わたしの微妙な知識は知らぬうちに何かやらかしそうだ。
「では、行こうか」
「どこへ?」
手を差し出されて反射的にその手を取ったが、どこに行こうというのか見当がつかない。
「今、異母兄上へ報告の途中だったんだ。連れて行った方が早いだろう?」
「報告、ってわたしのですか?」
「デルフィーナのいうよりも、途中に寄った街のことだな」
旅の間、忙しくしていたのはなんと視察も兼ねていたからのようだ。それを知らずにわたしはのほほんと過ごしていたことに気がついた。
「気にするな。事前予告なしの視察に意味があった」
そんなことを説明されながら、二人で移動した。
******
「どうやら間に合ったようだな」
クラウディオの兄、現国王の執務室に通されると、にこやかに迎え入れられた。わたしは意識して息を整えると、ゆっくりと腰を下ろし挨拶をする。
「お初にお目にかかります」
「ああ、堅苦しい挨拶はなしだ。私はこの国の王、イグナシオだ。異母弟の無理なお願いをよく聞き入れてくれた。貴女を歓迎しよう」
クラウディオはイグナシオとの会談中にあの場所へ駆け付けてくれたようだ。その事実に申し訳なさと嬉しさが入り混じった。クラウディオができる限り守ると言ってくれたことを思い出し、胸がほんのりと温かくなった。
「こちらに座って」
クラウディオがわたしの手を引っ張り長椅子に座るように促した。言われるまま座れば、部屋に待機していた執事が無駄のない動きで3人分のグラスを用意する。どうやらお酒を用意しているようだ。驚いてグラスを見ていれば、クラウディオが咎めるような目をイグナシオに向けていた。
「……まだ昼ですが」
「何、前祝だ」
上機嫌でイグナシオは酒の入ったグラスを手に持った。その間にも執事は手早くお昼を用意した。食べやすい簡単な食事が並ぶ。
「何も報告していませんよ」
「しなくともわかる。お前のその顔を見れば、上手くやれそうだとわかる」
揶揄うような笑みにクラウディオが口をつぐんだ。どこか嬉しそうにイグナシオは笑った。兄弟の気安い会話を聞きながら、仲がいいなと人ごとのように見ていた。
「これほどの美貌だ。クラウディオがメロメロになるのも仕方がない」
「メロメロなんて俗な言葉を国王が使わないでください。どこで知ったんですか」
にやにやと笑う異母兄を嫌そうにクラウディオが一瞥した。
「まあいいじゃないか。ところで、デルフィーナ姫。これに署名してもらってもいいだろうか?」
執事から受け取った書類をテーブルの上に置いた。わたしが読めるように前に差し出された。言われるまま書類を手に取れば、そこに書いてあるのは結婚に関する書類だった。
「あの?」
「クラウディオは説明していないのか?」
「もう少し落ち着いたらと思っていました」
クラウディオがそう言えばそうかとイグナシオは頷いた。
「この国の王族は国王や王太子は他国からも王族を招き盛大に式を行うのだが、王弟の場合は書類に署名した後、お披露目を行うだけなんだ」
お披露目だけ、と言われてほっとした。王族としての作法が心もとないわたしにとって盛大な式など到底無理だ。あまり表に立つことはしたくないので、この慣例はとても助かった。それでもお披露目という注目される行事はあるのだが、それぐらいは頑張って乗り越えようと思う。
「何か希望はあるかな?」
書類に署名すれば、イグナシオがそう尋ねた。書類を彼に渡しながら躊躇いがちに伝える。
「できれば教師を紹介してもらいたいのですが」
「教師はすでに手配しているよ」
わたしの言葉にクラウディオが先に応えた。隣に座る彼の方を見れば、優しい眼差しを向けられていた。その柔らかな表情に頬が熱くなった。
「すごいな。知らない人間を見ているようだ」
茶化すようなイグナシオの言葉ではっとした。
「用事はこれで終わりなら、戻ります」
「ちょっと待て。祝い酒ぐらい飲ませろ」
むっとしたクラウディオを引き留めると、イグナシオはグラスを手に持った。
「おめでとう。二人が幸せになることを願うよ」




