何が起きているのかわからない
波乱気味だったお茶会の後は、気が抜けるほど何もなかった。離宮から出ないのだから、手を出しようもないのかもしれない。
わたしは毎日のようにクラウディオから持ち込まれた魔道具に書かれた魔法陣の意味をお姉さまに教わる。本当はあの砂漠の魔法陣を見てもらいたいのだが、国の秘密ということでお姉さまには見せられずにいた。ひたすらわたしの能力を上げることをしている。
今日もクラウディオから渡された魔道具の内部にある魔法陣を書き写していた。書き写した後、どのような意味があるのかを書き込んでいくのだ。一日、10枚くらい書いているので、既にかなりの枚数になっていた。並べてみれば、どのような機能の時に使われるものかとか自由度がわかる。大抵は大枠があって、ちょっとしたところを工夫しているだけなのだ。
「お姉さま」
今日の分の魔法陣を写し終えたところでお姉さまに呼びかけた。お姉さまはわたしの書き写した魔法陣にその形の持つ意味を書き込んでいた。地道な作業だが、魔法陣に関する本がないのだから仕方がない。
「なあに?」
「祖国にも魔法陣に魔力をこめる役割があるでしょう?」
「そうね」
「それと同じものがあるのですが、魔力が尽きかけているの」
内緒話をするように小さな声で告げれば、お姉さまがふうっと息を吐いた。
「なるほどね。だから王族には魔力がないとダメなのね」
「表向きは魔道具の暴走が劣化から来るので魔力のある王族が必要となっているけど、本当はかなり深刻なの」
お姉さまは少し考えるようにして、今日持ってきてもらった魔道具をくるくると手の中で回している。
「この国はおかしなことが多いのよね」
お姉さまは何かを考えながら呟いた。わたしはじっとお姉さまを見つめる。お姉さまはわたしの手を取って、腕輪になっている魔道具の魔法陣をわたしに見せた。
この魔道具は温度調整をするためのもので、わたしが暖房用の魔道具と間違えていたものだ。お姉さまに教えられてすぐに身に着けるようにした。これをつけたことでかなり快適になっている。
「これは北の国のものだけど、保護の魔法がかかっているでしょう?」
「そうね」
言われて表に模様のようにむき出しになっている魔法陣に目を落とした。確かに劣化を防ぐ魔法陣が入っている。
「同じようにこの国の魔道具にも劣化しないような魔法陣があるのよ」
わたしが書き写した魔法陣の一部をとんとんと指先で叩く。確かに文字の形が違うが同じ意味の文字が書いてある。お姉さまはそっとその横に指をずらした。
「そしてこれ。この言葉は魔道具に魔力がなくなれば勝手に吸収するとなっているわ」
「どういうこと?」
「つまり、劣化を抑えるための魔法陣は常に動くようになっているの」
お姉さまが言うには、だからこそ劣化による暴走というのは考えられないというのだ。でも理解できずにわたしは首をかしげるばかりだ。
「よくわからないわ。魔力がないのなら補充できないじゃない。誰も触っていないから」
「デルフィーナはあまり興味がなかったのね? 魔力は空気中にも少しだけ漂っているのよ」
呆れを含んだ言葉にますます疑問が大きくなる。
「空気中にってそんなことあるの?」
「あるわよ。例えば、わたしが魔法を使うわね」
そう言って手のひらに大きめの氷を作る。魔力で作られた氷は球の形をしていた。お姉さまがわたしにその氷を渡してきた。慌てて書類を横に退けた。濡れてしまったら今日の作業が無駄になる。
「これがどうしたの?」
「全部の魔力が形になったわけではないから、使わなかった魔力は空気中に漂うのよ」
「知らなかったわ」
「何百年か前の論文に書いてあったわ。それを読み返せばどう確認したか書かれているはずよ」
数百年前の論文も読破しているお姉さまに尊敬の目を向ければ、お姉さまはどことなく嬉しそうに笑った。
「この理屈を信じれば、魔法を使って余ったものは空気中に漂うのよ。それを集めて劣化を抑えるの」
「でもこの国ではほとんどの人が魔法を使わないわ」
「そう、そこよ! 使わなければ魔力などないわけだから、普通に劣化するはずなの」
