不本意な噂 -クラウディオ-
終わらない。
執務室には山となった書類が積まれていた。一昨日までの仕事はきっちり終えたはずだ。それがたった一日休暇を取っただけで、山が作られるというのはどういう事だ。
昨日はデルフィーナと街へと降りた。デルフィーナは街自体が初めてのようで、始終きょろきょろして楽しげだった。北の国でも結婚するまでは離宮から出られないと言っていたので、すべてのものが目新しかったはずだ。くるくる変わる表情がとても可愛らしく、無理をしてでも連れ出して正解だったと思っていたのだが。
大きく息を吐いて、俺の側近であるウェズリーによって整理された書類を一部手に取った。ぱらぱらと書類をめくってみれば、街の中に放置してある魔道具が動作したことによる被害状況が詳細に書かれている。
「そちらは魔道具の暴走被害、こちらは水不足の被害です」
「水がとうとう出なくなったか」
ここ数年であるがゆっくりと水が少なくなっていた。この王都はまだ水がなくなる予兆はないが、国の外側、特に砂漠と接している南部地域は徐々に水が少なくなり、それに合わせて人々も移動している。緩慢にではあるが、食物が育たたない地域が広がっているのだ。
元々この国は王都とその周辺ぐらいの小さな国だ。数百年前に王になった人物がとても魔力が多く、魔道具をたくさん作らせた。魔道具によって水を制御することが可能になった。
水を作り出す魔道具を水の少ない領地に埋め込み、大きな湖を作り出していた。この湖があることで食料が安定的にとれるようになり生活が楽になったと言われている。
言われているというのはその言葉通りで、文献から湖の底には魔道具があると記されているだけで実際に魔道具を見たものはいないのだ。この話はおとぎ話だと思っている国民も多いが、貴族には代々事実だと伝えられている。
伝えられているだけで最近は魔力を持つ者も少なくなっているため、おとぎ話的な比喩だと思っている貴族もちらほらと出始めていた。魔力を持つ貴族が半数を割り出しているのだから当然と言えば当然だ。
王族が管理している魔道具の存在は貴族でも知る人はいないが、いずれ王族ですらその魔道具を使うことができなくなるのだろう。少なくとも自分が生きている間は何とかなるが、次の世代、異母兄上の子供たちの代になればそれも怪しくなる。
「気候の変化なのか、魔道具が壊れ始めて機能しなくなってきたのか」
憂鬱そうに呟けば、ウェズリーも苦笑する。
「どうしますか? 現地へ視察へ行きますか?」
「視察はお披露目の後だ」
一度出かけたら戻ってこられそうにないため、そう指示する。ウェズリーは頷くと、別の書類を取り出した。
「では、こちらから処理をお願いします」
すぐさま別の山がどさりと机に積まれた。その量にため息しか出ない。こちらは魔道具の暴走処理班が行った報告書だった。読んで、問題がなければ署名するだけだ。署名するだけだが件数が多すぎて眩暈がする。
「はあ、どうしてこう次から次へと」
「そういえば、知っていますか」
書類をめくり目を通しているとウェズリーがさりげなく切り出した。顔を上げることなく促せば、彼も自分の仕事をしながら話し始める。
「陛下が新しい側室を離宮に囲っているとか」
「は?」
予想外の情報に思わず手が止まった。
「北国の姫君で、とても美しいと評判です。陛下がその姫君にご執心で他の男に見せたくないため、離宮に閉じ込めていると噂されていますね」
「それって」
「ええ。恐らくクラウディオ様のお妃さまのことだと思うのですが、なんせ私も紹介されていないので否定も肯定もできず、耳にしても通り過ぎるしかありません」
チクリと刺さる棘があったが無視した。ウェズリーにはデルフィーナを紹介した方がいいとは思うが合わせたくなかった。恐らくデルフィーナはこいつに懐くと思うのだ。俺には言えない相談をしそうで嫌だった。
「はあ、どうしてそんな噂が」
「イザベル殿下の一派が広めているそうですよ」
イザベルと聞いて顔をしかめた。イザベルの狙いはデルフィーナをそのまま異母兄上に押し付けて、俺の妃にできないようにするつもりなのだろう。
