何もかもが違う
色鮮やかな世界だ。
空の色も、空気も、木々の葉の色も何もかもが違う。
わたしの国の空は白いことが多く、ほんのわずかな、温かくなる時期だけ薄い水色になる。
空気はとても清浄でしんとした音が聞こえそうなほど張りつめている。
木々の葉だってとても緑が深く、雪で白く化粧されていることが多い。
そんな国で育ったわたしには目の前に広がる世界に息苦しさを感じた。
肌に触れる空気は重苦しいほど暑く、空はどこまでも抜けるようなくっきりとした青。
浮かぶ雲はふわふわと白い。
木々はこれから育っていくのかまだ若い緑だ。
クラウディオの国の王都に近づくにつれて景色も空気も変わった。つい数日前まで慣れ親しんだ北国だったのに、北国を思わせるものは何一つない。
思いの他、その事実が胸を締め付けた。祖国を離れたということを実感したというのか。他にも人がいるのに、たった一人でここにいるような気分になってくる。
無意識に耳に触れた。祖国を旅立つときにお姉さまがつけてくれたのだ。わたしが幸せになるようにとの願いが込められている。別れの時にはさほど寂しさなど感じなかったのに、今になって寂しいなんて不思議なものだ。
クラウディオが用意した宿に入ると、ほっと息をついた。外の空気よりも建物の中の方が少しだけひんやりとしていた。
「部屋は用意してある。少し休んだら食事にしよう」
クラウディオは心配そうにわたしの頬を撫でた。
「もし体が辛ければ言ってくれ。部屋に食事を運ばせるから」
「いえ、少し休めば大丈夫です」
流石にお願いしますとは言えず、笑って見せた。クラウディオはそうかと頷いて、打ち合わせのために別の部屋へと移動した。残されたわたしはため息を付いて、護衛騎士に案内されて部屋に入った。
部屋は風通しが良いが、やはりねっとりとした空気で満たされていた。祖国から着てきたお気に入りのドレスがとてつもなく重く感じる。首まできっちりとあるドレスはこの国では本当に暑い。
「晩餐の前にお召し替えを」
クラウディオがつけた侍女のカルラがそっと促した。このドレスを少しでも脱いでいられるのならありがたい。軽く頷くと、支度部屋へと向かった。
カルラがさっさと手早くドレスを脱がせた。暑いドレスを脱ぐと、おもりがなくなったように体が軽くなった。軽くなると同時に汗ばんだ体が気になる。べたついた肌が気持ち悪い。
湯あみをしたいところだがそこまでの時間はないので、さらりと自分の浄化の魔法をかけた。べたつきがなくなり、髪もふんわりとなった。
「すごいですね」
側で見ていたカルラが感心したように呟いた。その呟きに今まで彼女の目の前で使っていなかったと思い至る。ちょっと失敗したかな、と内心ひやひやした。
「そう?」
「ええ。魔法を使う方もいますが、生活に使う方はほとんどいませんので」
生活には使わないと聞いてこちらが驚いてしまった。なんて不便なんだと思ったのは秘密だ。曖昧に微笑むことにした。
「姫さま、これをどうぞ」
私の誤魔化しを特に気にすることなく、カルラが新しいドレスを持ってきた。カルラはドレスの形がわかるように広げた。ふんわりとした軽い布でできており、幾重にも重ねられているが薄いために肌が透けてしまいそうだ。
まさかと思いながらも、恐る恐るカルラに聞いてみた。
「晩餐にこれを着るの?」
「はい。殿下からの贈り物でございます」
「夜着ではなくて?」
「この国は暑いですから。このように布も薄くなっております」
青ざめたわたしにカルラは淡々と答えた。しばらく問答をしていたが、諦めたのはわたしの方だ。
確かに国から持ってきた衣装では暑い。それは間違いない。ただしこれを着れと言われると躊躇ってしまう。
鏡の前に立ち、新しいドレスを着つけられた。カルラが慣れた手つきで支度をしたのだが、頼りない布でできたドレスを身に着けた鏡の中の自分がとても不安そうな顔をしていた。
薄くて軽い布は幾重にも重ねられているが、肌の色は透けてしまいそうだ。胸の下に切り返しがあってたいつものドレスよりも高い位置からスカートになっている。下着で押し上げるようにしているので、胸のふくらみが見えてしまいそうだ。
肩のない衣装のため、背中もかなり開いていた。せめて髪を下ろそうと思ったのだが、緩くても結うのが礼儀だと言われ仕方がなくアップにする。鏡で後ろを確認すれば、うなじから背中が丸見えだ。
