どうやら助かったみたい
本日二回目の更新です。
気がつけば、そこは豪華な部屋だった。
柔らかなクリーム色で統一された部屋、大きな窓には白いカーテン。
開け放たれた窓からは優しい風が部屋の中に入り、暑いのに居心地がいい。
ゆっくりと何度か瞬いているうちに、ぼんやりした頭が次第にはっきりしてくる。視線を巡らせて部屋の様子を確認した。
大きな寝台に寝かされていて体を起こそうとした。ところが体が重くて起き上がることができない。がっちりと腰を押える何かに横を向けば、クラウディオが寝ていた。髪が乱れていて、顔に少し疲れが滲んでいる。
驚きながら、そっと彼の髪に指を通した。すぐに目が開いて、視線が絡まる。
「デルフィーナ?」
「おはよう?」
時間がわからないけど、とりあえず挨拶した。クラウディオはがばっと起き上がると、覆いかぶさるようにしてわたしの顔をまじまじと見降ろす。
「具合の悪いところは?」
「今のところないけど……」
あまりの勢いに驚きながらしどろもどろに答えた。クラウディオはほっとした顔をするとそのまま抱きしめた。
「よかった。守ると言ったのに守れなくて……すまない」
顔は見えないけど、クラウディオの肩が揺れている。もしかしたら泣いているのかなと思いつつ、そっと抱きしめ返した。大きな体をしているのに、子供のように思えておかしくなる。
「あれは仕方がないと思うの」
「だが……」
クラウディオが少しだけ体を持ち上げた。色々な葛藤があるのか、眉間に深いしわができている。何を言おうかと逡巡しているうちに、大きくお腹が鳴った。はしたないと思うほどの大きさに、顔が火照る。
「……お腹が空いたわ」
恥ずかしさを感じながらも素直に自分の状態を説明すれば、彼はゆっくりと起き上がる。わたしも一緒に起きようとしたが抑え込まれて起きられない。手をバタバタしたが放してもらえず、シーツを被せられた。
「もう少し寝ていろ。食事は今運ばせる」
体が重くて動きたくはないので素直にそのまま横になることにした。クラウディオは寝台から降りると扉に向かう。
その後姿を見て、自然に頬が緩んだ。助けに来てくれたことがとても嬉しくて、それだけですべてが忘れてしまえそう。
砂漠に放り出されたことも、誰もいなくて寂しいのも、不安でどうしようもなかったことも。
お腹が空いて辛かったが、それも食べたら解消される。
「そういえば最後の魚、なんだったのかしら?」
最後の記憶があいまいだが、助けが来たと思ったら魚が砂漠から飛び出していた。その時に見たぎょろりとした大きな目がふっと脳裏によみがえる。
砂漠から巨大魚が出てくるとか本当にどうなっているのか。そもそも魚なのかどうかという問題もあるのだが、あの姿で魚じゃないとか言われても信じられない気がした。
「……忘れた方がいいのかな?」
あまりにも印象が強すぎて焼き付いてしまっているが、こうして助けられたのだ。恐怖は助けられたという記憶で塗りつぶすことにした。
「デルフィーナ!」
扉が音を立てて開いたので食事が来たのかと思って顔を上げれば、乱暴な足取りで入ってきたのは何とお姉さまだった。驚いて慌てて体を起こすと、お姉さまが首に飛びついてくる。
「よかった。本当によかった……!」
「お姉さま、泣いているの?」
ずびずびと鼻をすする音がして、思わずお姉さまの顔を見ようとする。お姉さまは力を入れて顔を見せないように抱きしめる力を強めた。
「そうよ……! 心配したのよ」
「ごめんなさい」
迂闊に受け止めて飛ばされてしまったのはわたしだ。素直に謝れば、お姉さまがようやく顔を上げる。
「安心して。あのクソ女と粘着女は排除したから」
涙で濡れていても、鼻がぐすぐす言っていてもお姉さまはお姉さまだった。聞いた内容に思考が固まった。お姉さまの美しい唇から、とてつもなく不似合いな言葉が聞こえた気がした。
「え?」
「クソ女は暑い農地での強制労働、粘着女はこの国で一番厳しいと言われている修道院行きよ。もちろん二人とも教育的指導をしてあるから」
「あの、一応誰のことか聞いても?」
恐る恐る聞けば、お姉さまは涙を指で拭ってにこりと笑った。
「もちろん、クソ女はユージェニー・インガルス、粘着女はエデルミラ・バシュレよ。あ、ついでにイザベル王女も辺境の魔力の多い素敵な年配の男性に嫁ぐことになったわ」
「ちょっと待って。どういう事?」
お姉さまは丁寧に最初から説明してくれた。ユージェニーは実行犯でエデルミラが主犯、そしてイザベルが引き金ということだ。
知らない間に一気に処分されていた。
恐れおののきながら固まっているとさらにお姉さまは忌々しそうに毒を吐き出した。
「可能なら二人とも砂漠に放り出してやりたいところだわ。生ぬるい処罰でごめんなさいね。ただね、クソ女と粘着女には呪いの刻印したからそれで気持ちをおさめてね」
「呪いの刻印、ってあれですか?」
顔が引きつった。
「ええ。子供だましのものだけど、容姿に自信のある女には効くでしょう」
呪いの刻印というのは、別に呪われるわけではない。子供の遊びの一種だ。追いかけっこのような遊びで、追う側が追われる側を捕まえると、その印として肌に蔓ができるのだ。それが少ないうちに魔法で解除すると、助けることができる子供に人気の遊びだ。しかも呪いの刻印は濃くなって大きく育ってしまうと味方だったのが敵に変わってしまう。解除は遊びが終わった時の合図をみんなで口をそろえて唱えると終わる。