理解できなかった。お姉さまとじっと見つめあう。お姉さまもまだ理解できていないみたい。
どのくらい時間がたっただろう。お姉さまが諦めたようにため息を付いた。
「まあ、今は考えても仕方がないわね。目の前の仕事を片付けましょう」
「今日はもう終わりよ」
「では、お茶にしましょう」
お姉さまはテーブルの上を片付けると、廊下で待機しているカルラを呼びに立ち上がった。
******
夕方になり、お姉さまとクラウディオの執務室に向けて歩いていると、護衛達が物々しい雰囲気を発した。驚いて警戒する方を向けば、一人の女性がこちらに向かってくる。
「インガルス男爵令嬢?」
少しだけ雰囲気の違うドレスを着ているが、見間違いようがない。彼女は警戒する護衛の手が届かない距離で足を止めた。確か王宮に入ることが禁じられたとはずだった。侵入経路はわからないが、誰かが手を貸しているのだと思う。
「どうして、こんな貧相な女がいいの」
ユージェニーがわたしをみるなり、ぽつりと呟いた。
「クラウディオ様の近くにいたのはわたしなのに! あのバシュレ公爵令嬢なんかよりわたしの方がずっとずっと気に入られていたのに」
えー、なんだか面倒な感じがする。
それにクラウディオの感じだとただ単にティムの養女だからという繋がりで丁寧に接していただけだ。公の場所ならエデルミラにもあの程度の態度はとるのではないだろうか。
「クラウディオ様は騙されているんだわ」
わたしとお姉さまは顔を見合わせた。頭のどこかがいってしまっているような発言をする彼女に恐怖を感じた。護衛達も面倒くさそうに彼女を見つめ、わたしたちを黙って背後に隠す。お姉さまはネイトに守られていた。
「今日は戻りましょうか」
お姉さまがそっと囁いた。自分の世界に入ってしまっている彼女を刺激しないように本当に小さな声だ。わたしは無言で頷いた。クラウディオには後で伝言しよう。直接説明した方がいいのなら、時間をずらそう。
そんな相談をしているうちに、そろりとゆっくりと後ろに下がった。護衛達は十分な距離ができてから、ユージェニーを捕まえるために前に出た。
その動きに気がついたのか、ユージェニーが護衛達の手を退けた。突然、走り出してこちらに近寄ってくる。その形相が恐ろしくて、わたしは動くことができなかった。わたしを押すようにして、護衛が移動するように促した。護衛達は決して彼女を近寄らせなかった。だが、ユージェニーは気にせず体を押えられてもこちらに来ようとする。
「お前なんて消えてしまえばいい」
ユージェニーは大きく身を捻って、護衛の手をはねのけるとわたしに投げつけた。握りこぶし大の何かを思わず受け止めてしまう。
その瞬間に。
魔力が抜かれた。
「デルフィーナ!」
お姉さまの悲鳴のような声が響いた。お姉さまに助けを求めるように手を出したが、わたしの手はお姉さまには届かなかった。
「ここ、どこ?」
茫然として立ち尽くすと、目の前は砂漠だった。
日が傾き始めているがまだ暑い砂漠。
オレンジ色の砂に青い空。
前と同じ場所かと思いつつ、振り返るとどうやら違うようだ。前は壁しかなかったが、ここはまだ小さな建物としての形になっていた。つまり、屋根もあるのだ。それでも半分、砂に埋もれている。
どうやら前とは違った場所に転移してしまったようだ。投げつけられたのが転移の魔道具だと気がついてため息を付いた。前と同じ場所ではないが、建物があるということは、戻るための魔道具もあるはずだ。建物の中に入れば、ごつごつした肌をした壁がある。迷わずそれに近づき、転移の魔法陣があると思われる壁に触れた。
ところが全く魔力が抜ける気配がない。
「え?」
何度か魔力を流したが、途中で霧散する。
「嘘でしょう?」
転移の魔法陣が動かないようだ。
わたしは茫然としてその場に立ち尽くした。
「帰れない?」
何度も何度も試したが、魔力は途中で霧散する。転移先がないのではないかと、不安が押し寄せてきた。転移の魔道具が動かないのはこの魔法陣が指定している場所に対になる魔法陣がないためだ。
こんな砂漠の中で一人放り出されたことに恐怖を感じた。