今までこれほど肌をさらけ出すことがなかったので、とても恥ずかしい。他の人の、特に男性の目にさらすことを考えると、涙が出そう。
「やっぱり無理だわ」
「とてもお綺麗ですわ」
「そういう問題じゃないの」
おいてあった長椅子に座り込むと両手で顔を隠した。
「貴女が着ているようなドレスがいいわ」
ぼそぼそと言いながら、ちらりとカルラのドレスを見つめた。侍女のドレスは薄手ではあるが、さほど露出していないのだ。お仕着せであるようだが、許されるならこれぐらい隠しておきたい。
「それは難しいですわ。姫さまの着ているドレスが貴族の証ですので」
驚きの発言に、唖然となった。ドレスに階級があるとか理解できない。
「それは生地がということ?」
「生地もそうですが、わが国では貴族階級でしか着られない意匠というものがあります。姫さまが着ているドレスはさらに上級でないと身に着けることができません」
「こんな露出狂のようなドレスが上位貴族しか身につけられない?」
「ええ」
ありえない。
ありえなさ過ぎて気が遠くなる。上位貴族になればなるほど、肌は隠すものではないだろうか。
「では。高級な生地で貴女が着ているようなドレスを作ったら問題はないかしら?」
「論外ですわ。わたしの着ているドレスは王族の女性は着ません」
理解できずにぐるぐるしていると入室の許可もなく扉が開いた。ぎょっとして顔を上げれば、クラウディオが立っていた。座り込んでいるわたしを見て、とても心配そうな顔になる。
「気分が悪いのか?」
「違います」
そう言いつつ、体を隠すものはないかときょろきょろした。手の届くところには何もない。仕方がないので背中を見せないように気を付けることにした。結婚する相手と言えども、まだ結婚していない相手に素肌の背中を見せたくなかった。
「あの、外で待っていてもらえませんか?」
「もう支度は出来ているようだが?」
不思議そうに問われて、言葉が詰まる。どう切り抜けようかと真面目に考えたが、遠回しに言っても通用しないような気がしてきた。ここは素直に話して、このドレスを着替えさせてもらおう。
「すみません。クラウディオ様に贈られたドレスを着たのですが……恥ずかしくて」
「恥ずかしい?」
首を捻りながらクラウディオは近寄ってくると、わたしを立たせた。むき出しの腕に触られて、彼のぬくもりを感じた。触れられていると意識すると恥ずかしくなってくる。彼を意識しないようにと目を伏せたが、全身に彼の視線を感じて頬が徐々に熱くなった。
「綺麗だ。よく似合っている」
「ありがとうございます。でもわたしが気にしているところはこの肩が丸出しの所です」
仕方がなく、本当に仕方がなく説明した。こちらの思いに気がついて、手を離してほしい。
「殿下。姫さまは普段からお肌を隠すドレスをお召しになっておりますので……この国のドレスはまだ慣れておりません」
「ああ、そういうことか」
カルラの説明に、ようやく理解したクラウディオは頷いた。
「それなので、持ってきたドレスに着替えたいのです」
「慣れていく意味でもそのままでいてほしい」
「慣れなければだめですか?」
情けない顔をして見上げれば、クラウディオは意地悪そうな笑顔を見せた。
「もちろんだ。抱きしめる俺もこの方が楽しいからな」
「ひゃああ」
そう言って抱き寄せられた。背中の肌に彼の大きな手が当てられた。あまりにも直接的に彼の体温を感じて体がびくりと揺れる。何かを確認するかのようにゆっくりと手が動く。その動きにぞわぞわと鳥肌が立った。
「本当にきめが細かくて色が白いな。日差しは浴びない方がよさそうだ。後でストールでも用意しよう」
艶のある声で囁かれた。きっとわざと恥ずかしがらせているに違いない。悔しいことに男女間のことで勝てる気がしなかった。真っ赤になりながらも彼を睨みつける。
「このドレスで部屋から出たくありません」
「そうか。では部屋の方に食事は運ばせよう」
「着替えます」
部屋で食事、と言われてほっとした。着替えようと彼から離れようとしたがぐっと腰を押さえつけられて離れられない。
「そのままで。部屋の中だけならいいだろう?」
「うううう」
何も言い返せず、唸っているとクラウディオが笑った。
「ほら、機嫌直して。食事にしよう」
絶対にクラウディオは女たらしだ。
彼に慣れる日など来るのだろうか。




