大国の王子は好みじゃない
「どうぞ」
手を差し出された。大きくて武人と思わせるほど固い手だ。南国の国の人らしく、少し日に焼けていた。
自然に出された手に、どうしていいか戸惑う。困ったように彼を見上げた。
少し赤が混ざった茶の髪に琥珀色の瞳をした大国の王子クラウディオはとても整った顔立ちをしていた。この国の王族は色素が薄く繊細な顔立ちが多いのだが、彼は暑い国の王子らしく日に焼けた精悍な顔立ちをしていた。黙って立っているだけでも存在の強さを感じる。この場には我が国の人間の方が多いため、とても異質に見えた。
初めて接する強い存在にじっと見つめられると、居心地が悪く、本当にどうしていいかわからない。気の利く断りの言葉も浮かんでこないので、心の中で盛大に嘆いていた。
男性にエスコートされることも数えるほどしかなく、しかもその相手はお兄さまか護衛騎士だ。もっとも護衛騎士もお姉さまをほとんどエスコートしていたので、わたしはその後ろをくっついて歩いていただけだ。
どうしようかと思いめぐらせながら、視線をうろつかせた。誰かが……お兄さまが助けてくれないかと視線を合わせるが、諦めろとその目が告げていた。同時にその手を取れという圧力もかかってくる。
ひどいなぁと思う気持ちを隠して、躊躇いがちにその手に自分の手を重ねた。彼の大きな手に自分のを置けば、その大きさの違いがよくわかる。男の人の手ってこんなにも大きかったかなとぼんやりと思った。
そっと彼の手が優しく包み込むように握られた。
固いごつごつした手に驚いてしまう。護衛達は確かに剣の腕を鍛えているからこのようにごつごつしているが、王族ともなればほぼ魔法で処理するのでこれほどの手にはならない。それだけでも王族の在り方が違うのだ。
「ありがとうございます」
「では、行こう」
わたしの国なのに、クラウディオはさも自分の国にいるかのように振舞う。
これが大国の王子。堂々とした態度にどうしても気後れする。預けた手を抜き取りたい気持ちが湧いてくるがぐっと堪えた。
握られている手の平に変な汗が出ていないことを祈りながら、努めて感情を出さないように歩く。人生初の苦行だ。王族の教育など受けていない第4王女にこんな社交を強いないでほしい。
お父さまとお兄さまを若干恨みながら彼の歩調に合わせて歩いた。何か言ってくれればいいのに、彼も何も言わない。伝わってくる空気から機嫌は良さそうだと思うが、それだけだ。彼が何を考えているのかわからないので、こちらも大人しく歩いた。
エスコートされた先はバラが咲き乱れている庭園だった。テーブルが用意されているが、椅子が長椅子だ。用意されたものを見て、顔が引きつる。一人用の椅子なら距離がとりやすいのに長椅子なのだ。明らかに一緒に並んで座れるように用意されている。
誰よ、余計な気を利かせたのは!
内心罵りながら、しぶしぶ二人で腰を下ろす。近い距離にクラウディオの体温を感じて、少しだけ恥ずかしさがこみ上げてきた。エスコートもそうだが、この微妙な距離感が本当に慣れない。
少しでも距離を持とうと、わきに寄ったが移動できたのは気持ち程度だった。わたしの行動がわかっているのか、彼は笑みを見せた。
「デルフィーナ姫。私の求婚を受けてもらえて光栄です」
「そう……ですか」
受けたんじゃない、受けざる得なかった。言葉は正しく使ってほしい。
ここは北の小国。大陸の覇者ともいわれる大国からの申し入れに断ることなどできなじゃない。国王であるお父さまに呼ばれたとき、可哀そうにお父さまもお兄さまも死んだような目をしていた。二人の表情を見たら、出かかっていた文句を言えなくなってしまったほどだ。この国に対してそれなりの見返りもあるのだろうけど、大国と縁を持とうなんて誰も望んでいない。
わかっていて言っているのだろう、クラウディオは目を細めて笑った。
「何も心配いりません。あなたは私が守ります」
「……わたしは王族の、それも大国の王子の妃になれるほどの教育を受けておりません。クラウディオ様の求める妃になれると思えません」
だから、血迷ったと撤回してほしい。今なら間に合う!