「茶会などに参加すれば……」
「却下」
良かれと思って言っているのだろうが、デルフィーナをお披露目前に茶会に参加させるつもりはい。イザベルがつい先日すでに嫌がらせの茶会をしたばかりなのだ。いずれは参加する必要があるだろうが、できる限り妃殿下の知っている夫人達と交流を深めてから参加させたい。
「ふむ。大した独占欲ですね」
「独占欲ではない。当然のことだ」
揶揄うような色が見えて、むっとした。
「では、庭の散策などいかがでしょう?」
「散策?」
「そうです。二人の仲睦まじい姿を見せて歩けば、自ずと噂など消えていくと思いますよ」
散策と聞いて少し考えた。仕事が片付かなくて、デルフィーナと一緒にいる時間も限られてしまっている。散策などほんのわずかな時間であるが、一緒にいられるならそれもいいかもしれない。それにずっと離宮に閉じこもっているデルフィーナにもいい気晴らしになるだろう。
そう思っていたにもかかわらず、一週間経ってもそのほんのわずかな時間さえも捻出できずにいた。
「何故終わらない」
「確かに異常ですね。これほどまで魔道具が起動するなど今までなかったことなのに」
ウェズリーも疲れが滲んだ顔をしていた。あちらこちらから魔道具の暴走が報告され、その対応に追われていた。初めは小さな魔道具で暴走してもすぐに壊れてしまっていたから大したことはなかったが、次第にその数も増え、その中にそれなりの被害につながるものも増えてきた。
しかもずっと街の中に放置しており、無害であったはずの魔道具が動いて被害をもたらすのだから、早く撤去してくれと嘆願書があちらこちらから出てきている。まだ貴族街の方から被害届が出ていないだけましというものかもしれない。貴族が騒ぎ出したらそれこそ収拾がつかなくなる。
「誰かが起動しているとしか思えない」
「その割には中途半端な感じがします。劣化したために暴走したとした方がすっきり理解できます」
劣化したための暴走、と言われ顔をしかめた。
「劣化が原因としたらこの城が一番まずいじゃないか」
「そうなりますね。ですが、ないとは言い切れませんよ」
重苦しい空気になったところで、扉が乱暴に開いた。顔を上げれば、厳つい顔をした文官が入ってくる。
「おう、失礼する」
何とも言えない敬語だが、男爵だっても平民と変わらない生活をしていた文官なので仕方がない。ウェズリーもすでに注意することすら放棄していた。初めの頃はせめて王宮に来る時ぐらいはきちんとしてくださいと言っていたが、ウェズリーが根負けしたのだ。
「やあ、ティム」
軽い感じで声をかければ、ティムは唸るようにして俺の執務机の前にやってきた。どんと沢山の資料を目の前に積む。
「少しヤバいかもしれない」
「言葉に気を付けてくれないか。誰かが聞いたら誤解するだろう?」
ウェズリーがそう言ったが、ティムは聞いていなかった。自分が積んだ書類を何枚か手にすると、俺の目の前に突き付けた。
「今まで起きた暴走事故の分析結果だ」
嫌な予感しかしないが、見ないわけにはいかない。気が進まないまま、書類を受け取る。さっと目を通した。
「異母兄上に報告を」
これを報告すれば、またこの国の中心が揺らぐことになる。イザベルについている一派が大きな顔をするにも目に見えていた。今この国でそこそこの魔力を持つ貴族家はすべてイザベルについているのだ。そして同時に再び俺の王位継承もしくは異母兄上の側室の問題へと繋がっていく。
「主任いますか!」
慌ただしく執務室にティムの部下が入ってきた。
「なんだ」
「大変です! 魔道具が王宮で暴走しました!」
ティムが息を大きく吐き出した。いやにその音が部屋に響いた。
「……今日は特に遅くなりそうですね」
「勘弁してくれ。お披露目までもう一週間を切ったんだぞ」
ウェズリーの呟きに俺が呻けば、ティムが気の毒そうに俺を見た。
「新婚なのにすまねえな。魔道具の動力を切ったらあとはこっちでやるから、殿下には動力切断までお願いしたい」
「わかっている……」
これは俺にしかできないことだ。気合を入れて、早く終わりにするために立ち上がった。