「ちなみに解除はいつ?」
「するわけないでしょう」
ツンとした感じで言い切るお姉さまに二人が気の毒になった。ミランダの所で行われたお茶会の時の煽られた気持ちできっと行動を起こしたのだと思う。
エデルミラもユージェニーもクラウディオが好きだったのだろう。わたしがいなくなったところで、二人がクラウディオに選ばれるかと言えばそんなことはないのだが、きっと二人はそのことに気がついていなかったのかもしれない。気がついていないというよりは、もしかしたらの希望を持っていたのかも。
「食事を持ってきた。話は後にしてほしい」
クラウディオがようやく戻ってきた。手には美味しそうな匂いのする食事があった。わたしはその食欲をそそる匂いを嗅いで盛大にお腹を鳴らした。
「ゆっくり食べてね。また後で話しましょう」
お姉さまはわたしの頭を優しく撫でてから部屋を出て行った。
わたしがクラウディオに助けられて実は一日経っているそうだ。助けられたという安心からか、ずっと眠っていたようだ。あんなにもお腹が空いていたのにさらに寝ていらる自分がすごいと思ってしまう。
持ってきてもらったスープをゆっくりと飲みながら、クラウディオの話を聞いていた。お姉さまがかいつまんで話してくれたことがほとんどで、よくこの短時間で処罰できたなとそちらの方が不思議だった。
わたしの疑問がわかったのか、クラウディオが軽く説明してくれる。
「もともとイザベル様とエデルミラは排除する用意があったということ?」
「そうだ。排除したくともイザベルは王妹、エデルミラは侯爵令嬢だ。なかなかいい口実がなくて、排除できずにいた」
そのあたりの事情は説明されても理解できないので、ふうんの一言で済ませた。元々、離宮に籠っていたので、彼女たちに会ったのも数回だけだ。ユージェニーにしても会うたびに不快な感じではあったが、あの勘違いが気の毒で仕方がない。一体どういった経緯でああなってしまったのか。恋する乙女は勘違いが激しいのかもしれない。
ティムやバシュレ侯爵とはどうなったか、流石に気になった。言いにくそうにしているわたしに気がついたのか、クラウディオがついでのように教えてくれる。
インガルス男爵家は取り潰し、ティムは責任を取って平民になった。当然今までの仕事も取り上げられた。バシュレ侯爵は爵位を伯爵家に落とし、さらに縁戚に家督を引き渡したそうだ。本人はバシュレ侯爵領で蟄居となったらしい。新しい当主は魔力の少ない穏やかな人物だそうだ。
わたしも王族の妃なので死刑を望んでも叶えられそうであるが、それ以上を求めるつもりはなかった。砂漠を経験したことで、炎天下での強制労働は間違いなく辛いはずだ。特に王都住まいの令嬢に耐えられるとは思わなかった。そう考えれば、死ぬよりもつらい罰だ。
「そういえば、助けに来てくれたのはクラウディオ様でいいのよね?」
気持ちを切り替えるように聞いてみた。最後の記憶があいまいな上に逆光だったのもあって、自信が持てなかったのもある。
「間に合ってよかった。まさかモグラが出てくるとは思っていなかった。水に引き寄せられたのかもしれない」
「は? モグラ?」
「そうだ。この砂漠には多く生息している。地中に穴を掘るので間違って上を歩くと砂から出られなくなって死ぬ」
ひどく真面目な顔をして説明をしてくれる。わたしは言おうかどうしようか悩んだ。
「どうした?」
「いえ。あまり記憶が定かではないので自信がないのだけど、モグラではなくて魚に見えて」
魚、と聞いてクラウディオは頷いた。
「ああ。初めて見る人は大抵そういうな。だが、それは顔だけで体は獣だ」
うーん、なんだろう。あまり納得できなかったが、それをクラウディオに訴えたところでどうにもならない。うんうんと納得しようと頑張っていると、クラウディオが笑う。
「それよりもあそこのできていた湖の方が驚いた」
「湖? あ、そうだったわ。わたし、魔道具のある所に飛ばされて、どうしようかと悩んだけど目印があった方が助けてもらえそうだと魔力を流したの」
「もう一度、あそこに行ってほしいと言ったら負担だろうか?」
目を瞬いた。何を遠慮しているのか、よくわからない。
「一緒に行くわよ? 転移の魔法陣もあったから、きっとすぐに行けると思うけど」
「それは回収している。……ロレイン王女にも解析をお願いした」
ロレイン王女、という言い方がちょっと引っかかって、クラウディオをまじまじと見つめた。
「ねえ、お姉さまに何をされたの?」
「……」
クラウディオがそっと視線を外した。その態度にお姉さまが何かしたのだと瞬時に理解した。
「教えて? お姉さま、もしかして恐ろしい呪いを……!」
「いや、違う。ちょっと説教されただけだ」
ぼそぼそと否定するクラウディオを見てそれだけじゃないと判断した。クラウディオは何も言わないと思うからお姉さまから聞き出さないと、と心で強く誓うと誰かが入ってきた。
「お姉さま?」
お姉さまと一緒に入ってきたのはお母さまと同じぐらいの年齢の女性だった。シャンと背筋を伸ばし、上品な笑みを浮かべている。誰かに似ているなと思ったが、誰だったかすぐに思い出せない。
「母上」
クラウディオがさっと立ち上がった。少し動揺したように見えたが、その動揺もすぐに消えた。
「お食事中ごめんなさいね。クラウディオの母です」
クラウディオの母、と聞いて一気に気持ちが引き締まった。
この女性、イザベルによく似ていた。