すがるような思いで彼を見つめると、作り笑いでない笑みを浮かべた。ちょっと肉食獣のような今にも食いつきそうな獰猛な笑みだ。
あれ、何か間違ったかな?
「いいや。君ほど俺の目的に適った女性はいないよ」
がらりと変わった口調に目を瞬いた。私から俺に変わっている。
ううん?
「後ろ盾のない小国の第4王女。王位を望んでいないと周囲に示すにはとても適している」
何だろう、この人。王子の被り物していたのかしら?
口調が変わっただけで、途端に男っぽさが出る。
こんなにも内情を話してしまってよかったの?
要するに王位継承権争いが始まりそうだから、抑えるためには力のないどうでもいい国の姫が必要だったという事よね?
するりと頬に手が当てられ、顎を掬われた。真正面からクラウディオの透明感のある強い瞳を見てしまう。見つめられただけで、体がこわばった。なんか、食われそうで怖い。視線を逸らせず、息を凝らす。
「突然の話であり、祖国を離れるのだ。君の不安は理解している」
頬に添えられていた手が離れて、膝に置いていた私の手を持ち上げた。少し冷たいわたしの指先にそっと唇が当てられた。
時間にしたらほんの一瞬。
だが、流されたそれに体がしびれた。認めたくないが心地よい魔力が体をめぐる。心地よいと思えるのはそれだけですべての相性がいいということでもあった。
この王子、先祖返りだ。
大陸では血が薄まって魔力を持つ人間などほんの一握りだ。魔力など本当にわずかに持つだけでも尊いとされているらしい。生活に魔法を使うこともないとこの国と取引をしている商人たちが言っていたことを思い出す。
この国は閉鎖的に婚姻を繰り返していたから、民がすべて魔力を持っている。誰もが普通に生活に魔法を使う。火を起こすのも、水を出すのも、怪我を治すのも魔法だ。だからこんな北国でも生きていける。
特にわたしは王族の中でも桁違いに魔力が高い。大抵の魔法は使える。
もしかしてこの血が欲しいの?
魔力の強い者同士が結婚すれば、魔力が高い子供が生まれる。それが望みなのだろうか。
でも、王位に関係ない妃が欲しいと言っていたのとちょっと矛盾する気がする。ただわたしは政治的なことは苦手だから何がおかしいのかわからない。
「今はまだ会ったばかりだが、君となら信頼関係を築けると思う。できれば、お互い歩み寄って愛を育てていきたい」
政略結婚なのに愛を育てるとはどういう意味なの?
わが国のように小さな国ならいざ知らず、大国の政略結婚に愛情とか言われるととても不思議な感じがした。
熱い眼差しで見つめられれば、彼は本当に心の繋がりも欲してくれているではないかと信じたくなる。こくりと息をのんだ。
どこまで本当の気持ちかわからないけど、表向きはわたしを大切に扱ってくれるのだろう。彼の真剣な眼差しを受け止めると、少しだけ目を伏せてから見つめ返した。
「……どうぞよろしくお願いいたします」
「ありがとう。大切にするよ」
クラウディオはふっと力を抜いた笑みを見せた。押しの強い彼でも少しは緊張していたのかもしれない。
わたしだっていまだに緊張している。何か粗相をしないかって。この国の適当な礼儀作法では怒らせてしまうかもしれない、と心配だ。
断ることのできない申し込み。
立場を考えれば、クラウディオの言葉はとてもありがたいことだ。
彼の言葉をほんの少しだけ信じよう。期待しすぎない程度に、ほんの少しだけ。
でもね。
できれば普通にこの国で庶民になりたかったわ。