砂漠の夜空
砂漠の夜はとても……真っ暗だった。
静かな光を湛えた月とその周りに煌めく星が綺麗だが。
あれほどオレンジに見えた砂が真っ黒だ。うねるような黒い影がとても恐ろしいものに見えて仕方がない。少し空へと視線をずらせば美しとは思えるのだが。
「……寒い」
大きめのフードが付いたマントを纏っていたが、寒さに体を震わた。震えるわたしをクラウディオが抱き寄せてくれる。温かさを求めて彼の体にすり寄った。触れたところが温かい。
「確かに砂漠だな」
「どこの場所かわかるの?」
「いや? 砂漠だからまったくわからん」
遠くに何か見えればいいんだけどな、と元々あまり期待していなかったようだ。
クラウディオの離宮の庭に合ったあの小さな建屋から飛ばされてきた場所はやはり砂漠。
そしてあの部屋と同じようにごつごつした壁に向き合うようにつりとした壁が建っていた。残念なことに壁だったと思われるものが二面あるだけだ。建物としてはすでに機能していない。屋根はないし、入り口と思われるところには壁も扉もなかった。床はレンガが敷いてあるが、それも砂にまみれて表面が少ししか見えない。
昼間に突然飛ばされたときには気がつかなかったが、向き合う壁の真ん中にどっしりとした白い石でできた飾り台があった。
木々の生い茂るような場所に置く飾り台。
砂漠に置くには、とても違和感がある。触ってほしいと言わんばかりに台座の上には透明な薄水色の石が置いてあった。
「触るべきなんだろな」
クラウディオは呟きながら、じっとその石を観察した。持って聞きたランプを片手に表面を明かりに照らしている。
「これ、なんだか読めるか?」
そう言われて彼の手元を覗き込んだ。石の表面には魔法陣が書かれていた。じっと目を凝らすが、光が弱すぎてよくわからない。
「大地と……緑? 違う。水かしら?」
「消えているのか?」
「そうじゃなくて、光が弱くて細かいところが見えにくいわ」
本当は指でなぞってみればわかるのだろうけど、触ることで動き始めたらまた大変なことになりそうだ。
「水瓶となっているから、もしかしたら池か湖を作る魔道具かも」
もしこの不毛な地に湖を作る魔道具であるならば、かなりの魔力を消費しそうだ。迂闊に触ってしまったら、ごっそりと魔力を持って行きかねない。
それなのに、クラウディオが手を伸ばして魔法陣に触れようとしている。慌ててその手を掴んだ。掴まれたクラウディオは不思議そうな顔をする。
「触ったらダメよ」
「何故?」
「もしかしたら魔力がかなり抜き取られるかも」
クラウディオはにやりと笑った。
「試したいと思わないか?」
「ちっとも思わない」
引きつった顔をしていたと思う。クラウディオは宥める様にわたしの頬にどこか甘さのあるキスをする。こういう時にそのキスはいらない。
「まずそうになったら引き離してほしい」
「ちょっと……!」
ぎょっとして声を上げたが、遅かった。彼はペタリと石に触れて魔力を流したのだ。もちろん、魔道具を開くときに教えた方法を使っている。包み込むように中に向けてゆっくりと流し始めた。
流し始めると魔法陣がほのかに光る。つるりとした壁に魔法陣が浮かび上がり、複数の魔法陣が輝いた。一つが輝いては次の魔法陣が輝いていく。中には途中で輝きを失うものもあった。
初めて見る複雑な動きだ。今までわたしもこのような魔法陣を見たことがなかった。
「綺麗」
幻想的な光景思わず呟いた。じっと魔力を流し続けると、足元に水が溜まり始める。
「ああ、水瓶の魔法陣であるのは間違いないな」
クラウディオの声音が少しだけ嬉しそうだった。
「確認したのだから、もういいでしょう?」
彼の手をそっと掴んで魔力の供給を中止させる。
「ああ。十分だ」
「帰りましょう?」
「ちょっと待て」
また何かするのかと、むうっと唇を尖らせれば、大きな体に包み込まれた。
「折角、夜の砂漠に来たんだ。少しゆっくりしよう」
「クラウディオ様」
「最近色々あってゆっくり話すこともできなかったから」
どうやらクラウディオも気にしているようだ。砂漠がよく見える位置に移動すると、ギャレットが持たせてくれた荷物から布を取り出す。広げてみればどうやら休憩するための敷物らしい。
クラウディオが先に腰を下ろし、その膝の上に乗せられた。手を引かれるままになっていたがあまりにも恥ずかしい。
「隣に座るわ」
火照った頬を見られないといいなと思いながら、近くなった視線を逸らす。クラウディオは含み笑いをして、そのまま抱きしめた。
「ほら、空が星が綺麗だ」
促されて空を見れば、星が沢山ちりばめられている。王都の離宮でも見えなくはないが、建物や植物などが全くないところで見る夜空はとても幻想的だった。この世界で一人になってしまったように錯覚する。
「綺麗というより一人になって怖い感じ」
「そうか?」
「クラウディオ様は砂漠の旅をしたことあるの?」
クラウディオに背中を預けて空を見たまま聞いてみた。
「もちろん。知識がないといざというときに死ぬ確率が高くなるからな」
殺伐とした理由に笑った。クラウディオが黙ったのでわたしもそのままぼんやりと夜空を見上げていた。背中から伝わる彼の温かさに体から力が抜ける。先ほどの怖いと思っていた感情も徐々に解けて小さくなっていった。
「これから少しごたつくかもしれない」
どのくらい経った頃だろうか。クラウディオが動くことなく、耳元で囁いた。
「デルフィーナは何があっても俺の妻だ。それだけは信じてほしい」
嫌な予想をさせる言葉に、思わず彼の顔を覗き込んだ。下から見上げるようにクラウディオを見つめれば、彼もこちらを向いた。
「信じていいの?」
「信じてほしい。俺はデルフィーナを愛していると思う」
思うと言われて、思わず唇が尖った。
「嘘でも愛していると言ってほしいわ」
「デルフィーナはどうなんだ?」
クラウディオが問い返してきた。わたしは言葉に詰まった。しばらく言葉を探していたが、いい言葉が見つからずにため息を付いた。
「わたしもクラウディオ様を愛していると思うわ」
「言い切ってくれないのか?」
「まだそこまでたどり着いていないから」
クラウディオがおかしそうに笑った。本当に自信をもって愛していると言える日も近いのではと思いながら、一緒になって笑った。
 




